2014年4月20日日曜日

楕円から得たもの

自分はラグビーに出会って何を得たのかとよく思う。
引退した今でも顔を大きくして試合や練習に出ていくのはなぜか。
それは自分の場合、畢竟自己確認、自己肯定、ひいては自己愛を
満たすため以外にないのかもな、などと思てしまっている。
後輩のためとか、活動活性化のためとかいう理由は、自分が
ラグビーを楽しんだその後についてくる「建前」であって、
根底には上の超個人的な欲求がわだかまっているだけなのかも
しれない。不毛・不純というほかないが、ま、正直なところで。
そんな俗な自分が、正味なはなし人間としてラグビーから何を
学んだのか、今もってよくわからない。

マーク・ビンガム。アメリカ、サンフランシスコ・フォグRFC
スター選手だった。その名は古い雑誌をめくっていて偶然見つけた
のだが、その記事はアメリカ同時多発テロに関したもので、
ハイジャックされた旅客機のうちの一機UA93便の中で、犯人に
対して戦いを挑んだ乗客たちのあったことを伝えていた。占拠され、
アメリカ国防総省に突っ込むため進路を変えた機の中で、テロリスト
に抗った人々の中心にビンガム氏はいたのだという。
結果、飛行機はペンタゴンに激突することなく、ピッツバーグの
森に墜落する。犯人たちが目的達成を不可能と見、自ら操縦桿を
地面に向けたのである。乗員乗客45人と犯人は全員死亡したが、
それ以上の惨禍を招くことなかった。
最悪の事態であることに変わりはない。しかし彼ら乗客のはたらき
は、最悪の度合いを深めることを阻んだ。

ハイジャックというこれ以上ないような極限状態、なおかつ自分の
命がいずれにしろ助からない算段は高いという中、それでもなお、
どうして武装したテロリストに抗って戦うという選択をビンガム氏
含む乗客らはできたのか。

ラグビーは、生々しい自己犠牲の上に成り立つ側面を持つ。おわかり
のようにそうしないと成り立たないからだ。また、その試合の
緊張感の高いほど、プレーヤーは勝敗そのものよりも、チームメイト
それぞれのために走るようになる。点差がどうしようもない状態で
あっても、ノーサイドまで全力で走り続けるのは多分それが理由
だからだ。どんなに点差が開いていても、途中で試合を投げ出す
選手を見たことはない。
自分のポジション性もあるのかもしれないが、「チームのために
ボールを出す。」「チームの仲間のために体をはる。」というのが
試合中の最優先課題になってしまっているのに気付く。