2011年12月10日土曜日

四角いマットのジャングルに2

また、プロレスの話に戻り。
無論のこと、ラグビーとともに、自分はプロレス者である。
四角いマットに愛さえ抱いている。
といって、会場に足を運ぶわけではない。
しかし、愛している。
一言で言うと、自分にとっては、漫画やアニメに近い感覚がある。
すなわち「イマジネーションの刺激と拡張の快感励起装置」としての娯楽である。
なんや知らん小難しいことをのたまってけつかる、と思うなかれ。
この「装置」の存在は、おそらく人間の大脳新皮質、および前頭葉あたりに
びしびしとからんでくるもののように思われるわけだが。

たとえば米国におけるプロレスはその人気が半端でなく、全米での興行はWWE
という団体の独壇場であり、チケット販売開始ものの数十秒で売り切れになる
という人気である。あの広い米国でだ。スタジアムはいつも満杯。
形は各州各都市ををドサ回りしているのだが、プロデュースの徹底ぶりが
すばらしい。まさにアメリカ的。ドルかけたはるなあと思う。
正しいなと思うのは、自分たちのあり方の意味を良くわかっておられて、
イラク問題のさなかに現地で慰問興行を行い、兵士たちを楽しませるなんてことも
していて、エンターテイナーたることを貫いているのである。
さて、冒頭に漫画やアニメに近い感覚、と書いたが、こういう理由による。
まずは選手すべてのキャラが立ちまくっていてくらくらする。
そしてみんなが「I am a king!!」と叫びのたまってはばからない。
・大巨人 ビッグショー (213cm)
・ラッパーチャンプ ジョン・シナ
・地獄の墓堀人 アンダーテイカー(最近見ない)
・謎のマスクマン レイ・ミステリオ
・仲間に裏切られ、復讐のサイコ野郎と化した男 コーディ・ローズ
等等。
どうですか、このメンバーだけでも、試合を見たくなったのではありませんか。
新人アルベルト・デル・リオのプロフィールなんかこうだ。
「メキシコのエリート階級からWWEヘとやって来たアルベルト・デル・リオ。
裕福な階級の生まれで、スペインの王族であるフェルナンド王とイザベラ王女の血を
引くとも言われている。教育レベル、ユーモアセンス、そのどれからも王族の気品、
威厳を感じ取ることが出来るだろう。彼こそ無限の才能を秘めたスーパースターなのだ。」
すごいと思う。
いや、ほんまにそうなのかもわからん。しかし、これはもう漫画の世界だ。
もっというなら、荒唐無稽、という虚構が少なくとも表面上は真実としてまかり通るこの
状況。ほんまの意味で3Dコンピューターグラッフィックに血肉がついた、ということ
といって過言でない。
それを嘘という言葉で処理するのは安易。思考の停止に逃げ込むことに如かず。
あるがままに受け入れ、それを楽しむということこそ、エンターテインメントを観る者の
態度であるし、そうでないと面白くない。「ガチンコか否か」という判断基準で論じる
ものでは土台ないのだ。
畢竟、どんなスポーツであろうが観客がいるという状態はそれは「娯楽」以外の何者
でもないのであって、必然的に楽しくないといけない。言い換えれば「楽しけりゃいい」
のである。スポーツにおいて、本気の度合いを価値のパラメータとするなら、いつか
死人が出る。それを突き詰めていくと、古代ローマの剣闘士の殺し合いを見て楽しむ
状態、猟奇とかフェティシズムになっていくと思うのだが。
それってどうよ。
自分は、本気で戦って血を流し消耗する選手を見て、「よしよし」と納得する気には
なれない。まかりまちがって命を落とした選手に向かって、「よくやった、それでこそ
スポーツマンの鑑。」と拍手を送るのか?その感覚はおかしい。
本気、ガチでやるかどうかは試合場に立つものの心一つなのであって、観る者は楽しめ
ばそれでよい。八百長によって白けさせることがプロとして失格なのであって、問題は
単純にそこだけであるはず。
観客に少しばかり楽しむ心とイマジネーションがあれば、虚構さえ最高の娯楽になる
はずなのだ。
相撲の八百長問題だってそうである。八百長という言葉に抽出し尽くして遊びをなく
せば、それは長期的に見て力士に死を強要するに等しい。相撲がどれだけ過酷なもの
か、理解したうえでバッシングするのか。それを極端というなら、「八百長はいけな
いが、さじ加減は考えてね♪」とでもアドヴァイスするのか。
それではお相撲さんがかわいそうである。
本当は相撲協会の人はこう言いたい筈だ。「今までずっとそうやって来たんだよ!!」
と。
そうやって日本の社会と持ちつ持たれつで来たのに、なぜ今さらそんなことになる
のか。

プロレスの抱える現代の状況も、それがそのまま当てはまる。
エンターテインメントにおける日本と欧米の認識の違いもあるが、これにははっきり
とした理由がある。
そのキーワードとは、現代日本人のイメージ力の鈍化にある。
つづく。
ごめんなさい超一人よがり記事。しかし楽しくなってきたのでまだまだ書くのである。

2011年11月30日水曜日

デオキシリボ核酸

先日、スウェーデン人と親戚になった。
歳は自分よりも下なのだが、戸籍上「義兄」となる。
この戸籍に対する執着と呼んでも良い考え方は、日本独特のものらしいが、不思議な
もんである。

さて、北欧の義兄、身長が192センチある。
線の細い方なのだが、やはり見上げるような大男、なわけで、同じ人間ながら、体の
作りの違いを感ぜざるを得ない。
物理的な話で、体の大きさと力の強さは比例する。
タッパがあるだけでトレーニングに関係なく力が強くなるわけだが、これも面白いものだ。
ラグビーの世界では、190センチ台の選手は今、ざらだというが、世界杯ではこんな男
たちがひしめいておったのだなあと感心する。
線の細い彼でこれだけ大きく見えるのだから、これにラグビー用筋肉をつけて立たせて
みた日にゃあ、以前英国で、プレミアリーグの選手を間近に見たというフジイさん
おっしゃるところの
「クマのみたい」
という表現の無理からぬことを思うのだ。

ただでさえ2メートル近い身長に比例した筋力を持っとる上に、そいつがパキパキに
鍛えられてこっちに走ってくる絵を想像するとぞんぞが立つ(※)が、わくわくもする。
以前神戸の外人チームと試合したことがあるのだが、そこでもでかさにおののきつつ、
それでもディフェンスに行くと、低いタックルがことのほか有効なのに驚いた。
「あ、これが日本人のラグビーにおける優位性というものなのね。」
とも思った。試合は負けたけど。

スポーツの種類にかかわらず、体の大小は大きなアドバンテージとなるが、しかし
それがすべてを決する鍵となるものではないことを実感する。
むしろ、あまり関係ない。
小・中・高と自分は柔道をやっていたので、さらにそれは理解しやすかった。
技がかかればどんなに大きな相手でも飛んでくれるし、なんぼ顔の怖い相手にメンチを
切られても、視力が0.1もない自分なので全然平気だった。

次の日本代表はどうなるのかな、などと思いつつ。

義兄の話に戻ると、そのご家族もわざわざ日本に来てくださっていたのだが、みーんな
大きくて、お母様でさえ180センチは楽にありそうだった。そら息子もでかなるわ。
ああ、デオキシリボ核酸。
生物学では、同じ種類でも生息地が北上するほど体が大きくなるそうである。
体を大きくすることで体温の発散を防ぐ意味もあるとのことだが、その学説は正しい
かもな、と思わせられた。
う~ん、自分も予定では185センチになる予定だったのだが、中・高で筋トレに
いそしみすぎて、伸びなんだのだよなあ。
しまりのない記事なってしまった。



※・・・ぞんぞが立つ:鳥取弁。「鳥肌が立つ」の意。

2011年11月13日日曜日

四角いマットのジャングルに

自分は、プロレス者である。
がきんちょの頃、毎週日曜のお昼には「ワールドプロレスリング」を
放送していた。
古館伊知郎と山本小鉄のやり取りが絶妙であった。
アニメでは、「タイガーマスク」を放送していた。
「グリコ・ジャイアントカプリコ」のCMにはジャイアント馬場が出ていた。
プロレスに親しんでいたし、一時期レスラーになりたくなっていたことも
確かにあった。

自分は今でもプロレスが大好きである。
そして、いま、すこし、なやんでいる。

みなさんは、ブルーザー・ブロディ というプロレスラーをご存知であろうか。
超獣、キングコングなどという冠詞を付けられ、1980年代中ごろを中心に
日本マット界を席巻していたが、残念ながら、メキシコで刺され死んだ。


その彼のトレードマークが
1・登場時に振り回し、観客をもしばきまわす鎖
2・毛皮のリングシューズ
3・リングインソング

であり、上の2と3が問題なのである。
このリングインソングというのが、レッドツェッペリン「移民の歌」という
やつなのだが、これもご存知だろうか。
「あ~ああ~~~あ!あ~ああ~~~あ!」というあれなのだが。

