2014年12月21日日曜日

元気の出る話。

テリー・ファンク、そしてミル・マスカラス。
この名前は自分にとってはヒーローの代名詞である。
小学校低学年の頃、「ワールド・プロレスリング」全盛だった頃、
毎週日曜日のお昼のチャンネルはまさにこれだった。
いわゆる「イノキ世代」のほんの少し後の世代の自分は、
初代タイガーマスクの出るほんの少し前に物心がつき、プロレスに
はまった。
テリーは兄のドリー・ファンクJr.と「ザ・ファンクス」を組んで荒っぽい
戦いを繰り広げ、マスカラスは「仮面貴族」というコピーで美しい
ルチャを見せてくれた。
がきんちょだった自分はミル・マスカラス(千の顔)の意味がとんと理解
できず、「マス烏」という、今考えるとちょっと卑猥な認識でいたものである。
「スカイ・ハイ」の曲にのってメキシカンルックで入場し、「オーバーマスク」
(マスクの上にかぶっているマスク)をぱっと取り、客席に投げる。
かっこよかった~。のだ。
ザ・ファンクスはその必殺技そのままの名の曲「スピニング・トゥ・ホールド」
でテンガロンハット、カウボーイパンツで入ってくる。
「西部劇の人だ~。」これもかっこよかった。


若き古館伊知郎の名調子で
「あらぶるテキサス・ブロンコ!ザ・ファンクスであります!!」
「これぞ、これぞメヒコより来る謎の仮面貴族!ミル・マスカラス!!
今日も紳士であります!」
と実況されていたのが今でも耳に残る。
「ブロンコって何だ?メヒコ?何だそれ!!」がきの自分は興奮しつつも
わけがわからず、しかしそのわからなさがまた魅力になっていた。

やー、すごかったですよねあの頃のプロレスは。
ロックバンドの生演奏で入場とかしてたしな。
花道やリングサイドもお客に近く、場外乱闘でよく巻き込まれていた。
ブルーザー・ブロディなどは必ず鎖で一般人をしばきたおし、ガキは
その恐怖に顔をゆがませて泣いていたもんである。

閑話休題。
そのテリーとマスカラスが先日来日し、タッグでリングに上ったと。
コンビニで立ち読みした「週刊プロレス」にあった。



不覚にもこの写真を週プロに見たとき、自分は目頭が熱くなってしまった。
テリー・ファンク70歳。
ミル・マスカラス72歳。
あんたらすげーよ!!
この喜び、お分かりいただけるだろうか。


2014年12月8日月曜日

何を抱いて天にのぼるか

戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」。
最後の場面で死にゆくシラノが最後の力をふりしぼってつぶやく
そのセリフ。

いよいよ「死」がやって来た。もう足に大理石の靴をはかされた!
 両手にも鉛の手袋をつけられた! だが、折角そちらがむかえに来たなら、
こちらからもむかえてやる。さあこい!わがつるぎにて応えよう。」
(中略)
「貴様らは、おれの手から桂の冠も、薔薇の花をも奪ってゆくのか。 
ええ皆持つて行くがいい!だが!貴様らがいくらあがこうが、決して
取れぬ宝をおれは一つだけ持っている。 それをば今夜、清らかな
青空の道を抜け、天の宮の審きの庭に入るとき、お前たちには気の毒だが、
しみ一つ、よごれ一つつけず、 まっさらのまま持って行くのだ。その宝とは、
その宝とは、その宝とは外でもない…… 。
それは、おれの、心意気!」

-〈幕〉-

少し前、自らの人生を「楕円」というたった二文字に集約させて去った
人のあることを知った。

戒名というものはその人の生きてきたありようを表すものである。
位牌によく表記される「~居士、~大姉」とあるもの。
それをたった二文字、それも「楕円」とは。

自分は東京藝大RFCOB、大國さんのことを存じ上げない。
「大國杯」という試合のあることを知るだけだ。
この方がどんなプレーヤーで、どんな作品を作ってこられたのか。
失礼ながら、まったく存じ上げなかった。
しかし、亡くなられてから御位牌にあったこの二文字。
背筋が伸び、頭が下がった。か、かっこよすぎる・・・。
これをこそ心意気とよぶのだろう。
かっこいい!そう思わんかね!

いまここで話題にするのはすでにして蛇足というものであるし、
無粋である。しかしそれを知りつつなお話題にしたい。
恐ろしい雄弁さで、自分の知らない大國さんのお人柄が流れ
こんでくる。
前述した戯曲の主人公が、長回しで遺したセリフの思いすべてが
この極端に短い戒名に凝縮されているような気がするのである。
このような芸当、今の自分には逆立ちして内臓をすべて吐き出しても
できない。
この潔さ、「シラノ」の作者エドモン・ロスタンさえはだしで逃げ出す。
この一時で、今まであったことも話したこともないこの方を
尊敬している。
しかしそれだけではないだろう。