2010年8月26日木曜日

マシンボイスか生声か

帰宅ラッシュ前の阪急茨木市駅改札脇に、若い駅員さんが立ち、
しゃきっと「ありがとうございますっ!」の声をかけている。

あまり速いのでこの一言が1秒もかからない。
それもナイスなタイミング、定期を改札機に入れた瞬間、
「ガシャン」の「ガ」 と同時にびしっと言ってくれる。少し驚いた。
恐らくは上司に言われてやらされているのだろうが、それにしても
機械のような冷徹さ、正確さなのである。
まるで改札行為がスイッチみたいに。

それならばと、定期を入れそうで入れない、を彼の目の前でくり返し、
「あっありありが・あり・ありありあっあっあありがありあり」
なんつってアリの行列かのような「駅員さんジョッキー」 をやって
みたくなったりする。 せんけれども。

実際思ったのは、彼の機械的な挨拶に腹を立てたのではなく、
駅員をわざわざ立たせんでも、そうだったらほんまに 機械に
し、「アリガトウゴザイマシタッ 」と言わせたらよいのに、てなことである。
よもや機械で人様に挨拶とは何ごとかっ!と怒る人もまあいるまい。
でもやはり、いくら機械的であっても、血の通った人間の 方がいい、
ということなら、それはもうほとんど本能的といってよい感覚なの
ではなかろうか。
ま、機械化の予算の問題なんだろうけど。
ただ、ロボットに言われるよりヒトの方が・・・、だろう。

それは、イセエビの一種が長距離の移動の際、普段は単独行動
なのに、いつの間にか数匹が集まって列を作り、海底を歩いて行く
習性を持つ。というレベルに近いように思う。
つまり同種という他者の存在を感じていたいのだ。
一人(一尾)で行き先の決まらぬ旅するのはこの海はあまりに茫漠に
過ぎ、きっと「寂しい」のだ。エビとはいえ、きっと人肌恋しくなる
のだろう(甲殻類で冷血動物だけども )。

断っておくが、一人旅、という言葉があるが、これは現実逃避の
一方法であって、孤独な状態ではない。もちろん、誰かのいる
帰るべき場所があっての話だ。
真の孤独が行き着く先は緩やかな死か自殺、即身成仏くらいな
ものである。

だとするなら、まあほとほと孤独には生きていけない我々万物の霊長
というわけだ。
そうしてみると、感情がこもらないながら、若き駅員さんに少し
感謝の念がぽっとわいた。
同族の声を聞かせてくれてありがとう、他者の存在を知らしめてくれて
サンキュー、と。
おれ、イセエビ?

2010年8月22日日曜日

こういうときは素直に感謝すべきと思う。2

おおむね、とくに自慢のできない人生を送ってきていると思う。
自分自身の人間的な器、というものも、ちゃんちゃら小っさい
ということも分かった。しかし、数少なく胸をはれることの一つで、
「よい隣人に恵まれている。」
ということがあり、これはかなり自慢ができると思う。
とりわけそれら隣人の中には、「先輩」の比率が高い。

ラグビーに限らず、いろんな先輩によー世話していただいた。
ほらもう恐縮なほどに。
今まで冗談ではなく、ほとんど先輩のつてそれのみでメシを
食ってくることができた。思えば、お金ないなあ、どうしよう
かなあと思っているまさにその時に、ナイスなタイミングで
働き口を紹介してもらってきたのだ。
だから働いた職種の割りに、書いた履歴書の枚数はさほどでもない。

前回からの続きだが、東京で一緒に飲んだドマさんにも、一度
バイトをいただいた。そのおかげで何日か生活を潤すことができた。
そういった生活の積み重ねがあり、今の自分がある。
ドマさんを含め、今まで稼ぎ口をもたらしてくだすった先輩方全てが
自分にとっては恩人なんである。

ある方はこういう意味のことを言われた。
「京芸つながりの後輩に仕事を回していくことで、それが彼らを
助けることになるし、そのつながりが続くことで近い所に仕事が
転がっているようになる。」
こんな有難いことはなく、実際自分はその「つながり」によって助けられた。

