2009年1月25日日曜日

亀岡は寒かったの巻

くやしい。一週間経ったがまだ悔しい。
亀岡での、対アウルOBとの試合である。

チームとしての実力の開きは正直なところ少なからず感じたが、なぜか「もっとできたはず。」という思いが消えない。
まあ、しょうがない。とか、負けたが気分はさわやか、という気持ちがいまだに湧いてこないのだ。これは相手がどうこうという事ではなく、恐らくは自分たちのほうに由来があるのだと思うのだが。
以下、全く以って自分の私見である。

経験値というものは大きいものだ。なかんずく、自分が属してきた集団のレベルによって、それは左右されていくものだと思う。
だから今回の場合、相手が小学校からの経験者で、伏見工業出身、という状況がくっついてきた場合、京芸の現役と比べた時に先の経験値や体力という部分ではどうしても差が生じるのは致し方ないことと思う。
それに、うちはミスが多く、そのために得点を重ねられた所も多かった。
しかしミスは必ず起きるものであるし、実際京芸は去年よりもいい試合をしていたように思う。みながんばっていた。
しかし、自分にいかんともしがたい気持ちが残るのはなぜなのか。

現役の助っ人で試合に入ると、いつも感じることだし、口にも出してしまうのだが(そのため現役にうるさい思いをさせてしまっているであろうことを申し訳なく思うのだが〉、特に相手に押されているときに何が必要かと言って、元気でもなく声かけでもなく、一発のいいタックルだと思う。

だから自分はつい「低いタックルだ」ということを怒鳴ってしまうのだが、しかし、それをどんなに言ってみたところで、言われた現役にとってみれば現実味のない怒号なのであろうと思う。
話が飛ぶが、「肉体は精神の牢獄」と言ったのはニーチェだったかなかったか。つまり頭で思うように動かない不自由な物が他でもない自分の体なのだということだ。おっそろしく強引な解釈だが。
これをスポーツに当てはめてみれば、いくら練習を積み重ねても、試合のイメージを作っていたとしても、現実の試合で練習どおりの動きはなかなかできるものではない。練習自体の意味は深いが、実戦の感覚は実戦でしか養われないからだ。
頭での理論や考え方ではなく、体で覚えない限り体は動かないのだと思う。

さらにたとえるなら、極端な例ながら、真剣での切り合いがそうだと聞く。
60〜70センチの刀で切り合う場合、相手との距離は驚くほど近い。しかも日本刀の力がもっとも有効なのは、切っ先から鍔元に向かいさらに10cm以上中に入った「ものうち」という部分なのだ。
それで戦おうと思えば、相手の息が自分の顔にかかるほど近くでなければ斬るものも斬れたものではないという。それでも相手の刃を避けて必殺の間合いに飛び込まねばならぬ感覚が、竹刀の稽古で獲得できるものだろうか。

タックルも同じものだろうと思う。大げさかもしれないが。
だからいくら練習しても、またいくら言葉を尽くしても、試合中ばちーんと相手のわき腹に突き刺さる感覚や間合いというのは「やらないとわからない」のだと信じる。

試合中、相手をカチ上げて仰向けに地面にひっくり返すタックルの効果と感覚をわかっている現役がいるかな〜と思う。そして早く知ってほしいし、またそれを体感できる場所は試合中でしかない。
だからつい、試合中現役にきつく言ってしまう自分を感じる。「もっとできるやろ!」思ってしまう。自分自身の経験で言うなら、今より一歩分深く踏み出せさえすれば相手の当たりをぬってナイスタックルが入るのだが。しかし同様に、その一歩に結構な勇気が必要なのもわかる分、現役たちの苦労もわかる気がしている。

よってもって、冒頭に上げた自分の気持ちが出てくる、つまりくやしい。体や経験に関係なく、一歩分の勇気、この場合根性と言ってもいいが、それが出せたら現役はもっといい試合ができるはずなのだ。
また難しいことを言いまくっているが、決して現役を批判しているのではない。ただ、知ってほしいのだ。
特に今回自分たちよりも強いと思われる相手に対して、上のことを試すにはいい機会であったし、それができたら勝てたかもしれないと本気で思っているので、また来年を楽しみにしておこう。
次やるときは勝つにも負けるにも、よし、と思える試合がしたい。


