2013年10月29日火曜日

前向きと不屈の意味すなわち

今夏、七月の終わりに東京で個展をした。たくさん人が来てくれた。感謝。
そしてその折、一人のプレーヤーが訪ねてきてくだすった。

その方のことについては、去年の記事にあげた。
医師にしてラガーマン、「東京ドクターズ」モリカワ氏である。
ハマモトと同世代の、理系・お医者さんとは思われぬガタイの人だ。
http://krfcob-haman.blogspot.jp/2012/08/1.html

東京のラグビー者、ヒラノ女史と入った新橋の立ち飲み屋で、偶然
となりに居合わせたという馴れ初めなのだが、一年後、わざわざ
お越しくだすったのだ。物腰の優しい丁寧な方である。

以下、ギャラリ-での会話。
H:ハマモト、M:モリカワ氏。

H 「いやー、お久しぶりです。ありがとうございます。」
M 「どうもどうも、調子はいかがですか。」
H 「(去年ハマモトはアキレス腱絶賛断裂中であった)ああ、なんとか
  走れるようになって、幸運にも復帰できました。」
M 「そうですか。僕の方は五月に顎を骨折しちゃって。」
H 「ああ!そうなんですか。」
M 「最近やっと装具も取れたんですが、二ヶ月ほど流動食でした。」
H 「ああ~・・・。」

五月に顎を折って二ヶ月流動食だったということは、この話の時点で
七月に入るまで顎は固定され、まともに飯も食えなかったということ
ではないか。てことは、つい最近まで入院しておられたのだな。
自分は、二の句がつなげなかった。
確かに画廊の入り口に立たれたとき、あれ?なんか細くなられたかな。
と感じたのだが、なるほど。
そうかーアゴかー。さすがに今後は難しいのかなあ。
頭の隅でそう考えていた。が!モリカワ氏の次の台詞。

M 「ギブスが取れて動けるようになったんで、そろそろ筋トレも始めようと・・・。」
H 「おおおそうですかあ!!」

叫んじまったねオレは。自分の声がわんわんと画廊に響いたさ。
モリカワ氏、ハナから復帰する気まんまんなのである。
自分は、背筋がくわーっと熱くなった。あの感じはなんだろうね。とにかく
声が出ちまったのだ。
心より敬意をこめて書く。ここにもラグビー馬鹿がいた。
顔の輪郭が変わるような怪我をしながら、治るか治らんかのうちに
もうラグビーをやるつもりでいるのである。三十路も半ばを過ぎ、
花も散りおおせた我々ではないか。

M 「もうねえ、ほんまになんでなんでしょうねえ、中毒ですよねえ、たはは・・・。」
H 「たはは、まったく・・・・。」

お互い猫背になって、後ろ頭をかきながら「たはは」と笑ったもんだ。
この風景、決してかっこよくなんかない。ええトシこいたおっさん二人が
情けなさそうに自分のアホ加減に苦笑している図なんて。
そう、みなさんは「はん」とひとこと、鼻で笑ってくれていい。
ただ。


2013年10月1日火曜日

歌だよ歌。

思わずユーチューブで、テストマッチの国歌斉唱動画を見てしまう。
特にラグビー世界杯。

以前にも同じような話を書いたが。
あれはね、いいよ。
見ているこっちが酔ってしまう。
試合前の選手たちのアップを順繰りに見せてくれるわけだが、
彼らの感情の高ぶり、なんつーかこの、
「この試合で死にます、ええ死んで見せましょうとも。」
という気合がひしひしと感じられていい。
たぶんこの気合なら、にらむだけでスプーンを曲げてしまうだろうほどに。
選手たちも感極まって泣いているのだが、観客さえも国歌の前奏で
すでに号泣しているものさえある。

なかんずく、アルゼンチンとポルトガルが好きだ。あとアイルランド。
英語発音なら「アルジェンティーナ」「ポーチョギース」「アイレアン」
と聞こえるが、この音もいい。
一体にここら辺の国歌は、徐々に高まるエネルギーを爆発させる
ような旋律であるので、いかにも戦いを前にして歌うに似つかわしい。
いわゆる強豪国の大舞台に慣れた感じのものでなく、第三のチームが
自らを鼓舞していくさまが大変感動的なのだ。
そして、みながみな歌がへたくそなのだ。まあえらい調子がはずれとる。
もう絶叫。

2007年のフランス世界杯では、アルゼンチンの大活躍が印象的だった。
しかし、自分はその影で、予選全敗退ながら存在感を示した初出場の
ポルトガル代表の見せてくれた姿勢がすんげー好きだ。