また前置きが長くなってしまった。

ビールをあおりつつ、ドマさんと色々話した。
造形屋という仕事の面白さ、それにまつわる興味深い人たちのこと。
学生時代のこと。また、今現在の京芸のこと。
ひとつ気にしておられた。
上のOBたちのことは、もう若い学生達には記憶されていないのではないかと。
確かにそういう面はあるかもしれないが、自分はこれを否定した。
「お尻芸」をはじめとして、数々あるエピソードを、自分は下の回生に
ことあるごとに話す機会があった。
「こんな先輩がいはってね。」てな具合に。
だから何となくでもこんな人がいた、というイメージは伝わっている
ように感じるがしかし、あくまでそれは情報のみであって。
鯨の大きさをいくら言葉で表しても実体のそれを見るにしからざるように、
実感が伴わない。
そしてそれはある種の不幸といっていいのだと思う。

OBの昔話というのは、現役にとっては古臭く、時として苦痛である。
ただ、あえて自分は言いたいのだが、
「昔はよかった。」
なぜなら、面白い記憶満載だからである。
個人的なものでなく、学生多数、ほとんど過半数の生徒を爆笑せしめる。
そんな生々しいほどに面白い人がごろごろいた。言い過ぎか?

ただ、かつてそういった状況を楽しめたからこそそう話すのだし、
楽しめたからこそ今でも京芸に顔を出すOBがいるのではなかろうか。
あるいは、行きたいなあ、と思われるのでは。
実際にそういったOBがいるということが、「昔はよかった」の裏づけに
なっている。

分かりやすい例で芸祭。
以前は「美女コン」というイベントがあった。
練りに練り、仕込みに仕込んだ女装集団が舞台で乱舞しとった。
自分も出たが、思い出したくない。
それ以外の人たちのありようというのが、プロ意識を感じさせるほどに
みなを笑わしたる!という気概に満ちていて、イナカモンの自分は目から
うろこが落ちるほど感動した。
なおかつ、四年に一度、「グランドチャンピオン」があった。
卒業したOBが再びつどい、芸を披露するのである。そう、さっき「不幸」
と書いたが、それを見ることができていない後輩達が不幸なのである。

その盛り上がりはちょっとすごかったぞ。

自分が目の当たりにした「グラチャン」は二度。記憶している限りで言うと

○ヤスイさんがFRPの岩をかつで登場、スパンコールのワンピースで「マカレナ」
を踊っておられた。

○エグチさんが同じくスパンコールのワンピースで「京橋グランシャトー」の
歌を熱唱、その後泥酔。

○「OH!マイキー」「狂わせたいの」などの映像作品を制作のイシバシさんが
前代未聞の「映像芸」で参加。

○同級生シミズ君がジグソーで舞台にビュイーンと大穴をうがち登場、びびる。

○ナカノ君とドマさんのお尻で箸割り対決、ボールペンまで割り、ドマさん出血。

○ナカノ君、フジイ君、ヨコタ君による「日本のお箸は二本でお箸」アジテーション。

○ノハラ君、留学生デイヴィッド君を巻き込んでの恋愛寸劇。

だから、これらを見ることのできた自分はハッピーやと思うし、面白かったのだ。
どないや、見たこと無い後輩達、見たいとは思わないかい?
自分はもう一度見たい。
いや、見るべきなのである。
だから自分は、ドマさんOB戦、およびコンパへの復活をお願いした。
そして後輩達には、上に書いたイベントの復活をお願いしたい。
もちっとオープンな芸祭を標ぼうしてほしいのだ。

絶対に楽しくなる。重ねて言う。
「昔はよかった」
今は昔、と忘れるにはあまりに忍びない。古きをたずね、と言う言葉もある。

よかった昔をもう一度。
とりあえず、松崎しげるのあの歌に乗って、ドマさんのお尻芸から。
恐らく自分は泣くと思う。

2010年8月14日土曜日

こういうときは素直に感謝すべきと思う。

前回のアイドルがどったらこったら言っていた前置きの続きを書こうとしていたが、
新しいネタがぽこんと出てきたのでそちらにシフトする。

個展をする間、二泊三日で東京に滞在した。
最初、新橋のネットカフェで一晩過ごすと死にそうに疲れたので、二日目は上野の
カプセルに泊まった。何回か泊まっている所なので、やっと寝れた。
その二日目の晩、先輩であるドマさんと飲んだ。
学年で言うと自分より六つ上のキャプテンで、フランカー。自分と同じ柔道経験者
のOBなのである。

