2008年11月28日金曜日

船越杯・ダメな自分

十年前(というとすごく昔のようだ。昔なんだなあ)のこと。
東京芸大ラグビー部の70周年記念試合・舟越杯があった。

実は自分にはこれについてすごくへこむ思い出がある。
東京での試合に参加する予定の自分であったが、またしても遅刻したんである。理由ははっきり覚えている。新幹線にあまり乗ったことがない自分は「ひかり」と「こだま」を乗り間違えたのだ。
「ひかり」という割によう止まるなあと思っていたら、なに?各駅停車?新幹線に各駅停車とはこれいかに!
そんなもんがあるとは知らなんだのである。

しかし乗ってしまってから気づいたのでは後の祭り、名古屋を出てから気づいたものだから、もう椅子の中でいらいらするわ自分を責めるわ、自ら飛び込んだものとはいえ、針のむしろだった。今でも思い出すに自己嫌悪がよみがえる・・・。
静岡を過ぎ、熱海なんかに止まった日にゃあ、このまま降りて温泉客になってやろうかとさえ思った。
だから試合場についたときには後半も終盤だった。セイジさんには「おまえなあ・・・。」と絶句された。くわー今でもすいません!
実際試合に出たのも10分ほどだった。何のためにはるばる京都から東京まで来たのか。情けない話である、というよりも、この前の現役の試合に遅刻した話もあり、そのころから成長していない自分をまざまざと意識しいよいよへこむのだ。

そしてへこむ話はまだつづく。恥をしのんで書いておこう。

試合の後は東京芸大の、そのころ新しく出来た食堂でのパーティーがあり、参加した。
草野さんのヨカチンから始まり、しばらくして京芸からの参加者が、大きな杯を壇上でかわるがわる一気飲みをしたのだが、遅刻した自分は最後に回され、大量に残った日本酒を飲み干さねばならなかった。
飲んだ後これは本当にやばいとおもったので、すぐにトイレに駆け込み洋式便器に向かって口に指を突っ込んだ。あんなに酒を吐いたのは初めてだった。情けないが仕方ない、身から出た錆なんである。
22だったが、ええ年こいて一気飲みもないもんだ。

そしてさらにその後、まさにその会場の外で自分は、そのころお付き合いしていた彼女(東京芸大のマネージャーだった)と別れた。
「やっぱりあんたってそんな人だったんだ!」と言われた。はい、返す言葉もござんせん、ダメ男とは自分のことです。
一気飲みがではない、原因はぜんぜん別なものだったわけだが、自分はあかんたれだった、いや今も自信がない。
ここまで書いて思うが、なんちゅうかっこ悪いアナーキーさであろう、われながらアホだ。

というわけで、自分は、舟越杯の一日のうちに「新幹線の乗り間違い」・「試合に遅刻」・「一気飲みセルフゲロ」・「離縁」という4つのだめだめイベントを自ら招いてしまったのだ。悪霊でも召喚してしまったかのような気分だった。
だから、舟越杯、と聞くとその日の思い出が一気にフラッシュバックするので、個人的に赤面なのです。

最後に、パーティー会場の外の椅子に座り、後味の悪い酔いと焼け付くような自己嫌悪に襲われうなだれていると、ふらっと彫刻家・舟越桂氏が現れた。舟越杯の元となったと聞く故・舟越保武氏のご子息である。氏は自分をクールに一瞥し、会場にすっと入っていかれた。自分はすばらしい作家に挨拶をする気力もなかった。
そしてぼんやりとした意識の中つぶやいたもんである。
「ああ、船越杯、こういうオチかあ。」

