2014年12月21日日曜日

元気の出る話。

テリー・ファンク、そしてミル・マスカラス。
この名前は自分にとってはヒーローの代名詞である。
小学校低学年の頃、「ワールド・プロレスリング」全盛だった頃、
毎週日曜日のお昼のチャンネルはまさにこれだった。
いわゆる「イノキ世代」のほんの少し後の世代の自分は、
初代タイガーマスクの出るほんの少し前に物心がつき、プロレスに
はまった。
テリーは兄のドリー・ファンクJr.と「ザ・ファンクス」を組んで荒っぽい
戦いを繰り広げ、マスカラスは「仮面貴族」というコピーで美しい
ルチャを見せてくれた。
がきんちょだった自分はミル・マスカラス(千の顔)の意味がとんと理解
できず、「マス烏」という、今考えるとちょっと卑猥な認識でいたものである。
「スカイ・ハイ」の曲にのってメキシカンルックで入場し、「オーバーマスク」
(マスクの上にかぶっているマスク)をぱっと取り、客席に投げる。
かっこよかった~。のだ。
ザ・ファンクスはその必殺技そのままの名の曲「スピニング・トゥ・ホールド」
でテンガロンハット、カウボーイパンツで入ってくる。
「西部劇の人だ~。」これもかっこよかった。


若き古館伊知郎の名調子で
「あらぶるテキサス・ブロンコ!ザ・ファンクスであります!!」
「これぞ、これぞメヒコより来る謎の仮面貴族!ミル・マスカラス!!
今日も紳士であります!」
と実況されていたのが今でも耳に残る。
「ブロンコって何だ?メヒコ?何だそれ!!」がきの自分は興奮しつつも
わけがわからず、しかしそのわからなさがまた魅力になっていた。

やー、すごかったですよねあの頃のプロレスは。
ロックバンドの生演奏で入場とかしてたしな。
花道やリングサイドもお客に近く、場外乱闘でよく巻き込まれていた。
ブルーザー・ブロディなどは必ず鎖で一般人をしばきたおし、ガキは
その恐怖に顔をゆがませて泣いていたもんである。

閑話休題。
そのテリーとマスカラスが先日来日し、タッグでリングに上ったと。
コンビニで立ち読みした「週刊プロレス」にあった。



不覚にもこの写真を週プロに見たとき、自分は目頭が熱くなってしまった。
テリー・ファンク70歳。
ミル・マスカラス72歳。
あんたらすげーよ!!
この喜び、お分かりいただけるだろうか。


2014年12月8日月曜日

何を抱いて天にのぼるか

戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」。
最後の場面で死にゆくシラノが最後の力をふりしぼってつぶやく
そのセリフ。

いよいよ「死」がやって来た。もう足に大理石の靴をはかされた!
 両手にも鉛の手袋をつけられた! だが、折角そちらがむかえに来たなら、
こちらからもむかえてやる。さあこい!わがつるぎにて応えよう。」
(中略)
「貴様らは、おれの手から桂の冠も、薔薇の花をも奪ってゆくのか。 
ええ皆持つて行くがいい!だが!貴様らがいくらあがこうが、決して
取れぬ宝をおれは一つだけ持っている。 それをば今夜、清らかな
青空の道を抜け、天の宮の審きの庭に入るとき、お前たちには気の毒だが、
しみ一つ、よごれ一つつけず、 まっさらのまま持って行くのだ。その宝とは、
その宝とは、その宝とは外でもない…… 。
それは、おれの、心意気!」

-〈幕〉-

少し前、自らの人生を「楕円」というたった二文字に集約させて去った
人のあることを知った。

戒名というものはその人の生きてきたありようを表すものである。
位牌によく表記される「~居士、~大姉」とあるもの。
それをたった二文字、それも「楕円」とは。

自分は東京藝大RFCOB、大國さんのことを存じ上げない。
「大國杯」という試合のあることを知るだけだ。
この方がどんなプレーヤーで、どんな作品を作ってこられたのか。
失礼ながら、まったく存じ上げなかった。
しかし、亡くなられてから御位牌にあったこの二文字。
背筋が伸び、頭が下がった。か、かっこよすぎる・・・。
これをこそ心意気とよぶのだろう。
かっこいい!そう思わんかね!