ポルトガル代表「Os Lobos (オス・ロボス)」。群狼、という意味だそうだ。
その荒削りな語感がまた彼らに合っているように思う。
予選プール落ちでけちょんけちょんだったのだが、同じプールでの
王国NZ代表戦。
あんなテンションで国歌を歌う人たちなんか自分は初めて見た。
そして、そのあとのNZのハカを前に、彼らは「嬉しそう」だったのである。
「うわ、これからおれオールブラックスと戦えるんだぜ!!」
という顔だった。
点差はついた。しかしすげーいい試合だった。
試合後もオス・ロボスの選手たちは笑顔だった。楽しげだった。

思うに、ストレートに高まりを表現する方法としての国歌は、団体競技
にとってたいへんいいと思う。やっぱり感動する。ナショナリズム
とかは抜きにして。少なくとも、選手たちは誇りを持って歌っている。
オス・ロボスは見事にそれを示してくれたのだ。

で、思うんだが、ジャパンも何かそういった歌を作ってはどうか。
試合用歌ね。
どうもこの、「君が代」は高まりに欠けるように思うのです。言葉も
戦いを志向したものでないし聞けばそもそも、日の丸も君が代も
なし崩しで日本を表すものとして使われてきたが、実は正式に
「それ!」と決められた背景があやふやなのだとか。

だったら、それ用の旗と歌、作っちゃえばよくね?と軽々しくも思う。
どんなやつがええねんと問われると困るんだが、なんかええやつ。
ただ、多分そんなことをするとなったらこの国の偉い人はまたもや、
旗のデザインはハイパーメディアなんたらの人に頼んだり、歌は
加山雄三や谷川俊太郎あたりの人にやってもらったりと、とっても
コミカルなことをしてくれると思われるので、ある意味わくわくする。

しかし、アイルランドには現に国歌の他、「そういう歌」もあり、実際
テストマッチで歌われたりするので、ありだと考えるのだが、どうかね。

歴史的背景?そんなものはこれから積み重ねて行ったらいいものだし、
いまこそ「混迷の時代に生まれた応援歌」になるのでないか?
あ、でもそれ、長渕剛がもうやってるのか。ヨーソロー進路はひがあしへ~!!





2013年9月18日水曜日

蓼にしびれた舌、変な味のお茶の夜 3

セイジさんの話であったので、思い出すまま、自分の手元にある画像を
揚げさせていただきます。

下は、世代はわからないのだが、恐らく金沢四芸での一枚であると思う。
セイジさんとともに写るのは、左からナカネ君、シモダイラ君、オカモト君、
奥にソメヤ君。




二枚目。
だいぶ世代はさかのぼり、しかしこれも金沢四芸の一回戦、1995年、試合
直前の円陣。キャプテン・ホカさん、副キャプテン・メケさん。
なぜ詳しく憶えているかというと、当時二回生の自分もこの写真の中にいた
からだ。尋常でない緊張感だったのを覚えている。
相手は愛知、この試合でフッカーだった自分は右肩を亜脱臼し、決勝では
一回生でウィングのクボタ君は左足のじん帯を切った。
確か、ナカノ君もこのとき額を割ってなかったっけ。けっこう壮絶な試合
だったと記憶するが。

このジャージ、たいへん懐かしい。




思えばセイジさんはいつも写真のように円陣に寄り添い、目をうるませ、
声も少し震わせながらながら我々を激励してくれた。
自分が首脳陣の愛知四芸でも、決勝戦前、ガチガチに緊張している自分に
ぼそっと言ってくだすった言葉を今でも覚えている。

「(東京藝大を指し)あいつらは今確かに強い。でも、過大評価はせんでええ。
お前らは負けへん。それだけのことはしてきた。」

言い切ってもらえたせいか、なぜかすっと肩が軽くなったのだ。

やはり、感謝の思いしか浮かんでこない。


2013年9月16日月曜日

蓼にしびれた舌、変な味のお茶の夜 2

たぶん、手前勝手に走り、普段よりさらに読みにくい文になっていると思う。
ひらにご容赦願いたい。

8月11日の夜にお誘いを頂き、食事会は12日の夜であった。
自分は12・13日と仕事があったので、夜遅くに行かせてもらい、一時間ほどで
おいとまごいということになってしまった。
セイジさんにお会いするとき、なぜか自分はいつもこうなんである。
行くといえば遅刻し、帰るとなれば妙なタイミングで。畢竟、自分が不義理な
人間であるということの証なんだろう。

ところで食事会の当日、12日の朝ちょいと奇妙なことがあった。
自分は大阪八尾のショッピングモールにいた。んで、そこで仕事の道具を
広げると、全く唐突に自分の目の前にカブトムシが現れた。
本当に唐突に、ころり、と。
普通ありえない状況だと思う。
なぜに?とひとりごちてしまった。

偶然としてもいいだろう。こういうこともあるだろう。
しかし選びも選んだりこの日このタイミングで出てきてもらっては、その事象の
裏側にある意味を考えたくなってしまってもしょうがないではないか。
自分は、あ、そういうことか、と思った。
あれだ。いわゆる虫の知らせというよりは、「先触れ」というやつである。
雨の前の蛙の声、春の前に萌える蕗の薹。
何かの始まる前に姿を現すなにか。
おそらく、こんなのはそう不思議なことでもないと思う。
というよりも、「だいじょぶかおまえ、ちゃんと来れるんやろうな?」と、
ご心配いただいた上で送られたお使いだったのかもしれんな。