そして。
今の流行はぜんぜん知らないのだが、街行く娘さんたちで、この「毛皮の
ブーツ」を履いている人がたくさんいて、初めて見かけた時には、
いつのまにブルーザー・ブロディのムーブメントが来たのか!と驚愕した
のを憶えている。
なおかつも自分のようなファンには、あれははっきり言ってブロディの
コスプレにしか見えない。また困ったことに、それをよく見かける。
困ると言うのは、それを見るたびに自分の頭の中に、上に書いた
ツェッペリンの曲が流れてきていかんのだ。
「あ~ああ~~~あ!あ~ああ~~~あ!」
と。

一日に何回再生されるであろう。
パブロフの犬状態なのだが、げに人間の原体験は根深きものよと
空恐ろしくさえある。
そして今日も再生された。
「あ~ああ~~~あ!あ~ああ~~~あ!」

というわけで、いま、すこし、なやんでいる。
こんなことになっているのは俺だけなのか、と。

ちなみに、テンガロンハットをかぶっている人を見ると、
「でーでーででーでーで、でーでーででーでーで!!」
スタン・ハンセンの曲が流れる。
幸か不幸か、その回数はブロディほどではない。

2011年10月22日土曜日

私はそのときアウチと言った

新しい記事を書いていたら、操作を間違えて全部消えてしまった。
自分の場合、書き出すとだらだら長くなってしまうので、消えるとひとかたならず
ショックである。
その時、不思議なもので、思いもせず「あうちぃ!」と叫んでしまった。
パソコンの前に仁王立ちんなって画面をにらみつけてしもた。
あれはなんやろね、「しまった・くそっ・もう・がっでむ・めるど・しゃいぜ」などの
言葉および音は、くせとはいえ反射的に出てくる。

いつのころより人の口から出始めたものなのかは知らんが、クロマニョン人辺りが
「もう!!」とふくれっ面をしていたのだとしたらかわいい。
あるいは、ソクラテスが古代ギリシア語なんかで「うひょー!」とか言ってたのかな、
アリストテレスも「おっしゃー!」なんつってのたまってたのかな、とか。
アリストテレスのエピソードから「エウレーカ管」とかあるしな。
いずれにせよ、それらに相当する言葉あるいは音は必ずあったはず。
嗚呼、文化そして言葉の伝承。

そういや現役のころ、同回生のPRマスイ君が、ミスをすると必ず「しまった!」と
言っていた。練習や試合中、どんな状況でも必ず「しまった!」と妙にはっきり発音
するので、頭に焼き付いてしまったのだった。

本題。前置きが長いんだな、いつも。
今世界杯で日本代表がやりたかったこととは、一体何だろう。
それはおそらく、予選プールでアイルランドとトンガが見せた「心意気」の試合
だったのではないか。

両国が共通してしたことは、「すべてをその試合に注ぎ込む」ということである。
先のことは考えず、とにかくその試合のためだけに全力を出し切る。
その結果アイラはオーストラリアに、トンガはフランスに勝ってしまった。これは
大金星というより、歴史的でさえある。
その代わり、両チームとも次の試合はころっと負けてしまうのであるが、しかし。
彼らは「ここにあり!!」という試合をした。
だって、出し切ってしまったのだから仕方ない。それでも選手たちの顔は決して暗く
なかった。
おそらくJKこと日本代表監督、ジョン・カーワンも、そういうことがしたかったのだろう。
内容としては惜しかった。ジャパンすげえ!と思わしてくれるとこはあったが、いかん
せん勝ちが欲しかったところ。パンチに欠けたのだろう。
しかし、自分は、今回の日本代表は強かったと思う。今までで一番強くなっていたし、
それはカーワンのおかげだと思う。
残念ながらJKは今季限りで日本代表コーチから離れるということだが、日本ラグビーの
レベルを引き上げてくれてありがとうと言いたい。

2011年10月14日金曜日

蔵人の味 久保田酒造2


初めてクボタ君の醸した酒を飲んだときは、どたまをしばかれたような衝撃を受けた。
 
「米が原料なのにこの果実酒のようなフルーチーさはなんといっても素敵だ!」
 
自分のそれまで持っていた日本酒へのイメージが完全に反古にされ、書き換えられ、
上書き保存されたのでそれがまた快。とにかくおいしかったのである。
その衝撃は清酒になる前段階の「にごり酒」がすばらしかった。
若い味、というのか、しかしその鮮烈な味たるや、口に含んでは目を見開き、
飲み下してはまぶた閉じ、のどに湧くそのうめきにも似た自分の声に驚く。
てなあじわい。
はじめはためしに750mlを頼んだのだが、すぐ一升瓶で注文してもた。
それもすぐ飲みつくしてしまった。
まあええ歳こいた男が、台所で一升瓶抱えてどぶろくを美味そうにすすっておるという
絵も、さだめしえぐいものかもしれないが、だって美味しいんだもんと言う他ない。
東京でオヤドマリさんと会う折も、よくもって来てくださる。うれしい。
 
ともあれかくして、自分は久保田酒造の日本酒好きになったのだ。
一度取り寄せてみられたら自分の言葉も信じていただけよう。初めはまず「にごり酒」
から。でも冬季限定ね。
 


梅田スカイビルでの約5年ぶりの邂逅は、短い間であったが楽しかった。
クボタ君も元気そうで、同業者やお客と熱いトークを繰り広げていた。
会場にはお酒好きの方々が多数集まり、思い思いに試飲に打ち興じられていたが、
終了間際で杯も重なり、みなさん結構メートルが上がっておられた。呂律の回ってない
おじさんもおられ、係員さんに介抱されていた風景もまたたのしけり。
そして別れ際、幸運にも彼から久保田酒造の前掛けをもらってしまった。幸。
ぜひこれからも無理のないようがんばっていただきたい。
機会があればまたぜひ一緒に、OB戦にでも出たいものだ。
ともにBK、ハマモトはインサイドセンター、クボタ君はアウトサイドセンターで。
以前良く話していたのだが、いわゆる「タテセン」(たてに突っ込むCTB。この場合、
たてにしか走れない、という意味もあり)のハマと、
「ヨコセン(横に変化するCTB)」の彼なら、メリハリがあって面白かろうな、なんつって
言い合っていたものだ。
いつか実現させたいなあ。
 
クボタくん、また会う日まで。

2011年10月9日日曜日

久保田酒造 相模灘


酒の味がわかるようになってきたのはいつごろからだったろう。
いや、酒を飲み、おいしいと思うことができるようになってきたのは
いつからだったか。
いやでもそれは最近の話だ。
少なくとも、学生のころには酒の味なんか解りはしなかった。
今現在においてしっかり理解できてるかどうかは多少疑問の余地もある
ものの。
ともかくそれは、ただただ「酩酊感を得るためのスイッチみたいなもん」
に過ぎなかった。
要するにドラッグと同じようなもんである。やったこたないけれど。
したがって味わいなんぞは関係なかったし、酔っ払えることができれば
それでよく、かつ安ければ何でも良かったのである。
なので、そのころ初めて発売され、われわれにとっては画期的であった
発泡酒(忘れもしないサントリーホップス。500ml・198円で、)を
山ほど買いこみ、ほとんど毎日ムラタヒッチさんの下宿で飲んでいた。
たくさん飲むと気分が悪くなるので、強い酒はいやだった。
日本酒はなにやら甘ったるく、ワインは葡萄の皮の味のみで、ウイスキー
に至っては「ヴえ~」だった。
唯一、ノハラ君の下宿でナポレオンというの飲み倒し、こら絶対二日酔い
だなと確信していたものの、翌朝まったく残らずスッキリであった、と
いうのがいいお酒に接した記憶であり、その時も「いい酒っちゅうのは
残らないのだな。」と感心したくらいで、お味についての記憶はついぞ
ない。馬鹿たれなもんである。
それが今じゃ日本酒もウイスキーも好きなわて。なにがあったのか。
それは、一つ下の学年のクボタ君の醸す「相模灘」を口にしたからだった
と、はっきり言える。

2011年9月16日金曜日

Mиша and Eagles  

Mиша 、ミーシャ。ロシア語で「クマ」の愛称。
もう、ロシアではミーシャと来たらクマ、てなもんらしい。正式には Mедведь 
(メドヴィエチ)という。
そのロシアだが、今回世界杯初出場で最初の相手がアメリカ・イーグルスとは。
この対戦カード、因縁というか、IRBの確信犯というか、お互い意識しまくりであったろう
ことは明白だ。

アメリカは、素朴なラグビーをしはる。ロシアはそれに輪をかけて素朴だった。
しかし、これは近いうちに強くなるだろうなと感じさせるものがあった。
ロシア首脳陣のコメントでは、この初戦、対アメリカのためだけに調整してきたのだという。
まあ意地と意地のぶつかり合いであったが、ロシアの力がおよばなかった。
アメリカも必死だったのだろう、ノーサイドの笛の瞬間、両膝を落とし泣き出した選手がいた。
そして呆然としたロシア選手たちの顔。それが非常に印象的だった。
勝った負けたというよりも、張り詰めた緊張が一気に切れて感情が噴出したと言った所か。

