2015年3月24日火曜日

親子・人生の苦味あるいはちょっとしたPTSD

年末、鳥取の実家に帰帰省していたとき。

夕餉の晩酌時、父が自分を飲み屋にさそった。
飲み屋ゆうて、言うところのスナックである。なんか折り入って話でも
あるのかなと思ったらこうきた。
「米子から来とるママがおってな。」
ぅおとーちゃん、オネーちゃん目当てかよ!息子をダシにして飲みに行く
口実作らんでも!70を前に色気づかんでも!

米子ってのは「よねこ」でなくて、鳥取県の西の端の米子市のことで、
「よなご」と読みます。

自分は強くないが酒は好きだ。きれいどころがいてくれるのも嬉しいこと
だと思う。米子から来るというそのママに会ってみるのもよかろう。
しかし。
父と自分とは、決定的に酒の好みが違う。
父は焼酎を飲むが、自分は焼酎のアジワイが大変つらい。なおかつ、
父は自分の好みを押し付け、いくら断っても焼酎を飲ませようとする。
つ、つらいのだ。
そして一番つらいのは、自分は田舎のそういったスナックにトラウマ
があるのです。
ハマモトの心的外傷なんて何が楽しくて読まなあかんのだという気持ちは
よくわかる。でも書くね。

自分はそういうお店に行くと、大変精神が疲れる。なぜなら、「お酌」
されるのが申し訳ない。
ママさんやオネーさんは、客、つまり好きでもない男の酒を注ぐ。
杯が乾かぬようカウンターや隣に座った位置で気を遣ってくれる。それが
とっても気になる。
言うと、気を遣ってくれていることに気を遣う。

お酌は彼女らの義務であり、言ってみればそれは業務上、客である自分が
受けるサービスとして当然の行為なのだが、それは一種の「奉仕のふり」
であり、仕事である以上、楽しいかどうかはもちろん二の次だ。
もし自分だったら、興味のない人に笑顔でお酌するなど、拷問に近い
精神的苦痛をともなうであろう。やったことないからわからんけど。
しかも、酔いどれ相手に長時間。
それってけっこうつらいぜ。
(ただ、お酌したい相手、はある。その場合、全然苦痛ではない。)
そう思うもので、お酌されるごとに
「自分のようなしょ-もない人間に酌などさせて、生まれてすいません。」
という懺悔の気持ちが大きくなってきて。
つらいのだ。
一度、実家で先輩に連れて行ってもらったお店で、ピッチの速い自分の
隣に座って、かいがいしく何杯も水割りを作ってくれていたオネーさんに
「すいません、そんなに気を遣わんといてください。」
と言ってしまったことがある。
仕事や言うねん。
自分は忘れない。一瞬ぽかんとした後、「はん」と鼻で笑ったオネーさんの
ハマモトに対する嘲笑に満ちたその顔を。

トラウマーっ!!

以来、「酌をされる」ということが怖い。

なのでハマモトのことを思い遣るなら、手酌をほっておいて欲しい。
決して「酌をせい」などとは言わない。ラグビー部のコンパでもひたすら
断る。それでも断れず、恐縮しつつ現役マネージャーに注がれている
体たらくである。

これは落語の「まんじゅうこわい」のように、実はハマモトは、きれい
どころのいる店に行きたくて仕方がなく、お酌されたくてどっしょもない
ので逆にそんなことを言っておるのだと解釈し、だったら連れて行って
やろうと誘ってくれる人の出てくることをわくわくしながら待ってんねやろ
と思われる方もあるかも知らんが、そらちがう。
ほんとにつらいのだ。

なので多分、父親と米子から来るママのいるスナックに行くことはない。
許せ父よ。

この話は、実は続く。