2007年12月29日土曜日

1月6日についてのお詫びと訂正

このブログを見てくださっていた皆さんにお詫びをしなければいけません。

濱本の大きな勘違いにより、OBの皆さんをはじめ現役の皆さんにも混乱を発生させることになりました。
まず、訂正を以下に明記させていただきます。

※1月6日の谷口青児杯のあり方について
・そもそも試合の主体は現役VSアウルであり、OBのイベントではないこと
・試合メンバーも現役チームが主であり、OBが参加するとすれば当日行ける者が足を運び、現役の手助という形であること
 

以上二点が本来のあり方でした。
濱本がOB事務局に確認することなく、一方的な独断によって谷口青児杯=OB主体と思い込んでしまったのがそもそもの原因でありました。また、一人鼻息を荒くし、これも前後の見境なく先発メンバーまでを記事としてこのブログに載せてしまった愚を、心よりお詫び申し上げます。
また、そのメンバーに挙げた方々を混乱させ、同時にメンバーに挙げられていなかった方々の気分を損なう状況を作ってしまったことを、加えて深く謝罪申し上げます。

本来上の世代と下の世代のつなぎとならねばならない代の自分が、両方の気持ちを無視する行動をとってしまいましたこと、今回深く反省しております。これを教訓とし、OB会の中での自分の立場、このブログで扱われるべき話の内容を慎重に相談、考慮していきたいと思います。

以上のこともあり、先に載せておりました問題の記事は削除させていただきました。
よろしくご了承ください。


OBブログ担当 濱本裕介

2007年12月5日水曜日

あ、そうだった。(OB見るべし)

追い出し試合が今年もある、早いものだ。
ここは現役たちをぐうの音も出ぬほど叩きのめしてOBの力を示しておかねばならない。

そのまえに。
われわれOBチームはほとんど試合のときにしか集まらないこともあり、
ふだんコンビネーションをあわせる機会がない。

なもので試合自体は出たとこ勝負のなんとかなるやろ作戦で行っている。
しかし皆も感じているであろう通り、これではチーム力として頭打ちで発展がない。

自分としてはそれはなんとなく嫌であるので、ぼんやりとどうしたらいいかと思っていた。試合直前にこうしましょうと決めてみても、そんなもんでコンビが合うはずもないのである。戦略思想の行き渡っていない試合はなかなかしんどいし、不必要なフラストレーションも発生してしまうことになるのだ。

そしたらこのブログがあることに気づいた。

あ、そうか、作戦会議をここでやればよいのだ。
動きを伴わないことで不十分なことは明白だが、試合に参加するであろうOBが目を通すことで、とりあえず意思統一はできるはずである、や、いいことに気がついた。
では追記にて12月16日の追い出し試合における戦略および戦術を考えてみたい。

われわれOBはその特徴として、スキルがある。FWは孤立しがちだが、個々の突破力はあり、BKにもそれなりに展開力がある。いかんせん練習とスタミナ不足の感は否めないが、バランスは取れているように思うのだ。現役相手にはセットプレーも安定している。
だから上記の力を生かすために何が必要かといったとき、自分はこう提案する。

「縦、縦、横」のリズムのセオリーを遵守すべし。

単純な戦略だが、これ結構できていないのだ。
現役相手にやっていると、二次、三次攻撃のときBKラインはだだあまりになっている。
ところがゴールラインが近づくとOBはサイド攻撃に固執しだし、孤立しがちなものだからトライチャンスをみすみす逃す場面が多い。試合が拮抗しだすと特に顕著なのである。

これでは消耗の悪循環に陥り危険なように思える。その疲れは試合後半に必ず襲ってくるはずなのだ。
自分も含め、しんどい場面になるとボールを手放しにくくなる。ミスを恐れるからであろうが、敵はどんどん自分の持つ停滞したボールに殺到してくるわけであって、したがってスピードのないサイド攻撃は当然逆効果である。しかし逆に言えば敵が一点に集まって行けばそれ以外の地域はがらがらになるのだから、そこにOBのチャンスは生まれるわけだ。だからこそここぞと言うときにボールを横に振る勇気を持ちたい。
もちろん試合は有機的に動くものであり、上に挙げたセオリー通りにいくものではない。上のことは我われの中での共通意識としておいて置きたいのであって、細かい動きは臨機応変と言うことになる。
では実際の戦術はどうしていくかと言うなら、一次めのポイントを敵スタンドに集め、サイドを衝く。三次目のポイントでできるだけ早くBKに回すことで、相手は完全に後手に回ることになるのだ。単純であるが手堅く効果的な手だと思う。
至極当たり前なことをえらそうに言ってしまっているが。

次にディフェンスについては、最近の現役ははっきり言って組織立った攻撃をしてこない。
ボールをライン裏に上げて松田を走りこませるか、偶然抜けるかの二つしかない。どちらもギャンブルなので怖がる必要は全くないのだが、何せうっとうしいことこの上ない。まず松田に対しては、オープンFL位置の選手が敵SOにダッシュして思い切りプレッシャーをかけ、そしてブラインドFL位置の選手が後ろに深く戻り、FBとラインの間に落ちるボールをケアする。松田のランニングコースを見つつ戻ればなお良い。

