2012年12月27日木曜日

楽しい集まり

先日の追い出しコンパに、最年長OBとして出席した。
正直なところ、若いマネージャーさん、プレーヤーさんの名前があやふやで、
寂寞とした思いに駆られぬこともないが、まあいい。この日は自分の悪癖
であるところの「説教おやじと化す」こともなく、へらへらアホなことを喋って
いられたので、よかった。おそらく、おそらく、現役にも迷惑をかけていない
(はずである)。
できることなら、偉そうなことは一つも言わず、半笑いでにやにやコップを
あおっている人でいつもありたい。

そしてはたと思った。
そう、そうなのだ。試合中にどんなにもめても、納得のいかないプレーが
あっても、そうした試合後のパーティー、アフターマッチファンクションで
なんとなく話したらいいのだ。お酒片手に当事者で、あそこのプレーは
もっとこうして、とか、あの時はごめんね、えへ。とか言ってたらいいのだ。
解決策や答えがでなくても、少なくとも「同じ場にいて口をきく」だけで、
次につながる建設的な気分や何かが生まれるのではなかろうか。

OBのセンターで出場したミキ君と話していた。
今日のOBのよかったところ、改善すべきところ。自然にそんな話になる。
肩肘張らず、へろへろ~んととりとめもなく話すが、お互いにプレースタイルや
ラグビーへの考え方が似ていることがわかった。そうなると面白くなり、
「じゃあ次のOB戦はこれでいこうぜ~。」と作戦まで決めてしまった。
酔いのせいで何を話したのか、細かいところは忘れてしまったのだが。
しかし。

「ああ、これだったら次のOB戦も楽しみだなあ。」

という未来へのあったかーい希望だけは翌日残っているわけで。
んでこれ、すげー建設的。

ビールが回りだしていた頭の奥でぼんやり思っていた。
ラグビーを深く知る人、特に海外のビッグなプレーヤーが、なぜアフター
マッチファンクションにこだわった発言を残すのか、改めてその意味が
わかった気がした。追い出しコンパの場なんだけれど。
やはり「明日のため」なのである。


2012年12月19日水曜日

解説者の魂Ⅱ

前回に引き続き。

好きが嵩じてその道を極めてしまう人がいる。
しかし当の本人は好きでやっているので、いつの間にか
頂点にたどり着いてしまった事実には拘泥することなく
淡々と自分のやることを片付けていく。
自分の仕事の凄さに自分であまり気づいてもいない。

そういったことがまさにこの人、小林深緑郎 氏にはふさわしい。

経験者ではない。全く頭脳でラグビーを楽しむ方だと思う。
言葉も多くない。おそらくむしろ口下手なのだと思う。そして、
試合観戦に没入して解説を放棄してしまう人である。

しかし、この人が一度口を開くと、自分は空恐ろしくなるのである。
ある試合(スーパー14)で、ある選手のことを語る。

「彼は何歳からラグビーを始め、好物はなになに。何年に
プロ契約を結びました。お父さんの職業は何で、弟もラグビー選手
です。ちなみにお母さんは何をしてておじいさんは国の
代表選手でした。」

小林さん、CIA?

ランダムに選ばれた選手についてこのくらいの情報などさらっと
言ってのける。
恐ろしいのは、選手が30人のテストマッチではなく、15人×14チームの
ス-パー14でこれだったのであって、一人の選手に対してこれだけの
データを持っておられるということは、正味160人以上の選手の情報を
把握しておられるということなのだ。
半端でないリサーチ量を想像させる。

チームのコーチ、監督の経歴までも披露してくれるのにはまあ驚く。

だから時々この人の言葉には、ずしっと腹に響く凄みを感じる時がある。
これも以前の、ある試合だった。

ある選手が犯した、海外の試合ではよくある小さなラフプレイを指して
小林氏はぼそりと言った。
「こういった点もってしても、この選手は代表チームに入る器では
ありません。まだ早いんです。」
NZ代表オールブラックスに初めて選ばれた時の、12番、マア・ノヌー
に対してである。

後の世界杯優勝メンバーを指して、「器じゃない」とこき下ろしたのだ。


2012年12月16日日曜日

解説者の魂Ⅰ

Jスポーツでラグビーの試合を見ると、だいたい実況と解説の
メンバーが決まっている。
特に今回は解説の方々のことなのだが、その顔ぶれはというと

・村上晃一 氏
・小林深緑郎(しんろくろう) 氏
・藤島大 氏

のお三方がほとんどである。元サントリーFB、今泉氏も多いが。
みなさんユーモアと掘り下げられたコメントでそれだけ聞いていても
面白いのだが、三人さんとも、「ラグビーが好きすぎて試合に没入し、
解説しなくなる」人たちである。

特に小林さんなどは、熱い試合になると早い段階で喋らなくなり、
視聴者側の我々がその存在を忘れてしまうほどである。
いつだったか、ある感動的な試合で無言になり、後半頭から
言葉を発しない。んでもって最後の最後でコメントを求められ、
ようやく声を震わせ泣きながら喋っておられるのを聞いた日にゃあ、
「泣いてたんかい!」と画面に突っ込んだものだった。

