2008年12月24日水曜日

追い出しは迎え入れ

現役にとっての追い出し試合はOBにとって「迎え入れ試合」ということなのである。
いや、ふと思っただけなんだけども。

そして自分も追い出されて約十年になるのだなと改めて思った。若手、と呼ばれるには少しトウが立ってきたといってよいのだろうか。十年一昔、光陰矢のごとし、月日は百代の過客であるとは道理、道理。
しかし(怪我は怖いが)まだまだ全然健康体であるつもりなので、走れるときに思い切り走る心積もりは変わっていない。

さて、1週間たってしまったが、追い出し試合のことである。

助っ人も含めどうにか15対15で試合は出来た。今回はゲームキャプテンをサワ君に任せ、自分はバックローの動きに終始させていただいた。
そこで感じたことであるが、現役には必殺のサイン攻撃を作って欲しい。(名和)コーヘイさん曰く「どんなチームでもこれならゲインを切れる。というサインを持たないといけない。」
ここぞという時に必ず前進できるものが無いと、結局その場その場でのボールの動きで当たるしかない。それでも別に良いと思うのだが、疲れる攻め方だと思う。そしていかんせんイレギュラーな経験値の低い現役チームでそれをやると必ずボールは奪われる。現役の試合運びにはそういった部分が見え、ためにディフェンスするこちら側としては結構守りやすかった。
ひきかえてOBチームには、CTBマツダ君のかみそりのようなショートという道具があったので、点を重ねることが出来た。ミスの続出したOB側であったが、要所でそれがあったので勝てたのだと思う。

そして現役にもう一つ言い添えておきたいのは、マツダ君タイプの選手には、思い切り低くタックルに行かないと止まらない。厄介な相手にこそその足を止めるディフェンスをして欲しい。
この試合でよく見えたのは、来年の四芸祭に向けての現役チームの課題だったりするのである。
「低いタックル、明確な意図のあるサイン攻撃。」
こんなんでどや。
えらそうに書いているが、当たり前のことであったりもするなこれは。

まあOBが勝ったんであるが、前述のようにミスが多かった。しかし現役を1トライに抑えたのは、守るところでしっかり守っていたからであろう。お疲れ様でした。

ところで、試合後にサワ君からもらったメールがあり、細かい内容は省くが、京芸ラグビーに対するアツい決心が綴られているものであった。こういう後輩達が育ってくれたことに関して、一人喜んでいる。
OB喜ぶべし、ことほぐべし。京芸ラグビー五十周年を目前に、いまだそのタマシイは衰えることなく伝わり続けているようだ。
サワ君がどんな内容のメールを自分に送ったか、それは本人に尋ねてみてください。自分は少なからず胸を打たれた。

そうそう、今回助っ人ということで来てくれていた人で、初めて見る人がいたので、どういった関係で来られたのだか聞いてみると、現役マネージャーのバイト先の接骨院の患者です。とのことで、笑ってしまった。
当のマネージャー、「カルテに(ラグビーの練習中に負傷)と書いてあったから、受付で声をかけた。」のだそうで。助っ人さんたまげたことだろう。
「今度うちの追い出し試合に来ませんか?」
と白衣を着た(バイトとはいえ)女性看護師さんから突然言われるのである。しかも病院の受付で。その場面を想像するに、笑ってしまうのだ。自分だったら呆然としてしまうだろう。

2008年12月9日火曜日

根性といふもの・錯誤の現実

早明戦を見ていた。
ゴールキック、2点の差で明治が競り勝った(関東大学リーグでは早稲田が危なげなく勝っていたのだが)。
早稲田の選手たちは呆然としていた。明治の選手は号泣していた。
ワセダキャプテンのさばさばとした表情が印象的であったことよ。

明治は伝統の早明戦、9年ぶりの勝利だという。

自分が現役であった頃は、メイジは「重戦車」と呼ばれていた。圧倒的に強く、伸び悩むワセダをものともしていなかった。
半ば伝説化している北島忠治監督の最晩年にも当たっていた。その死にあたって紫紺のジャージの襟が黒く染め上げられ、異常な強さを発揮して早明戦を制した時期は、自分が3回生辺りの頃ではなかったか。非常に印象に残っているのである。
そのしばらく後に金銭の絡む組織上の問題が発生し(それは明治OBの中でのことだったと記憶している)、そうするとチーム力がしぼむように弱くなったのは不思議だった。そう、実際弱くなってしまったのである。

自分がそんなことを言うのはおこがましいが、弱くなった理由は良くわかるのだ。
なぜOBの問題で直接関係無い現役が弱くなってしまったのか。
それは「信仰」にも似ている。自分が怪我も恐れず体を張るに足る対象、プライド、名前、楽しさ、何でも良い。
そしてその何かが自分たちの中にある限り、人は恐ろしい力を発揮する。怪我をもいとわず当たっていける勇気は、己の体に宿る「信じるに足るもの」から生じるに他ならない。それがあるからこそ、たとえ点差で負けているのがわかっていても、ノーサイドになるまで諦めることなく走ることが出来るのだ。
ところがその「何か」が自分たちの中でほころんでしまったとき、人は魔法にかかったがごとくタックルにいけなくなるのである。足が止まる。
プレーヤー自身に怠慢をしているつもりは無くとも。

もう一つの例としては、帝京大がそうである。部員の不祥事で1年間の試合出場停止の後、長く低迷していたが、今回の関東大学リーグで優勝した。同じことだと思っている。
つまり今回の勝利のための9年間は、明治にとっては、崩れ去った自らの自己同一性を、パズルのように組みなおしていくための年月だったのではなかろうか。帝京にとってもそうだったはずだ。そのパズルの切片一つ一つは、もろく、積み上げるのに必要な努力は半端ではなかったであろう。
衰えるのはあっと言う間だが、再び力を清め高めるのは非常に難しいからだ。
然るに今回ついに明治は勝った。しかもその勝ち方は、「根性」の一字だった。懐かしくさえあるスタイルだったようにも思う。
およそ合理的なものではないが、力の拮抗した戦いは、最後に「気持ち」とか「根性」と呼ばれる抽象的なもので決まっていくように思う。明治大学というチームにはそれがあったのだということに尽きるのではないか。
以上のことを思いつつ試合を見るに、やはり感動した。もちろん早稲田の粘りも含めて。
だから今年の早明戦、ワセダが弱くなったのではない。明治が強くなったのだと言いたい。
そういう意味ではワセダもそうだったし、関東学院はその途中だ(がんばってほしい)。問題が起こった後、良いチームは必ず戻ってくる。今年はその証明を垣間見た思いがしているのだ。


ところで前述の強かった頃の明治の選手で、LOだったが、卒業後新日本プロレスに入り、去年なんかアメリカの超人気プロレス団体、WWEに出場していた人がいる。名前はケンゾー・スズキ。ヒール(悪役)で、芸者のコスプレをした嫁さんといい味を出していた。
強いチームには必ずと言っていいほど個性のとんでもなく「濃い」メンバーがいる。大学選手権を制したメンバーの一人であるが、そのときスズキ選手は紫紺のジャージをタンクトップに切り、両の腕にはテーピングをぐるぐる巻きで、無精ひげに不敵な笑いというスタイルで国立競技場に異彩を放ちつつ立っていた。「絶対北斗の拳を意識してるぞこいつ!」と自分はテレビを前に突っ込んだのも憶えている。
それが後になってプロレスに出てきたときはまあおったまげたもんだ。

2008年11月28日金曜日

船越杯・ダメな自分

十年前(というとすごく昔のようだ。昔なんだなあ)のこと。
東京芸大ラグビー部の70周年記念試合・舟越杯があった。

実は自分にはこれについてすごくへこむ思い出がある。
東京での試合に参加する予定の自分であったが、またしても遅刻したんである。理由ははっきり覚えている。新幹線にあまり乗ったことがない自分は「ひかり」と「こだま」を乗り間違えたのだ。
「ひかり」という割によう止まるなあと思っていたら、なに?各駅停車?新幹線に各駅停車とはこれいかに!
そんなもんがあるとは知らなんだのである。

しかし乗ってしまってから気づいたのでは後の祭り、名古屋を出てから気づいたものだから、もう椅子の中でいらいらするわ自分を責めるわ、自ら飛び込んだものとはいえ、針のむしろだった。今でも思い出すに自己嫌悪がよみがえる・・・。
静岡を過ぎ、熱海なんかに止まった日にゃあ、このまま降りて温泉客になってやろうかとさえ思った。
だから試合場についたときには後半も終盤だった。セイジさんには「おまえなあ・・・。」と絶句された。くわー今でもすいません!
実際試合に出たのも10分ほどだった。何のためにはるばる京都から東京まで来たのか。情けない話である、というよりも、この前の現役の試合に遅刻した話もあり、そのころから成長していない自分をまざまざと意識しいよいよへこむのだ。

そしてへこむ話はまだつづく。恥をしのんで書いておこう。

試合の後は東京芸大の、そのころ新しく出来た食堂でのパーティーがあり、参加した。
草野さんのヨカチンから始まり、しばらくして京芸からの参加者が、大きな杯を壇上でかわるがわる一気飲みをしたのだが、遅刻した自分は最後に回され、大量に残った日本酒を飲み干さねばならなかった。
飲んだ後これは本当にやばいとおもったので、すぐにトイレに駆け込み洋式便器に向かって口に指を突っ込んだ。あんなに酒を吐いたのは初めてだった。情けないが仕方ない、身から出た錆なんである。
22だったが、ええ年こいて一気飲みもないもんだ。

そしてさらにその後、まさにその会場の外で自分は、そのころお付き合いしていた彼女(東京芸大のマネージャーだった)と別れた。
「やっぱりあんたってそんな人だったんだ!」と言われた。はい、返す言葉もござんせん、ダメ男とは自分のことです。
一気飲みがではない、原因はぜんぜん別なものだったわけだが、自分はあかんたれだった、いや今も自信がない。
ここまで書いて思うが、なんちゅうかっこ悪いアナーキーさであろう、われながらアホだ。

というわけで、自分は、舟越杯の一日のうちに「新幹線の乗り間違い」・「試合に遅刻」・「一気飲みセルフゲロ」・「離縁」という4つのだめだめイベントを自ら招いてしまったのだ。悪霊でも召喚してしまったかのような気分だった。
だから、舟越杯、と聞くとその日の思い出が一気にフラッシュバックするので、個人的に赤面なのです。

最後に、パーティー会場の外の椅子に座り、後味の悪い酔いと焼け付くような自己嫌悪に襲われうなだれていると、ふらっと彫刻家・舟越桂氏が現れた。舟越杯の元となったと聞く故・舟越保武氏のご子息である。氏は自分をクールに一瞥し、会場にすっと入っていかれた。自分はすばらしい作家に挨拶をする気力もなかった。
そしてぼんやりとした意識の中つぶやいたもんである。
「ああ、船越杯、こういうオチかあ。」

