2009年9月29日火曜日

こらすごいわ

模範と言うものがある。
「~はこうあるべき。」というゆるぎない基準というべきものといえる。
トップリーグを見ていて本当にそう思うのだが、一言すごいと言うしかない。
リコーブラックラムズのラーカム選手と、三洋電気ワイルドナイツのブラウン選手、両方SOなんだが、すんごい。
なんつうか、プレーがこれでもかというほどにひたむきなんである。
そりゃあセンスとかも耳からこぼれるほどあるんだろうが、そんなことよりも見ていると、彼らのプレー
がひたすら基本動作の延長にちりばめられていることに感動する。もうラグビーの教科書がジャージ着て
走っとるようだ。

相手を釣ってパスをする、その後フォロー。自分のタックルエリアにいる敵に必ずタックルに行き、すぐに起きる。
キックしたら、蹴り返されるのを見越してエリアカバーに向かう。
なによりも、前に一歩ふみ出たタックルを彼らはかましてくれるのだ。
上に書いたことは、言うなれば基本である。これをひたすら冷静に、ハードに繰り返すのだ。
自分はその姿にもう正座でもして応援したくなる。ラグビーというスポーツがどれほど基本への忠実さを
求められるものなのか、この一事でも分かる。
自分は、変に余裕をかましてやってしまっとるなあと改めて反省するのだ。
例えどんな試合でも、自分にできる最大限のパフォーマンスをせんければ、やってる意味が薄れてしまうなあと。
いかん、歳をとったか。
さりながら、ラーカムとブラウン、それぞれ34歳と33歳、くわっ。オレより年上だっ。

がんばろう。

ところで、日本人選手も負けてはいない。上のような意味で、サニックスブルーズのNo8 、西端選手がまたよい。
この人、身長172㎝、96kである。トップリーガーで、しかもNo8だ。タッパだったら自分、ハマモトとおんなじなんである。年齢も同世代。
それが、がんがん走ってボールを動かす。ものすごいフィットネスなんだろうが、自分も頑張らねばと思わせてくれる。

まだまだやれるなあと、ひそかにモチベーションを高める自分なのである。
こんなことで簡単に気持ちの上がる自分は、単純なんだなと頭をかきつつ。

2009年9月15日火曜日

五十周年記念企画会議



13日、日曜日、五十周年記念企画会議が京芸は安井さんの研究室にて行われた。
これで四回目ぐらいだったか。今回のメンバーは、左より
吉田さん・加藤さん・アゲさん・青山さん・安井さん・村上さん、そしてハマモト+子
の総勢7.5人であった。

今回はかなり数字的にも現実味がつき、いよいよ近づいてきたのだなという実感を持った。
人数も、概算では80人を超えるというもので、にぎやかそうで楽しみである。
一つの集団が面子を変えつつも半世紀存続し続けるということは、それだけでそこには歴史が
生まれる。その記念としての集まり、成功させたい。
といっても、自分はというと横から茶々を入れる程度なので、大きいことを言うのもおこがましいのだが。


さて、五十周年記念誌の作成において、今回興味深いことがあったのだが、昔のラグビー
ユニフォームには、ベルトがあった。昔の白黒写真を見ると、皆さんパンツにぎゅっと締めておられる。
ところがこれ、実はベルトではなく(ベルトをしていた人もあったとのことだが)、ネクタイなのだそうだ。
モノクロでは黒に見えてしまうのだが、当時は皆てんてんばらばらに好きなネクタイを締めてくるものだから、
選手達の腰周りは華やかだったらしい。確かにカラフルな風景であったろう。なかなかいいなと思った。
何でも、染色科の女の子がわざわざプレーヤー用のものを作り、プレゼントしてくれたりということもあったのだそう。
ええ話やないか。
いつからネクタイを締める習慣があり、いつからそれが消えたのかは分からないが、個人的にはそういったエピソードは好きである、プレゼントの件も。
恐らくは、各チームのブレザーがあるように、そろいのネクタイもあり、メンバーはジャージとともにそれ
を締めて試合に臨むという風習があったのではないかと思う。
ただいかんせん金のないチームは、各自の自己調達だったはずだ。なんともほほえましい風景ではないか。


そうだ、五十周年記念試合には、自分はそのスタイルでいってみよう。
古ネクタイを腰に締め、クラシック・キョーゲイを気取ってみるのもよいんではなかろか。
あ、なんだか楽しくなってきたぞ。