自分は霊とかあの世とか、ようわからん。
無ければ無いでそれはそれ、あればあるでいつか自分もお世話になる場所
ではあるのだから、どうぞよろしうくらいの認識である。
しかし、縁というものは信じている。
縁が重なったり離れたり、ちょっとからんだりしながら人と人とは生きている。
今できた縁の震えが、後に伝わって何かを起こす。
うまく言えないが、自分がラグビーを始めたときから、何かしらこうした
つながりができ、新しい枝分かれを生み出してきたのだ。
物理学の世界では、「超弦論」という仮説があると聞く。宇宙の中にあまねく
すべてのものは、目に見えぬ「弦」でつながっており、その振動が
影響しあってすべての出来事が起こるのだとか。
科学の世界でそんなことが議論にのぼるなら、縁の話を信じたって
おかしくはなかろう。
とにかく自分はカブトムシを見て、これも何かの縁やなと、立派な角のそいつを
ダンボール箱に入れた。

もうそうなると頭の中は「セイジさんちとカブトムシ、セイジさんちとカブトムシ」
で一杯になってくるのであって、仕事終わりが待ち遠しかった。
だが結局、セイジサンのお宅のある京阪鳥羽街道に着いたのは、夜も
九時を大分過ぎてからであったわけだが。


2013年9月8日日曜日

蓼にしびれた舌、変な味のお茶の夜 1

セイジさん夫人、玲子さんは中国地方、岩国のお生まれだそうである。
夫人の語る郷土愛あふれるお話は、むしろ感動的であった。
岩国の土は、「赤い」のだそうだ。その土から育つ「蓼(たで)」は、大ぶりで
大変刺激が強い。ことわざに「蓼食う虫も好き好き」とあるが、その意味が
よくわかった。鮎料理に欠かせない「たで酢」のイメージとは全く異なる
個性的な野趣があった。昔の日本人が口にしていた蓼とは、まさにこれ
だったのだろう。
そして、夫人の幼い頃、実家の最寄り駅周辺は、一面大きな大きな蓮に
覆われた美しいところだったのだという。
そしてその蓮の花についてこう説明された。
口を閉じたままとがらせ、「ぽ」の形に開けると、小さく「ポン」と鳴る。
蓮の花が開く瞬間、確かにその音がするのだという。なんていい風景だろう。
また、その花の下から採れる蓮根は柔らかく、餅を食べるような食感
なのだそうだ。レンコンのイメージからはかけ離れた話で、実際、関西に
出てきて食べたレンコンに、夫人はびっくりしたそうだ。

そうやって中国は瀬戸内西部地方の訛がうっすら混じる夫人の話は、
大変耳に心地よく、蓮の花のくだりではまるで岩国という土地は
極楽か西方浄土なのではなかろうかとさえ思わされるほどのなごみの
グルーブに満ちていた。

偶然にも自分は夫人と同じく中国地方、鳥取中部は因幡で育った。ただ、
玲子夫人とは違い、山陽瀬戸内ではなく中国山地をはさんだ日本海側、
山陰の地である。
そして、そこの土はおもしろいことに「黒い」。
地元では「黒ぼく」と呼ぶが、岩国の赤い土、因幡の黒い土。個人的に
その対比が興味深かったこともあり、大変面白く過ごさせていただいた。
セイジさんのお宅にお邪魔してである。


上の話は、ナカノくんからお誘いをいただいた集まりでのことだ。
セイジさん宅でのお食事会という、気軽なものでということで。
偲ぶ会としなかったのは、気を遣わせまいとするナカノ君の気遣い
だったのだろう。深読みか。
そのお誘いををPCで見たとき
「あ、セイジさんに呼んでいただけたのだな」
と自然に感じた。
感情的な話になってしまうが
「お前どうしてんねん、たまには顔見せえや。」と、あの懐かしいニヤリ、
とした笑顔で肩をたたかれたような気がした。

ハマモトは、結局セイジさんに不義理ばかりしかつそれをすすぐもことなく
きてしまった。聞けば今回で七回忌になるとのこと。
あらためて自分のおろかさに情けなくなる。自分はお見舞いにも行かず、
お通夜に行っただけでその後、お墓にも参らず、気付けばはや七年、
何一つすることなく過ごしたのだ。
自分から何もせぬまま、挙句の果てに、ついにあちらから誘わせる
という形をとってしまったのだ。
これを失礼といわずしてなんと呼ぶか。
「谷口青児杯に参加しよーねー。」などと、どの口がほざくのか。
ずっとひっかかってきた(さりとてなにをやるでなしなのがまたサイアク)。