ラインディフェンスは3歩飛び出し、後はじっくり外に追い出す形でプレッシャーをかけていく。現役の攻撃ラインはかなり横流れなので、上のことを繰り返していけば必ずミスをしてくれるだろう。簡単に言うと、敵スタンドを早めにつぶすことなのだ。
一番気をつけたいのは、OBのディフェンスがポイントに入りすぎることである。ラックになるのを見届けてサイドを見ておき、それ以外の選手はディフェンスラインに出てきてくれるとありがたいのだ。あまらされていることが良くあるので。

以上のことが実行できたなら、あまりしんどい目も見ることなく現役に勝てる気がするのだが、どうであろう。これができれば世話はないと言うものでもあろうが、上のイメージを持っておいていただきたいとも思うのである。後は頑張ってノーサイドまで走りきることだと思う。
さて、ここまでかなり高飛車に書いてしまったが、これを見たOB皆さんはどう感じられるだろう、貴重な意見が聞きたい。ほかにも必ず策はあるはずだと思うので、書き込みいただければ非常に幸いなのである。

ところで、この文をいま自分は現役にも見られる事を意識して書いている。
言ってみれば、16日に向けての挑戦状ととってもらってよい。

これを見た後の現役の対応はいくつか想定もできているので、いずれにしろ現役はこの文を見たことですでに我われOBの術中にはまりこんでいることになるのだ。試合当日の彼らの右往左往する姿が思われ、自分は今から勝利の笑みを浮かべているのである。むっふっふ。


さて、追い出し試合の待たれるや切!!

2007年12月3日月曜日

ハナゾノ

そろそろまたハナゾノのシーズンである。

日本と言う国の中で今ひとつマイナーな部類に入るのではないかと思われるスポーツだが、87回を数えるそうで、まあ約100年、実は甲子園よりも歴史は長いのだ。まさに三つ子の魂百までを地で行っていると言ってよい。

高校生たちのプレーで何がすごいと言って、その気持ちの高まりである。

タックル一つを取ってみても、守る物の全くない胸のすくような行きっぷりを見せてくれる。地面と平行になってぶち当たる姿を見ると、思わずこちらもうなってしまうと言うものだ。意識の高さのなせる業と言うほかないが(単純におバカさんと読呼んでも良いのかどうか)、逆に心が萎えるとえらい負け方をしてしまうのも事実なわけで、その辺りも潔くてよろしいと思えてしまうのである。

話は飛ぶが毎年五月辺りに、九州は福岡の地でサニックスと言う会社が主催する高校生のワールドカップ的な大会が開かれている、サニックスカップだったかな?。

日本の強豪十校弱、NZ、豪州、サモア、仏、英、韓国、南アその他からの出場があるが、試合を見ていると、高校生ながら世界の強豪相手に日本のチームも負けていないのに驚く。サモアや仏、英相手に勝ってしまうのである。将来プレミアシップやスーパー14に行く予定のでかい選手と堂々タメをはっているのだ。

これが大人の世界杯となるとなぜあんなに差がつくのか不思議になるのだが、やはり彼らを取り巻く環境に大きな開きがあるというものなのだろう。

あ、日本の高校生すげえがな。と冗談でなく思えるのにである。


自分はラグビー歴を大学からスタートさせた。
それ以前は柔道一本槍であって、団体行動が苦手であるので、チームプレーと言うものに気後れと嫌悪を抱いてさえいた。柔道にも団体戦と言うものはあるが、個人戦の寄せ集めに近いので、あまりチームの感覚がない。

家でテレビを見ていても、ラグビーをやってなんかいればすぐにチャンネルを変えていたクチなのである。思えば殺伐とした高校生だったなあと思い返してしまうわけだが、自分の母校のある鳥取県には、高校ラグビー部が4つしかない。全敗しても4強入りと言うギャグのような構図になっており、いつの話だか、代表決定戦で同点になったときには勝敗をじゃんけんで決めたことさえあるという。
この一事をもってしても、自分の育った地方ののどかさを分かっていただけると思う。ああ田園。

その鳥取県にあり、去年に続きわが母校が花園に出場を決めた。

自分の時代にはラグビー部に入ると言うことは、大学浪人をすると宣言するのと同じことだと言われていたが(大学センター試験の追い込みが花園の時期と重なるため)、ようするにそんなことを言う雰囲気の学校のラグビー部なんである。
だから花園の予選においても、かつての日本対NZのように、百何十点をとられて負ける。
返って気持ちの良いほどけちょんけちょんにやられる。
しょうがないのだが、なんとなく気になってしまう自分もいるのである。

さて今年はどんな試合をわが母校、鳥取県立倉吉東高等学校はみせてくれるのか。

高1の頃、一度誘われつつも入部を断ったあのラグビー部に、
複雑な思いとともに小さな期待をそっと寄せている自分がいる。

2007年11月26日月曜日

宝ヶ池

年明けの1月6日、京都宝ヶ池ラグビー場にて「谷口青児杯」が開催される。

自分はもちろん参加するつもりであり、加えて非常に楽しみでもある。
セイジさんの記念という意味ももちろんだが、その試合場自体が良いせいもあるからだ。

というのは、宝ヶ池ラグビー場、数年前に全面人工芝になり、国際試合もできるほど良いフィールドになっているのだ。「芝である」ということへの喜びは、その身を土グラウンドで削ってきたラガーマンにしか分からないであろう。だって転んでも痛くないんだもん、の一言なのだ。

ラグビーは痛いスポーツで、その痛みの二大要因は当たる、転ぶなわけで、その要素の一つが減るだけで、試合への集中度は俄然変わる。いや、痛いことに変わりはないし、怪我だってするのだが、しかしこけても痛くないねん。という気持ちの余裕はかなり大きいはずだ。