2009年9月7日月曜日

National Anthem

試合前の国歌斉唱は感動的である。
歌う側の気持ちの高まりもあいまって、すばらしさもいや増すというものだ。
テレビで見ていると、特にホームゲームであった場合、観客も一緒に歌い、スタジアム全体を
どよもす迫力である。
聴いていると、やはりラテン系の国の歌が「今から戦うぜ!」という感じを盛り上げてくれるようで良い。
そしてまた、サッカーや他の種目よりも、ラグビーチームの歌う国歌が「アツい」。
アイルランドなどでは、国家に加えて、戦いの前に歌うための歌、というものがある。
「Ireland Call」だったか。
ちなみに他にグッと来る歌というと、フランス、イタリア、アルゼンチンが自分にとってはそうなのだが、
中でも自分をして目頭を熱くさせてくれたのが、ポルトガルのそれであった。

前回世界杯がポルトガルにとり初の出場だったと記憶するが、選手達の気持ちの高まりが常軌を
逸していたのでよく憶えている。
「世界杯に出られてうれしい!」「オールブラックス(初戦)と試合ができるなんてすげえ!」という気持ちが
びりっびりに伝わってきていたのである。もちろん選手達、青筋を立て、泣きながら歌っていた。
自分の国とわれにプライドを持つさまが自分の心をわしづかみであった。
you tubeで見ても、毎回笑顔とともに震える。

ところで日本の国歌といわれる歌だが、あれは「これが国歌だ」。といわれたものではないのだそうだ、ふーん。
よく国旗とともに取りざたされるが、どうせなら、なんかこう、かっと気持ちを高めるような新曲を作ってはどうかねと思う。
ゆがんだナショナリズムでなく、自分のルーツや生まれ育った場所に対する誇り、わが気持ちを代弁してくれるような熱い歌を。
いろんな用途のいろんなナショナル・ソングがあっても全然おかしくないと自分は思うのだが・・・。

2009年9月3日木曜日

こら苦手晩夏

別の日記でも同じ記事を書いたが、皆さん同じ思いであると思うのでまったくのコピーで載せました。


駅の出口で画像のようなものをもらったのですが、どうしましょう。2980円で遊び放題とか。
歩いているとついこんな風にもらうのを断れない自分です。ティッシュとかね。

こういうお店はあれですね、着飾った姉さん方が隣に座ってお話の相手をしてくれるというものなのでしょう。
しかし自分には、こういうのはトラウマに近いしんどさが伴うのですね、要するに行きたくないです。別にきれいな人もお酒もきらいじゃないのですが。
学生の頃、下宿しとった頃、飲むといえば大学のアトリエとかラグビー部員の下宿部屋で、発泡酒といいちこを痛飲するぐらいのもんだったので、もちろん合コンなんてものは今までしたことが無く、金のかかる店にはほとんど行っておりませんでした。

しかし二十歳もならん頃、実家に帰った折、わが柔道の師に連れられて鳥取県の場末のスナックに入ったことがあります。
尊敬する師は若いお姉さんの手を握って口説きだし、あっけにとられている自分のとなりで自分と同世代の姉さんがいそいそと水割りを作ってくれているという絵・・・。
強くもないくせにピッチの速い自分は、何杯もママさんに水割りを作らせることになっており、ついに耐え切れなくなった自分は、同い年くらいのネエさんに言ってしまいました。

「すいません、僕、手酌でやるんで気にせんといてください。」

汗顔の至り、恥ずかしさも極まれり。
いや、こういう店はこれが全国共通の決まりなんだとは、知らんかったんだ!
ネエさんは、「親切」で自分に水割りをくれていると思っていたのでした。
わきげ、いや若気の至り。
自分を冷ややかに笑うネエさんの顔が今でも思い出され、走って逃げたくなります。
以来、そういったお姉さんお酒店は自分にとっての鬼門なのです。

あと、同じような店で働く同級生と出くわして、ものごっつい気まずさに襲われたり、アイドル崩れの台湾人のおばさまのおも~い話を聞かされたり、この手の飲み屋でいいことのあったためしがないので、自分はいやになってしまいました。
だから自分はこういった店には行きません、つらいのです。
男ばっかりでもいいので、へらへらと飲んでいるのが、自分には合っているかと。

華やかなお姉さん店の前を通ったりするたびに、耳の奥であの台湾人ママの声がフラッシュバックしていけません。
「ワタシ、ニポンにアイドルで来たケド、なーんにもいいことなかったヨ。ぜんぜんだめで、今はこんな田舎のスナックにいて、来年タイワン帰るヨ、ははは~。」

人生!!!

こういう店で働くことが悪いと言っているのではなく、単に自分には合わないというだけのことで。