今さら謝罪したところで安易な自己完結になるだけなのは目に見えて
いたが、しかしとにかく行って拝ませてもらおうと思った。こういう縁が
めぐってきたのだから。これを逃せば、たぶん何かがずっと
遠ざかってしまう。行かねばならない、とふと思ったのだ。
8月11日、夜のことだった。

長くなるので、つづく。


2013年8月9日金曜日

ハレのラグビー2

「俺なあ、やっぱりラグビーやっといてよかった思とってや~」

ドマさんは言った。
ドマさんは今、いわゆる造形屋しておられる。現場監督をする時、仕事を
する奴しない奴いろいろ見るらしい。

「ほんでも仕事せえへんから言うてそういう目でみんと、こいつにも合うてる
仕事内容があるはずやてそういうとこにはめたるように考えるからな~。
これ、ラグビーやったからできるようになったわ、ホンマ。適材適所
ちゅうやっちゃで、ンガハハハハハハハ!」

こういったことはよく耳にする。
確かなことは、ドマさんは、ラグビー(キャプテンの経験)からその枠を超えて
血肉になる何物かを得たのだ。
少なくともそう実感されていて、それをその後の人生に生かしておられる。
ドマさんのセリフの言い方を変えれば
「相容れない人間をも許容し、その個性を生かす方法を模索する意識を
ラグビーを通して得た。」

それがいかに素晴らしいことであるかお分かりいただけると思う。
現場監督なら、仕事のできない人間を切っていくなど簡単で当然のこと。
仕事ができないのは個人の問題と見られるのである。
であるにもかかわらず、クビにせず返ってその個人の力を引き出す場を
与えてやるとは。
これをラグビーでは、キャプテンシーと呼ぶ。
キャプテンシーというものの、まさに一側面と言える。

ただこれは、ほかの皆もそうであるはずだ。皆がそれぞれちがう何物かを
ラグビーから得ているはずなのである。
自分の体を真の意味ではって戦うスポーツであればこそ、得たものへの
実感はいよいよ強い。
少なくとも自分の会ってきた人々はその実感を笑顔とともに語る。

加えて、ご自分はプレーをできなかったが(もしこの人がもう少し遅れて
生まれていたなら!)、観察者という立場の人さえ、この実感を持っている。
ヒラノ女史は、このスポーツに寄り添い支援するというプレーをしている。
その熱は、まさにプレーヤーのそれである。
この人は、ラグビーから「熱」を得て走っている。

そのお二人が、他愛もない話で笑い合っている。それは、いい風景だった。
自分は楕円の神様から、一体何をもらったんだろうなあ。などとも思う
わけだこれが。まだよくわかっていないなあ。
そしてひるがえって、不幸にして、全く不幸にしてマイナスを得てしまった
人もいるだろう。
そういった方々のマイナスを、プラスにしてあげるよう努力するのも、
楕円のハレを知る者のつとめかもなあ、とも思った。
しかしその人たちは、自分たちにマイナスの部分を見せてくれるだろうか。
さりとて、あんまり見せたいものでもなかろうしなあ。
でもこれだけは言える。
さらけ出す側に悪意のない限り、ハレのカミガミは絶対にそのマイナスを
置き捨てにはしないだろう。彼らなりのやり方で-を+にしようと頑張って
くれるはずだ。
だって一緒にその場にいるだけで、その気がなくとも二人のハレのカミは
自分に元気をくだすっている。
そのつもりになれば何をかいわんや。

そしてハレのお二人はにこやかに盃を干し、自分のケを全くお払いくださり、
丸ノ内線の終電で帰って行かれたのである。

自分はその余韻を楽しみつつ、またも新宿ゴールデン街で御神酒を
上げたのである。ハレわたった夜だった。

写真はゴールデン街で必ず行く「夢二」というバーの入口なんだけども、
ようわからんな。






2013年8月6日火曜日

ハレのラグビー

「世界中の人間がラグビーやったらええねん!無くなんでォィ、戦争!!
ガハハハハハハハハハハ!!」

「だからあたしゃずっと男に生まれたかったョ!ラグビーできたもんね!」

この二つのセリフ、妙に頭に響き続けている。
両方、理論ぶっとび、飛躍アルプス一万尺、不条理といってもいい言葉
かもしれない。
しかし「確かにそのとおり」と納得できるのはなぜだろう。

んであれだ。懐かしいのだ。
自分がラグビーを好きな理由の一つに思い当たった。そうだ、こうした
人たちと、現役時代から出会えてきたからなのだ。

何杯目か忘れてしまった生ビールをあおりながらほろろんと思った。

銀座1丁目で飲んだと言うと、ちょっとお大尽な感じもするが、さにあらず。
ええ感じの立ち飲みがある。そのまま新宿3丁目に~。またうまい大衆
飲み屋がごちゃっとある。
そんな夜。

