2012年12月27日木曜日

楽しい集まり

先日の追い出しコンパに、最年長OBとして出席した。
正直なところ、若いマネージャーさん、プレーヤーさんの名前があやふやで、
寂寞とした思いに駆られぬこともないが、まあいい。この日は自分の悪癖
であるところの「説教おやじと化す」こともなく、へらへらアホなことを喋って
いられたので、よかった。おそらく、おそらく、現役にも迷惑をかけていない
(はずである)。
できることなら、偉そうなことは一つも言わず、半笑いでにやにやコップを
あおっている人でいつもありたい。

そしてはたと思った。
そう、そうなのだ。試合中にどんなにもめても、納得のいかないプレーが
あっても、そうした試合後のパーティー、アフターマッチファンクションで
なんとなく話したらいいのだ。お酒片手に当事者で、あそこのプレーは
もっとこうして、とか、あの時はごめんね、えへ。とか言ってたらいいのだ。
解決策や答えがでなくても、少なくとも「同じ場にいて口をきく」だけで、
次につながる建設的な気分や何かが生まれるのではなかろうか。

OBのセンターで出場したミキ君と話していた。
今日のOBのよかったところ、改善すべきところ。自然にそんな話になる。
肩肘張らず、へろへろ~んととりとめもなく話すが、お互いにプレースタイルや
ラグビーへの考え方が似ていることがわかった。そうなると面白くなり、
「じゃあ次のOB戦はこれでいこうぜ~。」と作戦まで決めてしまった。
酔いのせいで何を話したのか、細かいところは忘れてしまったのだが。
しかし。

「ああ、これだったら次のOB戦も楽しみだなあ。」

という未来へのあったかーい希望だけは翌日残っているわけで。
んでこれ、すげー建設的。

ビールが回りだしていた頭の奥でぼんやり思っていた。
ラグビーを深く知る人、特に海外のビッグなプレーヤーが、なぜアフター
マッチファンクションにこだわった発言を残すのか、改めてその意味が
わかった気がした。追い出しコンパの場なんだけれど。
やはり「明日のため」なのである。


2012年12月19日水曜日

解説者の魂Ⅱ

前回に引き続き。

好きが嵩じてその道を極めてしまう人がいる。
しかし当の本人は好きでやっているので、いつの間にか
頂点にたどり着いてしまった事実には拘泥することなく
淡々と自分のやることを片付けていく。
自分の仕事の凄さに自分であまり気づいてもいない。

そういったことがまさにこの人、小林深緑郎 氏にはふさわしい。

経験者ではない。全く頭脳でラグビーを楽しむ方だと思う。
言葉も多くない。おそらくむしろ口下手なのだと思う。そして、
試合観戦に没入して解説を放棄してしまう人である。

しかし、この人が一度口を開くと、自分は空恐ろしくなるのである。
ある試合(スーパー14)で、ある選手のことを語る。

「彼は何歳からラグビーを始め、好物はなになに。何年に
プロ契約を結びました。お父さんの職業は何で、弟もラグビー選手
です。ちなみにお母さんは何をしてておじいさんは国の
代表選手でした。」

小林さん、CIA?

ランダムに選ばれた選手についてこのくらいの情報などさらっと
言ってのける。
恐ろしいのは、選手が30人のテストマッチではなく、15人×14チームの
ス-パー14でこれだったのであって、一人の選手に対してこれだけの
データを持っておられるということは、正味160人以上の選手の情報を
把握しておられるということなのだ。
半端でないリサーチ量を想像させる。

チームのコーチ、監督の経歴までも披露してくれるのにはまあ驚く。

だから時々この人の言葉には、ずしっと腹に響く凄みを感じる時がある。
これも以前の、ある試合だった。

ある選手が犯した、海外の試合ではよくある小さなラフプレイを指して
小林氏はぼそりと言った。
「こういった点もってしても、この選手は代表チームに入る器では
ありません。まだ早いんです。」
NZ代表オールブラックスに初めて選ばれた時の、12番、マア・ノヌー
に対してである。

後の世界杯優勝メンバーを指して、「器じゃない」とこき下ろしたのだ。


2012年12月16日日曜日

解説者の魂Ⅰ

Jスポーツでラグビーの試合を見ると、だいたい実況と解説の
メンバーが決まっている。
特に今回は解説の方々のことなのだが、その顔ぶれはというと

・村上晃一 氏
・小林深緑郎(しんろくろう) 氏
・藤島大 氏

のお三方がほとんどである。元サントリーFB、今泉氏も多いが。
みなさんユーモアと掘り下げられたコメントでそれだけ聞いていても
面白いのだが、三人さんとも、「ラグビーが好きすぎて試合に没入し、
解説しなくなる」人たちである。

特に小林さんなどは、熱い試合になると早い段階で喋らなくなり、
視聴者側の我々がその存在を忘れてしまうほどである。
いつだったか、ある感動的な試合で無言になり、後半頭から
言葉を発しない。んでもって最後の最後でコメントを求められ、
ようやく声を震わせ泣きながら喋っておられるのを聞いた日にゃあ、
「泣いてたんかい!」と画面に突っ込んだものだった。

ところで藤島氏。
先日フェイスブックの方で、偶然見つけたコラムページを紹介したが、
久しぶりに目からウロコがぺりぺり落ちている。
深い。
ラグビーにおける場面や状況に対する理解や意味合いの掘り下げが
これほどわかりやすなおかつ新鮮な文章は、今まで読んだことが
なかった。そらあプロだから当たり前っちゃ当たり前なんだけれども、
勉強になる。
かつてハマモトも見ていた試合を引き合いに出しての話もあったり、
大変面白くココロにすとんと落ちていく。

この人の文章の面白さは真面目さとユーモアと独特な言葉使いにある。
試合放送の解説を聞いてだが、こんなことがあった。
数年前のトライネーションズ、南ア対NZにて。

「南アフリカはね、腕(かいな)が強いんです。筋力が強いとは言わず、
私はかいな、と呼びたいですね。」と。

「かいな」とは相撲の用語であったと記憶するが、それをラグビーの
しかも海外チームに当てはめている。
たしかに、その時の南アは力に物を言わせる強引な、言ってみれば
がむしゃらな試合運びが目立ち、非常に野性的な印象だったのだが、
そこを取らまえ理論的で理知的なイメージの「筋力」といわず、
「腕(かいな)」という言葉で南アを表現するあたり、おもしれーと
画面に引き込まれたのを憶えている。

藤島氏は低く抑揚のある声でぼそり、とひとことつぶやく。
それが言い得て妙なものだから、こちらは膝を叩きたくなる。なので
Jスポーツでラグビーを観るときは、試合に加えて実況と解説の
やりとりも楽しめるので好きだ。

まあとにかく藤島氏のコラム、僭越ながら本当に面白い。
これ、特に現役に読んで欲しいなあ。
絶対役立つぜ。

考え方や理解が変わると、ダイレクトに物理的な動きが変わる。
それを実感すると、ラグビーをさらに楽しめる。これは断言する。






2012年12月2日日曜日

仲間、という言葉に照れつつ集い

泰造杯の記事を書くもなにも、どえらい間をあけてしまった。
個人的に思うところがまとまらなかったのと、馬鹿なのに風邪を
ひき、何年ぶりかで寝込んでしまったのと。
ま、ネタが無かったのであるな。

日本のラグビーって変わってきて、そして形が実を結んできた
のだ、と最近思った。
遠征してのテストマッチ、日本代表はルーマニア代表に勝った。
グルジアにも勝った。歴史的なことらしい。
筑波大学が帝京大学に勝ち、同立優勝を決めた。
どの試合も面白く見たが、どの試合も「考えてゲームを組み立てて
いる」のがよく分かりまた「勝ちに対する信念がぶれなかった」
のが感じられた。
ルーマニア戦、なかなかタフな内容だったが、直線的な力で
押してくるルーマニアのプレッシャーに耐えに耐え、チャンスを
逃さなかった。以前ならば、浮き足立ってしまう場面を、落ち着いて
クリアしていくのには唸らされた。
筑波大学、準備されたサインプレーを的確に決め、帝京を押さえ
込んでしまった感がある。
「このサインなら絶対トライが取れる、という形を持てば勝てる。」
現役の頃、コーヘーさんがよく言っていたこの言葉を思い出したが、
そんな勝ち方だった。
日本代表、筑波大、ともに闘志よりも、地道に積み重ねてきた
なにものかで力を発揮する姿が際立っていたと思う。

ラグビーは、差別を容認するスポーツだ。
大変前向きな意味で「平等」という言葉が成立しない。
各ポジションは適材適所でプレーヤーがあてられるが、逆に
ここはコイツにしかできない、ここにあいつはありえない、という
判断がなされる場面がある。
ま、当然のこととは言えるわけで、しかし、ために「等しい」という
内容が空虚にさえ思えてしまうのだ。
もちろん、一人ひとりのできること、できないことがあるのも当然で、
それら数ある欠点を補い合って力を補完し、むしろ少ない長所を
最大限高めるのが「チームプレー」の意味合いだと思う。
それを理解しているチームの中で試合をすると、レベルに関係なく
非常にラクで楽しい。