今年は80周年ということだが、京芸の追い出し試合と日にちがかぶっているのでわれわれの参加はなしと言うことになった。

残念なのは残念だが、記念すべき舟越杯、自分にとっては感情ひきもごもご、いやひきこもごもなイベントなんである。

2008年11月24日月曜日

一種の業やなこれは

連休なのでたくさん書けてよい。

まず、この記事に作為がないことを最初に言っておく。

朝に時間がないのと、食欲が無いのとで自分は遅い朝飯を職場で取る。
大飯ぐらいのイメージがあるが、午前中はあまり食べない。忙しさにかまけて帰宅するまでめしを食わないこともざらである。
結局夕食にどがっと多く食うので、エネルギー摂取量は足りていると思っているのだけれど。
そんなわけでお金をケチるためと自分の好物であるため、ホットケーキを作りだめして職場の冷蔵庫で凍らせておくことにしている。

そして今日そのホットケーキを作っていると。

「それ、すごいラグビー好きみたいやで。」

家人に指摘され初めて気づいた。

自分は、無意識のうちにホットケーキをすべて楕円形に焼いていたのである。わがことながらおったまげた。しかも一週間分、7枚すべてきっちり楕円なのだ。気色わる。
フロイトやユングに判断して欲しいところだが、メタファーも何も見たまんまではないか。
「そらあんたがラグビーやってるからちゃうのん。」
と一刀両断されちゃうのだろう。


朝はたくさん食べられないので小さめに作るのだが「小さい丸」ではなく、「楕円」にするところがまた不可解である。ひっくり返しやすいからとか、考えてみれば理由も思いつくのだが、まったく無意識だった。花園ラグビー場近くの「ラガーまん」とか、菅平の「ラガーめん」などの力技のこじつけ色の強い類のものではない。

だって指摘されて気づき、作った本人が愕然と目を見張ってしまったのだから。
これは笑えない。むしろ背筋が寒くなってしまった。
しゃれにならない、自分の深層心理は一体どうなっておるんだ?てなあんばい。



日ごろから自分自身がよくわからないだけに、今日のこの出来事はかなり自分にとってインパクトのある出来事だった。

しかし諸君。これでもお分かりだろう、ラグビー道は蛇のみち、一度はまり込んだなら、骨の髄までラグビーに侵されちまうんだぜ〜。
顕微鏡で見て、わが細胞まで楕円だったらどうしよう。
変な夢を見そうなのでこれ以上の妄想はやめておく。

しかし今朝の実話です。

2008年11月23日日曜日

強くなったジャパン

国代表同士の戦いでは、しばしば両者の国のプライドのぶつかり合いの様相を呈する。
以前映像で見たアイルランドとイングランドの試合では、会場全体が異様な雰囲気になっていた。
観客は、明らかにラグビー以上の、あるいはそれよりほかの感情を自国チームの選手に重ね、目も血走らせて応援していた。相手国のトライにはブーイングの嵐である。
あからさまに、両国の歴史的背景から来る代理戦争のようなイメージがおのずとあるようであった。

ところで自分には愛国心というものはない。日本人としてのプライドは持っているつもりであるが。またそれを第三者に押し付ける気も皆無である。
そして愛国心と自分のルーツに対する誇りというものは、必ずしも一致しない。これを同種の物として行動の原理にすると、やっかいなことになる。

しかし今夜、日本代表がアメリカ代表に勝った時、うれしかったのはなぜなのか。
自分の生まれた国の名を背負って戦ったチームが勝った時、そしてその相手が米国であった今日、溜飲の下がる思いがあったのはなんだったのか。
不思議なんである。

いろいろな言い方はできよう。
もう10年近く勝っていなかったからか。
単純なところで集団としてのアメリカが嫌いだからか。それとも。
黒船来航から始まる日本人の欧米に対する鬱屈した劣等感を覆す勝利だったからか。
ようわからん。

この気持ちはどういったところから出てくるのか。
確かに熱い試合であったし、両チームとも骨をきしませて戦っていた。以前は諦めを感じつつひやひや試合を見ていたが、今回はほとんどダブルスコアである(米17・日32)。
いやあ、日本代表、つよなった。総合力で米を圧倒していたと思う。ジョン・カーワンの力が大きいのだろう。

外国人ヘッドコーチを採用するようになってから、というよりもJKになってから日本の成長は著しい。思うに、勝つことのイメージを明確に持っている人間が引っ張るから強くなるのだろう。そして、JKが第一回世界杯優勝メンバーであることも重要な点であると思う。頂点を見たものはそこにいたるまでの過程を身をもって知っているだけに、実感と確信を持って選手に教えることができるからだ。
そして、JKは男前である。苦みばしったマスク、192センチの長身にばりっとスーツをまとわせて采配を振るう。どこをどう見てもかっこいい。多分それだけでチームが強くなるなんてこともあるような気がするのである。偏見か?

と、ここまで考えてきたところで気づいた。ヘッドコーチを外国人にして強くなったということは、倒すべき欧米の考え方を導入することでジャパンが強くなったということである。最初に書いた欧米チームに勝って溜飲が下がる思いをしたという気持ちと矛盾しはしまいか。愛国心とか言うものとも相容れないではないか。あれ?
結論。自分は単にジャパンが好きなのである。それが勝って単にうれしいのだ。日本代表が強くなった理由は、カーワン個人の個性によるところが多いのだろう。欧米云々は最初から関係なかったのである。
ばんざーい!
というわけで自分の理屈が無理やり変なところに言っていたという事にはたと気づいた日米戦であった。なんか支離滅裂だな。

2008年11月21日金曜日

非常に個人的ながら告知


忙しさにかまけて最近書いておりませなんだ。
個人的ながら告知だけのブログではいかんなあと思いつつも告知です。

今年も大阪、茨木市にて個展いたします。このギャラリーには自分の立体作品を主に出しております。陶オブジェの小品たちです。
もちろん平面もいくつかかけさせていただきますので、よろしければぜひおいでください。

自分は12月7日(日)と8日(月)の両日、ギャラリーにいる予定です。

出品作品がまだ窯の中にいるので、うまくいっているのかやきもきしつつこの日記を書いているしだいです。

この場を私物化しているようで気が引けますが、よろしくお願いいたします。

2008年11月5日水曜日

腰痛と泰造杯

11月2日、芸祭にて。
泰造杯に出場してきた。トライ亭で早めに集まり、50年記念についての冊子やイベントについての会議もあった。
会議のときでも、試合時間が近づいてくるにつれそわそわしてきてしまう自分に内心苦笑いであった。
泰造さん、加藤さん、青山さんも来られ、ラグビー日和の中始まっていった。
泰造さんはお年が70になられるそうであるが、自分の印象としては、自分が1回生のころから14年、まったく変わられない。そして、失礼ながら毎年同じ格好で登場されているような気がしている。

今回の形はというと、やはりOBを東西に分けることは出来ず、グーとパーに別れ、加えて現役の出動を願った。それもあり、顔ぶれはかなり若かったのではなかっただろうか。グーチームの自分は現役ジャージに着替え、うーん、どうしようと思った。
泰造杯、毎年結構力が拮抗してよい試合になるのが多く、白熱する。しかし今回、あちら側のチームに機動力のある若手OBが集まっていたので、実は、総合的にこっちが負けるかなあと思っていた。
しかしさにあらず、こちらが勝ってしまったわけで、理由が今もってわからない。
ユイさんの大活躍があったとはいえ、接点でボールを奪われたし、セットからなかなか上手く行ってなかった。なおかつタカヤマさんからは目の覚めるようなドロップゴールまでも奪われたというのに。
うーん今もってよくわからない。
まあ、泰造杯のそれが面白さなんだということにしておこう。


終わってからは、試合中肩を脱臼してしまった後輩君(名前は失念、失礼!)を中心に声を入れて終わり、その後はいつものごとくトライ亭での飲みが始まったのである。自分はゲリラで出ていた店に入ってアブサンなんか飲み、気分良くすごさせていただいた。
そうそう、自分は最近軽い腰痛があって少しく不安を抱えていたが、試合中、うちにステップを切ったヤマグチ君にタックルにいって体がえびぞりになってから、治った。
荒療治が効いたようで、これも泰造杯のおかげと、喜んでいる。

皆様芸祭お疲れ様でした。

2008年10月25日土曜日

光陰矢のごときタックルあるいはアタリ

個人的には四芸祭よりも意義深いと思われるイベントが近い。

タイゾー・カップ。泰造杯。
京芸ラグビー発祥のセレモニーと言わねばならない。
初めて楕円の球が京芸グラウンドにバウンドしてから50年になんなんとしている今、改めてその存在を認識したい。

卒業してから幾星霜、かつての部員たちは散らばったにせよ、その闘球のホットなソウルは常にグラウンドに埋没し、現役の流す汗やら涙やらよだれやら何やらかんやら、吸い取り続けていまだ若々しいはずである。
近年参加が多くなく、東西に分けられず、芸祭中で忙しい現役にも出場を請うている現状の中、ぜひ多くのOBの参加を呼びかけたい。幸いにも今年は三連休の中日である。
OBの皆さんお忙しい中とは思われますが、時間の許す限り泰造杯へご参加のほどよろしくお願いいたします。
もちろん自分は出場する。今度は遅刻はいたしません。

2008年10月20日月曜日

花園とグレーガン


この日曜に花園にラグビー観戦に行った。
子供一人に付き大人一人が無料になるということもあり、家族で行った。

そしてお誘いいただいたヤスイさん父子とご一緒させていただいたのである。
ヤスイさん、自分、家人。そしてヤスイさん長女、次女、わが子。つまり子供三人大人三人ということで全員ただで入場できてしまった。

風はいくらか涼しかったが真夏日、暑かった。
一試合目は近鉄ライナーズ対神戸製鋼コベルコスティーラーズ。
神鋼が勝ったが、近鉄の頑張りが非常によかった。ものすごいディフェンスへの集中力を見た。近鉄の喰らいつきが印象的な試合だった。
炎天の観戦の間、ヤスイさんチルドレン(ミクちゃんとユキちゃん)がわが子の面倒を見てくれて、とても助かった。大きくなったなあとは思え、いまだ二歳、小学生のお姉ちゃんたちに比べればまだまだ豆粒のようだった。
動き回るわが子の手を引いて散歩に行ってくれたり、いいなあと思った。

ヤスイさん、いつもありがとうございます(ハマーン家一同)。
そしてミクちゃん、ユキちゃん、ありがとう。


ヤスイさん父子は一試合目で帰られたのだが、ハマーン家はそのまま残り、観戦を続けた。
二試合目はヤマハ発動機ジュビロ対サントリーサンゴリアス。
波乱であった。
はじめこそサントリーが押していて、まあそんなものだなと思っていたのだが、パスミスが多く、なかなかチャンスが生かせない。そのうちヤマハがラインブレイクを繰り返し、逆転してしまった。ヤマハSO太田尾選手のゲームメイクが目を見張るようだった。
緩急のある動きでサントリーをかき回した感があった。


