先日の四芸、学食横でのこと。
東京OBコーヤさん、リョータローさん(ハマモトの1・2学年上)から、
ある話を聞いた。
東京芸大ラグビー部、現役部員減少のため、今後休部か廃部のおそれが
濃厚にある、とのこと。
その旨、東京・京都の年配OBに相談・報告の意味もこめて今回の京都
四芸に参加してくだすったらしい。
先に言っておきたいのは、これは卒業生として、また部OBとして、上の
お二人、かなり熟慮の上の、発言であったらしい。
相手のない限り、ライバルというものもありえない。加えてその相手
とは、約半世紀近くの付き合いなのだ。そんな相手は、すでに同じ道を
歩む「仲間」、苦笑い交じりの腐れ縁、うまし杯のトイメンであるはずだ。
それがわれわれにとっての東京芸大ラグビー部である。
京都芸大ラグビー部として、自分たちはこの「かけがえのない友人」の
危機に対し、どんな考え・態度で臨むべきであろう。
手前勝手ながら、私見を述べる。
若手OBは、現役チームの状態をより把握しやすい状態にある。現役の
声を直接聞いたり、忌憚のない思いを目の当たりにしたり。
それは現在のわれわれの中では、ライメイ君が筆頭としてやってくれて
いる形になっているが。
もちろんこのお二人だけではないが、知っている限りでもチャーリーさん、
アニキさん、スグルさん、ヤスさんそして前出のコーヤさんとリョータロー
さんも、実は卒業して10年以上が経っていながら、ずっとトーキョーの
現役と関わり、影に日向にフォローをしてこられた。それ自体は特に特筆
することではないだろう。ただ、間近に見守り続け、現役とOBのパイプ役
を努められてきたからこそ、まさに生の現状を目の当たりにしてこられた
に違いない。
しかるに、つぶさに見てきた要素を集め、「休部・廃部」という言葉を
そこから引っ張り出さねばならなかった無念を思うと、つらくなる。
だれだって思い出深いかつての居場所を失うなんて、そんな選択をしたい
わけがないのだ。
だからこそその話を聞いたとき、「さてこそよくぞ話したまえるものかな。」
と自分は感じ入った。四芸の打ち上げの場で、口にしづらい話題をなぜに
せねばならなかったか。
そこに自分は事の重大さとお二人の思いの強さを見たように思った。
だってそんな場所でそんな話題を持ち出したら、どんな言葉が返ってくる
か火を見るよりも明らかだ。自分たちが槍玉に上がってお叱りをこうむる
のはわかりきっているではないか。
あえてその役回りを選びそれでも東京ラグ部の現状と展望を話してくれた
一時をもって、自分は思うのである。
東京の80年を超える伝統は、すばらしい。すばらしいとともに、それは、
重い。
重い。
ある一面「誇り」となりつつ、状況によってそれにとらわれてしまった場合、
重圧以外の何者でもなくなってくるのではなかろうか。大変不遜な意見で
あることを意識しつつ言う。
あることを意識しつつ言う。
ただ、それが身にしみて理解できているのはわれわれOBであるのには他
ならないはずだし、さらに若手OBであればあるほど、理解しやすいはずで
ある。
ならないはずだし、さらに若手OBであればあるほど、理解しやすいはずで
ある。
1世紀になんなんとするその歴史と伝統、魂。
それは何なのか。どういった形のものか。
それは必ずしも、現役部員の数と活動のありように左右されるものではない
と思う。
と思う。
知っている者たちのありように一重にかかっているように思えならない。
自分がこれほどラグビーに染まり、「京芸ラグビーでよかった」と思い、
お会いしたこともない三宅先生の姿が頭の中で像を結ぶ理由は、それを
伝えてくだすった先輩OBのおかげである。そして、伝えられた場面は必ず
しもフィールドだけではなかった。
ほとんどが、練習や試合以外の場所や機会においてであった。
お会いしたこともない三宅先生の姿が頭の中で像を結ぶ理由は、それを
伝えてくだすった先輩OBのおかげである。そして、伝えられた場面は必ず
しもフィールドだけではなかった。
ほとんどが、練習や試合以外の場所や機会においてであった。
前にもどこかで書いたのだが、伝統と歴史とは、OBの存在そのものである
と思う。
と思う。
何が言いたいのかというと、「存続の危機」で部員勧誘に走るのが本当に
いい方法とは思われない。
いい方法とは思われない。