自分の腕がびよーんと伸び、数十メートル先でボールに絡んでいる
ような感覚さえある。
チームメイトが自分の手の届かないところでやってほしいことを
やってくれている、あるいは見えないところでそう動いてくれている、
あの体の輪郭がどこまでも拡がった感じ。
そう「感覚の共有」が良いチームの特徴なのである。
それこそ十五個の細胞で構成された単純かつ活発な一生物の
ような。

先に書いた日本代表と筑波大学、そんな印象を受けた。
で、そうなることができるメンバーこそこの場合仲間、と呼ぶことが
できるのではないか。
では、どうすればそうなれるのかというと、自分はようわからん。
でも、自分は現役最晩年でその感覚を覚え、OBチームではっきり
それを意識している。
あ、今はこのためにラグビーやってんだな俺は、と実感している。

それはOGも含め、「みなまで言わずともよい、わかっておるぞ。」
という間柄なのであって、まあ居心地が良いわけだな、うん。
自分だけの錯覚かもしれんな。ちょっと不安。

仲間!なんて大上段で構えるとムズムズてれが湧き上がってくる
のだが、さしあたってふさわしい言葉を思いつかないので。








2012年10月21日日曜日

ラグビーがしたい。

昨日、やむを得ぬ理由でグラウンドゴルフをした。
平和なスポーツであったことよ。
それはそれでいい。しかし。
もうええ加減ラグビーがしてえんだよ!
と、わなわななる。

いかん、今あせればまたやっちまう。
再び怪我なんかしたら取り返しがつかないぜ!
と、相反する気持ちにじりじりさらされながら玉を打つ。

秋晴れのほほん陽気のもと、おじいちゃん、おばあちゃんと雑談しながら、
突然走り出しておりゃーっと叫びだしたくなる衝動にかられていた。

半ば病気だな、と一人笑う土曜日の朝であった。

2012年10月10日水曜日

いろいろあるな、いろいろな。

人生今までに2回、スカウトされたことがある。

1回目は6、7年前、大阪、天満橋あたりを歩いていたら、ゲイ関係の映像に出演
しませんかと声をかけられた。
そら、おったまげた。
「あなたなら、アイドルになれます。」とまで言われた。アイドル。
後になって、逆立ちしても自分の輪郭と重なることのないと思われたこの言葉が、
生きる角度をちょっと変えれば自分の肩書きになるのかと考えたりしたが、
いやいや。どだい無理だ。
声をかけてきた男性は言った。
「スポーツやってはるんですか。あ、ラグビー。いや~ボクもクラブチームで
やってるんですよお。」
ちょっとまて。
その当時、まさに自分は大阪の、あるクラブチームでプレーしていた。体、硬直。
試合する相手にこの人がいて「どうもこないだは~」なんてきた日にゃあ、一体
どうしたらいいんだおれ。

結局、半泣きで断った。「勘弁してください」と、謝り口調になってしまって。
以来、クラブチームの試合にその人がいないかと、気になって仕方がなくなり、
キックオフ前に相手のチームの顔を確認する癖がついてしまったのである。
あれは一つ人生の岐路だったのかなと、今にして思ってみたり。


2012年10月8日月曜日

変化と革新と・第1回ミーティング

記事をあげるのに時間がかかってしまった。ちょっと言葉を選びたかったのと、
考えがまとまるのに、自分は時間がかかるのと。

まず飯岡氏のことを。
現役が毎夏行う長野での合宿において、試合をレフェリングして下さり、
これまでもアドヴァイスをたくさんいただいていたのだとのこと。
東京の方なのだが、この日、わざわざ大阪まで来てくだすったのである。
自分はちょっとびびった。

長野では、その夏、合宿を行う学校と宿とその予定表がレフェリーに
配布される。どこでどんな学校が合宿をし、試合をするのか一目瞭然。
その中にわれらの後輩の名も明記されるわけで、飯岡氏も、「美術系大学の
夏合宿」ということで興味を持たれたのこと。氏も正直なところ、最初は
気晴らし程度の興味だったらしい。しかし実際の現役の姿を見、本気になったと
仰られていた。うれしいことだ。

何か新しいことを始めるとき、違う方向性を打ち出そうとするとき、外部からの
視点と刺激は重要だ。まさに飯岡氏の立場はそこであり、氏の接してこられた
ラグビーの環境(早稲田)から見て、芸大ラグビーの現状に対し思うところは
大きかった。なおかつ現役は悩んでおり、突破口を求めている。そして、氏は
ものすごい熱を持ち、我々に関わって下さろうとしている。実際、熱い人である。

自分は、変化を求めその材料がそろっている今が変わり時なのだろうな、
と思った。このチャンスを逃すと、また時間がかかるのだろう。要するに、
機が熟しつつある。

飯岡氏の舌鋒は大変鋭かった。
自分が現役のころ飯岡氏とここで話していたら、殴り合いのけんかになっていた
ろうなと思うほど。
たたみかけるように現役たちにアイデアを投げかけ、叱っていた。誤解が無いよう
述べておくと、氏の熱さはあえてのものであって、まず自分の思いをぶつけ、それに
対して相手がどう答えてくるか、どれほどの気持ちを返してくれるのかを推し量って
おられるように見えた。
あいてとど突きあって理解を深めるタイプの、何のことはない、この人もまごうこと
なきラグビー者なのだ。
自分の理解では、氏はこう言っておられた。
「君たちはどれほどの気持ちを持って変わりたいのか」
「自分の気持ちにどれほど本気で返してくれるのか」
だったように思う。
具体的には。

1.毎月できるだけ頻繁に、それもOBを加えたミーティングを行う。
2.費用、参加など、遠慮をせず、もっと強くOBに求めていく。我々は仲間である。
3.現役チームをクラブチーム化し、メンバーをオープンに募る。

このことが主なものだった。
1・2についてはのぞむところ。しかし3はどうだろう。恐らく意見の分かれるところ
なのではなかろうか。しかし現役の現状からすると、手段としては自然だ。
ただその場合、われわれが明確にせねばならないものがいくつかある。
それはキョウゲイラグビー部がそうである所以、われわれがもっとも大切に
しているものは何か、われわれのタマシイは何なのか。である。

2012年9月30日日曜日

警報!!!

OB・OGの皆様
警報が出ておりました。

本日、OB戦は中止となりました。

何卒よろしくお願いいたします。

2012年9月29日土曜日

台風のバカ


OBのみなさん

9月30日のOB戦につきましてお知らせです。
台風の影響により、30日昼12時の時点で、京都南に
警報の出ている場合は、OB戦を中止という事にいたし
ますので、よろしくご理解のほど、お願いいたします。

ハマモトの連絡が遅くなり、大変申し訳ありません。

2012年9月26日水曜日

お願い

9月30日のOB戦の画像とレポート、どなたかお願いできないものだろうか。
そういえば自分は、試合当日不参加のもので。
この日記やフェイスブックをOB通信を兼ねたものとしていくため、こういうことが
必要となってくるのだなあ。
だれかあ~、といった感じでございます。

ぜひ、どなたか。

2012年9月25日火曜日

天高く、楕円の頂点もとんがる秋

OB戦のお知らせ
9月30日(日)
15:00開始
京都芸大グラウンドにて

自分は遅刻魔である。

時間に遅れぬために、かなりの努力を必要としてしまう。
時間を守ることが社会人たる基本中の基本だというなら、
それを守られぬやからなんざあ、人間の風上にも置けぬ
やつばらなのであって、ゆめ許すべからず!!
と肝に銘じて生きているのだが、それでも自分はよく遅刻する。
言わずもがな、自分はダメ人間、ダメ人間なのだ。

OBになって初めての夏合宿、同回生ケンイチ君と「鈍行」
で長野の伊那まで行こうと、夏合宿OB戦の前日に決め、
その日の夜の7時に京都を出発した。
めちゃくちゃである。
結局どこだかわからない山の中の駅で電車(汽車)がなくなり、
線路沿いに歩いていこうと歩き出した。
30分ほど歩いて見つけたドライブインの親切な奥さんに
「近くの駅まで乗せてくから」と車に乗せていただいて、
30分前に出発した駅に連れて行かれた。
でも、心からお礼を言った。
駅で寝ていると、駅前の交番のおまわりさんに職質を受け、
「風邪引くなよ」とのお声をいただいた。
おれは何で生きているんだろうと小一時間考えたのを憶えている。
翌日、始発に乗って奇跡的に伊那駅に到着たが、OB戦は始まっていた。
現役マネージャーにいらぬ迷惑をかけ、タクシーで試合場についた
瞬間、セイジさんに大変怒られたものである。

自分に何が欠け、何が必要であったのか。
若かったもなにもあったものではなく、単純にダメなOBだった。

というわけで皆さん、試合の1時間前には集合し、準備をしましょう。
怪我を避ける意味でも。
などとのたまうハマモトは、そのくせ所用で欠席します。喝!!