ところで、自分はミーハーなところがあり、いやミーハーであり、サントリーの新加入G・グレーガン、ヤマハのR・ソーンを見たいがためにこの日試合を見に行ったとも言えるので、早速写真に撮った。だって自分が学生であった頃には考えられないことなんである。元オールブラックスとワラビーズのキャプテンでっせ。いい時代になったもんだ。

写真でグレーガンと背中合わせに写っているのがソーン選手。
ロック出場(本来FL)だったが、すばらしかった。

2008年10月14日火曜日

陳謝・後悔・自己嫌悪

助っ人を頼まれた現役の試合に遅刻してしまった。
後半にしか間に合わず、準備運動もせずに参加した。
最低である。そして、すべて自分のせいなのである。

生き方も時間もよく確認せず、関西学院三田キャンパスまで、阪急で新開地まで行き、神戸電鉄で三田までというルートを取ってしまった。ほとんど小旅行である。山あいの風景が美しかった。ではなく。

正しくは阪急宝塚線からJR乗換え、新三田下車だったのだ。
この笑うような大迂回、いかんともしがたい。

出たい、出してくれとこちらから強引に頼んでおきながらこの体たらく、理由はどうあれ、後輩たちに対して侮辱と言ってよい失礼を働いてしまった。

はあ〜、久しぶりにおおポカをかましてしまったのだ。

大丈夫っすとは言ってくれていたけれど、後輩たち、怒っていただろうなあ。

日曜の試合は、トライ数同じ、キック二本差で負けたのである。勝てる試合だったのだが。
前回の記事に冷や水をささぬようにといいながら、ざっぱんざっぱん冷やしてしまった。
この罪をすすぐには、また助っ人で出場し、必ずチームを勝利させるしかないであろう。全然懲りてないやないか!と一人自分に叱咤するもむなしい。

後輩の諸君、すいませんでした。
OBのみなさん、情けないことをしてしまいました。

泰造杯では粉骨砕身、プレーしたいと思います。関係ないか。

2008年10月7日火曜日

冷や水とハイネケン

ハイネケンカップを見ている。
放送時間が朝の7時なので、ビデオ録画である。
このトーナメントの特徴はというと「どろくさい」の一言に尽きる。
もうどこもかしこもアグレッシヴというほかない。

トライネーションズやスーパー14と比べても、いかつさが際立って見えるのはなぜであろう。
北半球ヨーロッパのクラブチーム対抗ではあるが、なんと言うか、荒削りな激しさに満ち満ちており、見ごたえがある。死ぬんちゃうかというような当たりなどが目白押し、すごいプレーも多いが、大ノックオンなど、わかりやすいミスも多い多い。

「大雑把やなあー」
がはじめて見た時の印象であった。

各国のスター選手がいるのも見ものなのだが、やはり各クラブが地元密着型のチームであるため、わざわざ開催地まで地元ファンの大応援団が来ているのが壮観だ。
要するに阪神ファン的熱烈な観客がビール片手に大声援なものだから、会場のテンションは振り切れ寸前といった感なのである。
きっとその辺でも楽しいのだろうなあという気もするが、その勢いに押されてか、選手たちの表情も鬼気迫るものがあり、こちらをうならせてくれる動きを発揮しているように思う。

このあたりのチームは、トライを取るごとにボーナスが支給されると聞いたことがあるから、目の色も変わるわなと言うものなのであろう。
地域的にみても体格のあるノルマン、情熱のラテンの血が濃いところだから、プレー内容にもその遺伝子が影響しているのかもしれない。そう、ノルマンとはヴァイキングや、民族大移動の原動力。ラテンは地中海文明、ローマ帝国の末裔なのだ。エネルギーにおいては恐ろしいものを持っているはずである。
ハイネケンと銘打ってはいるが、そのラグビーの味わいはまさにブランデーやシングル・モルト・ウィスキーのそれに違いない。飲みすぎると悪酔いする類の。


ところで自分は現役の試合、12日のある大学のサークルとの試合に助っ人で呼んでもらった。出たい、出させろと言ってしまったせいもあり恐縮なのだが、最近ラグビーに飢えているのである。許して欲しい。

まあなんちゃらの冷や水といえばこういったことを言うのだろうなと思いながら、楽しみにしてしまっている自分がいる。試合を楽しみたい。

2008年9月28日日曜日

楕円の病


とうわけで、テツオ君にお声掛けいただいて練習に行ってきた。
神戸製鋼灘浜グラウンドである。
人工と本芝のピッチが二面あり、人工芝のほうで練習をした。個人的にもうそれだけでうれしくなってしまう。
やあ、やはり一人とてとて走るのと、ラグビーでの走りは違うものである。楽しかった。
タッチフットとわかれ、最後にコンビという内容であったが、長い間タッチフットをしていた。
練習の中では自分はタッチフットが一番好きだ。準備運動としてのそれでなく、明確な戦術的意識のあるものがである。疲れるが、我を忘れて走り続けることができるのだ。
やはり感覚を磨く意味でも重要なメニューであろうと思っている。走力も付くし。
ともあれしっかり息を上げることもでき、有意義な時間を過ごすことができた。テツオ君ありがとう。

練習を終えて更衣室に戻る途中、はだしで芝の上を歩いた。心地よかった。
また走りたいなあと思った。どうにも楕円の病は治らない。

2008年9月25日木曜日

身・技・体とはいうけれど

ここ二年近く、京芸以外のクラブチームラグビーに顔を出していない。
理由は、なんとなく遠ざかってしまったからである。
ある出来事を境に行っていたチームに不信感が生じ、心がなえてしまったのが大きな原因だった。

こういったことは恋愛に似ているかもなと思う。とか何とか言ってそんな場数を踏んだわけでもないのだが。
それまで一生懸命やれていたころは、思いっきりプレーに集中することができていた。試合でも、低いタックルをかますこともできていたのだが。
一度迷いや不信が生じると、とたんに体が言うことをきかなくなるのである。
頭ではがんばらねばと思うのに、どこか冷めてしまう。タックルに高くしかいけなくなる。てきめんに動きが変わってしまうことが自分でも驚かれた。
ついに「このままやっていると怪我をするな」という予感まで持つに到ってしまった。
心・技・体の「心」が欠けただけで、こうもへたれになってしまったのである。
そして足が向かなくなるのだ。

これ、恋愛がある日さめていく過程に酷似してはいまいか。

それまで全肯定であった相手、結構無理しても毎日会いたいぜみたいに思っていた相手に、ひょんなことから灰色の感情が生じる。一緒にいてもいまいちしっくりこない。ぎくしゃくする。あまり会いたくなくなっていく。あかんなあと思いつつ自分の態度が冷たくなっていく。そしてある日思うのだ。
「俺たち終わりだな」と。
上の話と、対象が違うだけで質としてはまったく同じだとは言えまいか。妄想?まあ一つ長い目で。

というわけでそのチームとは破局の結末を見ていたのだ。
京芸ラグビーと二股なんかかけていたからか?なんつって思ってみたりもしていた。
京芸ラグビーよ、自分にはお前だけだ。

ともあれそんなわけで、約二年ほど公式戦クラブ的にみるとラグビーやもめ状態の自分であったのである。一人走って筋トレする日々。

そうすっとこのほど、若手OBのテツオ君からお誘いの電話をもらい、あるクラブの練習に行ってみることになった。ありがたいことである。
実はそのチームのことは偶然知っていて、そこのホームページのメンバープロフィールにテツオ君の写真が出ているのも知っていた。見つけたときはびっくりしたのだが、そうかそうかと見ていた。

少しおっかなびっくりなのであるが、なんせ一人でやっているよりは100倍楽しいわけで、お邪魔させていただこうと思っている。芝グラウンドだというし、久々に楽しみたい。

2008年9月20日土曜日

回復

パソコンの調子が悪く、日記がかけない状態になっていた。回復しました。

トップリーグを見ている。
新しい選手も入り、楽しく見ている。個人的には、元豪州代表SHグレーガン、元NZ代表ルーベン・ソーンの動きが楽しみだ。
ほかにも世界最高のSOといわれた元豪州代表ラーカムもいるのだが、こちらはチーム(リコー)がトップリーグから外れてしまったのでTV放送がない。残念である。
最近本当に世界のすごい選手が日本に来てくれてうれしい。ミーハーである自分としてはとても満足なのだ。
だって自分が大学生のころは今の状態が想像できないほど保守的な日本ラグビーだったので、正直驚いているところもあるのだ。

見ていると、三洋電機の試合が面白い。野武士という別名に恥じず、めちゃめちゃアグレッシヴなのだが、相手チームもそのエネルギーに引かれてか、がんがん動きがよくなるように見える。
結果いい試合を展開してくれるように思われ、さすがチャンピョンチームだなあと感心しているのだ。そしてやはりSOトニー・ブラウンのゲームメイクが目からうろこの落ちる思いなのだけれど、今現在これほどチームになじんでいる外国選手もいないのではないかと思ったりする。

これは持論だが、強いチームというのは個性が強く、みなキャラクターが立っている。漫画を見ているような感じもする。「アストロ球団」のような。
いろんな意味で楽しいチームが、やはり強いチームになっているような気がするのだが、どないなものだろう。
各チームがトップになるとき、そのときそのときでやはり上のことが当てはまるように思う。今年はさて、どこが面白いチームになっていくのか。

2008年9月9日火曜日

トップリーグの夜はふけて

先週の土曜日、長居競技場にトップリーグの開幕戦を観に行った。
安井さんからのお誘いをいただき、タダ券をもらってしまったのだ。
何でもコベルコの名で大学に手紙が届いており、クラブでの団体観戦権を得る事ができたのだとのこと。
いつもながら感謝感激アメアラレです。
よってその日は、自分達は神戸製鋼コベルコスティーラーズサイドとして観戦することとなったのである。

自分は少し遅れていった。神戸の相手はNECグリーンロケッツ、両チームとも新しい選手の顔ぶれが増え、新鮮な感じであった。
ラグビー観戦に行くと面白いのは、やる方はもちろん観る方も経験者が多いので、全体としてやけにかさ高く、マッチョなシルエットとなり、独特な空気になることだ。観衆の子どもも大人もよー焼けているので、小麦色の応援席になっているのがまたほほえましい。

試合はというと、なかなか拮抗した感じであった。開幕戦ということで、両チーム今ひとつコンビネーションが合わない印象が強かった。
その中でコウベのディフェンスの硬さはさすがだなあと思ったし(いつまでNECが攻めても人数が減らない)、NECの選手の個々の力にはうなってしまったのである。特にNECのFB、ヤコー・ファンデルウェストハイゼンの走りはさすが南アフリカ代表と感心した。
結果的にはコウベのインターセプト的なトライを重ねての勝利だったわけだが、ややしょっぱい内容であったのは否めなかった。