試合中、後半最後でもう負けが確定している場合でも、、不思議なもので負ける気がしない。
勝っていても、それこそ、「気が気でない」。
ノーサイドになるまで気持ちが落ちず、走ることができるが、笛が鳴った瞬間、がくっと
なる。頭でわかっているはずなのに、終わりの瞬間まで実感として勝敗が迫って来ない
のだ。
で、喜んだ側とうつむいた側に分かれたと。

このゲーム、勝敗の分かれ目は世界杯の舞台での「慣れ」の差程度かな、という位
のもんであった。
花のある試合ではなかったが、ラグビーって不思議なスポーツやなあと感じた試合で
あったことよ。

でもロシア、あれはつよなるで。

2011年9月14日水曜日

王国の系譜

世界杯開幕戦、トンガ VS NZ。 いや、楽しかった。
毎回のこととはいえ、ウォークライの応酬には震える。そしてやはり、
トンガの選手は泣いていた。
 
いわゆる「ラグビー王国」NZというが、トンガも真の意味での王国である。
面白いのは、かの国トンガは多重国籍の取得が可能なのだそうな。
ラグビーで言うなら、プロ選手として「出稼ぎ」が多く、なおかつ。出先で
有利に立ち働くため、その国の国籍をとったほうが良い場合もある。しかし
そうなると、代表選手として試合に出場できなくなってしまうので、それを
避けるための措置でもあるらしい。
 
それは、「外国人枠」のある日本においてわかりやすい。
試合中にプレーできる外国人は、そのチームで同時に3人まで、とあるが、
日本国籍をとれば、そのしばりがなくなる。またその国の代表選手になる
ためには、日本なら3年以上チームに所属し、プレーしなければならない
という制限もなくなるわけで、いろいろやりやすいのだろう。
おそらく日本代表FW、ホラニ・龍・コリニアシ選手も日本に帰化しながら
トンガ人であり続けられるのだ。
自分は、ビジネスとしての考え方でないところで、この決まりが好きだ。
それはまるで、「どこでどう過ごそうと、お前はトンガ人であり、魂は
常にこの南の海にあるのだ。」と言われているようでいい。
 
いつの日か帰る場所はそこに。
なんてなやさしさのある国なら、そこに生まれたものとして誇りが持てそうだ。
ところで、日本対フランス戦に感動した。おそらく、今までで一番強い
日本代表になっているのでなかろか。試合後のインタビューでも、
キャプテンのテンションの違いは一目瞭然、あの試合は「勝っていた」と
思う。次はスコアで勝つのみだ。ALLEZ JAPON!!
いつの日か日本も「王国」と呼ばれる日のために。
その萌芽を、確かに見た。

2011年9月9日金曜日

前に歩くために

たとえば、そういうことだ。
自分の国歌を、涙にむせびながら歌い上げる姿。
顔がくっつきそうになるほどのメンチの切り合い。
そこにみる緊張感。
数々のプレー。

どんなスポーツでも大差はないのだろうが、生身をぶつけ合い、わが体を
削り取るラグビーというものにおいてとりわけ、感情のほとばしりは観ていて
小気味良い。
なんつーか、パトス。

世界杯が始まるのである。
上に書いたとおり、「緊張感」である。とくにわれわれにとって見れば、それを
味わう機会はどんどん減っていく。
その味を思いださせてくれる試合の数々は、やはり面白くてたまらない。
強豪国のすごさは言うまでもなく、ランキングの低い国が特に好きだ。
「ラグビーやってて良かったです!」
という彼らの声が聞こえるようである。
前回世界杯のポルトガルがまさにそうだった。
なんて楽しそうに走るものだと感動した。そしてとことん気持ちの良い負けっぷり
だった。
相手はNZ・オールブラックスである。

ポルトガル選手たちの、血管も切れよとばかりの国歌斉唱が印象的だった。
すごく前向きな力をもらったような気がして、そして、あーラグビーやっててよかったわ
俺。と思ったもんである。
そして、あんな気分が味わえるんなら、どっかの国の代表になれへんかななどと、
またもトチ狂った妄想を抱いてしまったのだ。

さあ、今回はどんな感動を与えてくれるのか、楽しみだ。
スカパーで全48試合を放送するということなので、全部見る所存である。

ところで、もし。もしこのままラグビーとトレーニングをやり続けていたら、コケの一念で
シニア世界杯位には出られるかも知れんな、なんて実は本気で考えていたりする。
いや、許したまえ。わかっているのだ、アホにターボがかかっとることは。
とりあえずIRBに頼んで作ってもらわんといかんな、シニア大会。

2011年8月14日日曜日

観念の中の兄弟たち

国立民俗学博物館、通称みんぱく が好きだ。
ここの世界各国の民俗を観ていると、日本人とは何か、という強い思いにとらわれる。
単純に展示物の造形や発想も十分面白いのだが、しかし。
われわれ日本人のルーツはどこからやってきたのか。
ユーラシア大陸の東端という地理的理由から、北・南・西から移動してきた流れが
集中し、混ざっていくことで日本人が形成されていったようだ。
トゥングース系モンゴロイド、ウラル・アルタイ語族と分類されているそうだが、さて。
北日本の人々には、コーカソイド(白人)の遺伝子を持つ人さえもあるというから、
大雑把な分類でしかくくれないものなのかもしれない。

閑話休題。
みんぱくのオセアニア展示が一新されたのを記念し、その一地域・ニュージーランド
の文化紹介があると聞き、行った。
これは捨て置けない。ネイティヴNZ、マオリの文化に触れるチャンス。目指すは
「生ハカ」である。
いっぺん目の前で見たかったのだ。
会場はみんぱくのエントランスホールに座布団といういい感じのもので、一番前に
陣取って観た。
いやー、良かった。感動した。
今までモニターか遠くからしか見たことがなかったので、願いがかなった。





画像があまりいいのがないが、それは本番中、観るのに集中していたからである。
目の前で見ると、やはりすごい迫力だった。

ついでに、演技の後のワークショップにも参加し、ハカ教室にておなじみ「カマテ」
を習った。
NZ代表・オールブラックスの踊るあれだ。見よう見まねで知ってはいたが、やはり
ちゃんと習っておきたかったもので。習ってどやねんっちゅう話だが、そこはひまな
時に一人で踊って「ほっほ、いい気分。」となるのである。

これもついでに、独特の「モコ」と呼ばれる刺青や、マオリに特徴的な目をむき、
舌を出すゼスチュアの意味をたずねてみた。

2011年8月9日火曜日

楕円の磁力なお強く

個展の関係で東京に行っていた。
毎年東京のラグビー者、ヒラノ女史とお会いする。今年もお酒を傾け
つつ、情報交換、ラグビー談義に花が咲いた。
ヒラノ女子と話していると、まだまだ自分は「ラグビー者」の名を冠する
には青いわいと痛感する。
おそらく時期が時期なら、女子ラガーとしてプレーしておられたはずだし、
男性であったなら、さぞやアツいラガーマンになられていたことであろう。

フランスのラグビー雑誌を見せていただいたが、以前日本ラグビーを追放
(正確には無期限試合出場停止)になったクリスチャン・ロアマヌ選手が、
フランスプロリーグ・ディビジョンA、トゥーロンで大活躍している様子。
「Lomu le Japon」
と書かれていた。いわく「日本のロムー」。うーむ、複雑。
写真で見ているとさらに身体が大きくなり、以前よりいかつくなっていた。
自ら問題を起こして無期限出場停止になったのだからしょうがないのだが、
その力は勿体なかったかな。
なんとも。

さて、銀座で飲んだ後(こう書くとなんだか豪遊しているように感じるが、
ハイボール一杯250円、つまみ300円台の大変庶民的かつオツなバーで
あった。)、一度別れ、新宿はゴールデン街のお店で再び落ち合ったので
ある。すると。
そこでヒラノ女史より、一人の男性を紹介されたのだが、縁とはこういうもの
をいうのであろう。キタジマ氏とおっしゃる方で、一目で経験者とわかった。
自分よりも10ほど上の方であるが、なんと学生のころ、夏の菅平で京芸と
試合をしたことがおありになるという。
現在40代半ばのOBさんで、そのころの記憶をお持ちの方はおられまいか。
日大商学部ラグビーサークルである。
われわれでいうと、モゲさんのちょっと上になられるだろうか。

そして、氏の勤務地がかつて、鳥取県のハマモトが生まれ育った町で
あったと知り、まあおったまげた。
「名探偵コナン」の作者・青山剛昌の出身地でもあり、それにあやかった
「コナンロード」なんてなベタな観光名所が作られていて、そこ設置された
コナンの銅像が盗まれて、役場の人が困っていたとか、まさか東京新宿で
実家のイベント「すいか・ながいも健康マラソン」の話でなんぞで盛り上がる
とは思わなんだ。

大変気さくな方でお話していて楽しかったのであるが、実は上記の事実、
ヒラノ女史もご存知でなかったということで、女史自身、「なんだよこりゃあ!」
と驚いておられたわけで、まったくの偶然に発覚したキタジマ氏とハマモトの
共通点であったのである。
恐ろしい確率ながら、「濃い」縁だ。
来年もぜひ会いましょうと約束しさよならしたが、翌日キタジマ氏、ハマモトの
個展にも来場くださり、なんすれぞうれしからずやだったのである。

