2015年11月15日日曜日

美しくあれかしとⅡ

https://www.youtube.com/watch?v=IIEW1B2duT4

柔道をしていた中学、高校生の頃、60近い先生と試合形式で
「乱取り」をしたことがある。
ぽんぽん投げられた。
面白いもので、剣道も最初の立会いで相手の強さがわかると
いうが、柔道では、組んだ瞬間それがわかる。
その先生は、手首の動きでこちらの体さばきを制し、ふわっと
払い腰をくりだしてくる。えぇ~?と思った。
技が来るとわかっているのに投げられる。
おなかの出たおじいちゃんだったが、その人の柔道を「美しい」
と思った。
現在の「JUDO」とは違うし、なんともいえないが、強く美しい技を
見せてくだすった。
上に上げたユーチューブの映像がその端的なものであろうと思う。
伝説の三船十段の「隅落とし」別名「空気投げ」。
そう、昔々の話だ。
この動画の技も、老先生にかけられたことがあるが、なんで自分の
体が飛んでいくのか全然わからなかった。こういうわざと使い手が
確かに存在したのである。
ただ、自分の体ごと相手を巻き込んで投げるのは、見苦しい、と
されていた時代であるし、やはり現在と比べることは難しかろう。
根本的な部分で違う競技になりつつあるように感じる。
しかし、柔道の魅力は、この動画にこそ集約されているのではなかろうか。

選手としてやっている中、美しい柔道をできていたかというと、そこまで
極めることなどできていない。しかし、目標は常にあった。
自分が目標にしていたのは、山口香という女性柔道家だった。
いわゆるヤワラちゃん、田村亮子とは全く対照的な印象の選手で、
豪快な投げ技などの大技ではなく、足首を刈り取るような「小内刈り」
という小技で文字通り相手を倒していくスタイルだった。

https://www.youtube.com/watch?v=Tp5TD1lNZrU

地味な技なのだが、これで十分一本になる。とりわけ、山口選手の
小内刈りは本当に美しかった。
競技の魅力とは、強さももちろんであろう。しかし、それとは離れたところで
の良さにこそ、実は大きなものに思えて仕方がない。
他の武道やスポーツもそうだと思う。話題や映像に流される一流選手
よりはるかに多くの競技人口によって、それは支えられているはず
なのである。

2015年9月13日日曜日

美しくあれかしと

ラグビー世界杯、全48試合見たるぜ、と、Jスポーツを
契約しなおした。
普段ほとんどテレビを見ないので、久々でなんか新鮮である。
つらつら見ていると、世界柔道アスタナ大会をやっていた。
小・中・高と柔道部であったので、確実に自分のルーツはそれである。
んで、試合を見ていた。
ほんだらまあ、自分の頃と今と、同じスポーツでも別物のようだったさ。

カラー柔道着は見慣れてきた。そして、東ヨーロッパ選手に顕著な
ご当地レスリング、サンボなどローカルな格闘技のにおいのする、ワイルドな
動きとパワーもむしろ面白い。グルジアやカザフスタンには、「チタオバ」
という古い格闘技もあり、柔道とは全く違う体さばきで相手を放り投げてくる。
技の攻防でほの見えるそういった異質感も楽しい。
そして全体の印象はどうだったかというと、かなり戸惑いを感じた。何度も
頭をひねる場面があった。
そこに感じたのは、
「武道である本質から離れ、その理念を置いてけぼりしたまま
近代スポーツへの道をひた走る、ある種目」
だった。
完全にそうなってはいない。いないがそうなりつつある。
言い方を変えるならば、近代化を図ろうとして、その弊害が出ていると
いえるかもしれない。
そう思ったのは自分が年寄りになったからか。しかし、少し悲しかった。
具体的に言うと
1・「指導」という主審判断が形骸化しており、ただの獲得ポイントになり
  下がってしまっている。
2・技の効果基準があいまいで、かつ低い。各審判における判断にかなりの
  幅ができてしまっている。
3・選手が審判にアピールする。

なにかの過渡期にあるせいなのか、ちょっと驚くほどだった。理由は
試合の合理化、スピードアップを進めるため、というのがよくわかった。
しかしこれは・・・。

1についていうならば、「指導」という意味合いは主審がその選手の試合の
ありようを正していくためのもので、教育的意味が強く、あまり軽々しく出る
ものではかつてなかった。そして、指導1回は試合の勝敗に関係なかった。
だってあくまで指導だもん。
この上で「指導→注意→警告→反則負け」と重みを増していくものであり、
それは「正しい戦いを行いなさい」という指示でもあった。自分がやって
いたころはね。
しかし、現在、指導はそれ以上の重みは持たず、何回出ても指導のまま、
「指導×回数」のただのポイント的考えのようである。なので1回の指導で
試合が不利になるのだ。
また、試合が少しでも停滞すると即座に指導ポイントをとられる。事実、
一試合4、5回出るようなケースもあった。
つまり試合を既述したように迅速化するためか、組んだとたんに動き
続け、始終技をかけ続けねばならず、これは選手にしてみれば常に
急かされているようなもので、呼吸の読みあい、駆け引きが非常に
しづらい。しずかなにらみ合いが不可能になってしまっている。
そうなると、やむを得ず「わざのかけ逃げ」が発生しやすくなるが、
これはルール上反則行為なのである。
反則がおきやすい状態にしてしまう指導とは、どないなものなのか。