実は自分の「ハマーン」というニックネームは、このドマさん、「ドマーン」からいただいた
ものなのである。
何となく雰囲気が似ているから、という理由で、自分の入部二日目に、ヒッチさんに
つけてもらったのだ。そのときは偶然にも下宿が同じで、お互いホクセイ寮に住んでいた。
(何度か書いたのだが、このホクセイ寮は、そのころはスサマジイ面々がいたのだなと
今にして思う。)
幾度かお部屋に遊びに行かせていただいたことがあるが、お部屋に入ると、バイクが
一台、どんと置かれていた。
五畳半の部屋の真っ只中に、である。
畳が全部引っぺがしてあり、さながらメンテナンス工場のようであった。家主は、本当の
意味で「起きて半畳寝て一畳」状態。あの下宿のつくりでよく床が抜けなかったものだ。
一回生の自分にとっては、もう恐ろしいほどのインパクトの強さ だった。
加えて「松崎しげるの曲に乗って、お尻でお箸を割る」という芸もお持ちであり、ちょっと
他の追随をゆるさぬパワーの持ち主なのだ。
ちなみに、松崎しげるの曲は「愛のメモリー」である。

脱線するが、かつて芸祭で美女コンテストがあったころ、四年に一回「グランドチャン
ピオン大会 」というものもあった。
そこで歴代の出場者が芸を披露するのだが、ドマさんが出場された折、今でも忘れない。
舞台と観客一体になったすごい盛り上がりの中、ドマさんは上記の芸で 、なんとボール
ペンを真っ二つに折り、その破片でお尻から流血、というとんでもないことをやってのけ
られたのだ。対戦相手のナカノ君も同じ持ち芸で勝負していたのを記憶する。
あれは本当に面白かった。

というわけで、自分にとってはドマさんは「ハレの人」であり、そんな方とお酒を飲むことが
楽しくないわけは無い。実際楽しく飲んだ。
たくさん飲むと酩酊してしまう自分が、ずっと同じ調子でビールを楽しめた。
ジョッキを何杯おかわりしたかも忘れてしまった。

そして、どんな話をしたか、はまた長くなるので、次回に。

ドマさん、差し支えあればお知らせください。たまらん楽しかったので思いっきりネタにさせて
いただいております。

2010年8月2日月曜日

前ふりが長すぎて本題になってしまった例

ときにみなさん、AKB48ってなあ、どう読むのかご存知ですか?
「あっちもこっちもバッキンガム宮殿48棟」
「塩梅これでいいのだバカボン48歳」
「アンチKKK団暴露48ページ」
斯様におちゃらけたイメージしかわいてこない身供の大脳新皮質ではある。
特に「48」など、この集団の存在を知ったときからずーっと「エーケービーよんじゅうはち」
と読んでいた。あるいは「しじゅうはち」。
横文字読みであったとは、今の今まで知らなんだ。
だって「G-メン‘75」(往年の名ドラマ・がきんちょの自分はそのかっこよさにどっぷりはまっていた)
は、ちゃんと「ジーメンななじゅうご」って言ってなかったか?
教職なんてやってるので若い人間がまわりに多いのだが、そのことでえらい笑われた。ふん。

そういったアイドル集団(て言うのか?)には全く興味がわかないので、名も顔も憶えられん。
増えたり減ったりしよるようだし、おのこの集団でくねくね踊るエグザイルっつーのも増殖したよし。
重ねてみな同じような格好なのでなおさら。
外見的にキャラ立ちしといてもらわんと、記憶できないのだ。メンバーにマスクマンがいるとか、
敵か味方かいまだ謎、みたいなのがいるとか。
自分の知識としては、国生さゆりがおニャン子クラブのメンバーだった位のことしか知らない。
何にしたって現役マネージャーさんたちの名前さえおぼつかないのだから、何をかいわんや、
である。ごめんなさい。
学生に聞くには、なんでも48(よんじゅうはち)の人たちは総勢200人近くおり、プロ野球と
同じように1軍を狙ってしのぎを削っているのだとか。
そうまでしてなりたいアイドル=偶像って何なんだと思うが、若い身空でくじけぬよう、体に気を
つけがんばれよ。

(これを見る方で48の人たちのファン、親戚、あるいは所属メンバーよ、という人がおられたら、
どうぞあしからず。誹謗中傷の気などこれ無く、あくまでハマモトのたわごととしてお受け取りを。)

本題の前ふりとして書き始めたら、 止まらなくなってしまった。ほんまにたわごとでありました。