2009年3月31日火曜日

現役の練習

先日、仕事を休んで現役の練習に行った。
そしたらいきなり足首をグネり、往生した。
久々に自分の関節がぐりりっと音を立てるのを感じた。
結構痛かったのだが、いきなり来ていきなり怪我して帰るなんてかっこわるい!とやせがまんし、最後まで走った。
家に帰ると案の定腫れており、暗澹とした気分になったものであるが、翌一日足を引きずって歩いただけで、そのまた翌日からは大丈夫になっていった。
幸いにして、現在はだいぶいい。
う〜ん、やっぱり体を当てる練習は普段からやっていないと体が忘れてしまうものなのだろう、ちと悔しかったのである。
皆さんも怪我にはぜひぜひご注意を。

今日はこれだけ、ほんまに徒然の惰性で書いてしまった。

2009年3月13日金曜日

走らんかな

ネタが豊富になってきたので間をおかず書いておこう。

つい昨日の夜になるが、クラブチーム、ディスカバリーの練習に行ってきた。おなじみ吉祥院運動公園、マツダ君とテツオ君もいた。
タッチフットをたっぷり一時間ほど、いやあやっぱり一人で走るのとは違うもんだ、何せ楽しい。

走るのが楽しい、という感覚は自分は「犬」に近いような気がする。夢中になるとはこういうことなのだなと思う間もない。走ってボールをもらうことだけに神経が向いてしまうので、気がつきゃ一時間なんてあっという間だ。
だから自分はそういうときの犬の気持ちがわかるのだ。いや、犬に確認を取ったわけではないんだけれども。
目の前のボールしか見えなくなって、首に巻かれたリードも忘れ全力疾走をかまし、リードの長さなどなんぼのもの、ばいーんと首吊り状態になってすっころぶ。
あれ、自分は笑えない。気持ちが高ぶりすぎてあほな行動をとってしまうのなんて、しょっちゅうなんで。

だから毎度タッチフットをすると、たはー、おれって犬やなあ。と思わずにいられない。

長くラグビー無宿状態の自分としては、そろそろ身を落ち着けてプレーをする場所が欲っせられる。
一匹狼(というより野良犬)でラグビーが出来るわけもなし、また楽しいわけもなし、本来イヌ科の獣は群れで生活するものなのだから、犬男たる自分にはそれが似つかわしいのだ。かっこつけているわけではない。自分には犬のようにあほな部分が、犬に悪いがたくさんあるのだっつうことを言いたいのである。
そういう自分がラグビーというスポーツを選んだのも、今思うと必然であったかも知らん。

ところでラグビーは一面、集団で狩をする狼の行動を垣間見ることができる。
一つの目的のために協力して動くということにも関して。
キックオフの前に雄たけびを上げてテンションをあげるところとか、なおさらに。

練習後ちくちくするのでひざを見ると、いつの間にか怪我をして血が出ていた。
怪我に気づかぬほど集中していたとは、おそらく脳内麻薬物質、エンドルフィンあたりもどっぷり出ていたのだろう、なんたら単純なことか自分よ。
犬が。

と、自虐をぶってみたところで楽しんだ後の疲れは心地よい。帰り、吉祥院から洛西口駅までほてほて歩くのにも、なかなか気分が良かったのである。

2009年3月12日木曜日

五十周年に向けてのわれわれ

先だっての日曜日、大学はヤスイさんの研究室にて、OBの集まりがあった。
主に五十周年記念冊子について、具体的に話し合った。
若手が多かったが、上の方々はタイゾウさん、アオヤマさん、カトウさんがお越しくだすっていた。
自分はほとんどいただけであったのだが、いくつか宿題をもらった。
他の参加者も仕事を振り分けられ、四月終わりを一つのめどに動き出そうという形になっている。よいものが出来るといいなあと思う。