ここの所の機微は、やったことのない人には理解の難しいところであろうし、その部分をもってラグビーのマニアックさを語れてしまうのも事実。とにかく言いたいのは、芝グラウンドで試合するプレーヤーはちょっと嬉しそう、なのである。

クラブチームに所属していると外国人選手と試合する機会が多くなる。
あるニュージーランド出身の選手が土グランドを見て言っていた。
このグラウンドは作りかけなのかい?と。

違うというと、驚きとともにあり得ないと言った。
母国NZでは、少なくとも試合で土グラウンドなどアンビリーバブルなのだそうだ。
そう、我われ日本人草ラガーメンは、非常識なラグビーを日夜行っているわけだ。
そのNZのブラザーは、芝グラウンド(クラブチームでも芝グラウンドでの試合は多くない)での試合のとき、笑いながら走っていた、何をかいわんやである。

そういったわけで宝ヶ池人工芝グラウンド、
二度ほどそこで試合をしたが最高のコケごこちである。

来年1月6日、京芸OBみんなでこけつまろびつ楽しみたい。

2007年11月13日火曜日

こたつ

粋な計らいもあったものである。
花園ラグビー場の予約制観覧席に「こたつ席」なるものができているそうだ。
花園球技場のHPを見るとその画像があったが、そのまんまこたつであった。

見るとプレス席の上の段にこたつが三台、どんなもんだとばかりに置いてある。
ご丁寧に紅白の幕まで張ってあるではないか。ああ、関西の感覚だなあと思った。

ひねりのないことこの上ないが、しかしこれは嬉しい。
冬場のラグビー観戦ははっきり言って寒い。
たまらん寒い。

子どもも小さいしちょっと・・・と二の足を踏んでいたのだが、これなら安心である。
家族でこたつを囲んで、アットホームな心持でラグビーを「生」観戦。
贅沢なのか庶民的なのかよくわからんが。

と言うわけで、珍しいもの見たさもあり予約を入れてしまった。
うどんとラグビーまん、ワンドリンクつきなのだそうだ(ラグビーまんとは肉まんが楕円形になっただけのしろものであり、味はどうしようもなく肉まんである。菅平のラガーめんとまったく同じ発想なのがむしろほほえましい)。

いや楽しみ楽しみ。
ちなみに見るのはサントリー対クボタ、
こたつであるがふきさらしなんてところ、こういう大雑把さもまたよし。

2007年11月6日火曜日

いまだ青二才

Ouch!と叫びたい。いや、まだまだ落ち着きのないことである。

泰造杯の試合にて、少なからず空回りしてしまった。
まあいつものことといえばそうなのだが、声を出すつもりが怒声になってしまっていたように思う。
おまけに足までつってしまった、恥じ入るばかりである。

試合中一生懸命になるのは大事なことだが、その一生懸命さを周りのチームメイトに押し付けてはいけない。自分は気を抜くとついこの癖が出て叫びだしてしまうのだが、周りのOBさん方、迷惑なことであったと思う。

いまだ青二才、いけない、いけない。

ミスの起こることを前提として行う部分もこのスポーツにはあるのだから、それにいちいち目くじらを立てていたらラグビーもへったくれもない。自分の器の小ささをさらしてしまった感がある。

しかしそこでやめないところが自分のしつこいところで、聞けば来年の1月6日に京都は宝ヶ池ラグビー場という良い所で(国際試合もできる人工芝に近年なった)、セイジさんを偲ぶ「谷口青児杯」が開催される由、これは京芸OBとしては出ないわけにはいけない。
走り回って彼岸におられるセイジさんに見てもらわねばなるまいと思っている。

今回の泰造杯での反省をもって思い切りプレーをしたいものだ。
今から楽しみなのである。

2007年11月2日金曜日

泰造杯

少し間があいた。

明日は泰造杯である、我われOBにとっては四芸に次ぐイベントとなっているはずである。

こういったイベントは個人的に好きなので、楽しみである。
よってそのことについて書くとついつい表現に私情が入りがちになるので、今回はさらっと終えておく。

中毒性の高いスポーツであるラグビーは、引退して期間をおいてもOBの心のどこかしらを若いままにしていてくれる。子ども、と表現してしまっても良いほどなのだと思うが、それが自分には好ましい。たとえ体はついてこず気持ちだけ10m先を走っていることになっていても、それはそれでよい試合ができるはずだと思う。

気持ちだけはジョン・カーワン!てな心意気という奴を見せてやりたいものだ。
ああ、こんなことを言うようになったら、自分も年を喰ったかと若干ほろ苦い思いに襲われるが、まあいい。明日は楽しくボールを追い、楽しく酒を飲みたい。もちろんしめるところはしめて試合には臨むつもりではあるが。

これを見るOBたちに、改めて参加を呼びかけたい。
人数の多いほどに楽しさも喜びも増えるであろうから。


ではまた、明日に。

2007年10月27日土曜日

王者たる所以

以前この日記というか独白の中で、特殊化した組織はもろいということを言ったことがある。

世界杯決勝、一つの分かりやすい証明になっていたように思う。

南アフリカとイングランド、南アの言ってみれば圧勝に終わったわけであるが、イングランドの明白かつ唯一の敗因がある。

ジョニ−・ウィルキンソンが封じられたことに他ならない。

ウィルコがこの試合、なんとなーく目立たなかった。
それだけで負けた。チームプレイの不可思議といってよい。

それに対する南アの静かな闘志が際立った形となったが、そのFWの動きが完全に英FWを凌駕していた感もある。なかでも南アFLスカルク・バーガーのがむしゃらな動きが良く目立っていた。ある解説者の表現で、「腕力ではなく、かいなぢからと呼びたい。」という言葉があったが、全くその通りで、南アFWのかいなの強さをまざまざと見せ付けた世界杯決勝戦であった。