いまここで話題にするのはすでにして蛇足というものであるし、
無粋である。しかしそれを知りつつなお話題にしたい。
恐ろしい雄弁さで、自分の知らない大國さんのお人柄が流れ
こんでくる。
前述した戯曲の主人公が、長回しで遺したセリフの思いすべてが
この極端に短い戒名に凝縮されているような気がするのである。
このような芸当、今の自分には逆立ちして内臓をすべて吐き出しても
できない。
この潔さ、「シラノ」の作者エドモン・ロスタンさえはだしで逃げ出す。
この一時で、今まであったことも話したこともないこの方を
尊敬している。
しかしそれだけではないだろう。


2014年11月30日日曜日

いまだ四芸祭

このブログの時間は今年6月から止まっている。
なぜか。
ハマモトが更新しなかったからである。
丁度6月あたりから55周年記念のことが気になりだし、
自分の展覧会も近づき心の余裕が無くなっていったのだ。
でも、なんとなく、書かなくなってしまった。
そろそろ再生ボタンを押さんならん。
展覧会も終わり、55周年記念も終わり、心の平安が戻ってきた。
ああ、まったく小心であることよ。
たぶん容量も4バイトくらいしかないのだろな。

今にいたるも、今年の四芸での先輩方とのやり取りは鮮明である。
いくつかは書いた。
だが、このことを書かぬままにはおれない。
名古屋駅近く、ちっとおしゃれな店ではかなり浮いていたOBよったり。
オナカさん、コダマさん、エグチさん、ハマモト。

突然コダマさんが独白のように言った。

「長いことラグビーやってきたけどな、おれぁやっぱりプロップが好っきゃ。」
つづく。
「15人おっていろんなポジションあるけどな、フロントはな、やっぱり
気持ちと体のせめぎ合う最前線なんや。それがな、ええんや。やっぱ
プロップや。」

こういうのをプライドというのだろう。
自分のポジションに対する気持ち、ここが一番!という信念と言っていい
思い。

ああ、ここにラガーマンがいる。と思った。

そういう風に思えるようになるまでに、この人は何回スクラムを組んで
きたのだろう。
自分はプロップである、プロップこそ一番である(1番だけど)という確信。
おそらく、15人が15人、それぞれがそう言うだろう。
みなが力を込めてコダマさんと同じことを話すだろう。
いや、ロックや。さにあらず、フルバックやって。と。

そう、そこなのだ。ハマモトが京芸ラグビーを好きな理由の一つ。

2014年6月25日水曜日

やつがれの楕円を楽しく思いはべりける所以なるところのものならんと 後編の前編

この話が「後編」ということになるが、時間軸でいうと「中編」
にあたる。四芸試合後、エグチ号で帰路に入る前「ちょっと休憩
してこか」となった。
名古屋駅の近くで店に入り、二時間半ほど「小休止」をした、
その模様である。

本題の前に。実はこの間、車移動なのにずいぶん酒臭い話が
続いていたが心配するにしかずで、運転手のエグチさん、
交代もせず、アルコールを一滴も入れずいてくだすったんで
ある。一応ハマモトも運転免許を持参していたのだが、そんなん
気にすんなの一言でビールを飲ませていただいた。この場を
借りてこころより!感謝申し上げたい。後輩のくせして先輩
差し置いてがんがんビールをあおらせてもらい、ありがとう
ございましたっ!