試合後に競技場の近くでイイ感じのお好み焼き屋にはいった。現役3人、自分、そして安井さん。こういう席になるとつい自分の学生時代の話になってしまって恐縮であったが、和やかにビールとお好み、そば飯を食った。店のおっちゃんがいきなり出て行って隣のほか弁から白米(そばめし用)を買ってきたり、面白い店であった。
こういうイベントはもっとあって欲しいなと思うし、高いレベルの試合を見られること自体、有意義なのである。
今年は自分も公式戦には出ておらず、試合を目の当たりにして、あ〜ラグビーしてえと思うことしきりだった。現役の試合に助っ人でよいから呼んで欲しいのである。という事を一緒にいた後輩に訴えた。困ったものだが、本気なのだ。
楕円の心に火のついた夜であった。

2008年8月27日水曜日

どがなもんだっちゅうだいや

今回の題は鳥取ことばである。
なんぼのもんやいうねん という意味だ。

だって夏合宿OB戦に行けないんだもん。理由は?仕事で。

そら自分も社会人の端くれなわけで、こういうことはまあ普通なのだろうが。
仕事とは、何であろう。
思えらく、わが生活を豊かならしめるための手段。これに尽きる。
豊かな生活はでは何だと問うならば、余暇があり、家族と過ごし、自らの望むことをなすことなはずだ。
それが納得行かない部分で阻害されるということが、自分はたまらんいやなのである。
じゃあ仕事を休めということなのだが、そうもいかないところが、いかんともしがたいところなのだなあ。
休みの日はみんな休んで楽しみましょうよ。

今の仕事が嫌いなわけではないが、自分の目指す形ではないなあと思う。
目指す形とは。「ひねもす絵描きさん」ただ一つ。

ここまで書いていて、がきんちょの作文と変わらん気がしてきた。こんなことを思うのも自分がいまだ社会人になりきれてないことの証拠なのだろうか。

ともあれ、夏合宿のOB戦に行けないことがすごく悲しいのである。ああ菅平。
だから、参加されるOBの皆さん、よろしくお願いいたします。また、あんじょう試合を楽しんでください。できるだけ参加のほう、お願いいたします。
ああ菅平。走り込みしていたのに。

2008年8月22日金曜日

お盆近くに

帰省ラッシュを避けて実家に帰っていた。そこで久しぶりに柔道をし、腰が痛くなってしまった。
自分のラグビーの下地にははっきりと柔道が横たわっている。前にも書いたのだが、そのおかげで怪我をしなかったりして助かっている。

小学3年生のときに、学校の図書館にあった「子ども新聞」に連載していた柔道漫画に感動し、泣きながら親に柔道をさせろと頼んだ。父は野球をさせたがったが、自分はいやだったのである。
元々はいいかげんな性格であったが、あいさつの仕方や所作、基本的な礼儀を学ぶことができた。身体の鍛錬だけで終わらなかったのが今でも嬉しい。ただ、いいかげんなところはそのまま残ってしまい、これはもういかんわとあきらめに入っていたりもするのだが。

そういったこともあり、機会があれば柔道着に腕を通すようにしている。件のオリンピックについても、ちらちらと柔道は見ていた。
そうすると、柔道も変わったなあと思う。自分の師が近代柔道がパワー一辺倒になっていき、美しい型、というものが崩れていくであろうことを嘆いていたのだが、ほんまそうやなあと思ってしまった。

もちろんラグビーのように時代に合わせて刻々と変わっていくべきであるとはいえ、さて、柔道創始者・加納治五郎が今の試合を見たら、どんな思いにかられるであろうかと思う。
特にカラー柔道着とか。

勝敗というのは大事だし、勝てばいいのだというのも大いに理解できるが、ことにそれが個人種目になった場合、それに徹してしまった瞬間人間性が失われて、何より美しさが消える。
ラグビーのような場合、15人で協力した上でこそ「勝ちゃあいい」のであって。
自分の試合運びに美意識のあることこそが大事なように思うのだが。
年寄りくさい意見ではあろうね。

なんてことを思いながら、自分の住む茨木市で市民柔道大会があるらしく、一般の部で出場することにした。
理由の一つはまだ自分の体が動くかどうか試すため。もう一つは上に書いたことを実践できるかどうか試すため。

いやいやいやいや、決してオリンピックに刺激されたからではない。それ自体には全く興味がない。いや本当に。あんなに派手なオープニングセレモニーをする前に、自国の抱える問題をどうにかせいと思っている。
競技自体を取り巻く、あのいかにもいいことやっていますよ的な雰囲気も嫌いなのである。

今回は自分のぼやきのような記事になってしまった。ご容赦願いたい。

2008年8月5日火曜日

東京で会ったラグビー者

先週、東京で個展をしていた。

最終日、何人か続けてギャラリーに来られた人に続いて、ふっと入られた女性が一人。
なにやら見覚えのある服を着ておられるぞと目を凝らせば、オレンジに緑の襟、何と東京芸大のOBジャージではないか。他のお客さんそっちのけで話しかけてしまった。

「あの、そのジャージはもしや・・・。」
「あ、わかりましたか。今日これを着て来てよかったです!」

最初マネージャーをしておられた人かと思ったら、そうではなく。
「三度のメシよりラグビーが好きな」
フリーライター・平野ゆりさんと仰る方であった。
各展覧会にも足を運び、東京芸大OBとも面識があるのだそう。

それなら話も早いわけで、
あれこれ芸大ラグビー話をしていると、草野さんのヨカチンもご存知であった。

「最高ですよね〜。」と平野さん。

こちらもまさか自分の個展会場でラグビー談義をするとは思ってもみなかったので、テンションが高まってはしゃいでしまった。

東京を中心にいろいろなレベル、年齢層のラグビーに足を運んでおられるらしいが、言葉からラグビーに対する愛情がほとばしっており、こちらまで嬉しくなる印象なのである。
「京芸OBで秩父宮のシニアリーグに出ませんか!」とも。
あー、楽しいだろうなあ。秩父宮、行ってみたいなあ。
楕円球とは一先ず関係のない展覧会場で、楕円の心が騒いでしまったのであった。

写真も見せていただいたが、現役時代の梶原選手や薫田選手と写っているものがあったり、この方、筋金の一本入った楕円球ファン、いやさ我われと同じ「ラグビー者」なのである。
楽しかったもので一瞬の出来事のように記憶しているが、これからもまたよろしくお願いしますと別れた。

こういった人とはぜひ今後もつながっていきたいと思う。天佑とも言うべきか、来年は丁度東京四芸の年でもあるし、ご招待して芸大ラグビーを見ていただきたいものだと思った。
自分よりも年上なのだが、明るくバイタリティーあふれるご婦人だった。こういう人と会うことができただけで、東京に来てよかったと思った。

このとき丁度、京芸OB漆工のイガワ君も大丸東京店で三人展をやっており、平野女史は最初何も知らずその会場に入ったのだそうで、そうするとイガワ君が自分と全く同じリアクションで
「そのジャージはっ!」
と迎えてくれたのだとか。
だから今日この東京芸大OBジャージを着てきて本当によかったということであった。
そして彼から自分の展覧会の事を聞き、足を運ばれたのだった。
いや、嬉しい限り。イガワ君もありがとう。

でもまあ我われにとってみれば、あのジャージを着ている人は、自分達と同じ世界の住人だということがパブロフの犬のように、もう条件反射としてインプットされているから、それを着ている人を見かければ、即タックルに、いや、声をかけに行かずにはおれないのである。

なにはともあれ、気持ちのよい人に会えたのだった。

2008年8月1日金曜日

死なない程度に

額を縫ってから一週間ほどして抜糸した。
糸を取るためだけに病院にいくのはなんとなくばかばかしく思え、自分でやることにしている。
毛抜きとハサミがあれば結構簡単なのである。吝嗇なばかりに学生の頃からそうしているのだが、今のところ問題は発生していない。家人にはあきれられるのだが。

ところで、自分は元々柔道をやっていた。タックルについても、身についた癖というのは恐ろしいもので、ビデオ等で見ていると自分のそれは完全に柔道の技になっている。

タックル→「双手刈り(もろてがり)」
スマザータックル→「小外掛け(こそとがけ)」

相手を倒すという動きにおいてその形が似るのは道理なのだが、体さばきがまんま柔道のそれなので笑ってしまうのだ。
しかし身体に叩き込まれた受身の癖で、転んだときや落ちたとき、今まで大きな怪我がないのはそのおかげだと思っているので、ありがたいことではある。

だからというわけでもないのだが、自分の住む茨木市で、九月に柔道の大会が企画されており、気まぐれ一発出てみることにした。
体を鍛えておくモチベーションを維持する上でも、丁度よいイベントである。試合自体は何年ぶりかというところで不安もないわけではないが、どれぐらい体が動くか試しても見たいので、初心に戻り、基礎をやり直そうと思っている。
そしてまたそうしておけば、ラグビーにも生きてくるだろうと思うから、一挙両得、こういう挑戦はまあ損にはなるまい。

死なない程度にがんばろうと思っている。

ただオープン参加の一般の部なので、とんでもない相手と当たるかも知れず、早々に負けてしまう可能性もあるのだが。

2008年7月18日金曜日

OB戦と血の雨と

怪我をするときはたいてい記憶が飛ぶ。
衝撃のせいもあってか、怪我をした瞬間の記憶が判然としない。
甚だしい場合は地面に倒れている自分に初めて気付くときもある。
「あれ?何で俺は横倒しになっているんだ。」
てな具合に。

しかし今回ははっきりしていた。ショートで走ってきた現役センターのセイドウ君に高めのタックルに行ったら、頭に杭を打たれたかのような衝撃が走り、瞬間「やってもた」と思った。
痛みはなく、しかし額に暖かいものがたれてくる。血。見事に額を割っていた。セイドウ君の前歯が刺さり、そのまま折り飛ばしてしまったのだ。

後で聞けば、マウスガードをつけていなかったのだという事。
不可抗力とはいえ、後輩に怪我をさせたのは申し訳ない。しかし、マウスガードはもはやラガーマンの標準装備でなくてはならないのに・・・。
後輩、同輩、先輩を見回して、歯を折ることに伴うややこしさは身にしみて感じている。頭を何針縫おうとも、歯を折ることよりはましだと思っている。怪我の恐ろしさはOBになればなおさら無視できなくなるはずだからだ。

やはり何が起こるかはわからない。
改めてプロテクター、準備運動、基礎体力作りの重要性をここに述べておく。
OBの皆さんもぜひお気をつけいただきたいと思います。


さて、試合の報告であるが、あの暑い中40分ハーフを走り切った(!)。
これはもう殺人的であろうと思うが、OBチームはよくがんばった。最後まで中だるみもせず現役を攻めつづけた。新生チームでまだまだコンビの合わぬ現役とはいえ、それを完封できたのは誇ってよかろう。
出席率も良かったせいか、リザーブもおり、疲れつつも最後まで衰えを見せることなくOBは来れた。現役の攻め手をことごとくつぶし、ボールを奪うこと再三であった。