2012年9月23日日曜日

みんな仲良く広く

先日、いくつか意見をもらい、反対・賛成の意見をいただきながら考えつつ、
現役と話していると、自分と同じようなことを考えているということを知り、
ならばやるだけやってみようと思ったもので、フェイスブックにOBのページを
作った。
今後も、いろいろお気づきのところを意見していただきたく。

同じ時期に現役のページもできているので、ご確認いただきたい。こうして
活動を見やすくしていき、どんどんご参加いただくようになっていけばよいなと。
ただ見守っていただくだけで、我々OBも現役も、ハッピーでいられるんである。

京都芸大OB facebookページ
http://www.facebook.com/krfcob

京都芸大現役 facebookページ
http://www.facebook.com/krfc.alive

OB・OGのみなさま、ぜひよろしくお願いいたします。

2012年9月21日金曜日

スパゲッティ・話・酒 再

記憶があいまいである。

下の記事を書いたのは、いったいどこのどなたさま?

オナカさんのお店「パスタ屋Tetz」から家に帰った夜。

あーおいしかったし楽しかったと、その日一日を振り返る余裕さえあった
のに、下の記事を書いた記憶がすっ飛んでいる。
ブログ書いとこうとパソコンの電源をつけたのは憶えているが、メールを
確認し、気がつくと朝だった。パソコンの電源も消していた。あれ~?
確かにとても眠かったのだが、酩酊はしとらんかったぞ。
翌日の夜ここを開いてびびったわけで。

でもそれって「おれは酔ってない!」と宣言する酔っ払いとおんなじだな。
それともまだらボケしとんのか?自分は。

記事の内容も「うまい」という感想しかなく、いうに事欠いて「おいしかったよ」
とは、上から目線で誰に言うとんのやら。オナカさんすいません。

2012年9月20日木曜日

スパゲッティ・話・酒

パスタ、というが、自分にとってはスパゲッティである。
気を置かぬ先輩のお料理なら、なおのこと。
ずるずるっと食べる勢いと、流し込む酒。
オナカさんのお店に行ってきた。

若い学生を引っぱっていって訪問、ワインのボトルを空けてしまった。
波長の合う場所と人と、ともにそろうと自分は朝まで飲める。

オナカさんの造られるスパゲッティ、うまかった。

スイッチが入り、ウィスキーも飲んでもた。
あーうまかった。

パスタでなく、スパゲッティの店と呼びたいオナカさんの店。
行くべしである。

本当においしかったよ。







2012年9月16日日曜日

プリンシプルというか

東京のラグビー者、ヒラノ女史からお教えいただき、読んだ。
週刊現代9月22・29日合併号、藤島大氏「ラグビー 男たちの肖像」より。

先日から続くここでの話題とつながるものがあると思う。ただ、
別に「ラグビー道」を言いたいわけでなく、単純にすばらしいことだと。
高いところに立つプレーヤーは、こういうものであるのだな、と。

大事だと思ったので、書き写す。願わくば、現役の特に下回生に目を
通してほしい。

訂正とお詫び

先日、現役から届いた9月の活動についてのはがきに誤りがありましたので、
ここで訂正とお詫びを申し上げます。

届きましたはがきの下部、四角の中の連絡先が、ともに間違っております。
ご迷惑をおかけし、大変申し訳ありません。

正しい連絡先を、あらためて挙げさせていただきます。ご確認のほう、
何卒よろしくお願いいたします。

京都芸大ラグビー部 主務 本田

     tel  080-6451-5233
E-mail  kyogeirugby@gmail.com

このたびはOBの皆さんに多大なご迷惑をおかけし、まことに申し訳
ありませんでした。以後、このようなミスのなきよう注意していきます。

2012年9月10日月曜日

プライドではなく、「誇り」と言おう

悲しいうわさを耳にした。。
例えほかのスポーツがこうであったとしても、ラグビー選手だけは、
こうであってほしくない。
どんなに強くとも、誇りを持つことがなければ「ただ強いだけ」である。
良いチームというものに、勝ち負けの強さは正味のところ関係ない。
勝利への貪欲さを包むユーモアと、試合までに積み重ねる楕円球への
真摯さこそが、ラグビープレーヤー、「ラガーマン」たる所以だと信じている。
トップにあるチームだからこそ、そうであってほしいといつも思う。


2012年9月4日火曜日

記憶の回廊

先日、なにとはなく過去の記事を見ていると、まあ見事なほどに
自分は同じようなネタで記事を書いておるなと気付いた。
前の記事はきれいさっぱり忘れることにしているが、それにしても。

いかに狭い世界と少ない記憶の中で生きているのかがわかろう
というものだ。

なんつって、こんなことを何ヶ月かに一回は書いているのかと思うと、
自分がなんだか恐ろしい。

また同じもん書いとるぞと、お気づきの点はご指摘お願いいたします。

2012年8月28日火曜日

再起動

前回の記事へのコメントより。
せんだってから続く「芸」について。

○オナカさんから
青児さんのヨカチンが抜けとるで
トキオは裸でビール瓶、雅なキオトは着衣で一升瓶
おれの因幡・大好き様はフジイさんからの伝承
上野の連中も認める青さんの東京音頭もうちの至芸


○東京のラグビー者・ヒラノ女史から
8/25~26「ともだちカップ」@船岡自衛隊駐屯地(宮城県)に行ってきた。
スクラム釜石主催、東北6県ラグビースクールの少年少女を招いて
交流試合を実施。(大友信彦ブログに詳細記事あり)
船岡自衛隊ラグビー部はいま10連覇中の強豪。自衛隊にも伝統芸ありそう

ですね? 
さすがに今回は小学生が主役だったから(?)、設営テントで飲んだときにも

「芸」はなかった(笑)。今度聞いてみようっと。


同じチームの中にありながら、自分が知らぬいわば「歴史」があるのだな。

そして、地域と付き合うスポーツの、正しく健全なあり方の一つとして、
ラグビー関係NPOのいろいろな活動がある。

自分たちは歴史と活動、二つともに知っていかなければならんような気がするのだよ。


一人練習をやってみた。キック、キャッチ、ランニング。
やっと徐々に動けるようになってきたのがうれしい。そして楽しい。
まだまだダッシュなどはできたものではないが、断裂した左足首の可動域も
突っ張った感じが残るものの、ほぼ負傷前と同じになった。
癒着した筋繊維をほぐし、強くしていかねばならない。

確かに動くようにはなったが、筋力が全然戻っていないのである。
簡単に言うと、つま先立ちが出ない。
右ではできるのだが、左ではまったく。
左足で地面をけり、加速ができない。

はじめて歩き出した幼な子がこんな感じなのかなと思いつつ、しかし今年一杯での
復帰をもくろんでいる。
とりあえず目指せ全力疾走。





2012年8月25日土曜日

ラグビー文化論 OFF SIDE MAN

先日、東京藝大に伝わるある芸の話を書いたが、京芸にもある。
1回生のはじめ頃
「飲みのキョウゲイ、芸のトーキョー、囃子のカナザワ、にぎやかアイチ」
と誰かに教わった記憶がある。
飲みに徹するキョウゲイね。
しかし実は、隠された宴会芸はわれわれにも確かにあるのであり、
いくつか自分も目の当たりにした。

○オナカさんによる・・・「かえうた因幡のしろうさぎ」
○ニシカワさんによる・・・「中日ドラゴンズ数え歌・振り付き」
○オヤドマリさんによる・・・「愛のメモリー箸割り」
○99年度卒、ナカノ君、フジイ君、ヨコタ君による・・・「日本のお箸は二本でお箸」

最後のは芸祭で見たやつで、宴会芸というよりアジテーション、いや、
形容しがたい舞台芸であった。
ほかにも細かいのはいろいろあったが、上のものはメロディーつきの大盛り上がり
で、自分の中ではインパクト大なのである。

見たい。もう一度。
芸祭で、美女コングランドチャンピオン大会なんかが再びあれば
実現するかな。
やってほしいなあ。


閑話休題。
オフサイドだ。なぜオフサイドは「オフサイド」なのか
これも偶然ある本の中で見つけたものなのだが。
どーでもっちゃあどーでもいいのだが、これまた自分の妄想をかきたててくれた
もので。

もともとラグビーのルーツは、かなり大雑把な人数同士、あるいはコミュニティ
同士でボールを奪い合う、一つの祭りだった。
学校対学校、町対町、数十人から百人以上の男たちが街中を突進する
ものだったとのこと。
ルールもあって無いようなものだったから、奪い合いというかド突き合いである。
一度、その祭りの映像も見たことがある。
一つのボールの周りに数十人の人垣ができ、それが一日中押し合いへし合い
している。
町のあるポイントにボールを付ければ勝負がきまる。