それにしても世界杯、南半球チームの活躍が目立った。
南ア、アルゼンチン、トンガ、フィージー(聞いているとこんな発音のようだ)、こちらを驚かせてくれる力を見せてくれたと思う。もちろん我が日本代表も、成長を証明していた。いつになく波乱の多い大会だった洋に思う。

4年後はニュージーランドでの開催となるわけだが、そのときこそ現地に行って観戦するのだと心に決めている。ラグビーミーハ−おやじである。

2007年10月20日土曜日

タックラー

「カイロプラクター(整体師)」との異名を持つ選手がいる。
サモア代表、ブライアン・リマである。

南太平洋地域出身の選手は押しなべてハードタックラーが多い。
タックルと言うよりは、相撲で言うところぶちかましと言う方が似合っている。
自分の全体重を真正面からそれこそぶつける方式の物なのだが、ぶつけにくる選手の体重自体が普通に100キロ前後なものだから、やられる方はたまったものではない。車に轢かれたかと思うのではないだろうか。
またご存知のようにアタリも同じやりかたなものだから、そういった選手にタックルに行くのは正直いやだろう。

物体の運動エネルギーは、体重に比例し、速度の2乗に比例する。2乗である。
つまり足が速ければそれだけで運動エネルギーがはね上がるのだ。
恐ろしいことに、上に言った南太平洋出身の選手たち、100キロを越える体ながら足も異様に速いのである、まさに運動物理学の法則の塊が突進してくることになるのだ。


前も書いたかもしれないが、こんな場面を見たことがある。


確か大学2回生の頃、場所はロイヤルパレス、村田ヒッチさんの部屋、同回生のノハラもいた。3人でいいちこを回し飲みしながら観ていたNZ対イングランドの試合だった。
独走態勢になったジョナ・ロムー(トンガ出身、193cm、110k)にイングランドのFBが真正面から低いタックルに入った。ぽん、と弾き飛ばされ、仰向けになったまま動かない。その選手、肩を骨折していたのである。
恐るべしジョナ・ロムー、いやさ南洋の育んだガタイ、恐るべきスペックといっていい。


話がそれた、ブライアン・リマに戻そう。
上記の話で大体イメージしていただけたかと思うが、怖いタックル、いたーいプレーをしてくれる遺伝子を持つ人なのである。
サモアでは、ハードタックルが良しとされる。戦士たるもの、サメがうようよ泳ぐ海にでも平然と戦いにでるべし、それがサモア人の誇りであるらしい。リアル男塾!

そういう風景の中で磨かれた彼の技は、多くの選手を退場に追い込んできた。ボールをもちそうな選手に狙いを定め、ボールをもった瞬間に一直線にぶつかっていくのだ。

だからこの人、走り出すと誰を狙っているのかすぐわかる。狙われた相手は不幸なもので、ヒットの瞬間は、スロー映像だと言うのに像がぶれ、リマ本人は青い塊にしか見えない。ハイタックルぎりぎりを、骨も砕けよと全速力で走ってくる。脳震盪を起こすのはむしろ当たり前なのだろう。「カイロプラクター」と言うのは、恐怖と尊敬をこめた茶化しなのだろう。

しかしこれは自分が脳震盪を起こすのも当たり前で、この人はまた良く自爆しているのだ。
今回の世界杯でも初戦でいきなり自爆し、それを見た瞬間はこの人死んだ。と本気で思った。

その次に出た試合でも全く懲りる様子なく同じやり方を繰り返していた、不器用なのか何なのかと思う。
担架で運ばれるようなダメージを1試合目に負いながら、3試合目にはけろっとした顔で出場しているその理解不能の体力もどうかと思うが。ちなみにリマ選手、35歳である。

これは勝手な想像だが、恐らく自分の見せ場と言うものを知るが上での、この人なりの見栄あるいはプライドなのだろう。自分にできることの意味をよく理解しているのであれば、これほどプロに徹している選手もいないと言うことか。だってこの選手、どこのどのような試合でもスタイルを変えないのだ、まさにマヌー・サモア(サモアの勇者)と言えるではないか。

こういう選手、僕は好きなのである。見習いたい。
この選手に比ぶべくもないが、自分もできるだけ長く激しいプレーをしたいものだ。

残念ながら今回の世界杯で代表は引退するのだそうだが、またその勇姿を見てみたい。
死なない程度にがんばってほしい。


以上なぜ僕がブライアン・リマを好きなのか、というところを語らせてもらいました。

2007年10月17日水曜日

Los PUMAS returns

かつて試合前にこれほど泣く国を自分は知らない。
わなわなと唇を震わせ、
怒られた子どものようにしゃくり上げている。

気持ちの昂ぶりとはこれほどに人をして泣かしめるものなのかと驚いてしまった。同時に、試合前からこんなんで大丈夫か?と心配になるほどであった。

世界杯準決勝、南ア対アルゼンチンにて、アルゼンチン代表選手たちの印象である。

英語ではアルジェンティ−ナ、母国語ではアルヘンティ−ナ、結果は負けたのであるが、その戦い振りというか生き様は、こちらの心を打つものがあった。






国歌斉唱のときから彼らはキていた。
目は充血し、首筋、青筋立てまくり、
いつでもトップスピードでタックルいけますというような気合を見せていた。

国歌の前奏(アルゼンチン国歌はこれが長い)が流れ出した瞬間から、もうだめである。
ロックの選手かと思うが、ヘッドキャップをがっちり締め、マウスピースもつけたまま歌っていた。ゆえに歌詞が言葉になっておらず、もちろん眼からは滂沱の涙である。

