2009年11月24日火曜日

ゆめまぼろしでもいいと思う

馬上少年過ぐ
世平らかにして白髪多し
残躯は天の赦す所
楽しまずんば是如何

伊達政宗、晩年の五言絶句である。
いろんな解釈があるようだが、自分はこれ、われわれラグビー部OB・OGの気持ち
そのまんまなんでないかと思う。

若い頃は戦いに過ごし、年月は流れ歳をとり、生き長らえてしまったが、そこはまあ
許してもらえるだろ、あとは楽しくやらせてもらおうじゃないか。
なんとはなく、我々が抱える思いに通ずるところはないだろうか。
そりゃあ戦国時代と京芸ラグビー部を比べるなんてのは強引に過ぎるだろうが、しかし、
そこは心情としてである。

現役生の頃の思い出が鮮烈であるだけに、またそれが大きいほどに、卒業してからの時間が
経てばたつほど、懐かしさと言うものが肥大していく。少なくとも自分は、そういった記憶を
相対化して割り切ってしまうのが苦手だ、うまく処理できない。ちょっと気を緩めるとその辺の
感情がだだ漏れになってしまうのだ。
同時にそれがあるからこそ、今でもラグビーと関わり続けていたいと思っていられるということでもある。
そして その懐かしさはほろ苦い。なぜなら、関わるといっても、学生の頃に打ち込んだのと同じ
テンションでラグビーと向き合うことはもうないからである。
真の意味でがむしゃらに走り回っていたあの時期の心境で今も おられたら、とふと考える。
真摯であろうとはいつも思う。しかし、もう同質の気持ちでいることはできないのだ。大体、
そのままで歳を重ねてしまっていたらかえって問題だ。
その変化はもうしょうがないことで、どうしようもなく当たり前のことである。
だが、「しょうがないのだ」と自分に言い聞かせて、気持ちの変化を正当化している自分が
いることにも気づく。まだそんなこと考えてんのかいな、とっくの昔に引退してるくせにやめとけ、と。

こういう思いにとらわれていること自体、けっこう照れくさい。がきんちょの自分と思いっきり
向き合ってしまうからだ。そんなとき、われわれは笑う。たはは、あるいはにやり、といった
感じの種類の笑い方で、しかし目元はうれしげに。
昨日の50周年パーティーで、スクリーンに各時代の写真がスライドで延々流された。
その中で会場を見回すと、そんな笑顔がずらっとならんでいた。自分は、そちらの方がぐっと来たのだ。
みな、いい顔をしておられたと思う。

伊達政宗は、上の詩を詠んだときに、恐らく昨日のわれわれと同じ気分だったのだ。
若い頃の自分を懐かしみつつも二度と戻れない小さな寂しさ、それを感じつつ、きっと
同じように酒を飲んでいたに違いない。そして近くひかえる若者に語ったはずだ、
「今は天下太平の世だが、わしの若い頃はな・・・。」てな風に。
おんなじだ、OBと。

50周年記念パーティー。
自分に限っては、非常に懐かしく、ちびっとほろ苦かった。では楽しくなかったのか。
そんなわけはない、ちょう楽しかった。学生の頃に戻ったかというほどのうきうき感であった。
これだからOBはやめられんなあ、とビール飲みながら思ったわけだ。
そう、楽しまずんば是如何なのである。

だから昔を懐かしむ戦国OB伊達政宗の晩年は、ハッピーだっただろうと思わずにはおれない。

2009年11月10日火曜日

ぴっちぴち

今日、仕事の帰りに書店を冷やかしたのだが、「サッカーマガジン」が目に付いた。
何でも、新しいサッカー日本代表ユニフォームが、いわゆる「ピチジャー」になるのだという。
表紙写真が、くだんのジャージを着た中村俊輔なのですぐに分かると思うが、ぴちぴちだ、確かに。
アディダス製だという。
ラグビーのピチジャーは、「鍛え抜かれたプレーヤーの体の力強いシルエットを演出するため」
という目的でそうなったと言うことを聞いたが、蹴球にもそれが波及してきたか。

そういえば現役のジャージも最近リニューアルのピチジャーで、時代だなあと思うのである。
なかなか趣味的なデザインであるように思うのは自分だけか。
そもそも初お目見えが世界杯(2003)だったように記憶するがどうだったかなあ。そのときは旧タイプと新型入り混じっての試合で、新素材が破れやすく、文字通りぼろぼろになって試合をしていた。
フランス対イングランドでは両チームともナイキの新タイプジャージで、引っぱりゃ破れる、背番号は
べろべろにはがれる、なんとも大味な感じの戦いになっていたのを憶えている。
またぴちぴち度合いもきつく、ほんまに乳首も浮きまくりの両チームだった。

時期を同じくして関西協会は、「サイズの小さいジャージを着たり、袖をテープで止めたり、襟を中に
入れたりして試合に臨むのは怪しからん。」というお達しを各クラブチームに言ってきていた時期で、
ほんでから世界杯でお目見えした新機軸が、サイズはきつきつ、袖はぴったり、襟さえない、というまったく逆指向のTシャツの様なジャージだったので、なんじゃそら!と協会の固陋さに腹を立てる
選手が多かったのも思い出す。

新しいぶどう酒は新しい皮袋へ。あらたな動きは興味を持ってまずはむかえるべきである。
新ジャージで走るサッカー日本代表はどんな見栄えがするものだろう。