ヒラノ女史、キタジマ氏、まこと以ってありがとうございました。

まったく人生というのは面白い。
それまで何のつながりもなかった相手と突然つながり、えにし浅からぬ間柄
ができあがるのである。

2011年7月26日火曜日

告知

個展いたします。 

濱本 裕介展 
8月1日(月)~8月6日(土) 
午前11:00~午後7:00(最終日4:00まで) 

中和ギャラリー 
〒104-0061 
東京都中央区銀座6-4-8曽根ビル3F 
tel/fax 03-3575-7620 
http://www.chu-wa.com 

8月5(金)・6(土)、濱本は現地におります。 


お近くの方はぜひおいでください。 
お遠くの方もぜひおいでください。 

    2011年7月13日水曜日

    心の叫び 宴の折2

    参加、観戦を含め、OB戦やその他ラグビー部に関するイベントに、興味を持っておられる
    OB・OGの方々に改めて思う。「なぜそんなに?」と。
    それは、現役生である後輩たちにはなかなか理解しにくいかもしれない。
    然るにそれは畢竟、卒業生が現役の頃楽しんだから、あるいは楽しまずとも何かを得た
    からに他ならない。
    逆に言えば、一瞬にしろ真に楽しむだけの事を行い、刻み付けられるほどのことを体験した
    者達が、今でも影に日向に関係してくれるOB・OGの皆さんであるはずなのだ。
    そういった皆さんに尋ねれば必ず、その人それぞれのそうした話が口から流れ出ること
    だろう。
    前述の実感を得ぬまま、卒業してからわざわざ遠くから足を運んでくださるなどという、
    見方によったら酔狂とも思えることをやってくれるわけはないのだ。
    前回のセイジさん杯で言うなら、サワ君は神奈川から、ミヤニシさんならバイクで奈良から、
    京都のはじっこにやって来て体を張ったプレーをしてくれるのだ。

    何でやと思いなはる。

    OBプレーヤーで言うならこんなあたりだ。
    「現役の頃厳しい練習に耐え、自分は何かをつかんだ。その実感を追体験するために。」
    他の理由もあるかも知らん。
    しかし概ねこうではなかろうか。

    つまりOB・OGは、楽しむに見合うだけのしんどい目を見ながらラグビーをしていたのだ。
    若いマネージャーの訴えは、そこにあったのではないかと自分は理解している。
    「厳しさを持ってくれ」と現役キャプテンに気持ちをぶつけていた。
    おそらく、かなり長いこと胸に抱いておられたような印象を受けたが。

    表面的な装いだけでは、絶対にラグビーは上達しない。
    自分を追い込む、追い込まれる厳しさがなければ、強くはならないように思う。
    そして「サークル」と「部」の違いは、まさにそこにある。
    また、京芸ラグビーの「魂」というものの根幹も、そこにあるような気がすんのだけども。
    厳しくやっている、だからこそ「底辺で胸を張れる」のだ。

    胸を張ってやれていたからこそ今、OB戦にも来られるし、来たくなる。
    胸を張ってやれていたからこそ、息切れしつつもそれなりに強い。
    少なくとも、今の現役チームよりははるかに。
    そしてマネージャーの彼女は、そんなOBに勝ってくれろ、胸を張ってくれろとキャプテンに
    訴えていた。
    一番身近な敵に勝ってこそまずワンステップ「がんばっとんねや」と実感が持てるのだし。

    女の子にそんな調子で言われて、がんばらなきゃあ男がすたるってえもんよ。

    自分は意地悪にも、キャプテンにOB常勝宣言をした。マネ子さんと同じことを考えていた
    からだ。ここ最近ずっと思っていたことでもある。
    「このままだったらOBがずーっと勝つよ。」
    「いや、そんなことはありません。」
    「いや、勝つって。」
    「いや、そんなことはありませんて。」

    押し問答になったのだが、その理由はマネ子さんが滔々と語ってくれたので言わなんだ。
    「だって今のOB達は現役の頃、君らより厳しくやってたもん。」
    と思いませんかね。ハマモトの自惚れだろうか。

    体力・スタミナ・スピード、全てにおいて現役の方に分があるのは道理なはず。
    経験や技術を駆使したとしても、OBが不利なのは明白なのであって、それでも大差で
    OBが勝ってしまうというのは、われわれがよりひたむきにボールにからむからなだけなのだ。

    これからの現役の成長に期待したい、そして変わって欲しい。ま、次のOB戦も勝つけどな。

    「OB殺!」と言うくらいの殺気を持ってぶつかってきて欲しいもんだ。現役たちよ。
    自分は現役の頃、結構そんなつもりでやっていた覚えがあるし。

    ともあれ、大きなテーマが与えられた。
    現役プレーヤーたちよ、マネージャーの思いに応えろ。

    2011年7月8日金曜日

    心の叫び 宴の折

    ことあるごとに書いてきたが、自分はマネージャーに申し訳ないと思っている。
    いくらその仕事の一端がそういうものなのだとしても、迷惑かけたなソーリーと。

    練習中に突然鼻血を噴出させる。
    気がつけば眉から流血している
    いきなり昏倒し運ばれる。
    未洗濯のジャージを四日ばかり着て走っている。
    前触れなく嘔吐し、鼻からこんにゃくを出してへらへら笑っている。

    他のプレーヤーの名誉のために言うと、これは全て自分個人の過去の所業である。
    字面だけで見るとまるで狂人。だが、大体おんなじようなもんだろう。

    そんな病人一歩手前、いやさ、出来立てほやほやの病人そのものなる自分に
    テーピングしてくれたり、水を恵んでくれたり、ノックオンの数を計測してくれたり、
    ホンマにようしてくれたなあ、ありがたいことだったなあと思っている。

    であるのに、プレーヤーが走っている間、ただ見ているだけなんて、それはそれで
    大変だろうなあ。さぞ、彼女たちも走りたかろうなあ。とも思っておった。
    言わずもがな、ハマモトの根本的な間違い、ズレにお気づきだろう。

    ニードレストゥーセイ、ハウ、ステュッピド、アイアム。

    自分の頭の程も知れようというもの。女心が分かってないこと甚だしく、そんな
    ものだから、一日に7人の人から別々に「お前には心が無い。」などと言われて
    しまったりするのだ。
    ともあれ、自分はマネージャーに申し訳ないと思っていて、現在もそう思っている。
    わかってねーなー俺。と思うことしきりなのである。

    前置きがなごなった。
    先日のセイジさん杯のあとのバーベキューの折、マネージャーの正直な思いを耳に
    した。
    少なくともこの話の子は、非常に明確かつ単純な、強い思いを持っていた。

    お酒の入っていたせいもあろう、彼女はヤスイさんに訴えていた。かつ嘆いていた。
    かいつまんで言うとこうだ。いわく。
    「私たちは、プレーヤーのかっこいい姿を見たい。そんな姿を見られればこそ
    マネージャー仕事にも頑張れる。」
    と。
    またこうも。
    「みんなが雰囲気よく、仲良く練習できているのはわかるし、そのために新キャプ
    テンが心を砕いているのもよくわかる。しかし、負けてばかりいる。私たちは、
    彼らの勝つ姿が見たい。
    少なくとも、たとえ負けるにしろ、次につながる前向きなものが見たい!しかし
    そうなってはおらず、つらい。自分たちはどうすればよいのか・・・。」

    これには自分は、改めて結構衝撃を受けた。
    おわかりだろうか、現役マネージャーが現役プレーヤーに切実なダメだしをして
    いるのである。
    これは、OBからの説教よりよっぽどきつい。

    この言葉、プレーヤーたる我々は胸に刻まねばならない。
    「もっと現役として、ピリッとした試合をしたらんかい!」と言っているのだ彼女は。

    この場合、そうではないと言い訳はできなかろう。だってプレーヤーのことを
    一番見ているのはだれあろう、他でもないマネージャーズなんだから。

    つづくっ。

    2011年7月1日金曜日

    谷口青児杯


    セイジさんの名前を冠した試合なら、なおさら恥ずかしい試合はできない。
    「現役のための手本になる試合をしましょう。」
    というのがOBチームのこの日のコンセプトということで臨んだ日曜日。
    詳しくはOB通信にてお読みいただくとして、画像のように。
     
    この試合のためにサワ君は神奈川から参加である。ご苦労様。



    セイジさんの奥様からのご挨拶、そしてご子息のキックオフにて開始。
     
    ま、OBの完勝であった。
    新しいチームになっての初ゲームだからしょうがないかということだが、
    ほんまにそうかね~、なんて。
    でも、元気はあった。ようもバテずに最後まで声を出しよるわいと感心した。
    当日自分は久々のルースヘッド(左)プロップだったのだが、その対面に居た
    現役君のタックルがかなりよかった。そのせいで自分はノックオンをやらかし
    たりした。現役No8の彼の名前も間違えるし、あかん。
    写真入りメンバー表とかがあったらなと思うが、多分それでも憶えんだろうな
    自分は。
     
    とにかく、個々では光るものが見えていて、伸びて欲しいもんである。

    最後はみなで輪になって声入れ。


     