それ歌いにくいだろ!と突っ込んでしまったのだが、そんなことはどうでも良かったのだろう、あるいは外すことさえ忘れていたのか。そのさまはこちらが気恥ずかしくて笑ってしまうほどであった。


液漏れ、という言葉が頭をよぎる。


弱い国では無かったが、決め手の強さが無かったために強豪のかませ犬的な立場だったのが、世界の四強に食い込んだのだ、そらうれしかろう。今大会最強とも言われたFW、魔術師的なステップとキックを操るSO・ファン=マルティン・エルナンデス、小さな闘将アグスチン・ピチョット、駒は充実し世界一が見えてきたところだったのだ。

試合の内容はというと、さて、期待したものとは少し違った。
気持ちが前に出すぎてうまく機能しないチームの隙を、南アに突かれた形となった。
後半には、うまく行かぬ苛立ちからかアルゼンチンのセンターが南ア選手にパンチをかまし、シンビンをくらうという事態まで起こったのだ。残念ながら、アルゼンチンは自滅した形となった。

しかしこのチームは、強さにおいて今大会の期間中、世界一に達していた瞬間はあったと思う。
神がかり的な部分もあったとはいえ。
なだけに、あらぶるアルゼンチンを押さえ込んだ南アの強さは際立っていた。
あしらう、に近い試合運びではなかったか。さすがと言うほか無い。


なんにせよ、ついに決勝を残すのみである。
イングランドか南アフリカか、激闘は必至、心して観たいものだ。

2007年10月15日月曜日

世界杯準決勝

イングランド対フランス。

この、世界史的にも様々なところで対立したり懐柔しあったりを繰り返す両国、
その試合を見る国民たちにも、並々ならぬものがあったろう。

両国のファンは、選手たちを応援するのに歌う。
イングランドファンは戦士を激励する伝統的な歌を(歌名がわからない)、
フランスファンはおなじみ「ラ・マルセイエーズ」を。

お互いに大本命であったオーストラリアとニュージーランドを下しての準決勝であったわけだが、この場合、ポスト決勝戦をやってしまったチームは燃え尽き症候群に陥りやすい、そういった点で、フランスは自滅を犯してしまっていた気がする。

両国とも準々決勝とほぼ同じ戦略で戦っていたが、イングランドの粘りにフランスが息切れしてしまった感があろう。しかし、イングランドと言うチーム、ジョニ−・ウィルキンソンという著しく突出した選手がいるために、良くも悪くもSO集権制とも言うべき形に特化してしまっているように思う。恐らくそうならざるを得なかったのだろうが、かなり特殊と言ってよいのではないか。

トライをとらなくても、敵陣に入りさえすればドロップゴールがぽんぽん入るのだ。
FWにとってこれほど楽な話はないし、仕事も大幅に減る。
BKにしても、正確無比なキックを追いかければ目の前にボールが落ちてくるのだ。
ウィルコ(ウィルキンソンの愛称)がいるだけで、チームの動きが整理されてしまうのである。
フランス選手は言いたかったろう。

「なんでやねん!ラグビーはもっとこう・・・、あーっ!(頭をかきむしる)」と。


ウィルコの存在は、事ここに至っては反則に近いと言えるかもしれない、
かつてのジョナ・ロムーのように。

ただ、この形の弱点は、要がいなくなるとチーム自体が崩れると言うことである。
事実、ウィルコが頚椎骨折で長期休場していた間、イングランド代表は拍子抜けするほど弱くなっていた。なんつーわかりやすい奴らやと、むしろ微笑ましく感じたのを覚えている。
そしてその事実はかなり危なっかしいもので、綱渡り的強さと言わねばなるまい。
「特殊化の果てにあるのは緩やかな死よ。」と言ったのは「甲殻機動隊」の草薙素子の台詞であったが、イングランド、恐らく決勝戦もウィルコ頼みになるだろう。
その相手がどんな戦略で挑んで来るのか見物ではある。


相手が南アフリカでもアルゼンチンでも、激闘になるのは必至だ。

2007年10月9日火曜日

波乱

前回波乱の多い世界杯と書いたかと思う。
またいくつか起きたようだ。

「王国」ニュージーランド、「大国」オーストラリアがともに準々決勝で沈んだ。
やはり団体競技とは不思議なものだ、負ける算段のないと言っても良い相手に負けるのである。
NZは戦術ではフランスを圧倒しながら、戦略で押さえ込まれた。
豪は戦略で勝ちながら、イングランドに戦術で転ばされた。

仏の徹底したゲームプランと絶妙なタイミングの交代選手投入、これぞ「いくさ」の感があった。英のSO、ウィルキンソンを中心とした、というより、チームとして彼を生かすために他の選手が体を張り続けた戦い方は、まさに「One for all」を地で行っていた。

