2016年8月1日月曜日

アリ、そしてフォアマン

高校生の終わりだか、大学生のはじめだかに録画したVHSを、
いまだに時々見る。DVDではない。ビデオテープだ。
もう、20年前の録画映像である。



NHKスペシャル「奪還~ジョージ・フォアマン45歳の挑戦~」。
ノンフィクションライター、沢木耕太郎が構成・脚本・出演の
ドキュメント映像だ。
なぜ録画したのか、今では覚えていない。
しかし、何度見ても飽きない。

ボクサー、ジョージ・フォアマンって知ってはる?
現役時「象をも倒す」と言われたハードパンチャーである。
24歳で統一世界ヘビー級王座につき、1974年25歳で
「キンシャサの奇跡」で有名な対モハメド・アリ戦で王座陥落。
1977年、28歳で引退、牧師になる。
1987年、38歳でカムバック、1994年、45歳(!)でWBA・IBF
世界ヘビー級王座奪還(歴代最高年齢)。

映像は、1994年の王座奪還への過程を記録したものだ。
フォアマンはカムバックの理由を
「いろいろあるが、簡単に言うと M・O・N・E・Y さ。」
としている。が。
沢木耕太郎はこう言っている(ナレーションは小林薫)。
「彼の戦いは、20年前、モハメド・アリに敗れたキンシャサでの
夜、アリによってバラバラにされた、自身の自我を組みなおす
ための戦いなのではないか。」

「キンシャサの奇跡」での試合、25歳のフォアマンに対し、アリは
全盛をとうに過ぎた32歳だった。ベトナム戦争への徴兵を拒否
したアリは、王座をはく奪され、もっとも脂ののった数年間をふいに
することを余儀なくされての再挑戦だった。
フォアマン圧倒的有利で始まった試合は、7ラウンドまで
一方的にフォアマンが攻め、アリはロープ際で打たれ続けた。
だが耐えに耐えた第8ラウンド、アリは疲れの出たフォアマンを
KOする。
王座を取り戻したアリ、その後引退に追い込まれたフォアマン。

なぜ、アリは8ラウンドまで耐えきることができたのか。
なぜ、フォアマンは再びリングに立ったのか。

これがこのドキュメントの柱として話は進んでいく。

フォアマンはこう述懐する。
「あの時、アリには私のパンチに耐えるだけの理由があった。
リングで死んでもいい理由があったのさ。しかし、私には
それがなかった。
そして彼は、私のエゴを粉々に打ち砕いた。
私は、アリに、ボクサーとしてだけでなく、人間として敗北した
のだ。」

一方のアリは、試合後こうコメントしていた。
「私が負けることは、世界中でしいたげられている人たちに
とっての敗北を意味していた。だから、負けるわけには
いかなかった。」と
それに対して沢木は言う。
「これは、アリの一方的な思い込みである。しかし、その
思い込みでフォアマンの殺人的パンチに耐えきることができ、
打ち勝つことができたとするなら、キンシャサの奇跡は、
それはすなわち、壮大な精神の作り出した虚構が、
絶対的な肉体に打ち勝った瞬間だったのではないか。」

言葉としては出てこないが、映像を見ていると、フォアマンが
自らその瞬間を作り出し、今度は自分が精神の力で相手に
勝つ奇跡を再現しようとしているように思えてくる。
それは確かに、アリによって粉々にされた自我を再び取り戻すため
には、そうするほかないのだというように見える。フォアマンは
牧師になってからの20年間でも、それを取り戻すことは
できなかったのだ。

そして、そのとき45歳のフォアマンが挑戦したチャンピオンは、
なんと26歳という若さの選手(マイケル・モーラー)だった。
年齢差19歳。親子喧嘩ではない。
しかもこのモーラー、奇しくも、「キンシャサの奇跡」でアリに
敗れた時のフォアマンと、ほとんど同年齢なのである。
劇的、という駒がこれでもかとそろっていくのだ。

2016年3月22日火曜日

愛の筋トレ

ハマモトの住まっているイバラキ市。
市民体育館に100円トレーニングルームがあり、そこで
週に四日は筋肉の修行僧と化している。
夜間はいきなり割高になるんだけど、二時間たっぷりできるし
お得だ。
そこにはトランポリンもあって子どももよく来ており、ガキどもが
キャッキャ遊んでる横でおっさんたちがストイックにダンベル
してたり腹筋してたり、なかなか独特な空間ではある。