    そして試合後、バーベーキューの模様である。



    そこで、マネージャーの思いも聞けて大変勉強になったのであるが、それは
    次回にまわす。
     
    とにもかくにも、そんなに暑くもなく、楽しく過ごしたセイジさん杯であった。
     

    2011年6月4日土曜日

    告知

    先日の記事には自分のメールアドレスまで載せて彼氏(ハマモトの、でなく)の
    募集を行ったが、まあやはりというか、なーんもレスポンスがない。
    やはり警戒するものなのかな。
    なにやら自分が悪人のように思えてきてしもてたり。

    閑話休題。
    東京にてグループ展をしますと言って、もう明日からなのだが、お近くの方は
    ぜひどうぞ。
    お遠くの方もぜひどうぞ。


    ギャラリー枝香庵
    http://echo-ann.jp/



    もうひとつ。
    東京芸大ラグビー部OBのブログを紹介させていただきます。
    FRONT-ROW
    http://pr-ho-pr.jugem.jp/?eid=239

    応援しませう。
    東京芸大ラグビー部ツイッター
    http://twitter.com/#!/geidairugby

    2011年6月1日水曜日

    出会い系

    唐突だが、彼氏になってくれる人はいまいか。

    特に現役プレーヤーで。

    相手はハマモトではない。断っとくけどね。
    れっきとしたうら若い娘さんである。

    自分の住む茨木市、阪急の駅前であるが、時たま立ち寄る立飲み屋がある。
    自分は一人で本を読みながら静かに飲む。人見知りなもので、周囲との
    コミュニケーションなど皆無、黙々と飲む。
    しかし何度か足を運ぶと気心が知れ、あいさつ程度にママさんと口をきくように
    もなるのだが、ふと話しかけられた。

    「この子ねー、彼氏欲しがってんだけど、だれかいないかしら。」

    ママさん標準語でらっしゃる。自分がラグビー部出身ということを知り、スポーツ
    してるならさわやかな男性の知り合いがいる、と思われたらしい。
    ぜんぜんです。
    「あの、ラグビー部っつっても芸大っすよ。」
    と断ったのだが、「いいのよお大丈夫!」らしい。

    件の娘さんだが、大学でサッカー部のマネージャーをしているとの事で、この人の
    方がよっぽどさわやかなのであるが、見た目もかわいらしく、愛嬌もあり、彼氏が
    いない方が意外な印象を受ける。話してもなかなか真面目なの子なのだこれが。
    年のころは23くらい、彼女にするならよいお相手だと自分は素直に思う。
    んで、今、「とにかくお付き合いがしたいが相手がいない」のだという。

    いいのがいるなら紹介してくれっつう事らしい。

    ということで最初に戻るが、誰か彼氏になってくれる人はいまいか。
    何を仲人やってんだ俺はと思いつつ、面白いので引き受けたが、向こうはかなり
    本気である。
    「じゃ、あたるだけあたってみます。」と言うくらいな乗りで答えてある。

    ので、興味のある人は複数での参加もOK、いっぺんそのたち飲み屋に行って
    みませんか。
    飲みながら件の娘さんとトークをかまし、品定め、いやさフィーリングを確かめて
    みようではないか。
    彼女ほしーぜ!まじめにお付き合いしたいぜ!という方、ハマモトまで連絡を。
    照れ屋さんのために、自分のメールアドレスを載せておくので、こっそり
    名乗りを上げて欲しい。

    行ってみたけどすでに彼氏できましたあ!なんてなことになったらすまん。
    ふるってご応募くだされ。
    何度も言うがうそではないので悪しからず。

    ハマモト  tangata@hotmail.com

    2011年5月29日日曜日

    四芸OBとして

    長くなることをお許し願いたい。
     
    先日の四芸、学食横でのこと。
    東京OBコーヤさん、リョータローさん(ハマモトの1・2学年上)から、
    ある話を聞いた。
    東京芸大ラグビー部、現役部員減少のため、今後休部か廃部のおそれが
    濃厚にある、とのこと。
    その旨、東京・京都の年配OBに相談・報告の意味もこめて今回の京都
    四芸に参加してくだすったらしい。
     
    先に言っておきたいのは、これは卒業生として、また部OBとして、上の
    お二人、かなり熟慮の上の、発言であったらしい。
     
    相手のない限り、ライバルというものもありえない。加えてその相手
    とは、約半世紀近くの付き合いなのだ。そんな相手は、すでに同じ道を
    歩む「仲間」、苦笑い交じりの腐れ縁、うまし杯のトイメンであるはずだ。
    それがわれわれにとっての東京芸大ラグビー部である。
    京都芸大ラグビー部として、自分たちはこの「かけがえのない友人」の
    危機に対し、どんな考え・態度で臨むべきであろう。
     
    手前勝手ながら、私見を述べる。
     
    若手OBは、現役チームの状態をより把握しやすい状態にある。現役の
    声を直接聞いたり、忌憚のない思いを目の当たりにしたり。
    それは現在のわれわれの中では、ライメイ君が筆頭としてやってくれて
    いる形になっているが。
    もちろんこのお二人だけではないが、知っている限りでもチャーリーさん、
    アニキさん、スグルさん、ヤスさんそして前出のコーヤさんとリョータロー
    さんも、実は卒業して10年以上が経っていながら、ずっとトーキョーの
    現役と関わり、影に日向にフォローをしてこられた。それ自体は特に特筆
    することではないだろう。ただ、間近に見守り続け、現役とOBのパイプ役
    を努められてきたからこそ、まさに生の現状を目の当たりにしてこられた
    に違いない。
    しかるに、つぶさに見てきた要素を集め、「休部・廃部」という言葉を
    そこから引っ張り出さねばならなかった無念を思うと、つらくなる。

    だれだって思い出深いかつての居場所を失うなんて、そんな選択をしたい
    わけがないのだ。 
    だからこそその話を聞いたとき、「さてこそよくぞ話したまえるものかな。」
    自分は感じ入った。四芸の打ち上げの場で、口にしづらい話題をなぜに
    せねばならなかったか。
     
    そこに自分は事の重大さとお二人の思いの強さを見たように思った。
    だってそんな場所でそんな話題を持ち出したら、どんな言葉が返ってくる
    火を見るよりも明らかだ。自分たちが槍玉に上がってお叱りをこうむる
    のはわかりきっているではないか。
    あえてその役回りを選びそれでも東京ラグ部の現状と展望を話してくれた
    一時をもって、自分は思うのである。

    東京の80年を超える伝統は、すばらしい。すばらしいとともに、それは、
    重い。
    ある一面「誇り」となりつつ、状況によってそれにとらわれてしまった場合、
    重圧以外の何者でもなくなってくるのではなかろうか。大変不遜な意見で
    あることを意識しつつ言う。
    ただ、それが身にしみて理解できているのはわれわれOBであるのには他
    ならないはずだし、さらに若手OBであればあるほど、理解しやすいはずで
    ある。
    1世紀になんなんとするその歴史と伝統、魂。
    それは何なのか。どういった形のものか。
    それは必ずしも、現役部員の数と活動のありように左右されるものではない
    と思う。
    知っている者たちのありように一重にかかっているように思えならない。

    自分がこれほどラグビーに染まり、「京芸ラグビーでよかった」と思い、
    お会いしたこともない三宅先生の姿が頭の中で像を結ぶ理由は、それを
    伝えてくだすった先輩OBのおかげである。そして、伝えられた場面は必ず
    しもフィールドだけではなかった。
    ほとんどが、練習や試合以外の場所や機会においてであった。
    前にもどこかで書いたのだが、伝統と歴史とは、OBの存在そのものである
    と思う。
    何が言いたいのかというと、「存続の危機」で部員勧誘に走るのが本当に
    いい方法とは思われない。
    本当の危機とは、現役部員がいなくなったあと、何かを伝える立場のOB達
    が熱を失ってしまったまさにその時だと思う。
    現役の活動に固執してしまうのは、なにか理論のすりかえになってはいま
    いか。そも部員の勧誘は、主に現役部員の仕事なはずではなかったろうか。
    また、存続危機の責任を一部の人間に帰するのも間違いである。
    その責任は、今まで四芸に関係してきた四つの学校OB全てに、すこしづつ、
    等分にある。
    敵同士ではありながら、かたっぽ欠ければ成立しなくなる関係の相手を大切
    にしなくてどうするのか。

    ラグビーは、もっと柔軟で、自由なものであるはずだ。無くなったとて、
    復活のための前向きな方法はいまだたくさんあるはず。
    とりあえずOBとしてわれわれができることといえば、熱を失わず伝えて
    いくこと、ではないだろうか。
    そして四つのラグビー部の現役同士・OB同士で、今よりもつながりを強く
    していく必要もあろう。その動きの中で東京復活の方策を考えていくという
    のはいかがか。
    競技人口の減少とか、生徒数の伸び悩みとか、社会的な理由もあり、四芸
    ラグビーが山あり谷ありなのはしゃーないと思う。


    この問題は、なにも東京だけではない.いつ自分たちに降り掛かってくるか
    わからないはず、他人事にはしたくないのだ.