上記の一事をもってしても、いかにラグビーが十五人の共通意識がキーとなるスポーツかと言うことがわかる。
個々の強さよりも(もちろんそれも重要な要素ではあるが)、集団のまとまりがものいった今回の勝敗だったと思う。
そしてこれは、京芸OBも心しなくてはならないことであろう。現役をしてさすがOBと思わしめるには、クレバーな戦略を実践するに足るわれわれの中での共通なイメージが不可欠なのだ。
これは、冗談で言っているのではなく、本気である。どうせやるなら、何で負けているのか分からないくらいの敗北感を現役に与えてやるほどのOB戦にしたいではないか。そのためにはやはり、尾中さんのいつも言われるごとく時間は早めに集まり、少し話をするぐらいの方がイイに決まっている。今度の泰造杯では、自分の入るチームでそういった戦い方をしてみたいわいとひそかに思うのである。世界杯の後でちとミーハ−だが。

とここまで書いてどうしてテレビの壊れた自分が試合結果を知っているのかと言うと、何のことはない早々に新しいのを買ったのである。
テレビデオ14型、アナログ。血迷ったのでない。地上デジタル放送を見ないことに決め、VHSとスカパースポーツチャンネルでラグビーのみを楽しむことにしたのだ。

電気屋さんでは店員に怪訝な顔をされた。

「地デジはどないしはります?」

「見ません。」

話は一瞬にして終わった。
この選択は間違ってはいないと、ラグビー原理主義者の道をひた走る自分としては信じている。

画像は新しくうちにやってきた相棒の姿である。

2007年10月6日土曜日

私事ながら

テレビがとうとう寿命を迎えた。

画像がぶれてどうしようもなくなってしまった。

思えば大学二回生の頭から約十年お世話になった14型、
こきつかったものであるから、さもあろうことであるが、
しかし困ったことには世界杯がこれから佳境に入っていくところなのに、
まあえらいタイミングで壊れてくれたものである。

いやその前に、今まで大儀でしたテレビ。合掌。

今回の大会は波乱ずくめなのでかなり期待の高まりがあるのだが。

今日の夜から準々決勝が始まると言うのに、ちとあせりを感じている。


電気屋に行こう。

2007年9月25日火曜日

よきナショナリズム・ジャージ

今回のタイトルは、各国の独自性、と言い直すと分かりやすい。
なおも世界杯の話である。

最近、各国のジャージがよく変わる。
各メーカーが新しい開発思想や素材を使い、いろいろとプレゼンをしているのだろう、見ていて面白い。

今は全体的にいわゆる「ピチジャー」の時代らしく、
その基本思想は「鍛え上げられたプレーヤーたちの体をより美しく見せるため」らしい。

なるほどそうか。しかしぴちぴちすぎてどうもな、と思わぬ場合がないでもないが、今日話したいのは、その上に描かれる色柄の事である。
各国代表にはそれと分かりやすい色とエンブレムがある。あれだけの人数が広い空間を駆けずり回るのだ、分かりやすくてしかるべきである。
ご存知の通り、ジャージが変わると書いたが、基本色は変わらない。その制限の中で各国のこれぞ、というべきユニフォームが存在する(ただしセカンドジャージは大きく変わったりするようだ、また、一部の国はファーストジャージも前回世界杯の時と全く違う色やデザインの場合もある。グルジア等がそうであった)。

そして今回大会の中で自分の目を引いたのは、南海の雄、サモアおよびトンガのファーストジャージだった。
サモアが青、トンガは真紅なのだが、他の国と比して独特であったのが、その柄である。
両国はその地理的分類において、南太平洋ポリネシア、メラネシアに属する。大小の島が集まる地域だが、そこには日常的な文化習慣として刺青の伝統が存在する。自分のルーツや護符的意味を文様にして、自分の体に刻み込んでいく。年々それを拡げていくわけだが、19世紀初頭には、全身が青く見えるほどの刺青に覆われた男性(戦士)がいたと言う。
ちなみにその姿を目の当たりにしたヨーロッパ人は、その印象を「美しい工芸品のような」と述懐している。そのあたりの話は非常に興味深いのだが、今は措く。
話がそれたが、とにかくその刺青は、戦士としての勇気や誇り、誉れの象徴だったらしい。それらの文様がバーンとジャージに描かれているのだ、こいつがまたカッコイイ。
サモアは腰のあたりに、トンガは両肩にでかでかと、これが独自性でなくして何なのだと言わんばかりにである。
確認したところ両国とも、メーカーはサモアがPUMA,トンガがKooGaであった。ここのデザイナーはよく分かっている、と手を打たんばかりに思った。
妙に未来的なデザインが多い中、自国の伝統文化に目を向けたところ、面白かった。だから個人的には今回の世界杯、ジャージのランキングは一位がトンガ、二位がサモアなのである。
画像があればまた載せたい。
刺青どうこうとうるさかったがついでに、「タトゥ−(TATOO)」と言う言葉も、元々かれらポリネシア人の使う「タウタウ(TAU-TAU)」という音が起源なのだそうだ。


実はサモア、トンガの国の人たちには、子どもの頃、日本人と同じく蒙古斑がある。
人種的系統が近いか同じらしい。言葉についても、母音と子音のはっきりした発音で、日本語に近い。

これに加えて、魏志「倭人伝」において、倭人(縄文時代の日本人)の特徴を言うに「鯨面文身」つまり全身に刺青を施しているとある。かつてはそういった習慣が日本にも存在したのだ。