さて、この話はいつにも増して長くなるかもわからない。
まず自分が驚いたのは、「コダマさんって、こんなに愉快な
ヒトだったんだ」という事実である。夏合宿への道を同道
させてもらったり、普段OB戦などで接する分には、寡黙で
実直な、まさにタイトヘッドプロップというポジションイメージ
そのままの方だと思っていたのだが、お酒のせいもあったの
だろうか、あんなに陽気なコダマさんは初めて見た。
う~ん、これもその印象を言葉で伝えるのは、ただの説明に
なってしまって難しい。
学年でいうと1年違いのオナカさんとコダマさんの掛け合いの
ような会話が主で、ほとんどそれで時間が過ぎて行ったが、
まあその話の面白くてあったことよ。
話の細部ではなく、なんせ「面白かった」という感想のみが
どぎつく残る。
へーえ、サグラダファミリアのソトオさん、ほんまに無一文で
スペインにいったのか。ほほう、学生時代の作品も岩がゴロン
ておいてあるような繊細さのないものだったのかあ。ソトオさん
が渡欧したあと、空になった下宿にオナカさんが入ったと。ほーほー。
なんと、日本代表F選手のおとうちゃんが、あー、そうなんか、
いろいろあるんすねー。
伝説のニシカワさん、入部当時ほんまにモノにならんくて
コダマさん天を仰ぐほどだったのが、肉体改造の末フッカーを極め、
芸も達者になり安心したんや、か。ハマモトも、ニシカワさんを
お見かけしたのは確か2回生の時分にたった一回だけだったけど、
OB戦後の焼肉パーティーで披露された「中日ドラゴンズ数え歌・
振付つき」がほんとに強烈だったので今でも憶えてるもんなあ。
また姿を現してほしいなあ。
今回の四芸祭OB戦で、エグチさん、若手OBの戦略意図がやっと
わかってきたとうれしそう。そう、今日は僕らほんまにがんばり
ましたよ。そこで何がしか伝わりあうものがあったと思います。
そうそう、ハマモトが卒業してすぐにやった初めての個展に、
初めて来て下すったOBさんがコダマさんで、そこでとても勉強に
なる意見を言ってくれて、嬉しかったんだよなあ。
そのあと、ヨクラさんにワインバーに連れて行ってもらい、二人で
ボトル二本空けてギャラリーに泥酔状態でもどり、気付くと
トイレでぶっ倒れていて、横でその時お付き合いをしていた彼女が
シクシク泣いてたんだよなあ。

2014年6月14日土曜日

やつがれの楕円を楽しく思いはべりける所以なるところのものならんと 中編の後編

この話、いつかどっかで書いたかもわからない。

今回車の中だったか外だったか、ある話でオナカさんと全く同じ
経験をしていることがわかり、書く。いや、エロではない。前回、
ちょっと反省している。

大変以前、自分は阪急高槻で知り合いと酒を飲み、メートルは上がり
に上がって盃を重ね、当然のごとく終電を逸した。
その時ハマモトは京芸の近くに生息していたので桂下車、高槻と桂、
微妙な距離なのである。
アルコールのしみわたった頭で思った。「あるこ。」
イナイチ、171号線こっから東にたどれば必ず京都にたどり着く。
さまよいようもないまっつぐ幹線道路。ま、夜明け前にゃ到着だろ。
阪急高槻からイナイチまですぐだし、夜中の散歩だ程度な気持ちで
歩き出した。
夜風も涼しいし、月がとっても青いからぁ~、とおまわりして
か~えろ~なんつってよてよて歩いたもんだ。
すると横手の田んぼに、自転車がひっくり返ってぶち込んであるのを
見つけた。こらどーみても「駐輪」ではないなと思ったのである。
い、いいかな。よかない。
「魔が差した」「できごころ」いろいろ言えようが、罪悪感は酔って
いる勢いではき飛ばし、その枯田の中から自転車を引っ張り出し、
乗ってみた。
タイヤに空気がほとんどなく、こぐたび少し歪んだ前輪がうにょん
うにょん波打ったが、ぜんぜんOKノープロブレム。やった早く帰れる
ぜと喜びもひとしおだった。
お読みの方々の予想に反することなく、まあその後すぐしょっぴかれ
たんだよ。
酔いで判断力、注意力がナメクジ級にまで落ちていた自分は、無灯火
のまま交番の真ん前を通過したのだ。当の自分は全く気付かなかった。

2014年6月9日月曜日

やつがれの楕円を楽しく思いはべりける所以なるところのものならんと 中編

ここでの会話は全部書けよ!とオナカさんにお許しいただいている
とはいえ、このイン・ザ・エグチ号中編、ちょっと考えてしまう
のである。だって、
「オナカさん、セックスどないしてはりますのん。」
のっけからこの、コダマさんのロックな質問から始まったしね。