そして一つ気付いたのは、OBの集合時間が早くなってきているということであった。試合開始1時間前には大体のメンバーが顔をそろえていたのではなかったか。嬉しいことである。
この流れを習慣化していきたい。恐らくそういうことからチームの雰囲気も変わっていくのだと考えている。

2008年7月10日木曜日

7月13日OB戦のお知らせ

7月13日、13時キックオフ。現役新生チームとの初試合である。
去年自分は行かなかったので、これまた楽しみである。
大人気ないプレーで現役を沈黙させたろうと思っている。

まあとにかく暑いだろう。焦ることなく、前半はゆっくりポイントを作り、モールで押す。
ディフェンスの裏に上げるキックはしない方が良いだろう。かえってスタミナを削ることになるからだ。体力の余裕を残しつつ、現役が疲れるのを待てばよいと思う。そして後半で揺さぶりをかけていくのが良い戦略になるのではなかろうか。

一つ注意すべきはタックルである。恐らく現役はショートサイドを繰り返してゲインを切ってくるのであろうから、走りこんでくる一人目のボールをきっちり殺すタックルを心がけたい。スマザーにしろなんにしろ、ボールの動きを止めるか時間をかけさせるようなタックルが必要であるだろう。当たり前なのだけれども。

相手ははじめからラックのつもりで低く来るので波に乗せると少々厄介かとも思う。調子付かせる前に攻め手をつぶしていきたい。
聞くところでは現役のSOが変わり、ラインの動きも当然変わるであろうから、ここはちょっと予測がつかない。むしろ期待をしているのであるが。

夏休み前に皆でいい汗をかきたい。OBの皆さんふるってご参加ください。

2008年7月1日火曜日

遺伝子、あるいは血のシャウト

パシフィック・シックスネーションズ・カップが開催されている。
ニュージーランド・マオリ代表チームについて。

ネイティヴNZ,マオリ族の血を引くプレーヤーの中での代表ということであるが、彼らも試合前にはウォークライ、ハカを踊る。
というよりも、NZの代表チームは必ずチームのハカを持っている。アメフト、アイスホッケー、バスケット、車椅子ラグビーの代表「ホイール・ブラックス」も、パラリンピックの試合で行っていた。
果ては軍隊にさえある。ユーチューブで探すとたくさんでてくる。面白い。

ところでNZマオリのハカはというと、よく目にする「カマテ」とはちがう。それはより野性的なプリミティヴな印象で、ああ、戦いの踊りだ。と思わせてくれるものだ。
「ティマタンガ」という名のハカなのだが、その気合の入り方が尋常ではない。映像を持ってくる技術が自分にはないので、見たい方はユーチューブで「NewZealand Maori」と打ち込んで探して欲しい。

そう言ったものが好きなので試合とともに見ていたら、ハカの真似ができるようになってしまった。それもトンガ以外、サモアの「シバタウ」、フィジーの「チビ」、NZの「カマテ」「カパ・オ・パンゴ」そして「ティマタンガ」。
全部型を憶えてしまった、一体ラグビーの何を見てけつかるのか自分は。

いやしかし、へこんだときとかにこっそりやると、ちょっと元気になるのである。ハカに癒されているわけだが、いや、勘弁してほしい。

以下蛇足ながら。
本来ハカというものは、戦いの踊り=ウォークライとは呼ばれているが、そのほとんどは歓喜や歓迎を意味するものなのだそうである。威嚇をしつつもようこそといっているのだ。そしてラグビーの試合で踊られるようになった理由も、曰く。「客寄せ」のためだったのだということ。
しかしまあそれを差し引いても、ティマタンガは戦士の踊りという感じがするし、何せカッコイイ。遺伝学的にも日本人と南太平洋の人々のルーツは近いか同じだという説もあることだし、自分が時たま一人ハカに打ち興じるのも許されていいはずなのだ。


環太平洋6ヶ国対抗において、日本は負けが込んで入るのだが、しかし強くなっているのが嬉しい。以前のような笑ってしまうような大差にはもうならず、試合でも今回言ったNZマオリ代表にしっかり喰らいついていた。ミスは目立つが、確実に実力をつけている印象である。
どんな理由はあれ、トンガに勝ち、他の負けた試合でも堂々渡り合っているあたり、ジョン・カーワン監督のなせる業に舌を巻いてしまう。
次回世界杯がまた楽しみなのだ。

2008年6月26日木曜日

ウイスキーは胃の腑で燃え

先日、現役チームの四芸お疲れコンパに誘っていただいたので行って来た。
恐らくOBは自分だけであろうと思っていたら、ウチヤマ君とカオル君がいたので安心した。

早いものだなあと思う。
この前入ってきた一回生がもう四回生で引退なのである。願わくばマネージャーもプレーヤーもラグビーを通してよい思い出を作ることができていて欲しいものである。
そして願わくばこれからOG、OBでも楽しんで欲しい。

引退したヤマグチ君は
「スタンドとして、人を使えるプレーをしたいし、周りからの声で動くプレーもしたい。」
というような意味の話をしてくれた。

お酒も入り気の大きくなっていた自分は
「君のその思いはOBチームでこそ実現するであろう!」
などと、予言者みたいなことを言ってしまった。
でもまあ事実ではあるし、うそにはなるまい。前言撤回はしないのである。

ウチヤマ君、カオル君とは、お酒を飲む飲まないにかかわらず、話し出すとほぼ確実に
「次のOB戦はこれで行こう」
という作戦会議になってしまう。これがまた楽しい。
詰め将棋(それよりも100倍楽しい作業だが)の攻め手守り手を考えるようなもので、飽きないのだ。そしていつも
「これで絶対勝てる。」
という結論に達する。そして自分たちの行きたいポジションはここ!と決めてしまうのである。
果たして作戦会議になっているのかということなのだが、お許しいただきたい。何せ楽しいのである。
そう、OB戦は楽しんでなんぼなのだ。現役の時にはなかなか味わえない実感ではあるかもしれない。上の世代のOBさん方が顔を出してくれるのも、一重にそれに尽きているからなのだろうと思っている。
見ていると、これから現役チームを盛り上げていく後輩達もまた、良い面子が揃っているように見受けられた。とりあえず自分の話した後輩達は、自分と同じ柔道出身の段持ちだったり、津軽三味線をやっていたり、筋金入りの阪神ファンだったり、おもろ楽しい面々だったのである。

馬上少年過グ
世ハ平ラカニシテ白髪多シ
残躯ハ天ノユルス所
楽シマズシテ如何セン

というのは、伊達政宗の詩だったか。
まだ白髪でも残躯でもないのだが、人生楽しめというところは大賛成なのだ。となど思っていたら、ウイスキーが回ってきて気がつくと結構酔ってしまっていたのである。そのまま加藤さんのお店「よっしゃ」に流れたのであるが、そこで今度はヨクラさんにばったり出くわし、そこでまた楽しかったのであった。

2008年6月23日月曜日

四芸金沢大会 OB戦レポート

遅くなってしまったが、金沢四芸OB戦の内容を載せておきたい。

最近慣れっこになってしまったように思うが、京芸以外の3校のOBさんたちの出席率がここ最近よろしくない。
今回も3校合同チーム対うちと言う形になってしまった。少しさびしいのであるが、どうしたらよいのかわからない。
たくさん集まってくださっていたことを憶えているだけに、皆さんお忙しくされているのであろうが、しかたない、とはまだ言いたくないのである。

愚痴めいてしまった。試合の内容を。
雨が降り出していた立ち上がりだったが、さほど気にはならなかった。むしろ気温がいい按配に低くなって、OBにとっては良いコンディションだったのではないか。
メンバーとしては若手が加入してくれていたのでやはりテンポが良かった。
FWにはウチヤマ君、カオル君。BKにはテツオ君、アンドー君、マッちゃん、サワ君。
6人若いメンバーが加わればフットワークも軽い軽い。
ボールもぽんぽん回っていった。ディフェンスも硬く、相手をノートライに抑えてしまったのである。
しんどいのが分かっている中手を尽くして勝つのは格別の面白さがあるが、しかし元気のいい駒を擁するゲームも楽しいものである。
後半になると相手チームにディフェンスをさせなかったのではないか。
良い形でノーサイドの笛を聞いた。

イガワ君が前歯を折る怪我を負ったのが一つだけ気になるところだったが(大丈夫だったのか?)速いテンポでボールが動き、集散も良かったように思うので、うまくチームの若返りがなされたのではないかと思う。

恐らく京芸OBはクラブチーム的にも結構実力あるのでは。
といつも思うのだけれど。

2008年6月7日土曜日

金沢の006

金沢四芸でつらつらと思い出すことについて。
今回はラグビーと全く関係がないのであしからず。

自分は、金沢でサイボーグ006を見た!いや、本当に見たのだ。

解説せねばなるまい。
今はなき漫画家・石ノ森章太郎の傑作、「サイボーグ009」にでてくる00ナンバーズの一員で006・張々湖(ちゃんちゃんこ)。中国人である。「〜アル。」と台詞に必ずつける人で、口から火を噴く。

ちなみに他の仲間はと言うと、
001・赤ちゃんエスパー、イワン・ウィスキー
002・空を飛ぶ優男、ジェット・リンク
003・地獄耳美人、フランソワーズ・アルヌール
004・全身これ凶器、アルベルト・ハインリッヒ
005・怪力巨人、ジェロニモ
007・変身おじさん、グレート・ブリテン
008・潜水大好き、ピュンマ
009・悩める加速男、島村ジョー
である。
「♪サイボ〜グ戦士、誰が〜ために〜たたかう〜♪」の主題化が懐かしい。

順を追って話したい。

前回の金沢四芸、前日から安井さんに連れてきていただいていた自分は、現役のミーティングに出たあと、若さんとアゲさん、安井さん、自分の四人で宿の近くにある、いい味出してる中華料理屋に入った。赤いのれんに提灯、さびれ具合と油による汚れ具合が自分好みの店だった。

ラーメンを頼み、ふと厨房に視線ををやると、自分は目を疑った。そこで中華なべを真剣なまなざしで振っていたのは、まさに006だったのだ。
似ている、というレベルではなく、三次元化したと言うのがあてはまる。
体形、顔つき。自分は感動した。思わずでてきた、握手してください、と言う言葉を飲み込んだ。
集中してはったのか熱かったのか、ご丁寧に目を細めて口をすぼめ、ふーっ、ふーっと今にも火炎を噴出しそうに息をついておられた。何とちょび髭までそのままなのだ。これはもう笑えなかった。感動した。
しかもマンガの中では、006張々湖は普段中華料理屋を経営していて、仲間に飯を振舞ったりしている。状況までぴったり!
1ミリのブレもないこのシュチュエーション。自分はどきどきしてあたりを見回してしまったのだ。水を運んでくるおねーさんが外人だった日にゃあ、その場で叫んでいただろう。
いやまて、あそこに座っている招き猫は実は007が化けているんじゃないか。油断するな!実はこの店の地下がギルモア博士の研究所なんじゃなかろかっ。
てな具合にもう妄想が広がりまくって往生こいたのである。