最もおかしいと感じたのは、下した「指導」を、主審自身が
くつがえし、「今の指導ナシ」とするのが乱発していたことだ。
試合を司る審判、しかも主審が自分の下した、選手に対する判断を
ゆるがせにするなんて、それはあってはならないことのように思う。
指導しておいて後でそれをなかったものにするのは、そもそも
相手を馬鹿にしている。日本語名称のニュアンスだからだろうか、
大変違和感を感じるのだ。
だってラグビーでは絶対に起こりえないでしょ?同列にするのは強引
かもだが、主審の絶対性が崩れたら試合が成り立たないではないか。

技の効果の度合いを修正することはよくある。事実(映像)確認の
上でトライが取り消しになったりするのと同じだ。しかし、ペナルティーが
取りやめになることは決してないはずなのだ。

「指導」の言葉が意味を失い、ただ「シドー」というポイントの呼称に
過ぎなくなってしまっているように思えた。


2015年5月30日土曜日

楕円形の思想

今回の五芸の少し前、、非常勤で行かせていただいている学校に、
見学の方が来られた。
美術専任教員のお知り合いで、フランスからの御旅行だとのこと。
ハマモトより、5つほど上の、石鹸職人の方だった。
(御本人から許可を得て載せさせていただいております。)



お互い日本語なまりの英語、フランスなまりの英語でアーウー言いながら、
なんとか話した。
「ワタシ見学した授業で、先生が話しているトキ、生徒が私語するの、
とても驚きました。」
「汝、なにゆえにそう感じたるや?」
「フランスでハ、ありえない。教室から追い出されます。」
「そは、仏国にての通常なる行為ならんや?」
「ふつうよ。」

ああ、そうなんだよ、ちゃんと怒るんだよ。

「これ、ワタシフランスからスミレの紅茶持ってきた。飲んでみて。」
「承知。我持って帰りてのち、味わわんとす。」
「いいえ、感想を聞きたいから、今飲んでミテ。」

ああ、忘れていた。このここちよいストレートさだ。
海外の人と話すと、単純な英単語の応酬になるので話が大変率直になり、
向こうも元々直球なのでむしろ気分がよい。
最近、自分はしかるべきときしかっていたか。また率直であったかどうか。
何か反省してしまった。
ちなみにお茶は、よい香りでうまかった。
「美味なり。」というと、「そう!」と笑っておられた。

自分はむかーし南仏を訪れたことがあり、彼女も南仏の生まれとのことで
聞いてみると、やはり共通で知っている場所があり、盛り上がった。
やはりこういった状況でのご当地トークは鉄板であろう。
で、問うてみた。
「さても南仏なれば、ラグビーもなお盛んならん。いかに?」
「ウォーララ~、ゥォ゛グビー!」
一気にボルテージが上られた。

フランス語発音だと、自分の耳にはラグビーが「ゥォ゛グビー」と聞こえる。

「アナタラグビーするの?ポジションはどこ?フランカー?セ、ボーン!」
いきなり大喜び、どうされたのか。
「ワタシも若い頃ラグビーやってた。アナタと同じFWよ!プロップだけどね!

あ、そーなんだ。やってはったのね。そう、プロップ・・・プロップ!?

写真の通り、すらっとむしろ細い方(バレエもしていたとのこと)だが、
あなた最前列だったの?
「ワタシの腕と背中、さわってよ!キンニクしっかりあります。」
(ポンポン)「確かに。」
「オトコの子に混ざってやっていた。ラグビーとっても面白い。今でも好き!」
「されど汝の体はスマートなる。それをプロップとはいかに?」

「ワタシの両親、バスク人。バスク人は力が強い。だからワタシも力ある。
だからプロップしてた。」

自分はこの言葉の持つ意味に、すこしふるえた。


2015年3月24日火曜日

親子・人生の苦味あるいはちょっとしたPTSD

年末、鳥取の実家に帰帰省していたとき。

夕餉の晩酌時、父が自分を飲み屋にさそった。
飲み屋ゆうて、言うところのスナックである。なんか折り入って話でも
あるのかなと思ったらこうきた。
「米子から来とるママがおってな。」
ぅおとーちゃん、オネーちゃん目当てかよ!息子をダシにして飲みに行く
口実作らんでも!70を前に色気づかんでも!