コダマさんは「どないなっとんねんこれは。」と怒っておられた。
四芸OB戦におけるホスト校の「ホスピタリティ」の無さにあきれて
おられたのだ。「もてなし」、「思いやり」などのマナーに「心」
が加わったような意味らしい。そのことはフェイスブックにさんざ
っぱら書いたのでおくとして、コダマさんだけでなく、オナカさん、
エグチさん、ハマモトも全く同感で、はじめ車の中はその怒りで
渦巻いていた。その矛先は、許せ、理不尽にも外の風景に向けられる
のである。
「なにしとんねんこのねえちゃん!」
「わっかりにくいみ道やのお。」
「(学生の服装を指し)なんやろねこいつらのカッコは、何歳やねん!」
最近の若い者のスタイルについては、全く同じ思いの自分なもので、
大いに賛成した。
ところで自分はそれを「退色したリカちゃん」あるいは「ジョーカー
(ジャック・ニコルソン演じる)」と呼ぶことにしている。同系統の
野郎である場合は「無理したピエール君」である。
なんせ彼らが腰高に醸し出す「嘘くさい清潔さとさわやかさ」が大変
気色悪いのできらいだ。
ちなみに、二年ほど前


のようなスタイルの人が多かった。
これがまたプロレスファンの自分にはたまらんツボで、往年の
名レスラー、キングコング・ブルーザー・ブロディのコスプレ
にしか見えず、



このような人が目に入った瞬間、脳内ステレオからブロディの
入場テーマ、レッド・ツェッペリンの「移民の歌」が流れて
仕方なかった。
「でんでれででんでで、あ~ああ~~~あ!あ~ああ~~~あ!」
あの歌だ。ご存知?

閑話休題。
このように怒りの感情から、突然会話は冒頭のようにエロへと
シフトした。
「オナカさん、セックスどないしてはりますのん。」
貴殿は日々の営みの中で、肉体の性的やり取りはどのように処して
いるや如何、と尋ねておられるのだなと理解した。
「んん?おれか?おれは嫁はん一本や!やりたなった時はやな・・・・」

・・・すいません、これ以上はちょっと具体的すぎて描写を
控えさせていただこうと思います。か、書けん!だって自分は
オナカさんの奥さん(ユーコさん)を存じ上げてるんだもん!
いい方でお世話にもなってるし。ひとの所業を書き連ねて喜ぶ
ことに対して、自分は未熟にも非常になりきれないのだ。
やっぱ書けん!
そしてコダマさんのお家での話もうかがった。
そ、そうなんですか・・・。50代半ばの夫婦生活はなんとも・・・
恥じらいに満ちていてほほえましかった。
実はこの部分が一番興味深くて面白かったんだけども、申し訳ない、
書けません。やはり活字にしてしまうとちょっと大変な気が。そこが
ハマモトの限界であります。
「もうなんや朝から夫婦そろってそわそわしとって」
「タニキューデートや!」
この二つのセリフからどうぞご想像いただきたい。あるいは、
何かの機会にご本人たちから聞いてみられるとよかろう。なんか
妙に勉強になったな、という実感さえある。自分は腹ぁ抱えて笑った。


このように、帰りの3時間、ずーっとエロだった。
途中で買い込んだワインのお酌をオナカさんにしつつ、自分は後部座席で
ひたすらおもしろかった。

いかん、また長くなってきてしまった。
しかし、このことはもう少し書いておきたいので、「中編の中編」へ。
ご期待は請わない。請わないが、使命感のようなものもあり、ハマモトは
まだ続けるのである。

2014年5月31日土曜日

やつがれの楕円を楽しく思いはべりける所以なるところのものならんと 前編

今回の四芸OB戦に向かう道中の様子、その楽しさを書きたい。

楽しい状況を「たのしかった」と説明するのは簡単だ。
しかし、その場の空気をも読み手に伝え共有するのに、文章をもって
するのは大変困難である。それができれば随筆家にでもなれる
のだろうけれど。

四芸へは、エグチさんの車に便乗させていただいた。そして
オナカさん、コダマさんもそこにおられ、おっさんらよったりが狭い空間
にあり、そのまま長時間居続けるという状況であったわけで、これがもう
面白くならないわけがない。実際のっけから、おもろの火花が散り敷いて
緊張感さえ漂うほどだった。