それらの共通点から、日本人南方起源説において、同じ民族集団から枝分かれした一つがわれわれ日本人になり、もう一方が南の島々を伝い、ハワイ、サモア、トンガ、果てはニュージーランドのマオリ族になっていったのだと言われているが、そのあたり、考えていると胸が躍る。

われわれの兄弟たちがまた、フランスの地で戦っているのだと思うと、である。

2007年9月11日火曜日

LOS PUMAS

ロス・プーマス、南米アルゼンチン代表の別名である
(代表ジャージ左胸のエンブレムにピュ−マの意匠がある)。

このチーム、数年前までは完全なるラグビー後進国の代表であったはずだった。

IRB(国際ラグビーボード)のランキングでも、そう高い位置にあったわけではない。
過去三回の世界杯でも、オープニングゲームで必ず負けていた。

しかし今回。
いきなり金星を揚げた。

ご存知の方も多かろうが、開催国のまさにフランス代表からである。
フランスにとっては、あってはならぬことであった。


試合開始前から、両国の雰囲気は対照的であった。
格上らしく、あくまで静かに淡々とある仏に対し、アルゼンチンはというと、高ぶりきって多くの選手が瞳孔の開いた目に涙をためていた。主将ののピチョットなど、あんたキャプテンなんだからと、コーヒーを勧め落ち着かせてあげたくなるほど吼えまくっていた。

まだ国歌も歌っていない段階からである。
先にア国の国歌が流れたが、選手たち、絶叫(と言うよりも咆哮)していた。
やはり泣いている奴もいる。

観客席にいたア国ファンのおっちゃんなんぞは、感極まって嗚咽、涙にむせびながら歌っていた。さすが南米ラテンの国、選手もファンもアツいのである。

それに引き換え、同じラテン系ながらフランス、クールである。
見た目には冷静なフランス有利、の空気であった。

シャバル(仏)と言う絶対に人を二、三人は殺している顔の選手がいるが、
フランス国歌ラ・マルセイエーズを聞きつつ、表情一つ変えていなかった。

しかし、ふたを開けるとアルゼンチンが勝ってしまったのである。

一言で言うなら、気合と根性の度合いがまったく違った。

当たり前のように勝とうとしたフランスと、落ちる底のないアルゼンチンの、なんと言おうか、あがき具合の差であったように見える。

点差自体はつかなかったが、その試合は、アルゼンチン選手たちの鬼気迫るタックル、指一本のタッチでフランス選手を転ばせた気合、いわゆる「ゾーン」に入っていたのであろう。そのくせラフなプレーはまったく見られず、それはまさにプーマスの名前に恥じぬ戦い振りを見せ付けた試合だった。フランスもよく頑張っていた。

自分はこういった、技術や計算を飛び越えたぎりぎりの攻防が大好きである。
面白い試合であった。
そしてやはりアルゼンチンピチョット主将、泡を吹きつつ叫んでいた。

ふと思ったことには、同じラグビー後進国であったはずの日本とアルゼンチン、かたやフランスを倒し、かたやオーストラリアに92点と言う失点を許し負けた。
もちろん日本の戦いぶりも悪くなかったが、この差は何なのだろう。ちと遣る瀬無い思いに駆られる。サイズやパワーの差ではないような気がだんだんしてきたのであるが・・・。


ともあれ世界杯、見るべし。

できるだけ録画しようとは思うので見たい人はハマモトまで。

2007年8月31日金曜日

第一回世界杯


アオヤマさんの学年の二つ上だったか、OBのハマさんから、ひょんなことでラグビーのビデオをいただいた。

見ていると、なんと第一回世界杯の録画であった。

往年の名選手が走りまわっている。
ジョン・カーワンの伝説の90メートル独走トライも入っていた。ルールもまったく今と異なるので、それこそ別の競技のようである。ただ、これは今も変わってはいないが、観客とフィールドの距離の近いことは、うらやましく思われてしまう。殊にちびっこにとっては、選手が間近に見られて倍楽しめよう。

他にもそのときの日本代表の試合も見られ、オーストラリア相手にいい試合をしていることに目を見張った。試合内容でいくと、今より強かったのか?と思えるほどであった。

とりわけ印象に残ったのは、センターで出場していた元トヨタ自動車ヴェルブリッツ監督、朽木英二氏の走りとパスの技術のすばらしさだった。

がつがつ当たるのではなく、何と言うか、

しゅっと来てふわっと浮かす!

と言う感じである。

おそらく対面の選手はわかっていても朽木選手に釣られざるを得なかったのではないかと思う。はしる角度、ボールを離す呼吸、真似できね−よと両手を上げたくなってしまう。
こういう感覚は、磨くことで誰でも身につけられる種類の物ではないだろう。
少なくとも今の日本代表にはこんなことできるような選手はいないような気が・・・。と思ってみたり。


話は変わるが、現日本代表大畑選手が再びアキレス腱を切ってしまった。しかも今度は逆の足である。両足のアキレスを断裂と言う怪我を経験するとは、不運と言うほかない。他にも世界杯が絶望となる怪我をした選手がいるようだが、われわれも京芸OBも、怪我にだけは注意したいものである。

と言うのも、あさっては菅平で現役たちと夏合宿OB戦をせねばならない。
OB側のメンバーはまだ知らないが、よくよく注意を促そうと思う。
怪我は肉体よりもむしろ精神的なダメージが大きいと思うので。

