2013年3月30日土曜日

夢を持てば2

間をおいてしまっている間に、また柔道界関係の問題が明るみに
出とるな。くらーいお金の動きとか。

こういった問題の噴出したチームは、間違いなく弱くなる。
どんなに体を鍛えても、心がついて来なければ実力など出せない。
首脳陣に対して不信感を抱く選手たちが、勝つことなど土台無理な話だ。
なかんづく、その国を代表するアスリートにおいてはなおさらのこと。
多分、しばらく日本柔道は低迷するのだろう。

以前も書いた話なのだが、かつて、1995年世界杯決勝戦で、NZ代表
オールブラックスが僅差で優勝を逃した翌日、NZ本国では体調不良を
うったえて病院に来る子どもが多かったのだという。
つまり、そういうことなのだ。
少なくともその当時、子どもらにとってオールブラックスはヒーロー集団
だったのだ。それが負けたということで、彼らは「がっかり」したのである。
それも心の底から、体調を崩すほどに。
ヒーローが負けるなんて、あってはならないことだったのだ。

この話は、「NZ代表」というものの意味を端的に表している。
単に強いチームでおわっていないのだ。
幾人かの子どもらの夢は「いつかあの漆黒のジャージを着る」ことであり、
その夢を胸にラグビーにいそしんでいる。それだけの価値を見出している。

夢のゴールがオールブラックス。
そのためになら、そらがんばれるだろう。むしろ当然の話といっていい。

元日本代表監督にして元NZ代表の伝説的選手、ジョン・カーワン氏の
インタビューにも書かれている。氏が代表に選ばれた時、先輩から
言われたそうである。
「一度オールブラックになったものは、生涯オールブラックである。」

プレーヤーはもちろん、首脳陣もその意味を理解するからこその
強さって、やはりあるのではなかろうか。
逆に言えば、意味を伴わぬキツさは「しごき」以外の何物でもない。
問題になっている女子柔道の問題はそこにあったのではないか。


2013年3月2日土曜日

夢を持てば1

小学校3年生から高校卒業まで、柔道をしていた。今でも試合とかは
見てしまう。
そして最近、柔道関係の事件があった。元金メダリストが酔った弟子に
暴行したり、暴力、暴言が原因で、女子柔道選手団がその監督を
告発したり。また、教育現場での暴力で不幸な事件も起こった。
自分も教育関係の仕事をしているだけに、悲しい。

正直なところ、自分も練習中、竹刀で叩かれたり、怒鳴られたりした。
しかし、そんなことはどうでもよかった。強くなりたかったし、自分を
叩いた先生を嫌いになることもなかった。
信頼関係とかそんなことに気を配ってもいなかった。自分は、とにかく
柔道が楽しかったのだ。少なくとも人間性を否定されなかったので、
先生や種目を嫌いになる要素がなかっただけといえばそうかもしれない。
言い方を変えれば、一線が守られさえすれば疑問もうまれなかったのだ。
そんなことより、心無い言葉の方がよっぽどこたえた。

何が嫌いなのか自分を認めようとしない先生がいて、なんも関係ない
ことをいちいち言う。その人のことは悪い意味で忘れられないし、今でも
大嫌いである。
厳しい練習よりも、その人に物を言われるほうが疲れた。
そういうことだったのかなとつらつら思う。

しかしだからといって、暴力やむなしという意見ではない。
やはり良くないものはよくない。
ただ、桑田元投手がコメントしたように、暴力が子どもの心を歪ませる
原因になるかというと、自分の乏しい経験からして、よくわからない。

自分は、言ってみればかつて「暴力を振るわれた」。しかし、そのせいで
自分が歪んだとは思っていない。
むしろ、「自分を追い込む厳しい教育」だったと認識しており、そういう
状況があったことを感謝さえしていたりする。

「あのときしばかれたが、そらもうしゃーなかった。」

と思っている。
恥ずかしながら少なくとも自分は、言葉や理論のみで柔道が強くなれる
タイプではなかったし、言葉と理論のみでしかられて反省するような
もの分かりのいい子どもでもなかった。