蛇足だが、当時この四人の中で、37歳のハマモトが最年少だったんである。
たまさか現役のコンパに参加すれば自分が最年長なのに気付き、
苦笑いするしかなかったのに。世代の谷間を上から下へのバンジー状態で、
それだけで頭がくらついた。

加えて「先輩への戯画的イメージ」というのが失礼ながら自分にはあり、
それは誰も同じようで、例えばエグチさんにすると、コダマさんは
「鉄人28号」なのだとか。同様に自分はというと。
オナカさん=「アイアンマン4.0」 エグチさん=「超人ハルク」
このマーベラスなキャラがひしめく空間、その面白さ、想像するに
あまりある。

前置きはおいて、ひとまず車中での会話、言葉をならべてみよう。
誰が発した台詞かは、たぶんいちいちいう必要もないかと思う。
<往路>
「このスマホっちゅうのん、なんやじゃまくさいわ。」

「結局、あの人も地位をえらんだちゅうことやな。」
「え、ちんちん?」
「ちい、や。地位!」
「なんや、いきなりシモですやん。」
「どうしたんや、えらい早いやないか。たまっとんのかコダマぁ!」

「ほんま、あいつは許されへんわ。」
「文句言いにいこか。」
「あの記念館のおかげで東京藝大のグランドがのうなったんや!」
「つぶし行こか。」
「あれはあかんで。うんこや!」
「イワしたろか。」

「牛乳はあかんで!体にようない!」
「なんでですのん。」
「日本人の体におうてへんねや、分解できへんねん!」
「そうかいな。」
「そんでな、白い砂糖、あれは麻薬やでえ!うんこや!」
「うんこかいな。」
「おお、白い食品は気いつけんといかん!化学物質満載や!」
「野菜もかいな。」
「ブロッコリーとかカリフラワーはええぞ!ビタミンや!」
「カリフラワー白いがな。」
「カリフラワーはええんや!」
「牛乳なんか飲んだあかんぞ、ハマーン!」

「そんなんオナカさん、食事はどないしてはりますのん?」
「朝は味噌汁一杯、昼は肉、夜にごはんちょっとや。」
「ご飯食べへんの?」
「おお、炭水化物もようない。ちょっとくらいならええんや!」
「そうかなあ、ワシごはん食べたいけどなあ。今日は?」
「朝の5時に味噌汁ちょっとや。あー腹減った、おにぎり食うねん。」
「炭水化物食べてるやん。」
「ちょっとはええねや!」
「こだわらはるなあ。」
「でもな、家族で笑顔で食べるんが一番ええんやと思うで、やっぱりな。」

ちなみに、オナカさんによれば沖縄言葉で「殺す」のことを「死なす」
と言うらしく、これはごく軽い意味で現地ではよく使われるらしい。
またオナカさん的に、英語のスラング「Shit」と同じ用法でまんま直訳
「うんこ」を使われる。ためにエグチ号の中は「死なす!うんこ!死なす!
うんこ!」とリフレインしまくりであった。

伝わるだろうか、この面白さ。
冗談でなく、片道約3時間、ずーっとこうだったのだ。
試合前、だからオナカさん以外の3人は松屋で食べ、食にこだわる
オナカさんは本当に車で待ってはった。

そして、うなぎのぼりでこのボルテージは上がっていったのである。
中、後編へつづく!






2014年4月20日日曜日

楕円から得たもの

自分はラグビーに出会って何を得たのかとよく思う。
引退した今でも顔を大きくして試合や練習に出ていくのはなぜか。
それは自分の場合、畢竟自己確認、自己肯定、ひいては自己愛を
満たすため以外にないのかもな、などと思てしまっている。
後輩のためとか、活動活性化のためとかいう理由は、自分が
ラグビーを楽しんだその後についてくる「建前」であって、
根底には上の超個人的な欲求がわだかまっているだけなのかも
しれない。不毛・不純というほかないが、ま、正直なところで。
そんな俗な自分が、正味なはなし人間としてラグビーから何を
学んだのか、今もってよくわからない。

