2011年2月19日土曜日

スーパーなひとたち

スーパーラグビーシリーズが、いつのまにか15チームになり、「Super 15」
となっていた。
さらにとんでもないプレーを見る機会が増えたわけだ。
オーストラリアの「レベルズ」が今回加入したとのこと、いったいどんな
メンツが揃っているのか楽しみである。
個人的にはNZのハリケーンズ、ブルーズがおもしろい。
そしてまた個人的に、欧州のプロリーグも観たい。一時期、フランス国内
ディヴィジョン・1や、英国プレミアシップも放送していたのだが。

さて、はるか昔、大学一回生の頃。ラグビーが皆目わかっていなかった頃。
ヒッチさんの下宿だか、ユイさんの下宿だったか、後学のためにと、ある
ビデオを見せていただいた事がある。

「各国のスーパーな代表選手たちは、こうしてラグビーの腕を磨いた!」
「こうすれば君もラグビーが上手に!」
みたいなやつ。

当時イングランド代表SO、ロブ・アンドリューがその練習風景を見せてくれていたが、
10メートル間隔くらいで置かれた3本のコーンに向かって、立て続けにハイパント
を3回蹴った。
すると、3本のコーンのある地点にボールが3つ、ぽーんと落下した。
連続してキックをし、かつ10メートルの間隔を蹴り分けたのである。

どうやったらそんなことができるようになるんだ!

というのが視聴者でラグビー初心者の心理である。
そして、レポーターが「どうやれば?」と同じ質問をすると、ロブ。

「いや~、子どものころからできたんですよ~。」

のたまったもんだ。
要するに今までセンスでやってきちゃってね、とのこと。
ぜんぜんハウトゥーじゃあれへんがな!
見ていたわれわれはごろりともんどりを打ったのである。

このビデオは、全編そんな感じで進んでいった。すごい技術が目白押しだったが、
その全てが凡人には到底できないハイセンスな世界であって、そういった
プレーを「子どもの時分からできてしまっていた」人たちの観察映像となっていた。
何かかえって笑わしたいのか?というコンセプトビデオのように思えてくるほど、
たしかにスーパーなビデオ作品だったのである。
思いっきり突き放されてしまったような気がした。

自分はその夜、泥酔した。

2011年2月3日木曜日

しづのおだまきえにしの果て

前回の続きである。

自分は、縁、えにしと言うものを信じている。
関わっていくものや人、時にふしぎな事柄も起きてさもありなんと言う気がする。
それはオカルトや心霊現象とはちょいと趣を異にするものなのであり、そして
自分には結構そういうことがおこるのである。
断っておくが、自分は霊が見えるとか、神の声が聞こえるとか、そんな類の
力は皆無である。
ただ水木しげる(大先生)的世界観が心地よいので、こう言うことにしている。

自分は神は信じないが、妖怪は信じる。
欧州一神教ゴッドの世界でなく、縄文うぶすなスピリッツの世界観で。
こんなことえばって言うこっちゃないな、話を戻そう。

前回の記事で気に入った音楽のことを書いた。
しかし、なんとなく資料が少なく、このヴァシュティ・バニアンと言う人のことが
よくわからない。
そうして、この歌い手のことを知って数日後、全く関係ない場面で全く脈絡の
ない雑誌をふと手にし、ぱあらぱらとめくってみたらば、いきなりこの人の資料が
載っていた。
「芸術新潮 2005年 12月号」の117ページ。ある連載の最終回に掲載されて
いたのだ。
自分の職場は学校であり、その美術研究室には、1995年から現在まで、
この雑誌が全てそろっている。毎月発売の16年分だから、192冊がずらりと
並ぶ。歯抜けだが、古くは1968年発売のものからあり、それも含めば250冊
近くの「芸術新潮」が本棚にある。
自分はその中から無作為に1冊を抜き、開いたのだ。
さて、この状況の起こる確率を乱暴に考えてみるならば。

250分の1冊ということだが、いきなりとってぱっと開いてそのページを出すことまで
考えると、ちょっと想像のつかない数字になってくる。
偶然といえばそうなのだ。取り立てて驚く必要もないが、しかしだとすると自分は
ラッキーなのだろうか、んなこたないのだが、こういうことがよく起こるのだ。
気になっている物が手に入ったり、後で考えると「虫の知らせ」としか言いよう
のないことがあったり。

そういう時自分は、「こういう縁なんだな」と思うことにしている。
深ければ自然に近づいてきてくれるし、薄ければ離れていくまでのこと、と。
知らず自分自身が求めているせいもあるのだろう、人でも物でも、いずこかしら
つながり、縁がある限りどこかで出会うし、目の前に現れてくれる。
しかしそういうことは、皆さんも経験のあることなのだろうと思うがいかが?

上に書いたことが、ヴァシュティ・バニアンと自分との縁なのだと考えている。
偶然歩いた場所で偶然耳にした音楽が偶然自分のほうに飛び込んできてくれた。
そしてそれは自分の好きなものになっている。
感謝・感謝と言うほかない。
んで、アルバムを全部買ってしまった。

学生の頃、夜中に突然写真の整理がしたくなってひっくり返していると、祖父の
写真がぱらりと出てきた。ああ、じいちゃん元気かなあと手にとって眺めていた
ちょうどその頃、祖父が死んだと翌日かかってきた電話で知った。ああ、
そうだったのかと合点がいった。

自分にとって縁とは緩やかに自分を包んでいるもので、時々そんな出来事を
自分に与えて人やものとのつながりを伝えてくれる隣人のようなものと思う
今日この頃で。