例えばA町対B町で、A町のメンバーがポイントに持っていけばAが勝つのだ。
一度誰かがボールをキープすれば、彼を守って数十人が壁を作り、もちろん
それを崩そうと相手方数十人が襲い掛かるのわけで、ラインもへったくれも
なく、なおかつ街中である。、裏路地に逃げ込んだり、おとりを立てたり、
スポーツというより戦。
面白いのは、一息つきたい人やけが人は、奪い合いの中心から自由に
はなれることができ、そんな人はビールなんか飲みながらのんびりしたのち
「どれ、行ってくっか」と戻っていく。
敵同士のおっちゃんたちが仲よさそうに話をしていると思ったら、ぐわーっと
奪い合いに突進していくのだ。


2012年8月17日金曜日

文化人類学 ラグビー編

先日記事に書かせていただきました東京のドクターラガーマン・
モリカワ氏の所属チームが「関東ドクターズ」ではなく、
「東京ドクターズ」でありました。ここに修正をお伝えさせて
いただきます。



ヒラノ女史と飲みながら話していて、こういう話題になった。
「ラグビー関係者、特にプレーヤーはなぜにすぐ脱ぐのか?」
どこでもそうらしいな。

確かに自分の記憶の中でもラグビー関係者で脱ぐ人は多い。
ある男子校に非常勤で行っていたころ、人物クロッキーをしようと
モデルをつのったら、「自分やります!」とラグビー部の生徒が立ち上がり、
頼みもせんのに全裸になり、モデル台に仁王立ちになった。
周りはヤンヤの大声援だったが、10代のころから既に人前で裸体をさらす
ことに抵抗を覚えなくなってしまうってのは、いったいナンなのだろう。
ラグビーを始めたからといって遺伝子が変異するわけでもなかろうに。
あ、でも精神的な変調はきたすかもな。

斯く言う自分も、不本意ながら、あるいはモノの勢いで人前で脱いで
しまったことはままある。
個人的な意見だが、一般的に言われるような自己愛の果てに「見てほしい」
となるわけではないような気がする。

結論から言うと、これは「文化」だ。
男衆が集まってとりあえず場を盛り上げるには、脱いどきゃなんとかなる
というまことに大雑把な発想だと思われるが、とにかく誰かが始めたのだ。
しかし面識のない場でそんなことをすればひんしゅくの大安売り、何となれば
気分を害するものも出るだろう。下手すりゃ両手が後ろに回る事態になる
のは明白なのであって、「彼らが脱げる場所」とは、ある程度気心の知れた
集団の中であるはずで、それは
「脱いでも安心」
なメンバーの中において可能なのだ(そんなこと気にもしないOBもいるん
だが)。
そうでなけりゃわいせつ物陳列罪の人となんら変わらなくなっちゃうでは
ないか、まあ紙一重ではあるけれども。

しかし、お互いに分かり合っていればいるほど抵抗は無くなっていくわけで
あって、それこそ「ONE FOR ALL ALL FOR ONE」の精神そのままだ。
「あいつの裸は俺たちのため、俺たちはあいつの裸のため」
ほらね。
まず脱ぐことのできる場所、理解してくれるメンツがいてこその裸芸である
わけで、もっというと、脱ぐことによって羞恥心をも超越した、周囲に対する
信頼度の高さを示し確認しあう本能的な儀式行動といってもよいのかも
しれない。
いやほんまに。

そういった土壌が醸されやすいスポーツであると、ラグビーを定義づけても
よいだろうと思う。
それがさらに芸へと昇華していったものが、我々の身近にはある。
「ヨカチン」である。


2012年8月9日木曜日

楕円の夜、ゴールデンな夕べそして涙。その2

スポーツが最終的に目指す何かとはどんなものなのだろう。
記録、勝利の高揚、限界への挑戦?他には・・・。

折りも折りなのだが、オリンピックにほとんど興味がわかないので、どんな
運びになっているのかよく知らない。
しかし、全力を尽くしてがんばってほしいものだと思う。
そんな自分が考えるのはおこがましいかとも思われるが、上のようなことを
考えていた。
立ち飲みの翌日、新宿ゴールデン街、ヒラノ女史が出ておられるバー
「クレマスター」にて。

なんだか東京滞在中はずっと飲んだくれているような記事になっているが、
ま、しょうがない。
このお店「クレマスター」、壁やカウンターにラグビー関係の情報がさりげなく
置いてあり、さすがラグビー者のおられる所、「城」って感じである。
先の記事に書いたとおり、ヒラノ女史の放つ楕円の磁力の影響か、その道の
関係者、往年の名選手たちもチラホラやって来られるとか。
自分は、神戸製鋼・林敏之のサイン入りヘッドキャップを見つけた。
近しいところでは、オナカさんもご来店済みとのこと。

そこでヒラノ女史より、一冊の本を紹介してもらった。


以前もこのブログで書いたが、先の震災で被害を受けた地元の復興のため、
まさに旗揚げされたNPO法人「スクラム釜石」(scrumkamaishi.jp)に関連した
ドキュメント。
ラグビークラブチーム「釜石シーウェイブス」を取り巻く人々と地域の様子を
震災直後から記録したものである。

今のキョウゲイ現役メンバーは、「北の鉄人」あるいは「新日鐵釜石」という
名前をはたして知っているだろうか。
細かい説明は省くとして、新日鐵釜石という企業チームが、近年になって
釜石シーウェイブスというクラブチームに形を変え、現在も活動している。
そして、大震災。
チームの存続自体が危ぶまれた中、その存在は、むしろ地域の人々の
思いによって支えられる。
「ラグビーを続けてくれ。」

プレーヤーはもちろん、新日鐵釜石時代からのチームを知る地元の人々が
存続をのぞんだのが大きいのではないか。
なぜか。
地域に密着してきた歴史の賜物、というのは簡単だ。


2012年8月7日火曜日

楕円の夜、ゴールデンな夕べそして涙。その1


無事に東京での個展が終わった。
会いたかった人に会い、話もできた。

東京にいる間、夜はラグビー者・ヒラノ女史と飲んでいた。
木曜の夜、新橋の立ち飲みで語り合っていると、隣にいた人が自分らの
話にうなずいておられ、ヒラノ女史、もしやと話しかけると、やはり
経験者だった。うかがえば倉敷は川崎医大出身、モリカワ氏。
お名刺を見れば、副院長とあるではないか。な、なんて面白いめぐり合わせ。
現在「東京ドクターズ」というチームに所属しプレーされているとのこと。
それって、関西ドクターズと対を成すチームじゃありませんか。
思えば今三月、自分がアキレス腱をぶっちぎったときの相手が誰あろう
関西ドクターズだったわけで、なにやらうっすら因縁を感じるぞ。
大学医学部医学部リーグでのこと、フィールドドクターから見たラグビーの現在。
などなど、大変興味深いお話を聞けた。
お医者さんたちも魂あふれるラガーがあふれているのだなあと幸せな気分になった。
まあ結局は「とにかくボール追っかけてタックルしよーぜ!!」というアタキンな
話になったわけで、気がつけば11時過ぎとった。4時間近く立ちっ放しで飲んで
いたのだった。
このようにヒラノ女史と飲むと必ず楽しい巡り会わせがあり、自分としては
大変うれしい。当初予定していた飲み屋が閉まっていたのでがっかり、急遽
件の店になったわけだが、そうなっていなかったらこの出会いはなかったわけで、
楕円形の磁力といおうか。
ヒラノ女史、モリカワ先生、ありがとうございました。
写真左がヒラノ女史、右がモリカワ先生である。




2012年7月23日月曜日

情報と告知

ウェールズからシェーン・ウィリアムズがやってきて、
NZからはソニー・ビル・ウィリアムスまでやってくる。
トップリーグがどんどん華やかになってくれてうれしい。
なおかつ。
東京のラグビー者、ヒラノ女史よりの情報。
新日鐵釜石石V7時代のOB VS 神戸製鋼V7時代のOB
夢のような試合が実現。
両チームのV7時代がずれているので(神戸製鋼のほうが若い。
かなり)、どんな試合になるかはわからないが、
北の鉄人、釜石の松尾雄二、驚異の13人つなぎトライ。
神戸のクラッシャー・林敏之、平尾誠二・・・などなど。
下手すりゃ現役トップリーガーの試合より面白い「OB戦」だ。
メインの前のエキシビジョンマッチだそうだが、放送してほしいなあ。


「V7戦士マッチ」
2012年9月23日(日)@秩父宮ラグビー場
詳細は、スクラム釜石HPの活動報告をご覧ください。.scrumkamaishi.jp
ヒラノ女史、いつもホットな情報ありがとうございます。






ところで、OBブログの私物化でございますが。
東京・銀座にて個展いたします。
去年よりも気分的な余裕はあるはずなのに、
なぜか去年よりあせっている自分。
そして夜になってご飯を食べると、すぐ眠くなって
撃沈してしまうようになり、作業も「順調に遅れる」
様相を呈しております。年か?