ガハハのドマさん。ハマモトの現役時、下宿「北星寮」の住人同士だった。
今でも強烈に憶えているのは、ドマさんの部屋の真ん中には、いつも
赤いバイクが一台とまっていた。
五畳半をひっぺがし、その部屋のど真ん中にバイク。あれはシュール
だった。だってそこは二階で、上がるにも粗末な鉄階段だけである。
お部屋におじゃましますと入れば、すぐ目の前がヘッドライトだった。
どないやって生活してはったのだろう。
柔道仕込みのスマザータックルで、四芸にはモヒカンヘッドで臨んだ
フランカー及びキャプテン。
この人に関するエピソード、伝説は枚挙にいとまがないので省く。
OBでご存知の方も多かろう。

あたしゃのヒラノ女史。ひょんなことから出会った、渾身これラグビー者、
と呼ぶにふさわしい才媛である。
この人は、ほんっっっとにラグビーが好きだ。こんなに楕円への愛に
溢れた人を自分は見たことがないのだが、面白いのは女性でありながら、
男のそれもプレーヤーを軽く凌駕する男気を持って生きておられると
いうことである。
理論より行動を、スマートさより土臭さを、賢さよりも根性を。
密かに舌を巻いている。

このおふた方に共通するのはそのポジティブさだ。別にラグビーに
限ったことでなく、話の全てがそう、書きながら気がついた、前を向いて
いるのだ。
話の内容は深いわけではない。自分も酔っていたので細部は記憶しない
のだが、ずっと皆ニコニコ笑っていた。あえて選んで明るい話をしていた
わけでもないが、おそらくこれは、このお二人の「徳」と言っていいだろう。
わかりやすくは「ハレのカミ」なのである。
自分は、ハレのカミガミと酒を飲んでいたのだ。

だから懐かしい。

そういやあ、自分は大学四年間を通して、主にラグビー部関係で、
なんと多くのハレのカミたる人々とあって話をさせていただいたことか。
この懐かしさは、そういった人々と再び会う嬉しさなのだ。

結局、OBになってまでひいこらラグビーをやっている理由のひとつは、
つまりこういうことだったのだ。となぜか納得できた。
ので、一番最初の二つのセリフ、なんと前向いた言葉だろう。現実的か
どうかを問うのは愚の骨頂、ハレの人々から流れ出る言葉はいつも明るく
楽しいのである。

で、続く。










2013年7月29日月曜日

おセンチOB

最近、後輩といくつかやり取りをする中でふと考えていた。
自分はいつからラグビーを好きになったんだろうか、などと。
経験者なわけでなし、団体競技のだの字も知らず強引に入部させられ、
かつ大学入学まで楕円球に触れたことさえなかったわけで。

もう1・2回生の頃はがむしゃらの一言。とにかく自分のせいでチームが
負けないように責任回避することしか考えていなかった。
人に当たることにサディスティックな喜びを覚えるようになってからは、
自分「だけ」いいプレーをしとけばいいと一時期思っていた。加えて
ルールの隙間をつくことも知り、勝とうが負けようが、試合中に一回は
いい当たりかタックルができていれば、それで自己満足にひたっていた。
「俺はいいプレーをしたもん。」と。
それは、楽しい、という感覚とは言えないように思うのだ。

そしてキャプテンになり、どうやっていくかを考えた時、自分の中に
引き出しがあまりに皆無なのを自覚し慌てたのが首脳陣の夏だったなあ。
それからはもう必死にラグビーを勉強するしかなかったし、のめり
込まざるを得なかったので、人生で一番勉強した。
ここでも、没頭はしたしその後の自分にとって確実に意義深いと言える
期間だったが、それは今振り返ってみるとであって、その当時は
ただただ必死で、楽しかったかというとようわからんのである。

やっと「こりゃあ楽しい!!」と思ったのが最後の四芸決勝の後半の
ことだった。
よく憶えている。
自分の思う形で他の皆が走ってくれているのを見たからだ。
ま、錯覚かもしらん。
しかし、とにかく「そうそう、そこ!」と指摘したいコースで皆が
ふわーっと動いてくれていたので、実は自分は後半、あまり走っていない。
No.8だったが、結構サボっていた。サボりつつ
「うわこら楽しい!!」
と悦に入っていたのである。

試合終了の笛が鳴って、強烈に思ったもんである。
「このメンバーでもっと試合がしたい。あと1年あれば、もっとこのチームは
強くなる。」
何か、ジーザスからの啓示を受けたパウロのように
「おお、楕円の神よ!僕、引退したくないっす。」
てな塩梅。
実際、試合後の円陣で首脳陣の最後の挨拶の時、皆に向かって手を合わせ
「ごめん、頼むからもう1年キャプテンさして♡」
と言いたくて言いたくてたまらんかった。
だが、そんなおもむきのない事はできないのでそれを飲み込み、混乱したまま
「マネージャーが15人以上いるから、女子チームを作って頑張ってください。」
と、最後のコメントでさらにおもむきのない事を言ってしまった。
いや、その時はマネージャーも多かったし、練習に参加したりしてたから、
本当にそう思えたのだ。多分女子ラグビーも盛んになると思っておったから。
でも、それは真実になっているので、いまちょっと惜しい気がしていたりする。
「キョーゲイ女子ラグビー部」なんつって。
絶対話題にもなると思うんだがね。

