2011年10月22日土曜日

私はそのときアウチと言った

新しい記事を書いていたら、操作を間違えて全部消えてしまった。
自分の場合、書き出すとだらだら長くなってしまうので、消えるとひとかたならず
ショックである。
その時、不思議なもので、思いもせず「あうちぃ!」と叫んでしまった。
パソコンの前に仁王立ちんなって画面をにらみつけてしもた。
あれはなんやろね、「しまった・くそっ・もう・がっでむ・めるど・しゃいぜ」などの
言葉および音は、くせとはいえ反射的に出てくる。

いつのころより人の口から出始めたものなのかは知らんが、クロマニョン人辺りが
「もう!!」とふくれっ面をしていたのだとしたらかわいい。
あるいは、ソクラテスが古代ギリシア語なんかで「うひょー!」とか言ってたのかな、
アリストテレスも「おっしゃー!」なんつってのたまってたのかな、とか。
アリストテレスのエピソードから「エウレーカ管」とかあるしな。
いずれにせよ、それらに相当する言葉あるいは音は必ずあったはず。
嗚呼、文化そして言葉の伝承。

そういや現役のころ、同回生のPRマスイ君が、ミスをすると必ず「しまった!」と
言っていた。練習や試合中、どんな状況でも必ず「しまった!」と妙にはっきり発音
するので、頭に焼き付いてしまったのだった。

本題。前置きが長いんだな、いつも。
今世界杯で日本代表がやりたかったこととは、一体何だろう。
それはおそらく、予選プールでアイルランドとトンガが見せた「心意気」の試合
だったのではないか。

両国が共通してしたことは、「すべてをその試合に注ぎ込む」ということである。
先のことは考えず、とにかくその試合のためだけに全力を出し切る。
その結果アイラはオーストラリアに、トンガはフランスに勝ってしまった。これは
大金星というより、歴史的でさえある。
その代わり、両チームとも次の試合はころっと負けてしまうのであるが、しかし。
彼らは「ここにあり!!」という試合をした。
だって、出し切ってしまったのだから仕方ない。それでも選手たちの顔は決して暗く
なかった。
おそらくJKこと日本代表監督、ジョン・カーワンも、そういうことがしたかったのだろう。
内容としては惜しかった。ジャパンすげえ!と思わしてくれるとこはあったが、いかん
せん勝ちが欲しかったところ。パンチに欠けたのだろう。
しかし、自分は、今回の日本代表は強かったと思う。今までで一番強くなっていたし、
それはカーワンのおかげだと思う。
残念ながらJKは今季限りで日本代表コーチから離れるということだが、日本ラグビーの
レベルを引き上げてくれてありがとうと言いたい。

2011年10月14日金曜日

蔵人の味 久保田酒造2


初めてクボタ君の醸した酒を飲んだときは、どたまをしばかれたような衝撃を受けた。
 
「米が原料なのにこの果実酒のようなフルーチーさはなんといっても素敵だ!」
 
自分のそれまで持っていた日本酒へのイメージが完全に反古にされ、書き換えられ、
上書き保存されたのでそれがまた快。とにかくおいしかったのである。
その衝撃は清酒になる前段階の「にごり酒」がすばらしかった。
若い味、というのか、しかしその鮮烈な味たるや、口に含んでは目を見開き、
飲み下してはまぶた閉じ、のどに湧くそのうめきにも似た自分の声に驚く。
てなあじわい。
はじめはためしに750mlを頼んだのだが、すぐ一升瓶で注文してもた。
それもすぐ飲みつくしてしまった。
まあええ歳こいた男が、台所で一升瓶抱えてどぶろくを美味そうにすすっておるという
絵も、さだめしえぐいものかもしれないが、だって美味しいんだもんと言う他ない。
東京でオヤドマリさんと会う折も、よくもって来てくださる。うれしい。
 
ともあれかくして、自分は久保田酒造の日本酒好きになったのだ。
一度取り寄せてみられたら自分の言葉も信じていただけよう。初めはまず「にごり酒」
から。でも冬季限定ね。
 


梅田スカイビルでの約5年ぶりの邂逅は、短い間であったが楽しかった。
クボタ君も元気そうで、同業者やお客と熱いトークを繰り広げていた。
会場にはお酒好きの方々が多数集まり、思い思いに試飲に打ち興じられていたが、
終了間際で杯も重なり、みなさん結構メートルが上がっておられた。呂律の回ってない
おじさんもおられ、係員さんに介抱されていた風景もまたたのしけり。
そして別れ際、幸運にも彼から久保田酒造の前掛けをもらってしまった。幸。
ぜひこれからも無理のないようがんばっていただきたい。
機会があればまたぜひ一緒に、OB戦にでも出たいものだ。
ともにBK、ハマモトはインサイドセンター、クボタ君はアウトサイドセンターで。
以前良く話していたのだが、いわゆる「タテセン」(たてに突っ込むCTB。この場合、
たてにしか走れない、という意味もあり)のハマと、
「ヨコセン(横に変化するCTB)」の彼なら、メリハリがあって面白かろうな、なんつって
言い合っていたものだ。
いつか実現させたいなあ。
 
クボタくん、また会う日まで。

2011年10月9日日曜日

久保田酒造 相模灘


酒の味がわかるようになってきたのはいつごろからだったろう。
いや、酒を飲み、おいしいと思うことができるようになってきたのは
いつからだったか。
いやでもそれは最近の話だ。
少なくとも、学生のころには酒の味なんか解りはしなかった。
今現在においてしっかり理解できてるかどうかは多少疑問の余地もある
ものの。
ともかくそれは、ただただ「酩酊感を得るためのスイッチみたいなもん」
に過ぎなかった。
要するにドラッグと同じようなもんである。やったこたないけれど。
したがって味わいなんぞは関係なかったし、酔っ払えることができれば
それでよく、かつ安ければ何でも良かったのである。
なので、そのころ初めて発売され、われわれにとっては画期的であった
発泡酒(忘れもしないサントリーホップス。500ml・198円で、)を
山ほど買いこみ、ほとんど毎日ムラタヒッチさんの下宿で飲んでいた。
たくさん飲むと気分が悪くなるので、強い酒はいやだった。
日本酒はなにやら甘ったるく、ワインは葡萄の皮の味のみで、ウイスキー
に至っては「ヴえ~」だった。
唯一、ノハラ君の下宿でナポレオンというの飲み倒し、こら絶対二日酔い
だなと確信していたものの、翌朝まったく残らずスッキリであった、と
いうのがいいお酒に接した記憶であり、その時も「いい酒っちゅうのは
残らないのだな。」と感心したくらいで、お味についての記憶はついぞ
ない。馬鹿たれなもんである。
それが今じゃ日本酒もウイスキーも好きなわて。なにがあったのか。
それは、一つ下の学年のクボタ君の醸す「相模灘」を口にしたからだった
と、はっきり言える。