でね、さらに独特というか、不思議なんだけどね、その
トレーニングルームの中で、おデートしてる高校生がよくいるのだ。
いや、ちゃんと制服男女の組み合わせなんだけども。
なぜに?と思うが、なんか愛をはぐくんでるんだよ。筋トレ室で。

「あーん♥おもーい♥わたしできへーん♥」
「えー?こんなんぜんぜん楽やん、やったるわ♥」

かしゃーん、かしゃーん(おっさんたちのバーベルの音:ハマモト含む)

「なあなあ♥これ、どーやって使うの?♥」
「これはな、ここでこうして、こうすんねん♥腸腰筋に効くねんで♥」

ぎりぎり、ぎりぎり(懸垂する人の手元の音)

なあみんな、どう思う?これ♥
この時点でおっさんたち(ハマモト含む)から若干の殺気が
漂いはじめているのがわかるのだが、彼らはどこ吹く風だ。
加えて彼氏、自慢してっけど君が彼女に見せつけるマシンの
負荷、軽いんだよ!おっちゃん筋肉痛にもならんよ!

思うに彼らにとって大事なのは「二人で一緒にいられる空間と時間」
なのであって、周囲の状況や表情などはどうでもいいのだと思う。
しかも彼氏は自分の力を誇示し、彼女は「か弱い少女」を演じる
ことができる。そら鉄アレイやバーベルはそのためにうってつけも
わからん。なんせ安上がりだしな。

でも、トレーニング場で筋トレをテーマにいちゃつくのは
どーかなぁー!

ストイックな汗を流すおっさんたちと、トランポリンでびょんびょん
はねて遊ぶガキと、それを見守るお母ちゃんたちの怪訝な視線の
中、愛を語らうのはいかんともしがたい「奇妙さ」が醸し出されて
しかたないのだ。
それともそういうプレイを楽しむ趣味人のカップルなのかしらん。

不思議だ。とても。

しかし、数少ない恋愛経験の記憶の中、初めてのおデートが
「お墓参り」という選択をしてしまった過去のあるハマモトに、
彼らのお付き合いをとやかく言う権利などない。
そう気づき、負荷の重さに顔をゆがめるふりをして苦笑いしつつ、
ベンプレをするのだった。

ちなみに、お墓参りにつれていった相手には、会って40分で
帰られた。








2016年3月5日土曜日

うれしかったこと

去年で、ラグビーを始めて丁度20年になった。
はは、なんちゅうこった。
そして、また同時にうれしいことがあった。
同じく去年の芸祭、最後の泰造杯後のパーティで、
京芸ラグビー部初代監督、故三宅先生の奥様にお会い
でき、話をさせていただけたことである。

このブログを書き始めた一番最初に、自分は下記の
ようなことをつづった。
上のOBさんに聞かされ、読ませてもらった文が重なって
いくうち、いつの間にか会ったこともない三宅先生の人と
なりが自分の中で形成され、はっきりと息づきはじめている。
と。
だとするなら、先生は今も確かに生きておられるの
ではないか。
こちらが認識するうえでの、単に存在の位相の違いである。

初心者で、はじめは半信半疑で走り出したラグビーが、
ついに自分個人にとってとてつもない意味を持ち、現在の
自分を作ってくれるに到った。断言できる。
勝つことは大事だが、そうではなく、それが最終目的ではなく、
もっと大事なことを言葉でもない実感で、我々の中に植え
つけてくれたのだと今は思います、ありがとうございました。
京芸ラグビー部に所属できてよかったです。

この言葉を、三宅先生に直接お伝えしたくてしかたなかった。

いつかいつかとここ数年思い続けていた。
それが、遅れて参加した芸祭パーティに奥様がおられた。
最後の泰造杯と知り、駆けつけてくださっていたのだ。
なおかつ、自分が京芸の卒業生会報に寄せさせてもらった、
ラグビー部に関する文に目を通してくださっていた。
それについて、自分などにお礼まで述べてくださったのだ
(文中、三宅先生に触れた箇所があった)。