この時期になると皆ぼちぼち次の動きをしはじめる話を聞くが、特に若手の方でそれが顕著であるように感じた。まあ当たり前なんだが。
西は佐賀へ、東は東京へ、海を越えてはスペインにフィリピン。籍を入れた、いまどこそこにいる、いや行方が知れぬ、などなど。
洗い直しが必要になっているからであるが、まあいろんなところに住み、いろいろな状態になっていはるものである。ほんでも、OBはOB、記憶のどこかしらに京芸ラグビーの文字を刻みつつ、日々を生きていはんねやなあと思うと、創部五十年という歴史がリアルに思われ、その遠大さに少しぼーっとなった。

そんな歴史の中にちょびっと身を寄せさせてもらっている自分としては、できるだけ迷惑をかけないようにこの五十周年記念の仕事にがんばろうと思うのである。

ところで、自分はまた性懲りもなく、せっかく行くしなとスパイクとジャージを持って行き、集まりの終わった後、グラウンドでボールを蹴った。
てってこてってこグラウンドを走っていると、ああ、やっぱり楽しいなあと思ったものである。
一人キックダッシュを何本か、息が上がった。

2009年3月5日木曜日

阿修羅・原

またはなしがダブるかも知れないが。

自分はプロレスが好きである。特に1970年代終わり、80年代初めの頃のプロレスが。

古館伊知郎の名実況と、山本小鉄の味のある解説、手に汗握ってテレビにかじりついたものだった。
新日本プロレスでは猪木がまだイノ鬼だった頃で、ジュニアヘビー級では佐山サトルの初代タイガーマスクが四次元殺法を繰り出し、イギリスからは「蛇の穴の刺客」スティーヴ・ライトなるわけのわからんレスラーがやってきたりしていた。

ああ、全日本の故ジャイアント馬場ももう少し動きに切れがあったなあ。
百の顔を持つ男、ミル・マスカラス、その弟ドスカラス。エル・サント。
人間山脈アンドレ・ザ・ジャイアント。
狂獣ブルーザー・ブロディ。
狂虎タイガー・ジェット・シン。
筋肉の表面張力、ダイナマイト・キッド。
鉄の爪、フリッツ・フォン・エリック。
テキサスブロンコ、テリー・ファンクにドリー・ファンクJr。
アブドラ・ザ・ブッチャー。
不沈鑑、スタン・ハンセンに超人、ハルク・ホーガン。
バッドニュース・アレンってのもいたなあ。

外人選手のインパクトが強いので思い出すままあげてみたが、
いやー、みんな濃かった濃かった。
ちびっ子は熱狂したもんである。


日本人選手のほうも木戸修、藤原嘉昭などの渋い選手が光っていて、現在おもしろお父っつぁんになっているアニマル浜口も現役だった。
その中にあって、天竜源一郎とよくタッグを組んでいた選手で、阿修羅・原というレスラーがいた。
スタイルは愚直の一言で、繰り出す技も体当たりとかラリアットとか、直線的なものばかりで、その不器用さが逆に目立っていたように思う。

この人、後で知ったことなのだが、伏見工業の山口総監督と同じ代の日本代表右プロップ、いわゆるタイトヘッドなのだったのである。近鉄でもプレーしていたらしい。
そしてこの人の代表時代の試合のビデオを偶然手に入れて観たことがある。相手はウェールズかスコットランド、山口監督は7番でプレイスキッカーだった。
原選手、面白いことにプロレスの動きとまったく一緒の体さばきで、ほんまに体当たりのタックルをする。かなり僅差の試合であったように記憶しているが、どうだっただろう。
本人はプロレスラーに転向してから、ラガーマンであったことを自ら語らなかったのではないか。そういうネタを言っていたのを知らないし、何より寡黙なレスラーだった。
しかし、時たまどこかでラグビーの練習はしていたということを知るにつけ、なんだか興味が出てくる。これはどのような‘OB‘なのだろうと。

だって元総理、元ワセダの森善郎みたいなOBもいるわけだから。
陰に日向にたくさんのOBが、当たり前だが、いる。

今度の3月8日の日曜、50周年記念の企画のOBの集まりが大学であり、そんな中でこの記事のことをふと思った。阿修羅・原のように、陰に隠れたOBさんたちの姿が見えてくるような記念誌を作ることが出来たらなとつらつら思う。