本当の危機とは、現役部員がいなくなったあと、何かを伝える立場のOB達
が熱を失ってしまったまさにその時だと思う。
が熱を失ってしまったまさにその時だと思う。
現役の活動に固執してしまうのは、なにか理論のすりかえになってはいま
いか。そも部員の勧誘は、主に現役部員の仕事なはずではなかったろうか。
いか。そも部員の勧誘は、主に現役部員の仕事なはずではなかったろうか。
また、存続危機の責任を一部の人間に帰するのも間違いである。
その責任は、今まで四芸に関係してきた四つの学校OB全てに、すこしづつ、
等分にある。
等分にある。
敵同士ではありながら、かたっぽ欠ければ成立しなくなる関係の相手を大切
にしなくてどうするのか。
にしなくてどうするのか。
ラグビーは、もっと柔軟で、自由なものであるはずだ。無くなったとて、
復活のための前向きな方法はいまだたくさんあるはず。
復活のための前向きな方法はいまだたくさんあるはず。
とりあえずOBとしてわれわれができることといえば、熱を失わず伝えて
いくこと、ではないだろうか。
いくこと、ではないだろうか。
そして四つのラグビー部の現役同士・OB同士で、今よりもつながりを強く
していく必要もあろう。その動きの中で東京復活の方策を考えていくという
のはいかがか。
していく必要もあろう。その動きの中で東京復活の方策を考えていくという
のはいかがか。
競技人口の減少とか、生徒数の伸び悩みとか、社会的な理由もあり、四芸
ラグビーが山あり谷ありなのはしゃーないと思う。
この問題は、なにも東京だけではない.いつ自分たちに降り掛かってくるか
わからないはず、他人事にはしたくないのだ.
ラグビーが山あり谷ありなのはしゃーないと思う。
この問題は、なにも東京だけではない.いつ自分たちに降り掛かってくるか
わからないはず、他人事にはしたくないのだ.
ただ、自分は実は悲観はしていない。
具体的なことはまだないのだが、たとえ一時期、東京が活動停止に追い込ま
れても大丈夫。われわれ四芸OBがしっかりしていれば、絶対に東京芸大の
ラグビーは無くならない。現役部復活のチャンスは必ずある。
れても大丈夫。われわれ四芸OBがしっかりしていれば、絶対に東京芸大の
ラグビーは無くならない。現役部復活のチャンスは必ずある。
それは伝統や歴史が途絶えるということでもない。無くなっていたその期間
でさえ、歴史に刻まれるのだ。その間のことを肴に語り合うのも一興となる
だろう。
でさえ、歴史に刻まれるのだ。その間のことを肴に語り合うのも一興となる
だろう。
それを乗り越えて復活する集団は、たぶん強い。
実はそこが楽しみでもあったり。
東京特有の、チョモランマの頂から崩れ落ちる雪崩かのようなテンションから
くりだす怒濤の攻撃をまた見てみたい。
東京特有の、チョモランマの頂から崩れ落ちる雪崩かのようなテンションから
くりだす怒濤の攻撃をまた見てみたい。
コーヤさんやリョータローさんをはじめとする東京OBを前向きに応援しよう。
「東京芸大ラグビーはな、ええぞ。」と若者に伝えていくのに、さて、われ
われは何をしていくべきか。本気で考える時が来ている。
われは何をしていくべきか。本気で考える時が来ている。
上に書いたことは全て自分の青臭い理想論で、気分を害された方もおられる
かもしれない。稚拙な文でもあり、大変恥ずかしくどうかお許しいただきたい
が、しかし、無茶苦茶でも理想がない限り、それを目標とした考えも動きも
できないと信じるので、あえて書かせていただきました。
四芸にお世話になり続けてきた自分の、OBとしての個人的な意見として
お受け取りください。しかし、何かの形で東京芸大を応援できればと思って
おります。
かもしれない。稚拙な文でもあり、大変恥ずかしくどうかお許しいただきたい
が、しかし、無茶苦茶でも理想がない限り、それを目標とした考えも動きも
できないと信じるので、あえて書かせていただきました。
四芸にお世話になり続けてきた自分の、OBとしての個人的な意見として
お受け取りください。しかし、何かの形で東京芸大を応援できればと思って
おります。
ひとまず、東京芸大ラグビー部にエール三唱!!
Three cheers for Tokyo Geidai ! Hip! hurrah! Hip! hurrah! Hip! hurrah!