    ただ、自分は実は悲観はしていない。
    具体的なことはまだないのだが、たとえ一時期、東京が活動停止に追い込ま
    れても大丈夫。われわれ四芸OBがしっかりしていれば、絶対に東京芸大の
    ラグビーは無くならない。現役部復活のチャンスは必ずある。
    それは伝統や歴史が途絶えるということでもない。無くなっていたその期間
    でさえ、歴史に刻まれるのだ。その間のことを肴に語り合うのも一興となる
    だろう。
    それを乗り越えて復活する集団は、たぶん強い。
    実はそこが楽しみでもあったり。


    東京特有の、チョモランマの頂から崩れ落ちる雪崩かのようなテンションから
    くりだす怒濤の攻撃をまた見てみたい。

    コーヤさんやリョータローさんをはじめとする東京OBを前向きに応援しよう。
    「東京芸大ラグビーはな、ええぞ。」と若者に伝えていくのに、さて、われ
    われは何をしていくべきか。本気で考える時が来ている。

    上に書いたことは全て自分の青臭い理想論で、気分を害された方もおられる
    かもしれない。稚拙な文でもあり、大変恥ずかしくどうかお許しいただきたい
    が、しかし、無茶苦茶でも理想がない限り、それを目標とした考えも動きも
    できないと信じるので、あえて書かせていただきました。
    四芸にお世話になり続けてきた自分の、OBとしての個人的な意見として
    お受け取りください。しかし、何かの形で東京芸大を応援できればと思って
    おります。


    ひとまず、東京芸大ラグビー部にエール三唱!!


    Three cheers for Tokyo Geidai !  Hip! hurrah! Hip! hurrah! Hip! hurrah!



    2011年5月17日火曜日

    沖縄が入ったらしいな

    さて、四芸が始まる(沖縄県芸が参入したことで五芸祭)。

    どういった形であれ、その年の現役チームの総決算にすべき
    イベントであるわけで。
    今年のチームはいかがであろう。

    先日の新歓OB戦で感じたことであるが、何人か、おっと感じた
    成長株がいた。めちゃめちゃ勝手ながら。

    まずは院生なのだが、ミキ君が以前からすばらしい。
    センターらしいええタックルをしはるようになった。多分あれは
    強い背筋のなせる技なのだろうが、ミディアムレアの塩と胡椒
    でやればおいしい赤身なはず。
    加えておそらく、彼の中で「見切り」の感覚ができたのであろう。
    それは、「あ、ここだ。」というポイントを見分けるセンスである。
    それをモノにすると、試合がかなり楽になる。
    そうなるとインサイドプレイも上手くなるので、先日の試合では
    モールの中で、このやろっ!となってしまった。
    しかし、あれでよい。反則じゃないしどんどんやるべきである。
    センターのナイスタックルは試合の流れを一気に変えるので、
    がんばって欲しいが、現役チームで出るのかな?

    そしてもう一人はこれも現役ではないが、イッシ君。
    派手ではないが、堅実なプレーを狙い、それをしているのが
    見えた。渋いプレーヤーになりはじめている。
    ポイントの核になりつつあるのを本人は気づいているだろか。
    往年の名ロック、新日鉄釜石の桜庭選手を彷彿とさせる。
    褒めすぎか?
    しかし彼も現役チームで出るのかどうか。OB側かな?

    OBばっかり褒めたところで益もなし。現役ではどない。

    No.8、カオル君を推したい。
    もともとタッパがあるので、がむしゃらにプレーするようになった
    いま、敵側に立つとかなりやっかいな存在になってくる。
    彼のショートへの走りこみと前向きな意志は、フォワードリーダー
    たる資質を感じるが、まだ抑えきれないことはない。
    彼のがむしゃらさは今の時点では大変重要なものであり、周り
    が見えるようになるにはもう少し時間が要る。今はあのままで
    暴れまわっていたらよろしい。それよりも、彼のプレースタイル
    なら、もう少しパワーとスピードが必要であり、その点がもうちょい
    なのである。
    もう一つは、つっこむ彼へのフォローが薄いので、孤立してしまう
    のだ。んで、結局ボールを奪われるが、そこは塊としてのFWの
    意識の問題であって、実はそこが気になっている。

    あと一人、FWで率先して動く者がいないと、具合がよろしくない
    のではなかろか。
    それが上手くいけばFWが有機的に動き出すのだけれど。
    だーれかいないかな~なんて気がしているのだが。

    よくもまあ手前勝手にごたくを並べたてる、うるさくえらっそーな
    OB風情の自分であることよなあ。毎度すいません。

    後成長株といえばSOアキラ君なのだが、今は悩ましいところで
    あろう。
    未経験者でSOはまあ大変やろうと同情するのだが、彼のため
    には大事なことだし、勉強の四芸にしてほしい。

    四芸にはOB・OG一人ひとりに ひきこもごもの思いがあり、それを
    語りだすと止まらんくなるので、今日はこの辺で。
    とどのつまり何が言いたかったのかといえば

    がんばったんさい現役。

    の一言なのである。

    2011年4月7日木曜日

    エンター・ザ・ポンコツ

    こないだ春合宿の練習に行ったら、いきなり怪我をした。

    タックルありのタッチフット、要するにアタックディフェンスに参加したのだが、
    キャプテンのタカダ君と顔面同士衝突し、自分は昏倒してしまったそうだ。

    そうだ、と言うのは、事故のあった瞬間のことは全く記憶にないからで、
    気がつくとひっくり返っており、病院でCTを撮られていた。

    気を失っている間、夢を見た。
    なんでも中央アジアはタクラマカン砂漠のようで、ラクダに乗ってふんわりと
    旅をしている。
    自分は、ラグビーボールを探す役目を負い、早く見つけないとな~なんて
    考えつつ、今夜の宿を探しているのだった。
    それがまた妙にいい気分で、目が覚めたときは、現実と虚構の区別がつかず、
    あれ?ここはトルファン、ベゼクリク千仏洞のはずではないのかしらん?と、
    しばしボーっとしてしまったのであった。

    や、そんなたわごとはいい。
    みごとにほっぺの骨が割れ、顔面右半分が腫れたおしとった。
    頬骨弓というらしいが、誠に恥ずかしいことには、救急車まで来たとのこと。
    現役の練習でぶっ倒れるOBなんて、なんと情けない姿をさらしてしまった
    ことか・・・。
    「あ~見事にいっとるねえ、骨がいっとるわ。」と院長が呑気に言った。
    自分は怪我をしたショックで気分がへこみ、気持ちが引きこもりモードに
    入ってしまったのである。

    脳が揺れたせいで気分も悪く、何度か吐いてしもたせいもあり、ふらふらに
    なって家に帰ってから、「翌朝になったら死んでるかもな」なんつって
    おののきつつ早々に寝た。

    実はその翌日の日曜日、春合宿シメの試合の助っ人を頼まれていたのだが、
    怪我した土曜日の時点ではそれを断っていた。
    しかし当日の日曜の朝、これではいかんと気分がいきなり上向いた。
    このままではへたれOBになってしまう、ここはOBの心意気を見せとかねば
    いかんせん!

    今思えば別にそんなこともないだろうと思うのだが、へこんだ反動か、妙に
    つっぱらがった気分になってしまったのである。
    失神した翌日に、やっぱり試合に出なきゃやだとだだをこねるOB。
    ああ、現役首脳陣はさぞ迷惑だったことだろう。分かってたんだが、すまん。
    しかしそん時は、試合中に死すともやむなしみたいなテンションだったのだよ。
    で、前半だけで手を打った。アドレナリンが出たかぜんぜん体がしんどくない。
    でしゃばりおやじ世にはばかる、ご迷惑をおかけしました。

    試合後少し痛みが残り、これは手術かな~なんて思っていたのだが、
    顔の腫れが引いた今現在、問題なく生活できているので、元々病院が苦手
    でもあるし、自然治癒にまかせている。怪我、無視。
    眉を切ったときも、抜糸は自分でやってたしなあ。

    顔の形が変わったわけでもなく、それを心配するような繊細な出来でも
    なかろう。
    じーさんになって変なことになってきたら、その痛みをサカナに酒を飲み、
    思い出話のネタにするも一興、名実ともにポンコツになるのである。
    のぞむところとカッコをつけておこう。

    2011年3月15日火曜日

    是非ご確認下さい お伝えⅢ

    ある方からの大変貴重なお知らせにより、自分の誤りがわかりました。
    先にあげた記事についての訂正をあげさせていただきます。
    是非ご確認下さい。

    全文載せさせていただきます。

    はじめまして、ニュースより失礼します。その情報は間違いです。日記の削除もしくは
    訂正お願いします。正しくは厚生労働省HPもしくは放射線医学研究所HPをご覧ください。


    只今mixi内で間違った情報が流れて混乱が生じてます。事態沈静化にご協力お願いします。



    下記ソース

    厚生労働省より

    ヨウ素を含む消毒液などを飲んではいけません

    放射線被曝の予防や治療のために、ヨウ素を含む消毒剤を飲んではいけません。インターネット等に
    流れている根拠のない情報に注意してください。詳しくは放射線医学研究所HPをご覧ください。



