2012年8月28日火曜日

再起動

前回の記事へのコメントより。
せんだってから続く「芸」について。

○オナカさんから
青児さんのヨカチンが抜けとるで
トキオは裸でビール瓶、雅なキオトは着衣で一升瓶
おれの因幡・大好き様はフジイさんからの伝承
上野の連中も認める青さんの東京音頭もうちの至芸


○東京のラグビー者・ヒラノ女史から
8/25~26「ともだちカップ」@船岡自衛隊駐屯地(宮城県)に行ってきた。
スクラム釜石主催、東北6県ラグビースクールの少年少女を招いて
交流試合を実施。(大友信彦ブログに詳細記事あり)
船岡自衛隊ラグビー部はいま10連覇中の強豪。自衛隊にも伝統芸ありそう

ですね? 
さすがに今回は小学生が主役だったから(?)、設営テントで飲んだときにも

「芸」はなかった(笑)。今度聞いてみようっと。


同じチームの中にありながら、自分が知らぬいわば「歴史」があるのだな。

そして、地域と付き合うスポーツの、正しく健全なあり方の一つとして、
ラグビー関係NPOのいろいろな活動がある。

自分たちは歴史と活動、二つともに知っていかなければならんような気がするのだよ。


一人練習をやってみた。キック、キャッチ、ランニング。
やっと徐々に動けるようになってきたのがうれしい。そして楽しい。
まだまだダッシュなどはできたものではないが、断裂した左足首の可動域も
突っ張った感じが残るものの、ほぼ負傷前と同じになった。
癒着した筋繊維をほぐし、強くしていかねばならない。

確かに動くようにはなったが、筋力が全然戻っていないのである。
簡単に言うと、つま先立ちが出ない。
右ではできるのだが、左ではまったく。
左足で地面をけり、加速ができない。

はじめて歩き出した幼な子がこんな感じなのかなと思いつつ、しかし今年一杯での
復帰をもくろんでいる。
とりあえず目指せ全力疾走。





2012年8月25日土曜日

ラグビー文化論 OFF SIDE MAN

先日、東京藝大に伝わるある芸の話を書いたが、京芸にもある。
1回生のはじめ頃
「飲みのキョウゲイ、芸のトーキョー、囃子のカナザワ、にぎやかアイチ」
と誰かに教わった記憶がある。
飲みに徹するキョウゲイね。
しかし実は、隠された宴会芸はわれわれにも確かにあるのであり、
いくつか自分も目の当たりにした。

○オナカさんによる・・・「かえうた因幡のしろうさぎ」
○ニシカワさんによる・・・「中日ドラゴンズ数え歌・振り付き」
○オヤドマリさんによる・・・「愛のメモリー箸割り」
○99年度卒、ナカノ君、フジイ君、ヨコタ君による・・・「日本のお箸は二本でお箸」

最後のは芸祭で見たやつで、宴会芸というよりアジテーション、いや、
形容しがたい舞台芸であった。
ほかにも細かいのはいろいろあったが、上のものはメロディーつきの大盛り上がり
で、自分の中ではインパクト大なのである。

見たい。もう一度。
芸祭で、美女コングランドチャンピオン大会なんかが再びあれば
実現するかな。
やってほしいなあ。


閑話休題。
オフサイドだ。なぜオフサイドは「オフサイド」なのか
これも偶然ある本の中で見つけたものなのだが。
どーでもっちゃあどーでもいいのだが、これまた自分の妄想をかきたててくれた
もので。

もともとラグビーのルーツは、かなり大雑把な人数同士、あるいはコミュニティ
同士でボールを奪い合う、一つの祭りだった。
学校対学校、町対町、数十人から百人以上の男たちが街中を突進する
ものだったとのこと。
ルールもあって無いようなものだったから、奪い合いというかド突き合いである。
一度、その祭りの映像も見たことがある。
一つのボールの周りに数十人の人垣ができ、それが一日中押し合いへし合い
している。
町のあるポイントにボールを付ければ勝負がきまる。

