2010年6月29日火曜日

ジャパンつよなったね。

パシフィック・ネイションズ・カップをしていますね。
今回NZと豪州は参加していないのでちとさびしいが、日本代表、サモア代表に勝ちましたね。

トンガ代表にもきっちり勝っていた。すごい。ほんまにすごいと思う。
13年ぶりだかのサモアからの勝利だそうだが、実はその試合、自分も見ていた。
そのときの監督は平尾誠二氏で、代表ジャージも赤白ストライプの頃だった(個人的には
こちらの方が今でも好きなのだが)。
勝利が決まった瞬間、平尾監督が目を潤ませていたのを憶えている。
あの時は、サモア側が何人か出稼ぎの主力選手を欠いていたのを差し引いても、
戦術で勝っていた。その時のSO広瀬の正確なキックで前に進み、隙を突く。
あせったサモアのおかしたペナルティをしっかり得点にしての結果だった。
(その後広瀬は1999年トンガ戦で、連続9本のペナルティゴールを決め世界記録を作る。)

今回のサモア戦での勝利は?と見るならば、これはセットプレーでの安定感だったと思うのだ。
特にラインアウト。全体としてチームプレーが出来たんだというその結論だったのではないか。
ラグビーが団体競技であることの真骨頂に気づくことが出来た。

個々のパワーで言うなら、ポリネシア系の人々の身体能力は桁が外れて漫画じみてさえいる。
非常識だ。
なんせ体重100キロ近い力士体型が陸上選手並みのスピードで当たって来るのである。おなかが
出ているのに100メートル10秒台で走るのだ。なんじゃそらと思うでしょ普通。
生で選手を見たこともあるが、すごいボリューム、関西弁で言うなら、「ぶぁっつい。」
そんなのがごろごろしているチームに勝つその優位性とは何なのか、現監督ジョン・カーワン
はよくわかっているのだろうなあと思う。
さてでは、具体的な世界に対する日本の優位性というのは?考えていると楽しくなる。
まあとにかくそこにこだわったからこその勝利だったのであろう。
そう、ジャパンは強くなったのだ。
ラグビーを好きなものとして、うれしい。

来年の世界杯、俄然楽しみになってきた。

2010年6月19日土曜日

記憶と告知

先日大分時間が経ってしまったが、新入生歓迎OB戦に行き、新入生の顔をおがんで来た。
ま、当たりマエダのクロケット、ほんとにわっかい若い。「ぴちぴち」いう表現は
こういうこっちゃワレ!とまざまざ見せ付けられたような気がした。

一体自分にもこんな時があったのか?という思いに改めてかられたが、思い出せん。
しかし、まあ彼らもこれから甘かったり酸っぱかったり、ときに苦かったりという大学生活
を送るのである、ぼちぼちやったってくれ。
そしてそれがスイッチでかろうじて覚えている一回生の頃の記憶がフラッシュバックしてきた。
以下、恥をしのんで書く。

「人間失格」の冒頭そのままに、「恥の多い人生を送ってまいりました・・・。」といわんならん。
実家から京都の端っこ、大枝中山のホクセイ寮に引っ越して、人生初一人暮らしをはじめた。
家賃1万7千円、二回生の頭までテレビと電話も無く、廊下にある10円ピンク電話で用を足していた。
各部屋に冷暖房を大家さんがつけてくださったのは三回生になってからだった。基本的にその頃の
ホクセイ寮は違法建築だったこともあり(今はどうなんだろうか)、夏はうだるほどに暑く、日に
何回か行水した。
冬は冬でほんまに凍えた。部屋の中で白い息を吐き、コップの水が朝凍りつくのである。
毎冬に水道管が凍りついて水が止まり、風呂にも入れなくなるので往生した。寝るときはジーンズに
ジャンパーを着て布団に入っていた。
何せ上下お隣の部屋の明かりが壁や天井、畳の隙間から差し込んでくるのある。一見間接照明
っぽくもあったがびびった。一階部分は物置になっていたのだが、ある日そこから見上げると、
浴室の風呂桶がむき出しになっているのを発見し笑った。そら水道管も凍るわ。

ところで初めて一人暮らしをはじめた男が何をするかなんてタカが知れている。家族の目を
はばかることも無い。抑圧されていた部分が解放されるだけだ。
言わずもがなのリビドーである、わっかりやすいもんですよ。
一人暮らしはじめての買い物は、サークルKで買った牛乳と卵とエロ本だった。
そしてその帰り、自転車でこけた。その拍子にビニール袋の中の卵が割れ、エロ本が卵白と
卵黄でべちょべちょになり、泣きそうになった。
それでも持って帰って半ベソながら意地で読んだ。ページ同士がくっついてめくるたびに破れたが、
しけってへろへろのモデルさんたちのおっぱいが目に焼きつき、ああ、おれは大学生になったのだ
なあと実感できたものだ。
バカの二文字にしかならない生活だったが、楽しかったように記憶している。エロ本が?それも
そうだが大学一回生が。