    ヨウ素は劇薬!


    http://www.maruishi-pharm.co.jp/topics/data/k008/index.html


    ヒト推定致死量(経口)は、フリーのヨード(Iodine)として2~4g、ヨードチンキで約30~250mL(成人)
    とされている。】らしい。


    成人でも約30ml~250mlで致死量ということは、子供はもっと少ない量で危険。


    絶対に飲ませないように注意してほしい。
     
     
    食品としてののり、昆布等は、取りすぎはやはりよくありませんが、積極的に摂取していただく
    ことをお勧めします。
     
     
    今回のことで無用のお手数、ご迷惑お掛けいたしましたこと、誠に遺憾です。
    このブログをごらんの皆様、誠に申し訳ありません。
    また、すでに自分の間違った情報をどなたかにお伝えの方、お手数ながら、直ちにご訂正下さい。

    2011年3月14日月曜日

    お伝えⅡ

    また原発での爆発がありました。大げさでなく、事態はかなり深刻である と
    認識いたします。
    改めてこれに対する今出来る対処法、揚げさせていただきます。

    事故現場のある地域だけではありません。
    チェルノブイリ事故では、周囲数百キロメートルが強度に汚染され
    ました。数日後には、地中海まで数千キロの距離に、放射能の雲が
    流れ着いています(日本列島など軽く入ってしまう範囲とスピード)。
    今回も、数百キロの範囲は数日の間に汚染されてしまうと思います。

    仮に今回の事態がチェルノブイリ事故ほどではないにしたとしても、
    放射性物質が原発の外に出ているのは事実であるわけで。

    慌てふためく必要はないですし、発表にあるとおり安全の基準値の中に
    状況があることを、むしろ願いたいと思います。
    ただ、今現在身の回りで出来ることとして、用心という意味だけでも、
    ご留意いただきたく。

    取り越し苦労は、後で舌出して恥じればよいことです。

    1 汚染されていない水の確保

    2 汚染されていない食料の確保

    3 外出を出来る限り避ける

    4 外出に使用した衣服・持ち物は屋内に持ち込まない。

    5 身体の表面に付着した放射能は水洗いで除染する

    6 窓の目止め等した屋内で過ごし放射能に当たらない

    7 ヨウ素を摂取する(のり、昆布を食べる)


    繰り返しになりますが、特に関東・東北近辺にお住まいの方、特にご注意
    ください。
    困難なことは承知ながら、安心なのは危険な地域から一時的にでも離れる、
    ということだと思います。このことも是非お考え下さい。

    この国の祖父・祖母世代は、「原子爆弾」という形で恐ろしい体験を
    持っています。それをもう一度繰り返さないために、「ここではないから
    大丈夫」という感覚を考え直しましょう。

    追伸・先日の記事では「ヨウ素」を「ヨード」と誤記しておりました。
    修正させていただきます。

    心配性OBより

    特に関東以北におられる方々へ。


    原子炉の事故があり、ついに一般の方の被爆が確認されました。
    政府の「安全値である」という言葉ももはや信頼できません。
    自分自身は、かなり危険な状態だと思っています。

    以下のことが心配性から来る取り越し苦労であり、あとで笑っていただけることを願いつつ。
    また、いたずらに不安をあおる結果になる可能性も承知の上で書かせていただきます。

    ネットの中でのことなので、デマであるかどうかもわかりませんが、以下の対処法は
    間違っているようには思えません、皆さんのご判断の参考にしていただければ幸いです。

    爆発事故、また被爆者が発生したという事実から、放射性物質が外に出てしまったという
    ことは 確実です。

    核兵器使用後に降る「黒い雨」がそうであるように、空気中に放射性物質が漏れ出た後に
    降る 最初の雨がもっとも危険であるとの事。
    明日14日、関東・東北圏は予報では晴れとのことながら、近畿では昼から雨です。
    どうか雨に当たらぬよう、ご注意ください。

    また、体内に入ってきた放射性物質には、ヨウ素が有効です(事実)。
    ・海藻類(のり・昆布)を摂取する。
    これが体内からの排除法になるということです。

    ただ、ヨウ素の入ったうがい薬、消毒液等、絶対に内服しないで下さい。

    あくまで対処法であり、100パーセント有効とはいえないものでしょうが、簡単にできる、
    理にかなった手段です。

    遠いところの話やん、と思われ方もおられるかとは思いますが、本当にそうでしょうか。
    事故発生地と近畿とは、1000キロも離れておりません。ましてや関東圏ならばなおのこと。
    用心するに越したことはないと思いましたもので。

    かつてソヴィエト連邦(現ロシア)に務めておられた外交官のご家族に伺ったのですが、
    チェルノブイリ原発事故のおり、オーストリア等欧州諸国では、日常的に雨にぬれない
    よう注意して、人々は生活していたとのこと。
    規模は違え、可能性、距離性、無視できません。
    ちなみにオーストリアからチェルノブイリまでは、約2000キロ離れています。

    明日また健康に楕円球を追いかけられるように。
    是非ご留意ください

    2011年2月19日土曜日

    スーパーなひとたち

    スーパーラグビーシリーズが、いつのまにか15チームになり、「Super 15」
    となっていた。
    さらにとんでもないプレーを見る機会が増えたわけだ。
    オーストラリアの「レベルズ」が今回加入したとのこと、いったいどんな
    メンツが揃っているのか楽しみである。
    個人的にはNZのハリケーンズ、ブルーズがおもしろい。
    そしてまた個人的に、欧州のプロリーグも観たい。一時期、フランス国内
    ディヴィジョン・1や、英国プレミアシップも放送していたのだが。

    さて、はるか昔、大学一回生の頃。ラグビーが皆目わかっていなかった頃。
    ヒッチさんの下宿だか、ユイさんの下宿だったか、後学のためにと、ある
    ビデオを見せていただいた事がある。

    「各国のスーパーな代表選手たちは、こうしてラグビーの腕を磨いた!」
    「こうすれば君もラグビーが上手に!」
    みたいなやつ。

    当時イングランド代表SO、ロブ・アンドリューがその練習風景を見せてくれていたが、
    10メートル間隔くらいで置かれた3本のコーンに向かって、立て続けにハイパント
    を3回蹴った。
    すると、3本のコーンのある地点にボールが3つ、ぽーんと落下した。
    連続してキックをし、かつ10メートルの間隔を蹴り分けたのである。

    どうやったらそんなことができるようになるんだ!

    というのが視聴者でラグビー初心者の心理である。
    そして、レポーターが「どうやれば?」と同じ質問をすると、ロブ。

    「いや~、子どものころからできたんですよ~。」

    のたまったもんだ。
    要するに今までセンスでやってきちゃってね、とのこと。
    ぜんぜんハウトゥーじゃあれへんがな!
    見ていたわれわれはごろりともんどりを打ったのである。

    このビデオは、全編そんな感じで進んでいった。すごい技術が目白押しだったが、
    その全てが凡人には到底できないハイセンスな世界であって、そういった
    プレーを「子どもの時分からできてしまっていた」人たちの観察映像となっていた。
    何かかえって笑わしたいのか?というコンセプトビデオのように思えてくるほど、
    たしかにスーパーなビデオ作品だったのである。
    思いっきり突き放されてしまったような気がした。

    自分はその夜、泥酔した。

    2011年2月3日木曜日

    しづのおだまきえにしの果て

    前回の続きである。

    自分は、縁、えにしと言うものを信じている。
    関わっていくものや人、時にふしぎな事柄も起きてさもありなんと言う気がする。
    それはオカルトや心霊現象とはちょいと趣を異にするものなのであり、そして
    自分には結構そういうことがおこるのである。
    断っておくが、自分は霊が見えるとか、神の声が聞こえるとか、そんな類の
    力は皆無である。
    ただ水木しげる(大先生)的世界観が心地よいので、こう言うことにしている。

    自分は神は信じないが、妖怪は信じる。
    欧州一神教ゴッドの世界でなく、縄文うぶすなスピリッツの世界観で。
    こんなことえばって言うこっちゃないな、話を戻そう。

    前回の記事で気に入った音楽のことを書いた。
    しかし、なんとなく資料が少なく、このヴァシュティ・バニアンと言う人のことが
    よくわからない。
    そうして、この歌い手のことを知って数日後、全く関係ない場面で全く脈絡の
    ない雑誌をふと手にし、ぱあらぱらとめくってみたらば、いきなりこの人の資料が
    載っていた。
    「芸術新潮 2005年 12月号」の117ページ。ある連載の最終回に掲載されて
    いたのだ。
    自分の職場は学校であり、その美術研究室には、1995年から現在まで、
    この雑誌が全てそろっている。毎月発売の16年分だから、192冊がずらりと
    並ぶ。歯抜けだが、古くは1968年発売のものからあり、それも含めば250冊
    近くの「芸術新潮」が本棚にある。
    自分はその中から無作為に1冊を抜き、開いたのだ。
    さて、この状況の起こる確率を乱暴に考えてみるならば。

    250分の1冊ということだが、いきなりとってぱっと開いてそのページを出すことまで
    考えると、ちょっと想像のつかない数字になってくる。
    偶然といえばそうなのだ。取り立てて驚く必要もないが、しかしだとすると自分は
    ラッキーなのだろうか、んなこたないのだが、こういうことがよく起こるのだ。
    気になっている物が手に入ったり、後で考えると「虫の知らせ」としか言いよう
    のないことがあったり。

    そういう時自分は、「こういう縁なんだな」と思うことにしている。
    深ければ自然に近づいてきてくれるし、薄ければ離れていくまでのこと、と。
    知らず自分自身が求めているせいもあるのだろう、人でも物でも、いずこかしら
    つながり、縁がある限りどこかで出会うし、目の前に現れてくれる。
    しかしそういうことは、皆さんも経験のあることなのだろうと思うがいかが?