マーク・ビンガム。アメリカ、サンフランシスコ・フォグRFC
スター選手だった。その名は古い雑誌をめくっていて偶然見つけた
のだが、その記事はアメリカ同時多発テロに関したもので、
ハイジャックされた旅客機のうちの一機UA93便の中で、犯人に
対して戦いを挑んだ乗客たちのあったことを伝えていた。占拠され、
アメリカ国防総省に突っ込むため進路を変えた機の中で、テロリスト
に抗った人々の中心にビンガム氏はいたのだという。
結果、飛行機はペンタゴンに激突することなく、ピッツバーグの
森に墜落する。犯人たちが目的達成を不可能と見、自ら操縦桿を
地面に向けたのである。乗員乗客45人と犯人は全員死亡したが、
それ以上の惨禍を招くことなかった。
最悪の事態であることに変わりはない。しかし彼ら乗客のはたらき
は、最悪の度合いを深めることを阻んだ。

ハイジャックというこれ以上ないような極限状態、なおかつ自分の
命がいずれにしろ助からない算段は高いという中、それでもなお、
どうして武装したテロリストに抗って戦うという選択をビンガム氏
含む乗客らはできたのか。

ラグビーは、生々しい自己犠牲の上に成り立つ側面を持つ。おわかり
のようにそうしないと成り立たないからだ。また、その試合の
緊張感の高いほど、プレーヤーは勝敗そのものよりも、チームメイト
それぞれのために走るようになる。点差がどうしようもない状態で
あっても、ノーサイドまで全力で走り続けるのは多分それが理由
だからだ。どんなに点差が開いていても、途中で試合を投げ出す
選手を見たことはない。
自分のポジション性もあるのかもしれないが、「チームのために
ボールを出す。」「チームの仲間のために体をはる。」というのが
試合中の最優先課題になってしまっているのに気付く。

2014年3月13日木曜日

わざとじゃないんだ2

ほとんど廃人となっていて、やっと更新のはこびとなりて。

こんなことがあった。
クラブチームの試合に出ていた頃。
ゴール前ピンチ、相手ボールのラック、プロップの選手がサイド攻撃に来た。
そのまん前にいた自分は、思わず目をつぶって下を向いてタックルに
行ったしまった。一番危険な姿勢だった。
うわ、飛ばされる、と思っていたのだが、実際肩には「コツン」くらいの衝撃
しか感じず、顔を上げるとその選手はもんどりうって苦しんでいたのである。
え、なんで?
ナイスタックルとほめられたのだが、当の本人に実感が無いので不思議
だった。
こんなこともあるのである。

あきらかにガタイではハマモトが負けていたのだが、ほとんど相手の
体重を感じることなく仰向けに倒すことができたのは、ずいぶん時間が
経ってもたけども、前回の記事のことになる。
力の働く方向、タイミングなどの偶然がこれでもかと重なり、相手を
ふっ飛ばしてしまったのだ。自分で気付かぬ超能力でも無い限り、こんな
ことになるのはまあ力学の範囲においてである。

ハマモトのタックル力がすごいのだ。とは言いたい。しかしそうではない。

全くの偶然だ。
考えてみればこんなもんだったのではないか。
頭を下げてタックルに行ってしまった自分の上にのしかかる形で、相手
プロップは当たった。
しかし力の向きでいうならば、恐らく相手の運動ベクトルは「斜め上」向き
だった。そこに、反対向きの、より低い位置からの基点であった自分の
タックルの力が働いてしまったのだ。
しかも、二つの力がぶつかってできる「合力」が最高に近くなる角度で。
この場合、三角形の頂点に向かう二つの力が合わさり、真上向きの力
が発生したといえる。

前回書いたとおり、運動エネルギーの大きさは重さと速度で決まる。
もし、ハマモトに当たってきた選手の重さと速さエネルギーの多くが、
上記「真上向きの力」に変換されてしまったのだとすれば。
彼が自分に衝撃も与えずひっくり返ってしまったのは、畢竟彼自身の
運動エネルギーのおかげ、という他ない。

であるから、一番最初の命題「ミキ君をかち上げてしまったのは
ハマモトが悪いからではない!」ということが証明されるのである。
ミキくんは、自らの運動エネルギーの高さのゆえに「かち上がってもた」
のだよ。
けっして、ハマモトは危険なタックルをしたいと思ったのではない。そして、
ウェールズ代表キャプテン、サム・ウォーバートンも、悪気は無かったのだ。