以上、自分のわがまま、私見を終わる。聞き流していただきたい。

2009年1月8日木曜日

お年始こもごも

年始に二つの新年会に呼ばれ、顔を出した。
一つはアンドウ君に声をかけてもらい、カトウさんのお店、よっしゃにて。
八人ほどいた中、同世代はフジサキ君だけで、後は七つ八つ下のメンバーたちだった。そういう席に呼んでいただけるのは幸運なことだと思うので、おいしくお酒をいただいた。テツオ君は大丈夫だったのだろうか、かなりキていたが・・・。

もう一つは自分の住んだ下宿、北星寮で生活していた先輩からのお誘い。
なんとその場に、今は千葉に住まわれる元CTBトキエダさんがおられた。やく十年ぶりの邂逅である。いや驚いたのだが、がっしと力をこめて握手。懐かしくてうれしくてちょっと泣きそうになった。後でユイさんも来られ、総勢六人ほどで飲んでいたのだが、自分以外は皆四つ上の先輩ばかり。最初の集まりとは反対に、今度は自分が一番下の世代という状況だった。
そこではお酒の入った勢いで、ラグビーに関係なくご縁が遠くなっていた人々に、今年もよろしく電話をかけまくるという迷惑な行動に出てしまい、後で少し反省した。しかしそれだけ楽しかったのである。夜も遅くに自分から電話のあった方、失礼いたしました。
このように短期間のうちに自分の周囲の状況が両極端の場にいたので、ちょとくらくらしたのだった。

閑話休題。
今月の十八日に亀岡にてラグビースクール「アウル」OBとの試合があるという。

去年と同じように現役主体で試合に臨むとのことであるようだが、前の試合を思い出すに、えらいやられたのを記憶している。
そら向こうはバリバリにやっていた人がほとんどであるから、実力の開きはあるものの、もう少し喰いつけるような気がしていた。なんか、お互いかみ合わなかったなあという気もしている。
というわけで自分の個人的な思いでまたかといった感じなのであるが。
考え方として「現役とOBの混成チーム」で捉えるというのはどうであろう。冬休み中で制作展前、現役は合わせもできていないし、もとより人数において不足がある。現役チーム主体という頭で組むには大変かと思うのだ。現在プレーヤー九人だと聞いている。
そこにOBを入れていくなら、いっそのこと最初から、リザーヴも含め勝てる布陣を敷いて臨むというのはどうであろうかと思ったりする。現役チームの固定ポジションにこだわらんでもいいのんちゃうかな〜、と。
そうすれば、現在若手OBでいきのいい面子が多い中、実力を発揮できることもできるのではなかろうか。現役に足りない部分を補うという意味でも。
その事がひいては、現役にとっても良い刺激になるんではないかとも思うのであるが、いかがなものか。お祭り的な要素の強い試合であるとも言えるし。だからといって出るなら手を抜くつもりはさらさら無いのだが。

ようするに、去年の反省として、自分としてはもっとやれたと思っていて、未消化な部分があったのである(それを一年間持ち続けた粘着気質な性格が自分でも怖いのだが)。
われわれの力だったらもっと面白い展開が作られたはず、という実感がどうしても消えないので。
というわけでどうせやるなら面白い試合をしたい。一月十八日の日曜に体の空いているOBの皆さん、特に若手。観戦、参戦、途中出場を問わず参加をお願いいたしたく、よろしくお願いします。


追伸
以上の文を現役キャプテンに見てもらったところ、現役なりの考えを聞くことができ、自分の「混成チーム論」は撤回することにした。なんとなくやる試合であれば持論をごり押ししようと思っていたが、そうでないことがわかったので、やめた。
自分は助っ人として頑張らせていただく所存である。