閑話休題。
とにかく、自分に限ってはラグビー部在籍中はほとんど全期間「楽しい」
と言えなかったのである。
だからラグビーに対するモチベーションの話になった時、自分の口からは
「しんどいけどがんばれ」
という上っ面なセリフしか出てこないのが申し訳ないのだ。また、
どんな言葉でも実感に勝ることはできないと思うので、ラグビーの良さを
語る上でなおさら言葉が出ない始末。挙句、説教口調になる悪癖が出て
しまいもし。
畢竟、自分は単細胞な人間なのだなと、自覚するばかりで情けない。
しかし、悩む後輩には結局こう言うしかないのだ。

「しんどいけどがんばれ。がむしゃらにがんばれ」

美辞麗句がどうも浮かばん。



2013年7月23日火曜日

告知

ひっさびさの投稿だと思ったら、大変私事で恐縮ながら。

告知を。

濱本裕介 作品展10th
2013年7月29日(月)~8月3日(土)
午前11時~午後7時(最終日午後4時まで)

中和ギャラリー 
ホームページ 
http://www.chu-wa.com/

フェイスブック   

https://www.facebook.com/ChuwaGallery

濱本は8月2日金曜、最終日3日土曜日の両日ギャラリーにおります。

早いもので、東京での個展10回目となりました。新作・過去作品をふくめ、

今回は初めて立体作品も数点出品いたします。
お近くの方はぜひお立ち寄りください。お遠くの方もぜひお立ち寄りください。
ご不明な点はお電話いただければ、ご案内させていただきます。

「とにかく10年出し続けてみなさい」と大学卒業後、なにも定まらない自分に

アドバイスいただいてからはや。何が変わったかと言って、何かを作ることが、
時間を忘れよだれが出るほど好きになった。ということでございます。
モチベーション、上がりっぱなしです。
宜しくお願い致します。




2013年6月6日木曜日

スクラムと私

新ルールで、スクラムを組むときの掛け声が変わるとのこと。

旧 「クラウチ、タッチ、セット!」

新 「クラウチ、バインド、セット!」

もうお分かりの通り、「バインド」で、ルースヘッドプロップ、タイトヘッドプロップ同士が
空いている手を組み合った状態にするのだそうだ。
やはり危険回避の意味合いが強いらしいが、まあ、もっともであろう。

以前なんか、「クラウチ、タッチ、ポーズ、エンゲージ!」の四段階だったわけで、
各国選手から「組みにくい」との意見が多かったのだとか。
本当にこの有機的な変動っぷりがラグビーらしいというか、むしろうなずける。
良い方向に積極的に変わっていってほしいものだ。
そう言った意味で、いまだ完成を見ぬ若々しいスポーツなのだなと実感する。

ところで、ユーチューブで、「tonga beats the wallabies 1973」をご一見ありたい。
トンガがオーストラリアに勝利したという記念すべき試合の記録だが、
トンガ15番のタックルがとんでもない。
「突き刺さる」という表現は、まさにこういったプレーを言うのだろう。40年前の
昔、現在の激しさに劣らぬ選手がいたのである。自分はびびった。
画面のフレームの外から一直線に飛んでくるんだもんなあ。

以上、どうぞお知りおきを。

2013年5月5日日曜日

なんでOBチームがおもろいのか

ラグビーは、頭を使うスポーツである。
しかし、バカでもできるスポーツである。

自分は、試合中、脊髄反射でプレーしている。何も考えてない。
でも、走っていられる。
どんな試合でも「勝とうが負けようが必ず一回はビッグプレーをする。」
が最低限の自分のラグビー原理である。
自分はバカであると定義してよい。

ラグビーは、スマートな選手が必要だ。
しかし、バカでも役に立つ。

言葉ではなく、いいプレーを見せてもらったり、したりすることで、
理論を超えた試合の流れっつーものが一変するときがある。
「バカの壁」を超える瞬間が、ラグビーにはある。
だから、自分でも役に立ってるよな、と思えるときがある。

先日、つっても春合宿OB戦の時だが、試合終了間際、自分は
久しぶりに、上記の事でテンションがきゅーっと高まるのを実感した。

ゴール前8メートルでの現役側ペナルティ。
突っ込んでこようとする現役たちに、ゴールラインに居並ぶOBたちは
なんとしたか。
クラウチングスタートで、足首に突き刺さるタックルをかましていた。
そして現役の攻撃を防ぎ切った。
それを見て、「ふ、ふおーっ!!」となった。脳内麻薬が出たねありゃ。
ホンマにOBのプレーかいな、とわっくわくしたのである。

どう防ぐか、どういう選択をするか、でなく。
止めたんねん!というハートの部分をまざまざと見た。
成功失敗に関係なく、こういった心意気をみせられると、どうなるか。
「このチームのために骨でも削っとこか」という気分が自然に生まれるのだ。
これ、自分だけ?