だから、ペナルティーにはせんといて。
と叫びたいねおっちゃんは。

そして同じ泰造杯で、全く同じ原理でオナカさんにタックルをつぶされた。
自分の低い運動ベクトルを、オナカさんの、斜め上でなく下向きの力の
当たりによって押さえ込む形でいなされ、結果自分は地面にべしゃっと
突っ込むようにつぶされた。
で、ボールをつながれトライに行かれた。
これも、ハマモトが悪いのではなくオナカさんの当たり方が原因なのである。
だから、トライをとられたのは自分のせいではない。

よしっ。

大変理論的に弁解をかましてみたが、納得いただけただろうか。
えーとつまりやね、「かち上げ」がペナルティーというのは、タックラーに
とってはちょっとつらい、というお話なのである。


2014年1月5日日曜日

わざとじゃないんだ

この話、去年から書き出してそのまま年をまたいでしまった。
またがんばって書いていきます。

2013年の泰造杯は、若手の参加が多く、ピリッとした試合内容であって
よかったように思う。
そして、若手のみながまた上手になっていて、自分もプレーしながら
楽しかった。若手にどんどんがんばってほしい。
特に自分のポジション(№8、FL)的に、SHのイリサワ君の動きが良く
感じられ、こちらとしてはかなりやりやすいものになっており、何か
「かゆいところに手が届く」プレーをしてくれていた。

ところで自分はこの試合、力学的なミスを2つした。
一つ、相手CTBミキ君をかち上げてしまい、ペナルティを取られた。
一つ、オナカさんに思いっきりタックルにいったら、ぐしゃっとつぶされて
ボールを動かされ、トライをとられた。

ミキ君には、「ハマーン、上げすぎ!」と怒られた。す、すまん。
しかしこれ、しょうがいないんだって。わざとじゃないんだよミキくん!
かち上げたんではなく、かち上がっちゃったんだよミキくん!

というわけで、この二件のハマモトのミスに関して、大変科学的に
言い訳をこいてみようと思う。そして最終的に「ぼくは悪くない」
という結論を証明してみようと思っている。

2011年世界杯、準決勝にてウェールズキャプテン、サム・ウォーバートン
(7番FL)が、フランス選手に対する危険なタックルで一発退場になった。
しかし、このタックルが決まった瞬間(思いっきりカメラが捉えていた)、
世界中のラガー達はこう叫んだと思う。
「ナイスタックル!」
と。
しかしこれが目の覚めるようなかち上がり方をしてしまい、前述のように
なったのである。ピッチを出て行くときのウォーバートン選手の顔は
釈然としないものだったが、バックロー、センター経験者はその気持ちが
よくわかったはずだ。
「いや、ちがうねんて!」
と。
なぜか。

動く物体の運動エネルギーは、その質量の大きさに比例し、速度の
二乗に比例する。二乗である。
つまり、体重に大きな差がなければ、足の速さで力が左右される。
その速さ強さを我々は「インパクト」と呼ぶ。
体重70㎏と75㎏の運動エネルギー差は、定数をaとした場合
75a-70a=5a
となる。
しかし時速20kmと25kmの違いは、
(25×25)a-(20×20)a=625a-400a=225a

体重とスピードを同列にしてしまうのは乱暴かもしれない。しかし、
どちらで勝負したほうが手っ取り早いかは一目瞭然かと思う。
いくらラグビーが選手それぞれの体格に幅のあるスポーツは言え、
体重差は大きくても40㎏を出ない。しかし速さで見れば少しの差が
大きな格差になりうる以上、やはりスピードは重要なファクターとなる。
で、ゲーム中の攻防で、ほとんどの場合スピードに乗って走るのは
オフェンス側だ。つまりディフェンス側は多少なりとも「待って」しまう。
要するに運動エネルギーで言えば、ボールキャリアの方がどうしても
高くなるはず。

結論を急ぐと、かち上げの原因はタックラーでなく、ボールキャリア
にある、のだこれが。

その仕組みは、次で。
つづくっ!