わくわくどきどき、たまらん楽しくなってしまっていた。
後で同席のメンバーにあのねあのねと話してみたのだけれど、誰も気付かなかったのだとのこと。ちとさびしかった。
だがすべて実話、誇張はしていないつもりである。金沢四芸には関係ないが、四芸に参加して得た思い出である。
ブラックゴーストにつぶされていなければ、またかの地のあの店に行きたいと今も思うのだが。
あ、ラーメンの味は普通であった。

2008年6月3日火曜日

ケイマン諸島の闘球士

現在、世界各地で次回世界杯のための地区予選が始まりつつある。
前哨戦はすでに開始されているのかと感心した。

その中にあって。
ケイマン諸島の代表選手として、一人の猛者が紹介されていた。
59歳(!)にして現役のテストマッチプレイヤーがいたのだ。ちょっと信じられなかった。
もちろん世界中見ても現役最年長である。ポジションは現在プロップ、普段は大工さんをしているのだとのこと。
ケイマン諸島という場所は住民の入れ替わりが早く、腰を据えて住むものが多くないのだとかで、いきおいプレーヤーも居つかない。30年間そこに住むかの選手は、過去すべての歴代ケイマン諸島代表に顔を連ねているそうだ。

「他にメンバーがいないもんだから、またやってくれと言われ続けてこのざまさ。一体いつになったら引退できるのかねえ。」

と、試合で作った青タンを顔に貼り付け、嬉しそうにコメントされていたのが印象的だった。だがしかしこの顔、絶対やめる気などないはずだと思った。
繰り返すが、もうすぐ還暦、初老の人なのだ。

いやー、やりゃあできるもんである。OBというかいまだ現役の定年還暦選手。字だけで見るとよく意味がわからない。そのぐらいすごいんだと思うが、これほどOBたる自分に夢を与えてくれたニュースは久しぶりに見た。
だって他のどんな団体スポーツにおいても、60歳になんなんとしている人間が、ある国の代表選手であり得ているなどと言う事実はラグビー以外にないのではないか。
乗馬や競輪、アーチェリーなどでは還暦近い選手はいるが、あくまで個人プレーの範囲の中でしかないのではないか。

やはりラグビーは懐のがいな(鳥取弁・大きい)スポーツなのだと再認識した。

言い換えれば、そういった魔法のような状況も事実として許容することのできる不思議なスポーツなのだろう。いずれにしろ、こういう選手の存在は、ラグビーと言うものを考える上で非常に意義深いものであると思う。

とりあえず自分は元気を与えられた。
60歳まではがんばろうとさっき決めた次第です。

2008年5月29日木曜日

四芸の醍醐味とは

筋肉痛も癒え、ゆるゆる四芸を振り返ってみようと思う。

まず先に、当日ご参加いただいたOBのみなさん、京都に限らず、東京・金沢・愛知の方も含め、お疲れ様でした。

四芸の醍醐味とはなんだろうと思ったりする。それこそ人それぞれであろう。
年に一回の再会の場、楽しく身体を動かせる場、毎年参加のライフワーク。いろいろだと思う。
自分の場合、試合も楽しみなのだがそれと同じくらいに「四芸に行くまで、四芸から帰るまで」が好きである。
今回前述したように安井さんにお誘いいただき、恐縮の骨頂ながら甘えさせていただいた。OB戦前日の夜に待ち合わせ、余裕を持って出発したのである。メンバーは3人、自分、安井さん、井川君であった。
そして乗せていただいた車がこれ。



そのものずばりキャンピングカーなのである。
「こうやって夜に出てゆっくり行くのがすきやねん。」
とは安井さんの言。
自分はといえば後ろのキャビンで井川君と語らいつつ、前回世界杯決勝のビデオを見せてもらいながらという申し訳ない状態で、一応自分は免許も持ってきていたのだが、運転の交代はなかった(なんつう幸福!)。

もっとも自分の運転技術ではキャンピングカーは無理であろうと言うことだったのだが、かえすがえすも恐縮だった。
高速のパーキングエリアでビールを飲み、そのまま就寝。翌日はゆっくり目覚めて、同じパーキングの近くの岬のベンチで男三人肩寄せ合い、握り飯とサンドウィッチを食った。
出発してから、学生のころの思い出話や漆の仕事について、果ては作品売りてーなー、なんてなぼやきを発していたら、会場についてしまったのである。何をかいわんやとはこのこと。

あえて言おう、楽しかった。ロードムービーのようであった。

こんな時間を持てるような生き方をしていて、こんな楽しいことに誘ってくださる先輩がいて、自分は果報者だとしみじみ思った。
そのおかげで眠気を抱えることなく試合に臨み、余裕を持って着いたことで身体も十分すぎて疲れるほどほぐすことができた。

帰りは所用があり別行動となったが、ご一緒させていただきたかった。恐らく自分の代わりに乗せてもらった者は楽しく帰ったのではなかろうか。
思い出に残る四芸への道、エンター・ザ・ヨンゲイだったのである。

安井さん本当にありがとうございました。
自分も甘えるばっかりではいかんと改めて痛感いたしました。

ここまで書いてきて、肝心の試合の事を書くのを忘れていた。
今回は措くことにする。

2008年5月21日水曜日

結局お世話になりにけり

先日、四芸のとき先輩にもうお世話にはならないぞと言うことを書いたのであるが、朝令暮改とはこのこと、結局金沢まで連れて行ってもらうことになったのである。
それもまた、安井さんの車に乗せていただいて。
自分で言うとったら世話はないのだが、成長のない自分である。
甘えさせていただきます、安井さんありがとうございます。

閑話休題。
仕事で現在家庭訪問に回っているのだが、その途中、高校生がラグビーを練習しているのに出くわしたので、ついついしばらく眺めてしまった。
なんか切なくなってしまったのだ。こうして練習していた時期もあったなあと。
こんなことを書き出したら自分もいよいよおやじだなと思うわけだが、四芸前で気分が自分の中で高まりつつある中、こういう風景を見てしまうと、しみじみと「あー、ラグビーしてえなあ。」と口をついて出てしまった。

自分はラグビーは大学デビューなのだが、高校からやっていたらばどうだっただろうとたまに考える。
恐らく楽しくできたであろうが、そうであったなら恐らく、京芸に入ることはなかったであろう。独特の京芸ラグビーの空気を吸う事もなかったはずだと思う。
たら・ればで語ることに意味はないのだが、ひとにはそれぞれ始め時やめ時というものがあるのだなとぼんやり思った。とすれば、いい始め時を得ることができたものだと思える。
では、やめ時はいつか?
否、生涯はいずりまわって現役でいるつもりの今の自分なのである。
金沢の地が待ち遠しい。

画像はその、高校生達の練習風景である。

2008年5月9日金曜日

仕事も休んで

先日のOB戦では、OBチームのよい動きを見ることができた。

嬉しかったのは、後半になり時間がたつにつれOBの気持ちが高まってきたことである。チームとしてのそれなりのスタミナを感じた。これはやはり、この日のメンバーに新しい若手の顔ぶれが加わっていたという要素から来る部分が大きかったであろう。

数人の新しい加入がチーム全体の動きをよくする、
これも集団競技の面白さと言えるだろう。

ところで、今月の22日から四芸金沢大会が始まる。

もちろん参加するつもりであるが、これを読まれている方々はスケジュールの方、いかがでしょう。OBの試合は24日の土曜日である。
私立の高校に勤めているので、自分は土曜日も仕事があるが、有給をとって行こうと思う。クラス担任なんかにもなっているのだが、いい。先生にもやりたいことがある。表現活動とラグビーには目をつむって欲しいのだ。


前回の金沢四芸では、家人のひんしゅくを買いつつ二泊三日で参加してしまった。
現部長安井さんにおんぶに抱っこで行かせていただいたのである。食事代まで全部出していただいて、嬉しい反面非常に恐縮なことであったわけで、今でも思い出すに汗顔の至りなのである。しかもメンバーは自分だけではなかったので、安井さんには相当の負担を強いてしまった。本当にありがとうございます、楽しく過ごさせていただきました。良い思い出となっております。

4年前と言えば自分が27歳のときであり、いい大人がそんなおごられっぱなしなどというまねをしていたとは情けない話である。こういったことは今度は自分が後輩達に還元していかねばなあと感じている次第である。
アントニオ猪木の闘魂伝承ではないが、四芸の側面の一つとして、何かを伝え伝えられる場と言うものがあると思う。

OBの心意気と参考になるようなプレーを後輩達に示すため、もちろん自分自身楽しむため、四芸に多くの卒業生の集まることを願ってやまない。京芸だけでなく、他の3校のOBの方々も。

2008年4月25日金曜日

ふたたびこの季節

OB戦である。
待ち遠しい。

懐かしい面々と会えることと、思い切り身体を動かせること。
楽しみなのである。

メンバーがどうなるかは知らないのだが、そろそろ若手OBが現役の助っ人でなく、われわれOBズの正式選手として入ってきてほしいと思う。

現役の方はと言うと、FWのメンツは現役のみで8人揃うそうなのだが、BKが3人ほどしかいないのだとのこと。新入生の数は入れていないので実際はどうなるか分からないが、FWはそれなりに手ごわそうである。崩していくならBKからであろうか。

ともあれ、四芸シーズン到来を告げる一戦には他ならない。
新人戦と言うことではあるが、現役新チームが発足してから初の試合なわけであるから、こちらとしてはいつもどおりがっつんがっつん行きたい。
個人的には、最近小手先なプレーに逃げてしまっているような気がしているので「しっかり縦をついてしっかり当たる。」と言う基本に立ち返ってみようと思う。変にするする抜けたろうとすると、自分の場合あまりよい結果を生まないような気がするので、ストレートランを心がけて試合に臨みたい。

ところでOB戦前に血が騒いでいるのは自分だけではないようで、前キャプテンのサワくんからは「ラグビー禁断症状が半端じゃない。」というメールが届いた。その思いやよし。
こうして何を伝えると言うことでなく、京芸ラグビーに自然に染まってくれる後輩が生まれている事実、遺伝子はしかと継承されているようだ。
ほほえましくもなにやら背筋の伸びる思いがする。

日曜日は楽しくなりそうだ。

でも、皆さん怪我には十分気をつけましょうね。

2008年4月15日火曜日

私事ながら引っ越しをしました。

引越しをした。
茨木市の中で移動しただけであるのだが、以前よりもよほど快適な家ではあるように思う。近くに来られた方々はぜひお運びいただきたい。
まあ何せ今はどっちらかり放題の中である。

