2013年1月27日日曜日

バージョンアップと言っとこう

先年三月終わりにアキレス腱を断裂しはや10ヶ月・・・。
はっきり言って、去年はしんどかった。しかし、不安は消えないまでも、
なんとか復帰した。傷の感覚としては、徐々に最適化されつつあるが、
やはり違和感は残る。そして、かかとにはムカデが張り付いたような
手術の跡がくっきりのこっている。

正直なところかなりビビりつつ直してきたが、頭を冷やして見回して
みれば、我々の中には、アキレス腱云々など足元にも及ばぬ逆境を
くぐってきた先輩方がいるではないか。自分が恥ずかしい。
結局OBは、多かれ少なかれどこかを痛めながらラグビーをやって
きているわけだから、取り立てて自分の怪我を喧伝する必要など
なかったのだ。言ってみれば、靭帯や骨がどうしたこうしたは、むしろ
日常茶飯事なのであって。

だから特に、自分より上の先輩の奮闘を見ると、本当に頭の下がる
思いがする。今年もそれを目の当たりにさせていただくことであろう。

いくつの修羅場をかいくぐってこられたことか、自分の中では尊敬を
込め、フジイさんでなく「フジミさん」である。

自分が学生の頃、バイクで事故をされ、肺に穴があいて入院されて
いるとのことで、部員皆でお見舞いに行った。自分は、肺に穴が
あいているなら、ベットに臥し、チューブにも幾つかつながれた姿を
想像しつつ病室に入ると、ベットにがっきとあぐらをかいて座って
おられた。最近になって自分が知っただけでも、アキレス腱断裂、
再断裂、肩の骨折、そしてバイクの事故、ここまでくれば治療でなく、
もはや改造手術の域に達しているように思う。自分の中では、
畏敬の念とともにオナカさんでなく、「オナカ3」である。
3号機ということで。

他にも、OB戦前に痛み止めの注射を毎回打っているひと。
胸の形が違うぞと不思議に思っていると、いつの間にか肋骨を
くだかれ、知らぬ間に治ったあとだったというひと。
皆京芸OBである。

失礼を承知で、そこまでやるかというより、びっくり人間のレベル
ではないか。ナチュラルタフと言おうか。

傷を縫った跡が1000針超!と自慢していた大仁田厚も凡人に
見えてくる。
ゆえに年が明けて思ったことは、自分は何をあんなに戦々恐々、
怪我におののいていたのかということだった。

するかしないかわからない怪我にビビってたら、タックルになんか
いけやしませんよあんた。

とかいいながら、いつもタックルにいくのがちょっぴりこわいハマモト
なのである。


2013年1月20日日曜日

一期一会でございましょう

テレビをあまり見なくなり、以前ほどラグビーの試合を見ていない。
しかし、その分頭の中で考えている時間が増えたような気がする。
妄想といったほうが妥当かとも思うが。

花園の決勝戦を見て、しばらくその印象を噛み締めていたが、
あの試合の勝敗を分けたポイントがどうもわからない。
どの試合もそうだが、決勝戦も本当にいい試合だった。それこそ、
どちらが勝ってもおかしくないものだったと思う。
でも、厳然と一位、二位は出来てしまったわけであって、その理由は
どこにあったのか。
その検証はこれから、いやもうすでに両校の間で行われているので
あろうし、その作業は果てしないものになるだろう。
たら・ればで覆る結果ではないが、検証をを繰り返すことで次への
目標が浮かび上がってくるのだろう、特に負けたチームにおいては。

ただ、実情も知らないただの視聴者である自分はこう感じた。
おそらく、年間何十試合とこなす強豪校の選手たちにとって、その
数ある試合の総決算がハナゾノ決勝戦であったのかもしれない。
しかし、それはあくまで数十試合の中の一つである。
理由がどうでなく、競い合った結果、勝敗が別れたのだ。そんな
印象だった。
関係した人、当事者たちには失礼かもしれないが、それほど実力の
伯仲した両者であったように思う。
理屈で勝敗を論じる程の分析力が自分には欠けているせいもある。
でも、常翔が勝ち、御所が負けた理由が、やはりはっきりしないのだ。
ちゃんと試合を見てなかったせいかなあ、とも。

力を出し切って戦い、出し切ったその上で、なおどうしようもない勝負の
行方が出てしまったように見た。それほどレベルの高い試合だった。

プレーをした人はこの感覚がわかるのではないか。
どんなに走ってもなぜか負けてしまうこともあるし、なんで勝てたのか
わからない試合もある。最後の最後でそれが出てしまったのでは
なかろうか。

ところで、御所実業の監督さんは、我らが京芸OB、イワノさんの先輩
なのだとのことで、いろんなところでつながっているものなのだなあと
改めて不思議にまた楽しく思った。
来年、御所はさらに高いパフォーマンスを見せてくれるような気がする。