ともあれ、お近くの方はぜひお越しください。
お遠くの方もぜひお越しください。



濱本裕介展

2012年7月30日(月)~8月4日(土)
午前11時~午後7時(最終日4時まで)

中和ギャラリー
東京都中央区銀座6-4-8曽根ビル3F
TEL 03-3575-7620

なお、自分は2日(木)から最終日まで画廊に
おります。

2012年6月30日土曜日

メモリアルな日


先日、セイジ杯ということで、OB VS 新生現役チームの試合が行われた。

気付いてみれば、今の現役生は、もう既にセイジさんのことを知らないもの
ばかりなのである。
試合前、このセイジ杯の意味を後輩たちに教えなければならなかったことが
少し寂しかった。
もうそんなに時間が・・・。

いちいち取り立てる必要もないし、こっ恥ずかしいセリフであろうかと思うが、
しかしやっぱり自分たちは、ことあるごとに伝えねばならない。
自分たちが楽しんできたキョウゲイラグビーのことをである。

伝え続けることで、かつてあったこと、かつてあった人、それらはたぶん
生彩を放ち続けるのだと思う。
多少尾ひれがついたとしても、むしろそれは話を面白くする味付けになる
くらいで、害などないはず。

自分の経験に思い当たることがある。

自分は三宅先生のことを全く存じ上げず入部し、その後写真や
文章、OBさんからの逸話を伺うことで、自分の中に身勝手にもに先生の
像を構築し、尊敬の念を抱くようになった。
セイジさん含め多くのOBさんたちが、学生の自分に三宅先生のことを
語ってくだすった、それはそのおかげである。

今度は自分が伝える立場になったのだ。

彼ら後輩の中に、セイジさんのイメージのかけらでも置くことができたら。
少なくとも、キョウゲイラグビー楽しいな。と思うようになってくれたら。
あらためてそう思った今回のセイジ杯だった。

お世話になったセイジさん始め先輩方への、少しは恩返しになるかなと。


2012年6月10日日曜日

楕円のえにし うまき酒



現在神奈川に住むOB、サワ君より、先日酒が届いた。
彼も色濃くキョウゲイ楕円イズムを持っている人で、話すと面白いのだが、
実は若手で唯一、レフェリーの資格を持っているという変り種である。
OB戦でも何度か笛を吹いたことがあるのではなかったか。
また、プレーヤとしても現地の強いクラブチームに所属し、ラグビーを
やり続けているとのこと。ええこった。

何回か書いてきたが、OBは、現役を引退したと同時に、ラグビーが
上手になる。
そう、現役時代が終わった途端、新しい実感がポンと始まってしまう
わけで。
この感覚を味わった方は結構おられると思うのだ。
特に「初心者」で入部した人ほど、そう感じられた方は多いのでは
なかろか。
自分もまさにこの類で、上手になったのをほっとくのは勿体ないなと、
ほしてだったらどのくらい上手くなれるかなと欲を出し、クラブチームに
籍を置くようになった。
恐らくサワ君もそういったところなのではなかろうと思うのだが、とにかく
怪我には気をつけてほしいものだ。



閑話休題。
画像のお酒を送ってくれたわけだが、サワ君、現在「僕らの酒」という
プロジェクトを推進中だ。
ぜひ、「僕らの酒」で検索をかましてほしい。

メンバーを募って自分たちで米を育て、それを酒に醸す。
そしてまた面白いことに、醸造を引き受ける蔵元というのが、以前も
紹介した後輩・クボタ君の仕切る「久保田酒造」なのである。
しかも、お互いにまったく「そうとは知らずに」つながったのだとのことで、
もうこれは「縁」以外の何物でもなかろう。
いや、「因縁」とか「業」とか言ったほうがいいかも知らん。

風が吹いたら桶屋が儲かる、ではないが、物理学には「超弦理論」
という仮説があり、すべての物は見えない糸でつながり合っており、
一点からの刺激がもう一方に伝わり拡がることで水面の波紋の
ように宇宙の運動が連鎖していくというもので、つまりは「偶然も
必然的あるいは運命的作用の上で成り立つ」ものなのだという
ことになっていくのだが。

時代は違えど、過去に京芸ラグビー部でボールに触れたという
刺激が、ダイナミックな波動となって未来に影響を及ぼし、現在の
上記の状況があらかじめ用意されたのではないかと思われるほど、
う~ん、縁だ。

そんな自分の妄想はいいとして、酒だ。
まずいはずがないのである。
久保田酒造の醸す酒はフルーチーで飲みやすい。女性でも気軽に
楽しめると思う。
正直なところ、日本酒の米くささが長い間苦手だった自分なのだが、
クボタ君のとこの製品のおかげでそのイメージが完全に払拭された。
今じゃ大好きである。
そんな蔵元で醸されるお酒を味わうのは幸福ってもんである。
なおかつ後輩が進める活動の中で大切に育てられた米で作られた
味だ、ココロにも美味い代物なわけだよ。

てなことでもう飲みきってしまいそうな勢い。
サワ君ありがとう。

2012年5月22日火曜日

五芸

OB会の新しい口座を作りました。大変遅くなり、申し訳ありません。


ゆうちょ銀行

店番 438 普通預金 8903908 ハマモト ユウスケ


上の口座によろしくお願いいたします(一口3000円となっております)。

前回(先年)の追い出し試合からお預かりしている分も含めまして

フジイさん、オナカさん、ヤスイさん、エグチさん、ユイさん、イガワ君、
ハガワ君、フジノ君、セイドウ君

ハマモトの方には、以上の方々から、OB会費をいただいております。
以上の方々、ありがとうございます。

2012年5月15日火曜日

四芸追加

ヤスイさんより、四芸に関しての情報です。
ご覧になられました方、また広めていただけますよう、
よろしくお願いいたします。


現役からの情報で、
現役の試合はOB戦とは違う場所らしいです。
5月17日(木)
11時 金沢VS京都
14時 東京VS愛知

5月18日(金)
11時決勝戦
14時3位決定戦

金沢市市営球場
http://www.mapion.co.jp/m/36.5361411111111
_136.644521388889_8/
天然芝です。

応援よろしくお願い致します。
ヤスイ 

2012年5月12日土曜日

心のリハビリもな

東京のラグビー者、なおかつラグビー愛の先輩、ヒラノ女史よりお知らせがあったので
載せる。
東京に行くと必ずお会いし、杯を傾けつつラグビー話をさせていただく方である。
ご自身も新宿ゴールデン街で働いておられることもあり、そこで飲んだくれさせて
いただいたりして、うれしいかぎりなのだ。またよろしくお願いいたします。


以下、ヒラノ女史より。
☆尾中さんのゴルフ玉表紙展、初日にうかがい、火曜日はゴールデン街のバーに
 ご来店いただきました。
★6月15日~25日、フレンチ・バーバリアンズが来日します。
 何とジョニー・ウィルキンソン、セバスチャン・シャバル、バイロン・ケラハーも来る予定。
 これだけで、元3カ国代表たちだ。 


フレンチ・バーバリアンズ・・・。
見たい。だってすげーぜ。
スーパーブーツ:ジョニー・ウィルキンソン(英国代表・SO・トゥーロン)
絶対何人かの命を奪っている面構え:セバスチャン・シャバル(仏国代表FL・
ラシン・メトロ)
ほとばしる熱き魂:バイロン・ケラハー(元NZ代表・SH・トゥーロン)


ウィルキンソンは言を待たず、、シャバルはそのヒットででNZ代表LO、アリ・
ウィリアムスのあごを粉砕骨折させ、ケラハーはと言えば、闘志あふれすぎるプレーで
スタンドを沸かせた選手。
要するに「濃い」人たちだ。うーん、見たい。関西に来るのかなあ。










話は変わり、現在自分の左足には、画像のような装具が装着されている。
オーダーメイドで具合がよく、体重をかけて立っていられる。んで地道にリハビリして
いるわけだが、やはり怖い。
前回書いたように、恐怖心が心に黒い染みを作ってしまっている。
これが巣食っている限りは、いくらコンディションがよくても、元のパフォーマンスは
不可能だろう。
一番簡単なのは、怪我をした同じ状況に自分を追い込み、克服するしかなく、
それは、やっぱり近鉄ライナーズOB戦にもう一度出て、ノーサイドまで走る
以外に方法はないのだろう。と、するなら、来年三月の終わりに再び花園で
試合に出させていただくしかない。
別にトップでやってるわけでもない、ええ加減トウのたった自分が鼻息を荒げても
見苦しいだけなのだが、そう、自己満足だ。この恐怖心の黒い染みだけは
漂白してしまいたいのである。

2012年5月10日木曜日

金沢五芸祭につきまして

ヤスイさんより、本年度金沢五芸の訂正をお伝えいただき
ましたので。
これをご覧になられたら、まだご存じない方々にも、よろしければ
お伝えくださると幸いです。
先日の新歓OB戦後のフジイさんのお言葉のとおり、多くの
京芸OBにご参加いただきたく、よろしくお願いいたします。

↓   ↓
ラグビー部関係者の皆様

現役よりハガキが来ていると思いますが、グランドの場所が無いのと、
時間が間違っております。
KRFCのホームページにメールはしておきましたが、まだアップされていない
ようですので、お知らせが行き届きますように出来ますでしょうか?