今回手伝いには上杉君と内山君の二名に来てもらい働いてもらったのだが、申し訳ないほどに良い動きをしてくれた。この場を借りてあつく感謝を表したい。
両君がいなければ引越しの暗黒面に陥る所であった。

二人のヘルプが決定するまでは、冷蔵庫や洗濯機をば一人で運んでみたろうと思っていた。どだい無理というものなんである。
重ねてお礼を言っておきたい。

作業の後にはささやかながらお酒と食事を食べていただいた。話はラグビーからなぜか霊の存在の真偽に移り、結局終電の時間までバーで飲んでいた。

個人的には久々の京芸ラグビー談義が展開できたので楽しいひと時であった。

落ち着いたらまた人を呼び、ゆっくりと話したいものなのである。

2008年3月31日月曜日

そういうことならいいと思うぞ

偶然テレビで見かけたCMにて。

ポカリスエットの広告で、SMAPの面々がよろよろのおじいちゃん達と向かい合っている。
木村拓哉の手には、おお、ラグビーボール。

SMAPのキックオフで始まるが、ボールを受けたおじいちゃん、
なんと鋭いステップワークで若者をかわし、タックルを引きずりトライをとる。
若者が走れば、突き刺さるようなタックルでディフェンス!おじいちゃんいいじゃないか。
そして一旦終わって座り込む若人達に余裕の顔でにやりとひとこと「まだいけるかの〜?」。

楽しいCMであった。
5対5でやっていたが、7人制で前後半20分走っても、これ相当しんどいんである。
参加したことがあるが、目がくらみそうになるほど息が上がってしまった。
5人制で戦った彼ら、すごいと思うのだ。

思うのだが、ラグビーが映像化されているときは、スタッフの中に必ず経験者が含まれているはずである。それもラグビーがかなり好きな人間が。
漫画や映画で再現されたラグビーを見たことがあるが、おおよその場合、がっかりする。
経験者でないと分からない気息、といっていいいのか、要するに、なんか違うな〜、リアルじゃねーな〜。と思われてしまうのだ。

逆に、あ、そうそうその感じ。と納得させてくれる作品は、絶対に経験者の助言があったか、経験者が作ったかのどちらかなはずでなのである。そういった意味で今回挙げたこのCM、自分は製作スタッフの中に必ずラグビーラブな経験者がいるのだと確信している。
理由も列挙してみよう。

「おじいちゃんのステップで抜かれるSMAPの視点とスピード感が、実際のゲーム中のそれである」

「観客では分からない角度、つまりプレーヤーにしかわからない目線で描かれたシーンがあり、それが非常にリアル」

そして最後、これが重要で。
「キックオフがドロップキックだった」ように見えた。

この推理、さていかがだろう。
相当なラグビーファンか、経験者が絡んでいると思われてならないポカリスエットのテレビ広告、OB的にも年長者が若手を手玉に取る流れは痛快ではないかと思うし、さらに深読みをかますならば、土(黒っぽい赤土、火山灰土であったように思う。関東ローム層?)のフィールドで展開されるこの作品。

「30代前半の、関東出身で高校時代にラグビー部に所属していた」
人が関係しているように思われるのだが、どうであろう。
もし見かけられたら、ちょっと注意してご覧ありたい。

2008年3月25日火曜日

ハワイのあんちゃんは皆ぽこぽこだった

修学旅行の引率でハワイに行って来たのである。
観光地、リゾート地と言うのはどこも印象が似てくるものなのだなあと思った。

暑いのは当たり前だが、上半身裸のブラザーたちがぞろぞろあるっとるのには目をみはった。何がといって、皆マッチョなのである。
ほそっこい人の方が少ないぐらいであった。どこで何食やそんなに膨らむんだと問いたくなるほどパンプアップしたおのこどもがあふれていた。
黒人の人なんか、古館伊知郎のプロレス実況の言葉を借りるなら「筋肉の表面張力」と表現したくなるマッチョぶりなんである。バスの運転手になぜみんなあんないい体なんだと聞くと、
「トレーニングが好きなのよ」とのこと。ひまか?ひまなのかハワイの人々よ。
そこところではいろいろ分かってきたものがあるのだがここでは措く。

そしてやはり身長の平均が高いので、ガタイの時点から日本人とは違いのあることを実感した。こういう体形の人にはこうタックルにいって・・・。何てことを考えながら町を歩いていた。だが結局ラグビーには出会わなかった。


唯一バスから見たのは、夕日に照らされた美しいラグビー場があったことだった。
客席も壁も無く、草原の中にポールがひょっと立っていた。
子どもが犬を連れて戯れているのがいい感じであった。
練習してーなーと思ったもんである。


今月のラグビーマガジンの後ろ、クラブの紹介のところで、我が母校、鳥取県立倉吉東高等学校が特集されていておどろいた。練習環境には恵まれつつも、人数の面でやはり大変なのだそう。何校かでくっつかないと1チームできないのだとのこと。大変なのだなあどこでも。

もし高校時分から楕円球に親しんでいたらと考えることもあるが、そんなことをしていたらそもそも京芸には来なかっただろうし、今こうしてこのブログを書くことも無なかったのだ。自分は美術をやって大学からラグビーを始めたからこそよかったのだと今は思っている。

母校には来年の花園にも出場し、悲願の1勝を果たして欲しいものだと思う。

2008年3月12日水曜日

羽合温泉でいいじゃないか

今回はラグビーと全く関係がない。私事で恐縮である。

学校で教員をしているもので、修学旅行の引率なんていう業務がある。
明後日3月14日から3泊5日。
行き先はハワイ、いわゆるワイハである。もう死語になっているのか。

正直なところ乗り気でない。だって暑いの苦手なんだもん。
まあそれはそれ仕事なのだし仕方ないのだが、自分が行きたいハワイと今回行く場所が全くリンクしないのが気が乗らぬ一番の理由なのだ。
プロレスラーのリングネームのようなダイヤモンドヘッドだの、ショッピングセンターに並ぶ有名ブランド品だの、ちーとも、ちいーとも興味がわかない。それらも悪くはないのだろうけれど。

自分にあらぶる女神ペレの物語をしてくれ。
麗しの歌声と風にたなびくようなフラを舞ってくれ。
ハワイの魂(マナ)を見せてくれ!くれ!

いやようするにハワイ土着の文化と芸術を目の当たりにしたいのである。
観光と買い物なら東京とかでもいいじゃないか。いやさむしろ同じ南国なら沖縄の方がもっといいような気もするのだが。羽合(はわい)温泉なんてのもいい。自分の田舎の近所だし、椰子の木も枯れる日本海の潮風にもまれてみるのもいい経験になるのではなかろうか。
また、ハワイはアメリカの州である。かの国に対する個人的な感情は置いておいて、自分はアメリカンな食事が苦手なのだ。なんせ自分の胃腸は油に弱いので、濃い食事は美味しく食べられない。時たま食うにはよいのだが、連続すると必ず腹を壊す。心配だ。
しかしパンフレットには投げやりな感じの大盛り料理がどっかと写っている。気が滅入ること甚だしいのだ。

ついぶつぶつとネガティヴなことを書いてしまった。申し訳ない。

ただ願わくば、どこか砂浜の上で裸足の子ども達が、椰子の実をボールにタッチフットとかしていて欲しい。自分は迷わず靴を脱ぎ、彼らと共にラグビーに打ち興じるのだが。もうそれだけで満足もできるであろう。

そんなんないか、あって欲しいなあ、ないわなあ。

2008年2月28日木曜日

新しいルール2

前回書いた記事ではぜんぜん足りず、実はこんなに変更があった。
ご一読願いたい。
毎年こうもルールが変るスポーツというのも珍しい。
しかしますます走らんければならぬようである。恐ろしい。

1. タッチジャッジもオフサイドの判定を積極的に行う。

2. コーナーポストとタッチインゴールポストはラインから2メートル離して立てる。

3.22mラインより手前でボールを受けた守備側のプレーヤーが、ボールを22mライン内側にボールをパスまたは、置いたり、持ち込んだりして、その後、キックし、そのボールが直接タッチに出た場合、ダイレクトタッチになる。但し、相手によってタックルされたり、ラック、モールが出来たり、相手によってボールがプレーされた後、守備側がボールを蹴り、直接タッチに出た場合は、出た地点でのラインアウトとなる。

4. クイックスローインはラインオブタッチに並行か、自陣寄りに曲がって投げても良い。

5. ピールオフをするラインアウト前方の選手は、スロアーの手からボールが離れたらすぐに動ける。

6. ラインアウトのレシーバーはラインアウトから必ず2m離れること。

7. 投入しない側のラインアウトのスロアーはタッチと5mラインの間に必ずしも立たなくてよい。

8. ラインアウトは2名以上なら人数規制はない。ラインアウトに何人並んでも反則にはならない。

9. プレグリップを認める。

10. ラインアウトでノットストレートが起きた場合、反則をしなかったチームがラインアウトかFKによって競技を再開する。

11. ブレイクダウンに参加するプレーヤーは必ずゲートを通ること。適用をより厳しく。

12. タックルが成立した瞬間にオフサイドラインが形成される。このラインはゴールラインに並行で、タックルを構成したプレーヤーの最後尾。

14. タックルされたプレーヤーは必ず直ちにボールをプレーしなければならない。寝ているプレーヤーはこれを妨げてはいけない。

15. ブレイクダウンでボールに働きかけるプレーヤーは、必ず立っていなければならない。

16. ブレイクダウンでアンプレイアブルになった場合、コンタクトしたときにボールを持っていなかったサイドがFKを得る。 もしキックされたボールを直接捕り、すぐにタックルが起きてアンプレイアブルになった際は、キックを受けたサイドがFKを得る。

17. ブレイクダウンでのPKは以下のケースに限る(但し危険な行為は除く)。
A−ゲートをくぐらずに参加。
B−自陣側のブレイクダウン最後尾よりも前の位置からの働きかけによるオフサイド(ラインオフサイド)。
C−地面にいるプレーヤーがボールに働きかけること。

20. 繰り返しの反則についての処理は現在の通りの適用。

21. 全てのFKでスクラム選択が出来る。

22. 危険なプレーに対して寛容であってはならない(例・ブレイクダウンを越えての飛び込み)。

23. ハーフがボールに両手を置くまでは、他のプレーヤーはハーフバックに触ってはならない。

24. 守備側はモールを崩すことが出来る。

25. モールに参加するプレーヤーは必ずゲートを通ること。より厳しく適用。

26. モールがアンプレイアブルになった際には、モール開始時にボールを保持していなかったチームのFK。

27. トラック・トレーラーは反則ではなくなる。

28. スクラムに参加していないプレーヤー(ハーフは除く)のオフサイドラインは、スクラムの最後尾から5m下がった地点。

29. 全ての反則における裁定は、オフサイド、オフザゲート、危険なプレー以外はすべてFK。

2008年2月20日水曜日

新しいルール

南半球三カ国クラブリーグ・スーパー14が開幕している。
試験的に新しいルールが導入されているとのこと。曰く。

・スクラムのオフサイドラインが5メートル下げられる。

・意図的に22メーターラインより後ろに下がってのダイレクトタッチを認めない。
(ボールキャリアーが自分で持ち込んで、ラインより下がってのキック等)