自分自身暗澹とした気持ちで長野から帰りたくはないから。

2007年8月24日金曜日

闘球士として

今回のOB通信の中で、現役前キャプテン澤君の、悲痛と言ってよいだろう、訴えを聞いた。
四芸祭を最大の舞台と定めているわれわれにとって、
愛知の行動、態度は怒りというよりも僕は悲しい。

試合場の外ではだれでも当たり前に紳士たるべきとは思う。
しかしラグビーは紳士のスポーツ、などではない。
その本質は集団的戦闘と呼ぶ以外のなにものでもない。
いったんフィールドに入り笛が鳴らされれば、虎のように暴れ回らねばすまぬ類の競技なはずである。そこに紳士という冠詞は当てはまるようには思われぬ。
あえてスポーツの範疇にとどめるなら、戦士の、あるいは騎士のスポーツである。
ただし、戦士、騎士(武士ともいえる)のといったのには理由があり、そういったものであるからこそ、そこには節度と誇りが存在し、守られる何かが出てくるのだと信じている。
ルール、というものである。

それは抽象的な言葉であるが、
「武士道、騎士道」に近いものなのではないかと思う。


実際プレイをしていたわれわれならば、イメージはたやすいだろう。
だから闘球士であることを忘れ、それらのなくなったラグビーなど、ただのどつきあいである。ノーサイドもへったくれもない。お互い動けなくなるまで引っかき殴り合ったらよろしい。

自分の力至らなさを棚に上げていらだちを第三者に(自分のチームのマネージャーにさえ!)ぶつける、などということを二十歳前後の男がやっているならば、それはもう異常であり、そんなことがまかり通る集団と試合をすれば、消耗するのはわれわればかりなわけであって、そんな相手はぐうの音も出なくなるほどやっつけるか、最初から試合をしないかのいずれかしかない。


変えられるものならば、
現役のため、彼ら愛知県芸ラグビー部のため、その方法はないものか。


あるいは四芸のあり方を根本的に考えてみることも必要なのだろうかとふと思った。

2007年8月8日水曜日

以下、書き綴っていくにあたり

このブログの記事投稿担当、ハマモト。
特にラグビーに関して、つらつらと書いていこうと思う。

われわれは、三宅先生を知っている。
直接お会いしたことはないが、いわゆるOB若手の自分も知っている。

資料や写真を通してだがそれ以上に、上のOBから聞かされてきた、断片的ながらも魅力的な、その人となりに関する話によるところが大きい。今では自分の頭の中では(それが正しい像を結んでいるかは分からないが)色彩を帯びた映像となって三宅先生が動いてさえいる。
そしていつのまにか、先生の言っておられた言葉が、自分のラグビーをプレイする上でのモットーになってしまっていた。曰く、

「底辺で胸を張れ」

良い言葉だと思う。
繰り返しになるが、僕は三宅先生とはまったく面識がない。直接その薫陶を受けたことももちろんない。
しかし氏の教えは、どこからか知らず吹き込んできたかのように自分の中に堆積していた。奇妙といえばそうというほかない。。
しかしそういう意味において、氏は確かに今も生きておられると言ってしまうのは、飛躍に過ぎるだろうか。

そして、今われわれは、谷口青児という人を知っている。

「セイジさん」とお呼びしたほうが、僕は親しみを持ててよい。
僕は当然のごとく直接この人を見、話もした。酒に酔った姿や、あふれる感情に目を潤ませる生々しい姿も見た。長短ひっくるめて、面白い人であった。
セイジさんについて、もっとよく知るOBも沢山いるはずである。
そしておそらくわれわれは、この人についての話を「ゲンエキ」たちにしていくと思う。多少尾ひれもつけつつ、こんな人がいたのだと、ことあるごと語っていくだろう。また僕よりほかのOBが、僕の知らぬセイジさんの一面を伝えるだろう。
そして、それを聞いたゲンエキたちの中に、セイジさんが息づき始めるのだと思う。
もちろんそれぞれ少しづつ違いはあれ、確かに形作られるはずである。その像は、いつのまにやら彼ら後輩の中で「京芸ラグビー」を語りだすのだ。
僕の中での三宅先生がそうであるように。
いまもセイジさんのよく言っておられた言葉で、後輩に対し仰っていた言葉をおぼえている。

「おれは、お前を見てるで。」

見てくれていただけるなら、それに恥じぬOBでありたいし、そういう人間でありたい。

二人の先輩の名をあげたが、この両氏だけではないだろう。語られるべき先達は多い。OB名簿には、すでに300を越えるメンバーの名があるそうだ。
よく「私たちの中で生きている」ということをいうが、そのひとの記憶を持っているだけなら、それは記憶のままである、記録といっても良い。
しかしそのひとのことをわれわれが言葉で伝えはじめたとき、はじめて話し手と聞き手の中に生き生きと、彼らは個性をもって動き出すのだ。
そして彼らはいろいろな語り口で京芸ラグビーを語り、それ以外のことも教えてくれるだろう。
語られ続けることでこそ彼らは生き続けることができるのである。
だから、僕は話す。
そしてこのブログという便利なものを使い、硬軟とりまぜた話を通して京芸ラグビーというものを育んでいきたい。

なにやらしゃっちょこばった文になってしまったが、気楽にやろうと思う。みなさんのコメント、お待ちしています。

2007年7月25日水曜日

京都芸大ラグビー部OB会のブログ開設!!

ついにみんなが待ちに待った待望のブログを開設できました。

これからはみなさんの様々な情報交換の場としたいので皆さんもコメントをどんどん書き込んでください。
期待しています。