その後は、初めての四芸前後からほとんど毎日先輩ヒッチさんにお酒を頂く日々であり、二日酔い
で学校に行き、練習で汗をかいて酔いを醒ますという繰りかえしで終始し、印象としてはあっという
間に二回生になってしまった。そして気がついたら卒業していた。
何を言いたかったのかといえば、うかうかしてるとモラトリアムとしての四年間なんて釈迦の手の上
で暴れていた孫悟空のごとく、おたおたと過ぎてしまうのだよと言いたかった。
しかしモラトリアムとしてでなく自分にとっての人間形成として、だったら最高の四年間だったことよと
今は思える。
後悔することもあるが概ね良しといえるのだ(身勝手甚だしくも)。

ではもう一度戻りたいかと問われるならどうか。答えは否、である。
なぜならあの時はそれなりにしんどかったし、楽しかったがもう二度とは繰り返したくないという
実感もあるので。
まあ若かったのだといえばそうなのか。しかし大人になったかというと全然そうでもないのだが。




あ、ところで東京でグループ展をします。






東京都中央区銀座3-3-12銀座ビルディング8F
ギャラリー枝香庵
6月22日(火)~29日(火)
11:00~19:00(日曜日・最終日は17:00まで)
http://echo-ann.jp

お近くの方はぜひどうぞ。

2010年6月14日月曜日

おセンチくん

自分は情緒的な人間だなあとつくづく思う。
理論でなく、感情で動いてしまう人間だと。

割り切るべきところをそうすることができず、齟齬を発生させてしまうのだ。 それも頻繁に。
何で自分はこうなんだよ!と切歯扼腕しつつ、それでもどっかでは「これでいいのだ」と思う節も
あるので、多分死ぬまでこの性格は治らないと考えてもいる。
さて、前回に引き続いての話なのだが、結論からいうと、センチメンタリズム上等を謳いたい。
オン・ザ・ウェイ・オブ・センチメンタルジャーニー・オブ・ハマーン である。

情緒は時に、いやしばしば矛盾をものともしない。
「なぜに?」と周りがいぶかしむ行動思考をうながしてしまうことはざらにある。
理論や科学から見れば明らかに不合理であることもやってのけてしまう。しかし逆に考える。
もし世界が本当に理路整然とした、熱力学第二法則・熱いものはいつか冷えていき、流れは
高きから低きへ向かう、てな世界だったなら、多分、おもんな~いものなんだろうなと。同時に
実際見回してみるに、人間の実生活は矛盾の泉、思考停止の連続、不合理の砂漠である。
「なんでやねん!」とか「んあ~」とか思わぬ日などあるだろか、 いや、ない。

要するに日々不条理だらけの毎日を過ごす我々にとって見れば、合理的、科学的であるという状態
というのはむしろ少なかろうと思うわけだ。
そして自分はそういう自らの抱える不合理さや矛盾にくるしむ人が好きだ。
無視する、ではなく向き合ってしまわざるを得ない人々。語弊を恐れぬ言い方をすると「ダメ人間」の
ことである。
自分がそうであるだけに、そういう人に親近感が覚えられ仕方ない。
でも、ダメさがわかる人って、誰かのダメさをも受け入れられると思うのだ。他人の弱さが分かって
あげられるのではと思う。だからいかんともしがたいダメさを抱える自分を肯定しちまってもいる。
こんな考え方だからいつまでたっても改善が見られぬ自分でもあるのだろうけんどもね。
ああまた話が支離滅裂になってきた。

えーっと、つまり今はいない誰かと同じ空間に存在した何かに、その誰かそのものを投影し、
感慨深く眺めいってしまったりすることはとてもいいことなんだ!てことで。
一つ加えるなら、そういう人がダメ人間だと言っているわけではない決して。

これはもうみなさま「なに言ってんの?」と思われている次第でしょう。自分でも着地点が見えなく
なってきたのが分かる。しかし。
クールに割り切れないものの中でおぼれたおし、泣いたり笑ったりあくことなく、へロヘロんなって
生きとる。感情移入しまくって軸のありかも定まらぬ、そういう自分であることよなあと思ったのだ。
そんな中、件の石膏像が自分の近くにやってきた。何をかいわんや、愛でるのみである。
そして、今年は大変申し訳ないながら、自分は谷口青児杯に参加ができない。
ひじょーに残念である!だから感情が変な方に言ってしまうのもお許し願いたい。すいません!
結局言い訳になってしまったが、うう、無念。