・オフサイドや危険なプレー以外での反則はすべてフリーキックとなる

以上の三点である。

これによって予測できる動きはというと。
運動量がさらに増えるのである。これはキビシイ。
まずオフサイドラインが下げられれば、ボールにたどり着くまでの距離が伸びる。
22ライン内からのダイレクトがないとなると、バウンドキックか走るかしかない、バッキングランが増える。フリーキックが増えるなら、速攻か奥に蹴り込んでプレッシャー、どの道走る距離はいや増すのである。

速くエキサイティングな攻防にはなるのだろうが、選手はたまらんなと思う。
ゲームがぜんぜん切れなくなるではないか。
タッチキックでほっと一息、休憩がてらにゆっくりポイントに集まるというFWのリズムもほとんどなくなるということだ。ランニングラグビーとはよく言ったものである、PRなんかどうすんだ。

これはわれわれOBに死ねと言っている様なものではないか、
ついついでてくる「やべーなこれやべーな。」という浮ついた台詞。

日本にこの新ルールが入ってくるならおそらく来年以降なのだろうが、ほんまに少し走っていないと試合にならなくなるのではなかろか。この間OBで練習をしたいなあなんて言っていたが、これは必要かもしれない。

またオフサイドラインが下げられるなら相手が走りこんでくる距離も伸びるということだから、身体のぶつかる勢いも増すということを意味する、怪我が怖いな、う〜ん要筋トレ。

年々タイトおよびハードになっていくように感じるラグビーである。
見ていると、スーパー14の選手達は浅くラインを引き、がんがん突っ込んでいた。
ディフェンスもばちばちであった、こわ〜。

2008年2月14日木曜日

楕円の遺伝子

遺伝子治療なんて言葉を最近よく聞くが、その人の将来的な嗜好、行動パターンなども、生まれる前の段階でいわゆるDNAに記録されているのだそうだ。

運命は自分で切り開くものだというが、ある程度自分の未来は決まってしまっているのだと、上のことから考えられる。また、ある環境の中に長期間生きていると、それに適応した子孫が生まれてくる。寒さに強いとか筋肉質であるとかいった身体的な特徴のほか、情緒的な面でも。

と、いうことは。
まず結論から言ってしまうと、ラガーマンはラグビーをやるべくして生まれ、そのルーツにおいてラグビーを好むような歴史を背負っているのだ。
われわれは母の胎内にいる頃から、もっと言えば精子と卵子の結合の瞬間から、ラグビーを好きになる事が決まっていたのかとそんなことを思うと、そんなあほなと笑ってしまうが、今日はそのことを書きたい。


個人的ながら、ラグビーは大陸的なスポーツだなあと思う。
大勢の人間が入り乱れて戦うという構図は、大陸の遊牧騎馬民族やノルマン人によって繰り広げられた戦の様を髣髴とさせる。いや、これまた妄想なのだが。

大陸的なスポーツとは上のようなもので、では日本(島国)的なスポーツは何だというなら、それは原則一対一のタイマン勝負、といえるだろう。相撲に剣道、柔道、空手。すべて一対一の個人競技である。団体戦もあるにはあるが、プロレスのバトルロイヤルのようには絶対ならない。
かつて日本の歴史の中にあって、スポーツとして集団が入り乱れる種類のものなど、皆無といってよいのではなかろうか。

大陸と島の対比として分かりやすいのが、元安の役、弘安の役に言われる「元寇」における戦の様子であろう。

雲霞のように群れ押し寄せる元軍に向かい、日本の武将が一人で進み出てやあやあ我こそはと名乗りを上げるのだが、お構いなしの元兵に取り囲まれて殺されるという場面が続出したというのである。
集団戦が普通の元軍に対して、一騎打ちという暗黙の様式をもつ日本の武士が不幸にもかち合ってしまったのだ(鎌倉当時の日本の戦では、一騎打ちで勝敗が決められることも普通だったらしい。のどかといえばそうである)。

つまりその根底の部分で、日本という土地風土の中には一対一こそ華というイメージが刻み付けられており、集団戦法というものが下とされる下地があるのではないか。前述の表現を使うのなら、農耕民族のDNAがそうさせているのかもしれない。
ではなぜ今現在われわれは集団的非農耕民族的スポーツのラグビーを愛してたりなんかいるのか。

古代日本人の中にも少なからずいくつかの集団が分かれていた。元々農耕民族でさえなかった。ハヤト、クマソ、エミシと呼ばれた種族に代表される。特に関東に住まっていたある集団は、その平野地形をいかして牧畜もやっていたらしい。小規模な遊牧であろう。勢いその性質は大陸騎馬民族に近いものになっていき、戦いにおける形もそれをいかしたものになっていく、要するに動きが集団戦法になっていくのである。

我ながら強引な論だとは思え、そういった集団が後々武士化していき、あずまえびすとか坂東武者とか呼ばれるものになっていったのではないか。武田信玄で有名な騎馬軍団もその末裔であったに違いない。
その民俗的な環境や歴史は、これも上に書いたように人間の遺伝子に働きかけそれに順応する形質を作り出し固定化ていくには十分なものであったろう。
一対一もよかろうが、大人数でやりあうのが好き、という性質がここに生まれてくるのである。
「血が騒ぐ」というが、まさにわれわれの身体に刻み込まれた記憶が望むものに出くわしたときの、それは言いえて妙な表現であると思う。

だからわれわれがラグビーの試合を見てわくわくするその理由は、
かつて先祖が見、かれらも心躍らせた風景にそれが近いからだというのは飛躍しすぎであろうか。

広い空間に、多くの人間がぶつかり合ってその勝敗を決する。
フィールドといくさ場、展開する動きの本質は全く同じである。

われわれはつまり遺伝子レベルで
「ラグビーおよびラグビー的なもの」が好きなのだといいたかった今日の記事であった。


これにて妄想の暴走を終わります。

でも、ほんとだったら痛快この上ないなあ。

2008年1月29日火曜日

ラグビーをしたくなる病気

花園でこたつシートを予約し、そこでの模様をレポートするつもりであったが、当日は寒さに加えて雨であった。子どもをつれて無理して見に行くのもなあと思い、措かせてもらった。

最近は海外のものすごい選手がトップリーグに出てくれるのでうれしい。
思わずため息の漏れるような正確なキックや笑ってしまうぐらいすごい走りを毎回見せてくれる。眼福である。また来期には元ワラビーズSO・スティーブン・ラーカムがリコーに入ってくるそうで、これも早く見てみたい。こういう人たちのプレーはホンマにすごいのだろうなあ。
そういえば、二年程前に花園に行ったとき、観客席に唐突にオーストラリア代表WTB・スターリング・モートロックがいてたまげた覚えがある。
周囲の人は気づかない様子だったが、身長192センチある外人選手がいて目立たぬはずがない。
もっけのさいわい、話し掛けた。

「何で日本にいるのです?」

「・・・観光です。」

後で聞くと神戸製鋼からオファーを受けていたらしいのだが、とにかくでかかった。
骨格からして少し違っていたような気がする。
普通の人間のシルエットを拡大コピーしたようなといえばよいだろうか。

そらオーストラリアの代表にもなれるわと納得した。

そんなことはさておき、がんばっている選手達を見ているに、じぶんもうずうずと体を動かしたくなってしまう。練習でも何でもいいからラグビーをしたくなってしまう自分に気づいてしまうのである。
一月の試合で前日に練習をしたのだが、個人的には楽しく過ごせた。そう、何が言いたいのかというと、呼びかけて集まるようなら、長い間OBの中でも言われているように、OBの練習というやつを本格的に始動できないかなあ・・・。どうかなあ・・・。と思っているのである。あくまで、あくまで個人的にではあるのだが。

単に自分の「ラグビーしたい」という希望を満たしたいがためのわがままなのであるが、せめてOB戦の前とかねえ・・・、どうかなあ・・・。

なんにせよ、ラグビーをしたくなる病気に見舞われている今日この頃なわけで。

2008年1月21日月曜日

谷口青児杯レポート

1月6日、宝ヶ池での谷口青児杯に行って来た。
天気にも恵まれ、ラグビー日和であった。

時間が早まったそうで自分は到着してから15分後にはもう試合だった、しかし前日にOB何人かで集まり練習もし気合を入れていたのでぜんぜん大丈夫である。実はこの日のために12月の半ばからずっと走りこみをしていた。これはもう病気かなあとわれながら思ったりする。

これに加え、出たがりを発揮してしまいフル出場してしまった。だってラグビーやりたかったんだもんというのが本音である。ほんでまた試合中にぎゃいぎゃい叫び倒してしまった。本当に傲慢なOBというほかない。現役の皆さん年明けからすんません。

試合内容は、恥ずかしながらけちょんけちょんに負けた。
ノーホイッスルでトライをとられた。
何というか、経験値の違いを見せつけられた感があった。

もう少し踏ん張って拮抗した試合にしたかったが、個々のラグビー力の差がどどんと出てしまったようだった。こればかりはどうしようもないところなので、あれこれ考えずにおいて、思い切りやらせてもらった。

天然芝の上で走り回れたのは非常に気分がよかった。また、セイジさんのご子息が途中出場で相手チームに入ってきてくれたことも、感慨深かった。考えてみるに、なんにせよ一人の人間の影響がたくさんの人数を集め(家族連れも合わせて200人近くいたろうか)、記念行事を行おうというのは簡単ではない。やはりセイジさんのお人柄あってこそのものだったのだろうかと思う。

負けたのは悔しかったが、良い一日であった。

2008年1月2日水曜日

新年あけましておめでとうございます

年が明けた。
続けられるところまでラグビーをプレイし続ける、
というのが何年前かからの自分にとっての目標になっている。
今年も怪我無くやって行きたいものである。
トレーニングやら練習やらも、怠ることなくしていきたい。

OBの皆様におかれましても、今年が良いものになることをお祈り申し上げます。
また、京芸ラグビー部OB会の輪がさらに強い楕円になっていくことを願ってやみません。

さて、1月5日(土)12:00集合で、京芸グラウンドにて有志が集まり6日に向けての練習を行います。現役中心(人数は未定)になりますが、お手すきのOBの方おられましたら、ご参加いただければと思います。

現在OBからの参加はハマモト、安藤君、内山君の三人が確定しております。


どうぞ宜しくお願いいたします。