こういう、理論を介さず、直接中枢神経に注入されるような「実感」は、
今の社会ではなかなか得られないように思う。
だからラグビーが好きだし、その感覚を与えてくれるOBチームが面白い。
ぜひ現役のプレーヤーたちにも味わってほしい感覚ではあるのだが、
それが「自分たち次第」にまかされる部分、教えられるものでなし、
歯がゆいところだ。

水木しげるのたまうところの「バカになりなさい」と表現するしかないか。


2013年3月30日土曜日

夢を持てば2

間をおいてしまっている間に、また柔道界関係の問題が明るみに
出とるな。くらーいお金の動きとか。

こういった問題の噴出したチームは、間違いなく弱くなる。
どんなに体を鍛えても、心がついて来なければ実力など出せない。
首脳陣に対して不信感を抱く選手たちが、勝つことなど土台無理な話だ。
なかんづく、その国を代表するアスリートにおいてはなおさらのこと。
多分、しばらく日本柔道は低迷するのだろう。

以前も書いた話なのだが、かつて、1995年世界杯決勝戦で、NZ代表
オールブラックスが僅差で優勝を逃した翌日、NZ本国では体調不良を
うったえて病院に来る子どもが多かったのだという。
つまり、そういうことなのだ。
少なくともその当時、子どもらにとってオールブラックスはヒーロー集団
だったのだ。それが負けたということで、彼らは「がっかり」したのである。
それも心の底から、体調を崩すほどに。
ヒーローが負けるなんて、あってはならないことだったのだ。

この話は、「NZ代表」というものの意味を端的に表している。
単に強いチームでおわっていないのだ。
幾人かの子どもらの夢は「いつかあの漆黒のジャージを着る」ことであり、
その夢を胸にラグビーにいそしんでいる。それだけの価値を見出している。

夢のゴールがオールブラックス。
そのためになら、そらがんばれるだろう。むしろ当然の話といっていい。

元日本代表監督にして元NZ代表の伝説的選手、ジョン・カーワン氏の
インタビューにも書かれている。氏が代表に選ばれた時、先輩から
言われたそうである。
「一度オールブラックになったものは、生涯オールブラックである。」

プレーヤーはもちろん、首脳陣もその意味を理解するからこその
強さって、やはりあるのではなかろうか。
逆に言えば、意味を伴わぬキツさは「しごき」以外の何物でもない。
問題になっている女子柔道の問題はそこにあったのではないか。


2013年3月2日土曜日

夢を持てば1

小学校3年生から高校卒業まで、柔道をしていた。今でも試合とかは
見てしまう。
そして最近、柔道関係の事件があった。元金メダリストが酔った弟子に
暴行したり、暴力、暴言が原因で、女子柔道選手団がその監督を
告発したり。また、教育現場での暴力で不幸な事件も起こった。
自分も教育関係の仕事をしているだけに、悲しい。

正直なところ、自分も練習中、竹刀で叩かれたり、怒鳴られたりした。
しかし、そんなことはどうでもよかった。強くなりたかったし、自分を
叩いた先生を嫌いになることもなかった。
信頼関係とかそんなことに気を配ってもいなかった。自分は、とにかく
柔道が楽しかったのだ。少なくとも人間性を否定されなかったので、
先生や種目を嫌いになる要素がなかっただけといえばそうかもしれない。
言い方を変えれば、一線が守られさえすれば疑問もうまれなかったのだ。
そんなことより、心無い言葉の方がよっぽどこたえた。

何が嫌いなのか自分を認めようとしない先生がいて、なんも関係ない
ことをいちいち言う。その人のことは悪い意味で忘れられないし、今でも
大嫌いである。
厳しい練習よりも、その人に物を言われるほうが疲れた。
そういうことだったのかなとつらつら思う。

しかしだからといって、暴力やむなしという意見ではない。
やはり良くないものはよくない。
ただ、桑田元投手がコメントしたように、暴力が子どもの心を歪ませる
原因になるかというと、自分の乏しい経験からして、よくわからない。

自分は、言ってみればかつて「暴力を振るわれた」。しかし、そのせいで
自分が歪んだとは思っていない。
むしろ、「自分を追い込む厳しい教育」だったと認識しており、そういう
状況があったことを感謝さえしていたりする。

「あのときしばかれたが、そらもうしゃーなかった。」

と思っている。
恥ずかしながら少なくとも自分は、言葉や理論のみで柔道が強くなれる
タイプではなかったし、言葉と理論のみでしかられて反省するような
もの分かりのいい子どもでもなかった。