金沢美大より
五芸祭のお知らせです。
ホームページ及び、メールでお知らせ頂けるとありがたいです。

安井友幸


金沢美大OG小林友子です。
五芸祭OB戦のご連絡が遅くなり申し訳ありませんでした。
以下詳細です。

OB戦 5月19日(土) 14時キックオフ
第1試合目はOBさんの集まり次第ですが、東京VS京都戦を予定
しています。

場所:金沢市営鞍月広場(金沢市鞍月4-21)が正式名称でした。

アクセス:金沢駅西口6番乗り場から出ているバスが大体「県庁前」を
経由しているバスです。
そちらに乗っていただいて、「県庁前」バス停(金沢駅から15分 ほどです)
で下車、徒歩15分ほどです。東京インテリアの裏になります。

打ち上げは同日18時から金沢美大近くのつるべにて行います。

鞍月広場地図http://yahoo.jp/GIopTt

つるべ地図http://yahoo.jp/kawduR 

2012年4月26日木曜日

五芸になったのね

プロラグビーがかつて「スーパー11」だった頃から、徐々にチームが増え、
いまや「スーパー15」。
そしてかつての四芸が今年から「五芸」になる。
時代は変わるのだなあ。
とはいえ、ラグビー以外の四芸のことなんぞひとったり知らんのだが。

この季節に思い出すのが、やはりヤスイさんのキャンピングカーで
四芸試合会場に行くまでの、たまらんハッピーな旅なのである。
ヴィム・ヴェンダースも頬を緩めるロードムービーさながらの。

ところで、5月6日の日曜、15時キックオフ、京芸グラウンドにて恒例の
震撼いやさ新歓OB戦がある。
新しい年度のスタートに、OBの皆さんの多くのご参加をお願いいたします。

自分も試合には出られないポンコツながら、応援に行かせていただこうと
思っております。


2012年4月22日日曜日

あ、縫い目だ。

スーパー15を見ていると、本当に選手の回転が早いのに気付く。
全チームどんどん新加入が増え、顔ぶれが変わっていくのだが、
まあそうだわな。
あの激しさで長くやっていくには人知れず大変な部分があるはず
だと思う。やっぱり何度見ても違うスポーツに見えのだ、レベルが
違い過ぎて。

今まで、額と眉を試合中、4度ほど切った。
小さな傷で3針ほどのもんだったので、縫合の後病院にはそれきり
足を向けず、抜糸はすべて自分でやった。
下宿の鏡に向って、料理バサミとプラモ用ピンセットを駆使し、
後はマキロンで消毒。ああすっきり。
糸を抜くだけなのにお金を払うのが馬鹿馬鹿しかったからだが、
とどのつまり、あほである。
ただ、今回については自分でなんてことは無理だと思ったので、
しっかり病院に行った。

ギプスを割り、久しぶりに見る自分の左足には、かかとに沿って
「縫いました!」と主張も見事、盛大な縫い目ができていた。
そして、これも見事に関節が固まっている。
生物の体とは不思議だ。
使わなければ、2週間もあればその機能を停止してしまうのだ。
ぜんぜんかかとが動かん。
そのかわり、今までなったことのない体の部位がずっと筋肉痛である。
松葉杖で生活しているが、要は常に両腕で体重を支えている
状態なので、負荷は全部肩から二の腕にかかる。
なおかつ移動距離は以前と変わらず、しかもこの春から、自分は
小学校で働いているので、よく動いているのだ。
松葉杖、近距離ならけんけん。

これはずっと筋トレしているようなもんではないか。なかなかハードで、
夜はよく眠れる。
これからじょじょに動きをもどしていくべき我がアキレス腱だが、しかし
よくわかった。
いくら鍛えてもリハビリしても、元のとおり機能させるには、もっとも
厄介な壁が自分の中で出来上がっているのを意識できた。

恐怖心である。

2012年4月8日日曜日

修復中のつりまくり

アキレス腱を切って14日が過ぎた。
手術してより10日。

完全断裂であったので、その機能は失われ、手術してしばらくは、
器官としても機能としても、完全に沈黙してしまっていた。
ただ、ギプスの下に感じる立体的な術創の痛みのみが実感であった
わけで。
この辺の、こっからここまで縫われとんな。という、かなりはっきりした
痛みの感覚。ただしそれ以外はうんともすんともなく、普通は足指や
かかとを曲げ伸ばしすれば、アキレスをからふくらはぎまで連動し、
びよんびよんと動くはずなのだが、なーんの反応もない。
ふくらはぎの部分がごっそり無くなってしまったかのような印象だった。

なにせ断裂自体が痛くなかったので、それ以外の部分のほうが苦痛
だった。入院しての点滴、術後の痛み、そして何より、尿道カテーテルが
気分的にも一番つらかった。
辛抱たまらんので、手術した深夜に抜いていただいた。そしてその後の
トイレのまあ痛かったこと。うめきながら用を足した。

なもので、それ以外の感覚の強さで、主役のアキレスの存在が希薄に
なってしまっていた。
のだが。


2012年4月7日土曜日

ヒザだよヒザ

甲野善紀。

武道家というよりも、哲学者といったほうがいいかもわからん。
一時期「ナンバ歩き」、「ナンバ走り」という言葉があったが、その
紹介者であり実践者である。
同じ側の手足を前に出す歩き方ね。
この方、一動作で三太刀の居合いをする。あるいは杖を用い、一動作で
三段突きをかまさはる。


簡単に書くと、要するにヒザの「ため」で、柔道で言うところの自然体
から、すとんとヒザを落とし、その運動を攻撃動作に置き換える
という考え方である。
え~と思う方は、ユーチューブでご確認ありたい。

ね、見ましたか。興味深いでしょ。
細かい解説は抜きで、自分は一度この人の本を読んだことがあるのだが、
鍛錬よりも、考え方で体を動かす人、という印象である。
最も効果的な動きはこれしかない、というところまで考察を重ね、実践する。
そうしたところ、かつて達人と呼ばれた先人達の残した所作の意味が、
理解できたのだという。

とにかくヒザ、ひざの柔らかさ。そして大きな筋肉によるものでない、体の
深いところにある筋肉の動き。これだ。

残念ながら、一度やってしまったのち、部分が部分であり、按配が按配
なので、怪我をする前の状態に100パーセント回復させるのは無理で
あろう。もちろん戻す努力はするが。
それよりも、少し見方を変えて、上のことを利用して以前とは違う体の
使い方で、弱った部分を補うことについて考えている。やりようによって
は、以前を越えるポテンシャルを発揮できるようになるかもわからない。
ただし、はた目の動き方は常ならざるものになるであろうが。
復帰した暁には、奇妙なフォームでぬるぬる走る自分がいるかも
わからん。長い目で見たってください。

そういえば、剣道出身者イガワ君がラグビー部入りたての頃、「すり足」
で全力疾走しているのを見て、「うぬ、あなどりがたし。」と思ったのを
思い出した。砂煙を巻き起こしながら走っとったもんなあ。

2012年4月1日日曜日

無傷のすすめ

犯罪とプロレス、というテーマが完全に後回しになってしまった。
しかしこの話の結論は、また後日ということにして、今しばらく
ハマモトのアキレス腱ネタでいきたい。

せっかくわが身で体験できたわけだし、怪我しました、そーでっか
ではなく、この記事を見る方々の役に少しでも立つようにしておこうと
思う。

どうやらこのアキレス腱、年齢に関わらず切れるときには切れる
ものらしい。そして、切れやすいものらしい。
こうなったらいやだな、と思っていたから、念入りにアキレス腱を
伸ばしてウォームアップをしたつもりで、見事にぶっちぎれやがった
もんで、しょーがないと思いつつそこだけ釈然としないものがあった
のだが、そうか、それならもうこれは事故にあったのと同じだと合点が
いった。
ようするに年齢とともに衰えるものがあって、強度が減じていた
というほかないのだろう。

自分の場合、右にステップを切り、左足を踏み込みかかとが伸び
きった瞬間、前に飛び出そうと力をかけた。
つまり限界まで引っ張られたアキレスにさらに荷重がかかった状態
となり、その時ぶちっといってしまったということらしい。

腱というのはゴムと一緒で、伸びる方向に急激な負荷がかかると
逆に収縮しようとする力が働く。
なおかつ芝グラウンドはスパイクの噛みがよく、力が逃げないので、
かかった力が一点に集中しやすいということもあり、いくつかの
要素が重なって腱の限界を超えてしまう結果をまねいたのだ。

ではその根本的な原因はというと、医師と話してみて思ったのは、
体の使い方にあるように思う。
いくつかのポイントにわけることができる。
そしてそれらに気をつけることで、怪我の予防、改善に役立つ
とのこと。
1・ 体軸のぶれ
2・ ひざの「ため」
3・ インナーマッスル