    上に書いたことが、ヴァシュティ・バニアンと自分との縁なのだと考えている。
    偶然歩いた場所で偶然耳にした音楽が偶然自分のほうに飛び込んできてくれた。
    そしてそれは自分の好きなものになっている。
    感謝・感謝と言うほかない。
    んで、アルバムを全部買ってしまった。

    学生の頃、夜中に突然写真の整理がしたくなってひっくり返していると、祖父の
    写真がぱらりと出てきた。ああ、じいちゃん元気かなあと手にとって眺めていた
    ちょうどその頃、祖父が死んだと翌日かかってきた電話で知った。ああ、
    そうだったのかと合点がいった。

    自分にとって縁とは緩やかに自分を包んでいるもので、時々そんな出来事を
    自分に与えて人やものとのつながりを伝えてくれる隣人のようなものと思う
    今日この頃で。




    2011年1月26日水曜日

    好きな歌を聴こう

    家のコンピュータがえらい調子を崩してしまい、投稿が遅れた。

    音楽の中でも、どちらかというと女性ボーカルが好きだ。ただ、自分の場合

    明確な嗜好や知識はあまり無く、だから誰の彼のという指定はない。その時耳にして
    心地よい音楽及び歌を聴く。
    クラシックの翌日はおムード歌謡曲が聴きたくなったり。

    ipodなんちゃな物は何物だ?だから、音だけ聞いたことがあっても作者や歌い手が
    わからん、ということがよくある。
    そして、ある曲が欲しい! となるのが往々にして街中や店内でふいと流れるもので
    あったりするのだ。
    あ、この曲欲しいぞと思っても流れ去って終わり、になりがちなのだが、自分はなるべく
    その時にサビを覚える様にしている。サビを憶えておくと別の場面で耳にしたとき確認
    しやすくなるからだ。
    その時点では曲名もわかっていないけど。

    しかしたまらん手に入れたいときは、CD屋に行って店員さんの前で「歌う」。

    「こんな曲なんですけど、聞いてください。」

    好きな人に歌で愛の告白をかますちょいとズレた高校生のように、サビの部分を。

    もちろん恥ずかしい。

    自分の歌唱力に自信があるわけでもなく、カラオケなんぞは半年に一回誘われて行く
    程度だ。あからさまに当惑する店員さんもいる。そら当然。
    しかし、そのくらいしても手に入れたい曲っていうの?そんなこと皆さんも心当たりが
    あるのではなかろうか。
    しかしうまくしたもんで、それで結構判明するのである。今までそういったことが
    二度や三度ではない。対応してくれはった店員さんありがとうである。

    「ひとめぼれ」ならぬ「ひとみみぼれ」してしまうわけだ。
    そんなこと自分だけではないですよね?みんなもですよね?

    今回久々にそういうことがあった。
    大阪の中崎辺りをそぞろ歩き、ある雑貨屋に入った時のこと。
    わが耳を魅了するこの歌曲はなんぞやっ! となった。
    品物を物色するフリをしてお耳は店員さんのいるレジに釘付けである。
    たまらん気になったので店員さんのところまで行き、「すんません、この曲は誰のですか。」
    といきなり尋ねた。
    すると店員さん、丁寧に調べてくだすって、お店の申し送りノートをめくり、あ、これですね、
    と見せてくれはった。

    「 Vashti Bunyan 」

    ヴァシュティ・バニアン。うおっ、やった。
    お礼を言い店を出た。品物は何にも買わず、ただ歌い手の名前を確認するために
    店に入ったようなもの、御迷惑だあったろうことよ。しかし許せ。おかげでよい曲を知った。
    早速取り寄せ、今聴いているが、あーいいな。うん、よいぞ。
    なんでもフォークソング全盛の頃の英国女性歌手であるとの事だが、やー、いい。

    まあ、どうでもよい私的近況であった、すんません。

    しかしこの話に関しては続きがあるので以下次号、なのである。

    2011年1月10日月曜日

    マネージャー礼賛・愛とともに

    前回の続きとして。年が明けちまった。
    この前の追い出し試合のとき気付いたのだが、今、結構マネージャーさんが
    多いのだな。

    「マネージャーもプレーをするラグビー部 」

    というのが自分のひそかな夢ではあるのだが、どうだろうね諸君。
    無理やりやらせるわけでなく、もしやりたいなと日ごろから思っておられるなら
    ということで。

    マネージャーと言うお仕事は部にとって欠くべからざる重要なものであることは
    ニードレストゥーセイ。
    しかしその成果たるや、縁の下の力持ちでなかなか表に出てこない。而して、
    彼女らの働きを抜きにしてはわが京芸ラグビー部は立ち行かぬのである。
    マネ子さんたちに迷惑をかけまくった自分が、いけしゃあしゃあと言うのはなん
    だが、ラグビー部でえらいのは当然マネージャーズである。
    プレーヤーは彼女達のおかげでラグビーを「させてもらっている」のだ。
    プレーヤーはマネ子さんたちを本来、あがめんならん。

    合宿で、昼メシが美味いからといっていつまでも食い続けてみなを待たせたり、
    キャプテンのくせして二日酔いのままやって来て練習中にゲロを吐き、鼻から
    こんにゃく出して彼女達から失笑を買ったり、引かせたりなんかしてはならん。

    自分の場合、女心と言うものが皆目分からず、マネへの感謝の印になんかせなと
    思いつつなーんもせんかった。
    金もなく、プレゼントのセンスも砂漠の井戸のように枯れ果てている。ぼんやり
    思っていたのは、「一緒にラグビーできたら楽しかろうな。」だった。
    その発想からしてどだい間違っているのだが。
    だから実際、十人以上いた自分の頃のマネージャーズを見るに、そんな思いを
    抱いておった。

    さらに自分のときには、実際プレーしていたマネージャーのトモちゃんがいたので、
    その思いはさらにつのっていた。
    別にジャージを着て走っていたわけではないが、このトモちゃん、練習の時、
    フィールディングではキッカーをしたり、ハーフをしたり、大変頼もしかった。
    スクリューキックなんかも飛ばし、スクリューパスなんかスナップも利いて、
    下手なプレーヤーより上手だった。
    そういや、バックスライン攻撃のクロスの練習までしとったな。

    マネよりもだいぶ人数の少なかった我々は、助かっていた。

    しかし彼女は一時期悩んだのだそうだ。マネージャーとして自分のできることは
    一体なんなのかと。
    もともとバレーボールをやっていた彼女の選んだ選択肢は、部の中での、プレー面
    でのサポートだったのだ。もちろん普通の仕事もしていたわけだが、できるなら
    プレーヤーに混じって参加したいと言っていた記憶があるから、本当にプレー
    したかったのだろう。トモちゃんが特別だったと言いたいわけではない。彼女自身
    で見出した選択肢がプレーに参加することだったというだけである。

    ビーチタッチフットの大会にも出てみようかと話していたのもこの頃だった。
    男女混成の大会だったので、面白そうだなと。実現はしなかったが。
    「相手が女の子だったら、ワシらタッチはおっぱい狙おうな。」
    とみなで飲みながらセイジさんが仰り、ああそれいいっすねーと笑いあっていたのを
    思い出す。
    みんなでできたら楽しいだろうな、なんつって。

    今のマネージャーさんたちはどうなのかなと思ったりする。
    もちろん、日々それぞれの仕事に誇りを持ってやってくれているのであろうし、
    その仕事に軽重はない。そしてそれで楽しくしてくれているのなら、言うことはない。
    ナッスィングトゥーセイ。
    ただ然るにもし、自分も体を動かしたいと思っている娘さんがいるなら、ぜひ
    遠慮せずにボールを蹴り、パスを放って欲しいのである。
    間違ってはいけないのは、マネージャーも部員なのであるのだ。
    長々書いて言いたかったのは、ラグビーライフを自分なりのやり方で楽しんで
    ちょうだいね、ということに尽きる。

    どうかねみなの衆。現役もOB・OGも。ハッピーかい?楕円。

    最近このブログの見栄えがよろしく変化したが、OGシラユさんの尽力による。
    ほんっとに自分は駄文を書き散らし、気ままに楽しんでいるだけのゆるゆるの
    オヤジ、いや、オヤジの「オ」は尊敬の「御」だから取っちまって、改め、
    自分はゆるゆるのヤジである。

    この場を借り、シラユさんにあふれかえる感謝の念と逆巻く尊敬の意を表したい。
    ありがとう。