2013年1月27日日曜日

バージョンアップと言っとこう

先年三月終わりにアキレス腱を断裂しはや10ヶ月・・・。
はっきり言って、去年はしんどかった。しかし、不安は消えないまでも、
なんとか復帰した。傷の感覚としては、徐々に最適化されつつあるが、
やはり違和感は残る。そして、かかとにはムカデが張り付いたような
手術の跡がくっきりのこっている。

正直なところかなりビビりつつ直してきたが、頭を冷やして見回して
みれば、我々の中には、アキレス腱云々など足元にも及ばぬ逆境を
くぐってきた先輩方がいるではないか。自分が恥ずかしい。
結局OBは、多かれ少なかれどこかを痛めながらラグビーをやって
きているわけだから、取り立てて自分の怪我を喧伝する必要など
なかったのだ。言ってみれば、靭帯や骨がどうしたこうしたは、むしろ
日常茶飯事なのであって。

だから特に、自分より上の先輩の奮闘を見ると、本当に頭の下がる
思いがする。今年もそれを目の当たりにさせていただくことであろう。

いくつの修羅場をかいくぐってこられたことか、自分の中では尊敬を
込め、フジイさんでなく「フジミさん」である。

自分が学生の頃、バイクで事故をされ、肺に穴があいて入院されて
いるとのことで、部員皆でお見舞いに行った。自分は、肺に穴が
あいているなら、ベットに臥し、チューブにも幾つかつながれた姿を
想像しつつ病室に入ると、ベットにがっきとあぐらをかいて座って
おられた。最近になって自分が知っただけでも、アキレス腱断裂、
再断裂、肩の骨折、そしてバイクの事故、ここまでくれば治療でなく、
もはや改造手術の域に達しているように思う。自分の中では、
畏敬の念とともにオナカさんでなく、「オナカ3」である。
3号機ということで。

他にも、OB戦前に痛み止めの注射を毎回打っているひと。
胸の形が違うぞと不思議に思っていると、いつの間にか肋骨を
くだかれ、知らぬ間に治ったあとだったというひと。
皆京芸OBである。

失礼を承知で、そこまでやるかというより、びっくり人間のレベル
ではないか。ナチュラルタフと言おうか。

傷を縫った跡が1000針超!と自慢していた大仁田厚も凡人に
見えてくる。
ゆえに年が明けて思ったことは、自分は何をあんなに戦々恐々、
怪我におののいていたのかということだった。

するかしないかわからない怪我にビビってたら、タックルになんか
いけやしませんよあんた。

とかいいながら、いつもタックルにいくのがちょっぴりこわいハマモト
なのである。


2013年1月20日日曜日

一期一会でございましょう

テレビをあまり見なくなり、以前ほどラグビーの試合を見ていない。
しかし、その分頭の中で考えている時間が増えたような気がする。
妄想といったほうが妥当かとも思うが。

花園の決勝戦を見て、しばらくその印象を噛み締めていたが、
あの試合の勝敗を分けたポイントがどうもわからない。
どの試合もそうだが、決勝戦も本当にいい試合だった。それこそ、
どちらが勝ってもおかしくないものだったと思う。
でも、厳然と一位、二位は出来てしまったわけであって、その理由は
どこにあったのか。
その検証はこれから、いやもうすでに両校の間で行われているので
あろうし、その作業は果てしないものになるだろう。
たら・ればで覆る結果ではないが、検証をを繰り返すことで次への
目標が浮かび上がってくるのだろう、特に負けたチームにおいては。

ただ、実情も知らないただの視聴者である自分はこう感じた。
おそらく、年間何十試合とこなす強豪校の選手たちにとって、その
数ある試合の総決算がハナゾノ決勝戦であったのかもしれない。
しかし、それはあくまで数十試合の中の一つである。
理由がどうでなく、競い合った結果、勝敗が別れたのだ。そんな
印象だった。
関係した人、当事者たちには失礼かもしれないが、それほど実力の
伯仲した両者であったように思う。
理屈で勝敗を論じる程の分析力が自分には欠けているせいもある。
でも、常翔が勝ち、御所が負けた理由が、やはりはっきりしないのだ。
ちゃんと試合を見てなかったせいかなあ、とも。

力を出し切って戦い、出し切ったその上で、なおどうしようもない勝負の
行方が出てしまったように見た。それほどレベルの高い試合だった。

プレーをした人はこの感覚がわかるのではないか。
どんなに走ってもなぜか負けてしまうこともあるし、なんで勝てたのか
わからない試合もある。最後の最後でそれが出てしまったのでは
なかろうか。

ところで、御所実業の監督さんは、我らが京芸OB、イワノさんの先輩
なのだとのことで、いろんなところでつながっているものなのだなあと
改めて不思議にまた楽しく思った。
来年、御所はさらに高いパフォーマンスを見せてくれるような気がする。