やみくもに鍛えるのではなく、以上3点を念頭においておくとよい。
特に我々OBにとっては大切なことであるように思うがいかが
だろう。
1と3においては、「体幹の強化」というところに集約するだろう。
いろいろな雑誌などで聞く言葉「体幹」だが、やっぱり大事なん
だなあ。
体軸のぶれが生じると、余計なところに余計な力がかかるように
なり、そのバランスをとるためにさらに余計な力が必要になる
というバッドループに陥る。
回転軸にぶれの生じたプロペラが、いつか自分の回転力で
折れてしまうのと同じ理屈だろう。、
日常生活に支障は出ないが、殊に激しいスポーツなるとそれが
顕著で、自分の場合、元々アキレス腱に負荷のかかりやすい
体の癖があり、それに体が耐え切れなくなったのだ。
そうならないために、インナーマッスルの強化を強く勧められた。
体の表面に近い大きな筋肉を大きくすること自体にあまり意味
はなく、体の軸に近い筋肉を強め、動きの無駄をなくすことで、
負荷も減るとのこと。
というよりも、かかった負荷を分散して支えることで、壊れにくく
するのだ。
軸をきっちり包み込むことで、回転速度が上がってもプロペラの
安定が崩れないイメージだ。

同時に2。
ひざの「ため」によって、足全体の動きを滑らかにし、衝撃の
吸収を助ける。
そうすると、急激なステップやスピードの変化は作りにくくなるが、
動きはかなり柔軟になる。
ここが自分の課題であり、復帰するまでにひざの動きを会得
したいものだと思うのだが、難しそうだ。
イメージとしては、やはりサントリーサンゴリアスWTB、小野沢
選手ということになるのかな。

そしてまた、上のイメージを作っていくうえで、一人の武芸者の
名を思い出した。
甲野善紀
である。

つづく。

2012年3月26日月曜日

やっぱりいい日だったと思う

本日、自分はOB戦に行かなかった。
一度は行くと言っていたが、その後断った。
ラグビーの試合を断って何をやっていたのかというと、
ラグビーをやっていた。

そして生まれて初めて、アキレス腱を切った。
自分の足の腱が切れる音を聞くと言うのは、なかなかできる
経験ではない。新鮮であった。

批判、おしかり、諫言等々、OBならびに現役には申し訳ないと
いう他ないが、今回は自分なりの必然性があったので、京芸に
行かなくて悪かったとは思っていない。
一言でいうと、京芸OBとしてでなく、自分において、いちプレーヤー
としてのありかたを選ばせていただいた。
トップリーガーでもないのに、えらっそーな言い分であるが。

近鉄ライナーズOB VS 関西ドクターズ

今日自分が出場した試合である。花園ラグビー場第2グラウンド。
こちらも京芸OB、エグチさんに誘っていただいた。現在エグチさんは、
奈良の「生駒クラブ」というところでプレーされているとのこと。自分の
7つほど上の方で、現役時代はCTBとして、「鎖骨折りのエグ」の
異名をほしいままに、タックルに来た相手の骨を、その殺人的な
あたりで文字通り折りまくっていたそうな。と、ヒッチさんに教わった
ことがある。
他にも、数々の伝説を残しはった世代の一人で、
「京芸ラグビー部は宗教団体」という噂を作り、
「試合中故意の反則をしてきた相手を、審判の目の前でしばき回した」
などの破天荒な話を聞いた。
しかし、四芸連続優勝の口火を切ったのはエグチさんの代からなの
である。

試合は、ライナーズOB側で出させていただいた。
草ラグビー者として、こういった試合に出ることができるというのは、
幸運である。だって、あの紺に赤のライナーズジャージを着て、
芝グラウンドで試合できるなんて。

写真はそのジャージを着たエグチさん。


2012年3月12日月曜日

搬入の炎に

記事のことが気になりつつも、個展の事で心がざわついてそれどころではなかった。
小さなスペースなのだが、小心な自分なのであることよ。
しかし何とか終わったので、「ほっ」としている。

「ああ、しばらく作品作りに悩まんですむ。」

と、開放感に襲われ、搬入後一緒に連れてきていたわが娘とラーメン「千の風」で
遅い夕飯を食した。
翌日保育園に行かんければならん子どもをギャラリーへの搬入に連れて来て、
夜の10時近くにラーメンを食わす父親である。
自分はギョーザとビール、替え玉までして、搬入でとげついた心をほろほろと
溶かしていた。

あす、13日火曜日よりハマモト個展スタートですが、仕事の関係で自分は金曜日
お昼過ぎからの在廊予定です。お越しいただいた方には漏れなく、自分の片寄った
会話などを味わっていただけるかと思いますので、ひとつよろすく。

2012年2月29日水曜日

続・プロレスと闇

痛い話をする。
高校生の頃地方の美大受験生は、夏休みや冬休み、大手の受験アトリエで
集中講義を受けたりする。
約1ヶ月間、安宿(ユースホステルとか)のタコ部屋に押し込まれ、同じような
受験生や浪人生と過ごす。さすがに男女は別部屋だが、共同生活の様相を
呈すわけだ。
それ自体は面白い。
森本レオ似のアンニュイな外交官と知り合えたり、ゴッホの自画像そっくりの、
性格もかなりエキセントリックなスペイン人バックパッカーと熱い握手を交わし
たり、同じ言葉を10回繰り返しながらしゃべる、東京芸大10浪の28歳男性と
かみ合わぬ会話ができたりと、なかなか刺激的で楽しいわけだが。

高校生時分の年代の少年少女が複数一箇所にあつまって長期間過ごして
いると、必ず「ほれたはれた」の状況ができる。
まるで、バッタが集まると「群生相(色が変わり、飛翔力が高まり、凶暴になる)」
という形質に変身してしまうように、集団の中ですぐ三角関係とかになりやがっ
て、涙つきのセーシュンをしはる。
その中にあって自分はというと、筋肉少女帯とブルーハーツばっかり聴いてて、
口を開けばプロレスの話しかしないような坊主頭野郎だったので、そういった所
とは無縁だった。
自分自身も、旅館で恋愛茶番劇をかましやがるそんな彼らを「はん、愚民ども
めが!」とおおむね軽蔑していた。

そんなスタンスだったからか(どんなんや)、ある夜、同じ宿の女の子が、顔を
真っ青にして「ちょっと部屋に来て!」とやって来た。
女の子から声をかけてもらってうれしかったが、ただならぬ雰囲気に彼女らの
部屋にいくと、4人部屋のメンバーの1人が手首から血を流して泣いている。
前述の三角関係のもつれから、リストをカットしちまいやがったのである。
「たかが受験アトリエのしょーもない集団でなにをさらしとんねん!」
というのを鳥取弁でつっこみたかったが、そんな状況なもんで自分も頭から
血の気がずわーっとひき、脳幹にアドレナリンがどびゃーっと分泌されるのが
感じられた。気が動転し、アドレナリンでハイになった自分がしたことはというと。
「手首を切った子に説教3時間」
だった。

いや、もう血は止まってたし、情けないほどのためらい傷だったのがわかった
のでね。でも、赤く染まったタオルを今でも忘れられない。
細かい話はおくが、ようするに自傷行為で自分を振った男の気を引きたかったん
である。
話の1。

自分はよく実家で、山の中をさ迷い歩いていた。森林浴などではなく、道なき
所を1人でがんがん突き進み、葉っぱまみれになって孤独をかみしめる、という。
いまもそうだが、屈折してるなあ自分は。
山の中で一人でいると、感覚がさえて敏感になる。たまに野生動物(たぬき・いたち・
野良犬)にもばったり出くわしたりするのだが、そんなとき、近くに人の気配を感じ
、山の管理者だったら怒られるので逃げようとした瞬間、斜めに切った笹の茎を
踏み抜いてしまった。
声なんかでない。目をかっと見開いて、あまりの痛さに硬直してしまう。底の分厚い
靴だったが、やすやすと貫かれた。
何とか逃げ隠れ、靴を脱いでみれば、中は血の海、足の裏にはぽっこり穴が開いて
いる。気分はもう、白土三平「カムイ伝」の手負いの忍者。
「うぬ!不覚!あなどりがたし!」
追っ手がかかるといかんので、びっこを引きつつ逃げのびたのだった。
話の2。

最後に。
昔の「週刊プロレス」は結構ハードで、いまや伝説となった「グレイシー柔術道場破り
ルポ」というのをやっていた。これも自分が高校生の話だが。
安生洋二というレスラーが、単身ブラジルに渡り、当時無敵無敗をうたわれた
グレイシー道場になぐりこみを仕掛けて、プロレス最強を証明するというその模様を
写真入で紹介なんて、字面だけならば梶原一騎原作の漫画そのままの、アナーキ
ーな企画を実行して見せていた。

余裕の表情の安生選手が、「たのもー」なんて気軽にグレイシーファミリーに喧嘩を
売り、結果、グレイシー最強のヒクソン・グレイシーの手でぼろ雑巾のようにされて
放り出されるさまを克明に記録していた。
安生選手、本当の意味で血祭りにされていた。よく殺されなかったものである。
たぶんカメラがあったからだろうが、道場を破るどころか、「見せしめ」として
返り討ちになったのだ。
その記事を自分は息を飲んで読んだが、よく発売できたな。

確か映像でもあったような気がするが、「人間が血だるまにされていく様を載せる雑誌」
を自分は見、「やっぱりいろんな意味でプロレスと格闘技はすげえ」と思った。

今までの記事で強調してきたのは、いかにプロレスが「痛そー」であるか。
そして上の3つの挿話に共通する、自分が目の当たりにした「苦痛」。
というものどもである。
ここから自分は「少年犯罪とプロレス」とのつながりを見出すのだ。
終わらん!