今年は80周年ということだが、京芸の追い出し試合と日にちがかぶっているのでわれわれの参加はなしと言うことになった。

残念なのは残念だが、記念すべき舟越杯、自分にとっては感情ひきもごもご、いやひきこもごもなイベントなんである。

2008年11月24日月曜日

一種の業やなこれは

連休なのでたくさん書けてよい。

まず、この記事に作為がないことを最初に言っておく。

朝に時間がないのと、食欲が無いのとで自分は遅い朝飯を職場で取る。
大飯ぐらいのイメージがあるが、午前中はあまり食べない。忙しさにかまけて帰宅するまでめしを食わないこともざらである。
結局夕食にどがっと多く食うので、エネルギー摂取量は足りていると思っているのだけれど。
そんなわけでお金をケチるためと自分の好物であるため、ホットケーキを作りだめして職場の冷蔵庫で凍らせておくことにしている。

そして今日そのホットケーキを作っていると。

「それ、すごいラグビー好きみたいやで。」

家人に指摘され初めて気づいた。

自分は、無意識のうちにホットケーキをすべて楕円形に焼いていたのである。わがことながらおったまげた。しかも一週間分、7枚すべてきっちり楕円なのだ。気色わる。
フロイトやユングに判断して欲しいところだが、メタファーも何も見たまんまではないか。
「そらあんたがラグビーやってるからちゃうのん。」
と一刀両断されちゃうのだろう。


朝はたくさん食べられないので小さめに作るのだが「小さい丸」ではなく、「楕円」にするところがまた不可解である。ひっくり返しやすいからとか、考えてみれば理由も思いつくのだが、まったく無意識だった。花園ラグビー場近くの「ラガーまん」とか、菅平の「ラガーめん」などの力技のこじつけ色の強い類のものではない。

だって指摘されて気づき、作った本人が愕然と目を見張ってしまったのだから。
これは笑えない。むしろ背筋が寒くなってしまった。
しゃれにならない、自分の深層心理は一体どうなっておるんだ?てなあんばい。



日ごろから自分自身がよくわからないだけに、今日のこの出来事はかなり自分にとってインパクトのある出来事だった。

しかし諸君。これでもお分かりだろう、ラグビー道は蛇のみち、一度はまり込んだなら、骨の髄までラグビーに侵されちまうんだぜ〜。
顕微鏡で見て、わが細胞まで楕円だったらどうしよう。
変な夢を見そうなのでこれ以上の妄想はやめておく。

しかし今朝の実話です。

2008年11月23日日曜日

強くなったジャパン

国代表同士の戦いでは、しばしば両者の国のプライドのぶつかり合いの様相を呈する。
以前映像で見たアイルランドとイングランドの試合では、会場全体が異様な雰囲気になっていた。
観客は、明らかにラグビー以上の、あるいはそれよりほかの感情を自国チームの選手に重ね、目も血走らせて応援していた。相手国のトライにはブーイングの嵐である。
あからさまに、両国の歴史的背景から来る代理戦争のようなイメージがおのずとあるようであった。

ところで自分には愛国心というものはない。日本人としてのプライドは持っているつもりであるが。またそれを第三者に押し付ける気も皆無である。
そして愛国心と自分のルーツに対する誇りというものは、必ずしも一致しない。これを同種の物として行動の原理にすると、やっかいなことになる。

しかし今夜、日本代表がアメリカ代表に勝った時、うれしかったのはなぜなのか。
自分の生まれた国の名を背負って戦ったチームが勝った時、そしてその相手が米国であった今日、溜飲の下がる思いがあったのはなんだったのか。
不思議なんである。

いろいろな言い方はできよう。
もう10年近く勝っていなかったからか。
単純なところで集団としてのアメリカが嫌いだからか。それとも。
黒船来航から始まる日本人の欧米に対する鬱屈した劣等感を覆す勝利だったからか。
ようわからん。

この気持ちはどういったところから出てくるのか。
確かに熱い試合であったし、両チームとも骨をきしませて戦っていた。以前は諦めを感じつつひやひや試合を見ていたが、今回はほとんどダブルスコアである(米17・日32)。
いやあ、日本代表、つよなった。総合力で米を圧倒していたと思う。ジョン・カーワンの力が大きいのだろう。

外国人ヘッドコーチを採用するようになってから、というよりもJKになってから日本の成長は著しい。思うに、勝つことのイメージを明確に持っている人間が引っ張るから強くなるのだろう。そして、JKが第一回世界杯優勝メンバーであることも重要な点であると思う。頂点を見たものはそこにいたるまでの過程を身をもって知っているだけに、実感と確信を持って選手に教えることができるからだ。
そして、JKは男前である。苦みばしったマスク、192センチの長身にばりっとスーツをまとわせて采配を振るう。どこをどう見てもかっこいい。多分それだけでチームが強くなるなんてこともあるような気がするのである。偏見か?

