2009年8月31日月曜日

最近のつらつら

今年も東京で、東のラグビー者、平野ゆり女史と会い、一献かたむけた。
女史と話すと、誰よりも強いラグビーへの愛をひしひしと感じ、背筋ののびる思いがする。
聞いていると、見る側としての思いが新鮮であり、このスポーツの奥深さというものを感じた。
東京芸大のラグビー部とのお付き合いも厚く、機会があれば、我々京都の方にも来て頂きたいと
思う。話をさせていただいた前日には早稲田の監督、石塚武生氏の突然の訃報もあり、
二人でその死を悼んだ。
172センチとは自分とまったく同じ慎重であり、それでもなお日本代表として「タックルマン」
の異名をほしいままにした氏の、その存在は大きいものであったのではないかと思う。残念、
そしてご冥福を。

閑話休題。
またトップリーグが始まる、楽しみである。もちろん日本選手の頑張りも期待大であるが、今年も
来日トップリーガーが気になる。各国現・元代表やスーパー14プレイヤーがうじゃうじゃいる
ではないか。中でもやっぱり元ワラビーズのラーカムのプレーが見られるのがうれしい。
リコーに所属しているが、去年このチームはトップリーグ外であったため試合が見られなかったのだ。190センチという身長ながらやわらかい独特の走りや、ここぞのところでのカットインは、見るものをうならせる。
この選手、ぎりぎりのところまで相手をひきつけてのパスが身上であったので、よく体を痛めていたが、ディフェンス側はさぞやりにくかったろう。タックルに行ってもボールを生かされ、かと言って
捨てると穴を突かれる。いずれにしろボールをデッドにできないのだ。これは守る側にうっとうしい
の一言である。どんな走りで楽しませてくれるかわくわくする。
機会があれば花園に行って観戦したいなあ。

ところで、来日外人選手は、よく「日本に来てすべてが変わった」というようなコメントをしてくれて
うれしいのだが、じゃ、どこが?というのがある。少なくとも二選手においては、あ、なるほど、
というのがあったのだ。
NECグリーンロケッツ、元南ア代表・ヤコー・ファン・デル・ウェストハウゼン選手と、
今年から近鉄(だったかな?)、NZ代表・レオン・マクドナルド選手だ。
彼らがコメントに出すほど変わった所とは。
増えとったのだ。何が?髪が。

自分の気のせいか、来日当初とシーズン終盤で、明らかに増えていた。鈍感な自分が
テレビの画面を見ても、ん?と気づくほどに。
とにかく二選手とも「ふさふさ」になっとった。
頭頂部がきているなあと思っていたのだが、今はそのかけらも無い。最新号のラグビーマガジンを
見たのだが、間違いない。個人的には驚くほどの変化だったぞ。
ここであえて言うなら自分はあげつらって述べているつもりはなく、むしろ喜ばしく思っている。
だっていずれにしろ彼らに髪を増やそうという前向きな気持ちがあったということだし、もしそれが
日本に来るまでできなかったのなら、これほどの変化は無いのではないか。悩みが消えて髪が
生えちゃったよなんてなことなら、さらにうれしいではないか。
いずれにせよ、かれらの、グラウンド風になびく髪を見るたび、自分は少し幸せな気分になるのである。

2009年8月14日金曜日

戦うだけの価値を

個展が終わり、一息つけたので前回の続きを。

45歳にしてカムバックしたフォアマンは、無謀としか思えないヘビー級チャンプへ挑戦した。
タイトルを競う相手は。
マイケル・モーラーという「23歳」・バリバリの選手である。下手をすれば殺されるんじゃ
なかろうかと周囲ではうわさしあった。。
何を考えとんねんということだが、その試合のために、フォアマンはたるんだ体を逆三角に
鍛えなおしてきたのだ。
45歳にしてだ。
ハンパなことではない、なぜそこまでするのか。
かつて追い詰めながら、モハメド・アリに8R・KOで負け、ばらばらにされたあのときの自分を
取り戻すためだったと沢木耕太郎は言うが。
試合の前にアリとフォアマンが話す機会があり、。 アリは「祈っているよ」と言ったいう。
そしてインタビュアーに試合の行方を尋ねられ、彼は「Old man」とだけつぶやいた。