2012年2月28日火曜日

告知

前回から続きっぱなしの記事の終わりが見えないままながら、またもや
ブログの場を私用で使うずうずうしさ。お許しを。

京都で個展いたします。 

小さいスペースですが、陶オブジェをまとめて。平面も少しかけようかなと。 
 
「潮(しお)のおと」 濱本裕介 小品展 



同時代ギャラリー Collage 
3月13日(火)~3月18日(日) 
12:00~19:00(最終日18:00まで) 

ギャラリーのHPでも出ておりますので、そちらもご覧ください。 
www.dohjidai.com/ 

自分は週末、16日金曜日~最終日までギャラリーにいる予定です。 
お近くの方はぜひおいでください。お遠くの方もぜひおいでください。 

2012年2月17日金曜日

プロレスと闇と

闇の深い犯罪とプロレスの関係とは。
その動機等を聞いて、短絡な、とは言いがたい。決して短絡ではないと思う。それは
それなりの理由があり、犯人になった少年なりの必然性があったはずであり、我々の
常識から考えて理解できないというだけだと思う。
だからっつって自分にも皆目わかりはしないのだが。

ストッパーがなく、脈絡がなく、動機さえ定かでない少年犯罪は、非常に2次元的だ。
立体感を感じない。もっと言うと、人間の体温をも感じない。
ふと思ったのだが、それってゲームや漫画のキャラクターがやってることのようだ。
と感じた。
ゲーム・アニメのストーリーに脈絡はない。そして質量のない虚構として存在する。
もし少年たちが、虚構の世界を舞台にたちまわっていたとしたら。
そのことはいろいろな場所で言われているとは思うが。

そして虚構と現実の境界線はしばしばあいまいで、ときに、両者がわれわれの足元で
入れ替わってしまうことも結構あるのではないか。

そのわかりやすい境界が、プロレスなのであると思う。
プロレスは、八百長ではない。エンターテインメントである(ジャイアント馬場談)。
こうあるとおり、前にも書いたことがあるが、それが本気かどうかが問題なのではない。
このスポーツは、エンターテインメントであるがために非常に漫画的でもある。善・悪の
役割がはっきりしたキャラクターが、顔にペイントしたり、マスクをかぶっていたり、いろ
んなレスラーがいて、それらが戦う。肉弾戦をテーマにしたパフォーマンスといってもよく、
その世界は限りなく現実に近い虚構であり、同時に限りなく虚構に近い現実でもあるわけだ。
そんなキャラクター実際いねーよ、と言いつつも、否定されることなくそいつらが目の前で
「お客のために」戦っている。時に流血さえしながら。
見る側はそれが本当の殺し合いでないことを理解しつつも、演出された戦いを楽しむ。
そのために我々には、「イメージの力」が問われ、また鍛えられる。
「うおっ!あの毒霧で眼がつぶれたんじゃないか!」
「あのヒールホールド、いたそー。」
「蛇の穴よりの刺客?なんだそれは!」
「ああっ!!フィギュア・フォー・レッグロック(四の字固め)!これで決まったあ!」
苦痛にゆがむレスラーの顔、「折れー!」という観客の声援、それをあおる実況、
ゴング、倒れて動かない者とレフェリーに腕を高く挙げられる者。二つの両極端に
分けられたリング。ああっ、勝者に恨みを抱くヒールが乱入してきた。パイプ椅子で
しばかれた勝者、くわあ、額から大流血だあ!!

こういうエンターテインメントであることは百も承知。しかし。

がきんちょだった自分においては、脳内麻薬が出るほどイマジネーションが刺激された。
いたそーな技のイメージは、痛みに対する恐怖を育ててくれた。プロレスという虚構が、
苦痛に対する実感を喚起してくれたのである。
かつ、実際小学校の砂場で友人とかけあった四の字固めは声を上げるほど痛かったし、
テレビではアントニオ猪木がタイガー・ジェット・シンの腕を本当に骨折させていた。
アンドレ・ザ・ジャイアントのひざを脱臼させていたのはキラー・カーンだったな。
現在でも高い頻度で死人が出る。そしてこれらは現実だ。舞台はリングという虚構
であるはずなのに。
虚構と現実入り混じるバトルスペクタクル意外になんと呼ぶべき。
プロレスはかっこよく、おもしろく、なにより「いたそー。」だった。
イマジネーションは鍛えられ、いつしか、これは危険だ。というストッパーが作られ
ていた。
漫画に近い世界に生きるプロレスラーによって、僕は自分と他人に対する苦痛の加減を
学んだ。だって、あんなんされたら痛いやん。軽々しくはかけられません。てな風に。

2012年2月15日水曜日

プロレスと私

性懲りもなく先年からの続きでござあす。

スポーツと社会のありようについてふと気づいたことが、プロレスに関してある。
我々1970年代中盤世代が小学校の半ばから中学校に差し掛かるころ、徐々に
プロレス文化が衰退し始めた。テレビ放送は深夜枠となり、観客動員も減って
いった。
いわゆる「インディーズ時代」と呼ばれる、ややアンダーグラウンドな状態に
入っていくのだが、プロレス人気の縮小に反比例する形で、不思議と時期を
おなじゅうして増えていったものがある。

少年犯罪。

それも、やんちゃくれな兄ちゃんが暴れるとかいった単純なものではなく、なんと
言おうかもっと闇の深い、ちょっと自分では理解のしがたい類のものが突然出て
きたように記憶している。
いちいち例を挙げるのはここではおくとして、それまで報道される機会がなかっ
ただけなのかよくわからないが、中には酸鼻を極めるものもあるのをご記憶の
方々も多かろう。
加えて奇妙だったのは、犯人となった少年たちから出る犯行動機の、起こした
事象と全くつりあいの取れない短絡さ・幼稚さだった。
動機を抱いて行動に飛躍するまでの脈絡があまりにもないのだ。

自分の欲求や衝動は、体の輪郭を超えない限り、虚構の域を出ない。絵空事同然
である。ただしそれを実体とするときには、かなりのエネルギーを必要とする。んで
その欲求・衝動が反社会的であればあるほど、実行の主体となる人間には大きな
負荷がかかるはずだと思う。
簡単に言ったら、犯罪を実行に移すまでに必要な(へんな言葉だが)勇気とか、
苦痛、うらみ・つらみ・ねたみ・そねみ、あるいは思想など。そんなものがかなり高まら
ないと、なかなか重大な犯罪を実行するなんてことは不可能だと思うのだ。
嫌いな相手とはいえ、なんぼなんでもその命をすぐ奪ったろうなんては思いません
わな普通。
安易に極端な行動を避けようとする「ストッパー」が我々の中にはあり、そのタガが
外れてしまう状態なんてなあ、およそ異常といっていいと思う。
(ただし、原理主義的な思想の中に生きる人間においては別の話だが。)

しかし昨今の犯罪において、そのストッパーが外れるレベルというのが、我々の持つ
感覚からは拍子抜けするほどに低い。「え?そんなんで??」と声を上げたくなるほど
に。
「ちょっと試してみたかったから」人を傷つけ、態度を注意されたから「ふと殺そう」
と思う心理を理解できる人、ハイ、挙手願います。

自分も、妄想の中でならいくらでも世界を壊滅させたり、無差別殺人をやってみたり
なんかはした(ちなみにその出で立ちは、赤い越中ふんどし一丁に南蛮渡来の鉄兜を
かぶり、全身金粉塗りで真珠のネックレスを打ち振りつつ、刃渡り2メートルの大太刀
を奇声とともに振り回しながら、東京は銀座三越ビルの前を全力疾走で駆け抜けると
いうものであった)が。
でも、それを実行に移したことはない。だっていやだもん。
では、なぜに「だっていやだもん」の心理がなくなってしまうのか。

なんか、記事が泥沼化してきた気がするが、まだ書く。

2012年2月9日木曜日

陽にかみついてほとけを拝め

謹賀新年ぼなねレザムール。
先年末からこっち、記事も書かんと何を自分はさらしていたかというと、
なにもやっていない。廃人であった。
年賀状も書かない不義理な自分である。
自分の感覚としては今ごろが年明けの実感が芽生えてきたので、なので
今が自分の新年あけましたな状態。で、あるからして新年のご挨拶という
わけだが。
この新年ボケは、今年の大晦日までには元にもどせるかと。
OBブログもがんばって書いていく所存であります。
みなみな様におかれましても、つつがなき一年であられますようお祈り
申し上げます。
ラグビーにさちあれ。戦士には栄光あれ。