米子ってのは「よねこ」でなくて、鳥取県の西の端の米子市のことで、
「よなご」と読みます。

自分は強くないが酒は好きだ。きれいどころがいてくれるのも嬉しいこと
だと思う。米子から来るというそのママに会ってみるのもよかろう。
しかし。
父と自分とは、決定的に酒の好みが違う。
父は焼酎を飲むが、自分は焼酎のアジワイが大変つらい。なおかつ、
父は自分の好みを押し付け、いくら断っても焼酎を飲ませようとする。
つ、つらいのだ。
そして一番つらいのは、自分は田舎のそういったスナックにトラウマ
があるのです。
ハマモトの心的外傷なんて何が楽しくて読まなあかんのだという気持ちは
よくわかる。でも書くね。

自分はそういうお店に行くと、大変精神が疲れる。なぜなら、「お酌」
されるのが申し訳ない。
ママさんやオネーさんは、客、つまり好きでもない男の酒を注ぐ。
杯が乾かぬようカウンターや隣に座った位置で気を遣ってくれる。それが
とっても気になる。
言うと、気を遣ってくれていることに気を遣う。

お酌は彼女らの義務であり、言ってみればそれは業務上、客である自分が
受けるサービスとして当然の行為なのだが、それは一種の「奉仕のふり」
であり、仕事である以上、楽しいかどうかはもちろん二の次だ。
もし自分だったら、興味のない人に笑顔でお酌するなど、拷問に近い
精神的苦痛をともなうであろう。やったことないからわからんけど。
しかも、酔いどれ相手に長時間。
それってけっこうつらいぜ。
(ただ、お酌したい相手、はある。その場合、全然苦痛ではない。)
そう思うもので、お酌されるごとに
「自分のようなしょ-もない人間に酌などさせて、生まれてすいません。」
という懺悔の気持ちが大きくなってきて。
つらいのだ。
一度、実家で先輩に連れて行ってもらったお店で、ピッチの速い自分の
隣に座って、かいがいしく何杯も水割りを作ってくれていたオネーさんに
「すいません、そんなに気を遣わんといてください。」
と言ってしまったことがある。
仕事や言うねん。
自分は忘れない。一瞬ぽかんとした後、「はん」と鼻で笑ったオネーさんの
ハマモトに対する嘲笑に満ちたその顔を。

トラウマーっ!!

以来、「酌をされる」ということが怖い。

なのでハマモトのことを思い遣るなら、手酌をほっておいて欲しい。
決して「酌をせい」などとは言わない。ラグビー部のコンパでもひたすら
断る。それでも断れず、恐縮しつつ現役マネージャーに注がれている
体たらくである。

これは落語の「まんじゅうこわい」のように、実はハマモトは、きれい
どころのいる店に行きたくて仕方がなく、お酌されたくてどっしょもない
ので逆にそんなことを言っておるのだと解釈し、だったら連れて行って
やろうと誘ってくれる人の出てくることをわくわくしながら待ってんねやろ
と思われる方もあるかも知らんが、そらちがう。
ほんとにつらいのだ。

なので多分、父親と米子から来るママのいるスナックに行くことはない。
許せ父よ。

この話は、実は続く。








2015年1月13日火曜日

なんつーかな。

娘が「ラグビーしたい。」と言いだした。
「えぇ~。そんな健康に良くないスポーツ、やめとけへん~?」
ハマモトは言った。

みなさんごめんなさい。
普段「マネージャーもラグビーを」とか言うてるくせに、それがわが子に
からんできたとき、けがでもしたら大変だ、ラグビーはいかん!
と、率直に思ってしまった。

眉を切ったとき、こう思った。
「あしたのジョーみたいでかっこいいかも。」
指の腱を切ったとき、思った。
「握れりゃいい。」
鼻が曲がったとき。
「あ、ジョン・ウーの『男達の挽歌』みたいに鼻血が出る!」
額を割ったとき。
「アブドラ・ザ・ブッチャーもこんな感じやったな。」
耳が割れたとき
「聞こえてっからいい。」
頬骨が割れたとき
「ま、ものは食えるしな。」
アキレス腱を切ったとき
「あとは復活するだけ。」

抜糸は自分でし、痛みがなくなったら通院はやめ、走れるようになったら
勝手に装具を外す。
自身のけがに対してはそういう大雑把な感覚と頭しか持ち合わせていないのに、
子どもが言い出したその途端反対した。けがでもしたらどうすんねん!と。
もともと軸のぶれた人間だが、あー、おれ今矛盾してるわ。と素直に認めた
もんである。

55周年記念のとき、タグラグビーで地面にごろごろ転がったのが
「怖いけど楽しかった」
というわけで、ラグビーをやりたくなったらしい。
そんなんで目覚めんでもさあ・・・。

               ↓こん時に。



しかしまあ・・・よりにもよってこんな業の深いスポーツをしたくなるなんて。

とりあえず、タグならタックルがないしやってもいい、ということで、今週末
から小学校のタグラグビー教室に通うことになったわが子であるが、
おやじとしちゃあ複雑この上ないのである。
「マネージャーも一緒に走るべき」なんぞどの口が言ったのやら。