ところで藤島氏。
先日フェイスブックの方で、偶然見つけたコラムページを紹介したが、
久しぶりに目からウロコがぺりぺり落ちている。
深い。
ラグビーにおける場面や状況に対する理解や意味合いの掘り下げが
これほどわかりやすなおかつ新鮮な文章は、今まで読んだことが
なかった。そらあプロだから当たり前っちゃ当たり前なんだけれども、
勉強になる。
かつてハマモトも見ていた試合を引き合いに出しての話もあったり、
大変面白くココロにすとんと落ちていく。

この人の文章の面白さは真面目さとユーモアと独特な言葉使いにある。
試合放送の解説を聞いてだが、こんなことがあった。
数年前のトライネーションズ、南ア対NZにて。

「南アフリカはね、腕(かいな)が強いんです。筋力が強いとは言わず、
私はかいな、と呼びたいですね。」と。

「かいな」とは相撲の用語であったと記憶するが、それをラグビーの
しかも海外チームに当てはめている。
たしかに、その時の南アは力に物を言わせる強引な、言ってみれば
がむしゃらな試合運びが目立ち、非常に野性的な印象だったのだが、
そこを取らまえ理論的で理知的なイメージの「筋力」といわず、
「腕(かいな)」という言葉で南アを表現するあたり、おもしれーと
画面に引き込まれたのを憶えている。

藤島氏は低く抑揚のある声でぼそり、とひとことつぶやく。
それが言い得て妙なものだから、こちらは膝を叩きたくなる。なので
Jスポーツでラグビーを観るときは、試合に加えて実況と解説の
やりとりも楽しめるので好きだ。

まあとにかく藤島氏のコラム、僭越ながら本当に面白い。
これ、特に現役に読んで欲しいなあ。
絶対役立つぜ。

考え方や理解が変わると、ダイレクトに物理的な動きが変わる。
それを実感すると、ラグビーをさらに楽しめる。これは断言する。






2012年12月2日日曜日

仲間、という言葉に照れつつ集い

泰造杯の記事を書くもなにも、どえらい間をあけてしまった。
個人的に思うところがまとまらなかったのと、馬鹿なのに風邪を
ひき、何年ぶりかで寝込んでしまったのと。
ま、ネタが無かったのであるな。

日本のラグビーって変わってきて、そして形が実を結んできた
のだ、と最近思った。
遠征してのテストマッチ、日本代表はルーマニア代表に勝った。
グルジアにも勝った。歴史的なことらしい。
筑波大学が帝京大学に勝ち、同立優勝を決めた。
どの試合も面白く見たが、どの試合も「考えてゲームを組み立てて
いる」のがよく分かりまた「勝ちに対する信念がぶれなかった」
のが感じられた。
ルーマニア戦、なかなかタフな内容だったが、直線的な力で
押してくるルーマニアのプレッシャーに耐えに耐え、チャンスを
逃さなかった。以前ならば、浮き足立ってしまう場面を、落ち着いて
クリアしていくのには唸らされた。
筑波大学、準備されたサインプレーを的確に決め、帝京を押さえ
込んでしまった感がある。
「このサインなら絶対トライが取れる、という形を持てば勝てる。」
現役の頃、コーヘーさんがよく言っていたこの言葉を思い出したが、
そんな勝ち方だった。
日本代表、筑波大、ともに闘志よりも、地道に積み重ねてきた
なにものかで力を発揮する姿が際立っていたと思う。

ラグビーは、差別を容認するスポーツだ。
大変前向きな意味で「平等」という言葉が成立しない。
各ポジションは適材適所でプレーヤーがあてられるが、逆に
ここはコイツにしかできない、ここにあいつはありえない、という
判断がなされる場面がある。
ま、当然のこととは言えるわけで、しかし、ために「等しい」という
内容が空虚にさえ思えてしまうのだ。
もちろん、一人ひとりのできること、できないことがあるのも当然で、
それら数ある欠点を補い合って力を補完し、むしろ少ない長所を
最大限高めるのが「チームプレー」の意味合いだと思う。
それを理解しているチームの中で試合をすると、レベルに関係なく
非常にラクで楽しい。

自分の腕がびよーんと伸び、数十メートル先でボールに絡んでいる
ような感覚さえある。
チームメイトが自分の手の届かないところでやってほしいことを
やってくれている、あるいは見えないところでそう動いてくれている、
あの体の輪郭がどこまでも拡がった感じ。
そう「感覚の共有」が良いチームの特徴なのである。
それこそ十五個の細胞で構成された単純かつ活発な一生物の
ような。

先に書いた日本代表と筑波大学、そんな印象を受けた。
で、そうなることができるメンバーこそこの場合仲間、と呼ぶことが
できるのではないか。
では、どうすればそうなれるのかというと、自分はようわからん。
でも、自分は現役最晩年でその感覚を覚え、OBチームではっきり
それを意識している。
あ、今はこのためにラグビーやってんだな俺は、と実感している。

それはOGも含め、「みなまで言わずともよい、わかっておるぞ。」
という間柄なのであって、まあ居心地が良いわけだな、うん。
自分だけの錯覚かもしれんな。ちょっと不安。

仲間!なんて大上段で構えるとムズムズてれが湧き上がってくる
のだが、さしあたってふさわしい言葉を思いつかないので。