結果は、奇跡とも言えるKOでジョージ・フォアマンが勝つのである。you tube 見てみると、その
試合があった。勝ったフォアマンは、コーナーにひざまづき、天を仰いだ。

理由はどうであれ、彼には全盛をはるかに過ぎた体に鞭打って戦うだけの理由が、確かにあった
はずなのだと思う。おそらく、「このままでは終われない」というものが。
同時に、理由さえあれば、やれるのだとも思った。
自分とジョージ・フォアマンを重ねるなんておこがましい真似はできないが、ラグビーの試合を
するとき、自分はいつもこのエピソードを思い出す。
言い方を変えれば、ええ歳こいたおやじが 未練がましく汗を流し、ぜいぜい言いながら
年下とやり合って勝つのだ。自分はそれが、かっこよく思えてしゃあない。

われわれに十分当てはめてよい。
ラグビーをやる理由としてフォアマンほど強いものがあるわけではもちろんない。
でも、なにやらマネしたくなる魅力があり、忘れられないのである。

2009年8月5日水曜日

南ア・豪州・NZ三カ国対抗戦

南ア・豪州・NZ三カ国対抗戦、トライネーションズを見ている。
今日は南ア対NZだった。
けが人が多いNZに対して、南アのゲームメイクが光った。
南アは以前、いやさ今もだが、解説者氏をして「かいなぢから(腕力)」と表現せしめるパワーのチームだった。
戦略「パワーを生かしたFW戦」、戦術「ごりごり」と言っても過言でないスタイルだったので、
見ていて驚くとともに笑ってしまうくらいのものがあった。
それが最近クールである。
以前世界杯で優勝して時そうだったように、言い方はよろしくないが、賢い試合を展開するようになっている。が、今日の試合は荒れあれだった。
両チームともにミスの連続、ボールが止まる。
NZもその展開力が発揮されず、ゲームメイクで勝ったとしても、南アもさんざんだった。
雨のせいとは言えんなあという内容だった。南アの勝ちだった。
そして自分はというと、居眠りしてしまった。ゲームを見ながら。試合がつまらんかったからか、
それともトシのせいか?うーむ。

ぜんっぜん話が変わるが、自分は往生際が悪いのがすきである。
老醜をさらすのもむしろ、それすばらしいですねだ。
役に立たなくなっても参加して迷惑かけたるぞという思いがある。ラグビーでね。
何でそんなことを思うようになってしかも脳に染み付いているのかというと、これにははっきり理由がある。

ジョージ・フォアマンを見たからだ、テレビで。
えらい前なのだが、NHKで彼のドキュメントをやっていて、偶然それを録画した。
作家・沢木耕太郎が、当時45歳にしてヘビー級に舞い戻ったジョージ・フォアマンを追いかけドキュメントする姿をドキュメントする、なんてな内容だった。
ジョージ・フォアマンを知らない人に少し説明を。

元ボクシング世界ヘビー級チャンプであり、かのモハメド・アリことカシアス・クレイと同世代である。
そして紆余曲折の後、アフリカはコンゴ、キンシャサでアリと戦い、追い詰めながらも8ラウンドKOで負ける。
引退後、牧師となり、以来神の道を説く人だった。何でボクサーからいきなり神父にという部分のエピソードも面白いのだが、今はおく。
そんな人が45歳にしてカムバックして、20年ぶりにタイトルを狙うのだ。
本人はその理由を「M・O・N・E・Y」と言っていた。が、フォアマンのジムには、大きなモハメド・アリの肖像がかけられていた。
沢木は「ばらばらになった自我を取り戻そうともがいている」と言っていた。

長くなりそうなので、次回につづくっ。