と、ここまで考えてきたところで気づいた。ヘッドコーチを外国人にして強くなったということは、倒すべき欧米の考え方を導入することでジャパンが強くなったということである。最初に書いた欧米チームに勝って溜飲が下がる思いをしたという気持ちと矛盾しはしまいか。愛国心とか言うものとも相容れないではないか。あれ?
結論。自分は単にジャパンが好きなのである。それが勝って単にうれしいのだ。日本代表が強くなった理由は、カーワン個人の個性によるところが多いのだろう。欧米云々は最初から関係なかったのである。
ばんざーい!
というわけで自分の理屈が無理やり変なところに言っていたという事にはたと気づいた日米戦であった。なんか支離滅裂だな。

2008年11月21日金曜日

非常に個人的ながら告知


忙しさにかまけて最近書いておりませなんだ。
個人的ながら告知だけのブログではいかんなあと思いつつも告知です。

今年も大阪、茨木市にて個展いたします。このギャラリーには自分の立体作品を主に出しております。陶オブジェの小品たちです。
もちろん平面もいくつかかけさせていただきますので、よろしければぜひおいでください。

自分は12月7日(日)と8日(月)の両日、ギャラリーにいる予定です。

出品作品がまだ窯の中にいるので、うまくいっているのかやきもきしつつこの日記を書いているしだいです。

この場を私物化しているようで気が引けますが、よろしくお願いいたします。

2008年11月5日水曜日

腰痛と泰造杯

11月2日、芸祭にて。
泰造杯に出場してきた。トライ亭で早めに集まり、50年記念についての冊子やイベントについての会議もあった。
会議のときでも、試合時間が近づいてくるにつれそわそわしてきてしまう自分に内心苦笑いであった。
泰造さん、加藤さん、青山さんも来られ、ラグビー日和の中始まっていった。
泰造さんはお年が70になられるそうであるが、自分の印象としては、自分が1回生のころから14年、まったく変わられない。そして、失礼ながら毎年同じ格好で登場されているような気がしている。

今回の形はというと、やはりOBを東西に分けることは出来ず、グーとパーに別れ、加えて現役の出動を願った。それもあり、顔ぶれはかなり若かったのではなかっただろうか。グーチームの自分は現役ジャージに着替え、うーん、どうしようと思った。
泰造杯、毎年結構力が拮抗してよい試合になるのが多く、白熱する。しかし今回、あちら側のチームに機動力のある若手OBが集まっていたので、実は、総合的にこっちが負けるかなあと思っていた。
しかしさにあらず、こちらが勝ってしまったわけで、理由が今もってわからない。
ユイさんの大活躍があったとはいえ、接点でボールを奪われたし、セットからなかなか上手く行ってなかった。なおかつタカヤマさんからは目の覚めるようなドロップゴールまでも奪われたというのに。
うーん今もってよくわからない。
まあ、泰造杯のそれが面白さなんだということにしておこう。


終わってからは、試合中肩を脱臼してしまった後輩君(名前は失念、失礼!)を中心に声を入れて終わり、その後はいつものごとくトライ亭での飲みが始まったのである。自分はゲリラで出ていた店に入ってアブサンなんか飲み、気分良くすごさせていただいた。
そうそう、自分は最近軽い腰痛があって少しく不安を抱えていたが、試合中、うちにステップを切ったヤマグチ君にタックルにいって体がえびぞりになってから、治った。
荒療治が効いたようで、これも泰造杯のおかげと、喜んでいる。

皆様芸祭お疲れ様でした。