例えばA町対B町で、A町のメンバーがポイントに持っていけばAが勝つのだ。
一度誰かがボールをキープすれば、彼を守って数十人が壁を作り、もちろん
それを崩そうと相手方数十人が襲い掛かるのわけで、ラインもへったくれも
なく、なおかつ街中である。、裏路地に逃げ込んだり、おとりを立てたり、
スポーツというより戦。
面白いのは、一息つきたい人やけが人は、奪い合いの中心から自由に
はなれることができ、そんな人はビールなんか飲みながらのんびりしたのち
「どれ、行ってくっか」と戻っていく。
敵同士のおっちゃんたちが仲よさそうに話をしていると思ったら、ぐわーっと
奪い合いに突進していくのだ。


2012年8月17日金曜日

文化人類学 ラグビー編

先日記事に書かせていただきました東京のドクターラガーマン・
モリカワ氏の所属チームが「関東ドクターズ」ではなく、
「東京ドクターズ」でありました。ここに修正をお伝えさせて
いただきます。



ヒラノ女史と飲みながら話していて、こういう話題になった。
「ラグビー関係者、特にプレーヤーはなぜにすぐ脱ぐのか?」
どこでもそうらしいな。

確かに自分の記憶の中でもラグビー関係者で脱ぐ人は多い。
ある男子校に非常勤で行っていたころ、人物クロッキーをしようと
モデルをつのったら、「自分やります!」とラグビー部の生徒が立ち上がり、
頼みもせんのに全裸になり、モデル台に仁王立ちになった。
周りはヤンヤの大声援だったが、10代のころから既に人前で裸体をさらす
ことに抵抗を覚えなくなってしまうってのは、いったいナンなのだろう。
ラグビーを始めたからといって遺伝子が変異するわけでもなかろうに。
あ、でも精神的な変調はきたすかもな。

斯く言う自分も、不本意ながら、あるいはモノの勢いで人前で脱いで
しまったことはままある。
個人的な意見だが、一般的に言われるような自己愛の果てに「見てほしい」
となるわけではないような気がする。

結論から言うと、これは「文化」だ。
男衆が集まってとりあえず場を盛り上げるには、脱いどきゃなんとかなる
というまことに大雑把な発想だと思われるが、とにかく誰かが始めたのだ。
しかし面識のない場でそんなことをすればひんしゅくの大安売り、何となれば
気分を害するものも出るだろう。下手すりゃ両手が後ろに回る事態になる
のは明白なのであって、「彼らが脱げる場所」とは、ある程度気心の知れた
集団の中であるはずで、それは
「脱いでも安心」
なメンバーの中において可能なのだ(そんなこと気にもしないOBもいるん
だが)。
そうでなけりゃわいせつ物陳列罪の人となんら変わらなくなっちゃうでは
ないか、まあ紙一重ではあるけれども。

しかし、お互いに分かり合っていればいるほど抵抗は無くなっていくわけで
あって、それこそ「ONE FOR ALL ALL FOR ONE」の精神そのままだ。
「あいつの裸は俺たちのため、俺たちはあいつの裸のため」
ほらね。
まず脱ぐことのできる場所、理解してくれるメンツがいてこその裸芸である
わけで、もっというと、脱ぐことによって羞恥心をも超越した、周囲に対する
信頼度の高さを示し確認しあう本能的な儀式行動といってもよいのかも
しれない。
いやほんまに。

そういった土壌が醸されやすいスポーツであると、ラグビーを定義づけても
よいだろうと思う。
それがさらに芸へと昇華していったものが、我々の身近にはある。
「ヨカチン」である。


2012年8月9日木曜日

楕円の夜、ゴールデンな夕べそして涙。その2

スポーツが最終的に目指す何かとはどんなものなのだろう。
記録、勝利の高揚、限界への挑戦?他には・・・。

折りも折りなのだが、オリンピックにほとんど興味がわかないので、どんな
運びになっているのかよく知らない。
しかし、全力を尽くしてがんばってほしいものだと思う。
そんな自分が考えるのはおこがましいかとも思われるが、上のようなことを
考えていた。
立ち飲みの翌日、新宿ゴールデン街、ヒラノ女史が出ておられるバー
「クレマスター」にて。

なんだか東京滞在中はずっと飲んだくれているような記事になっているが、
ま、しょうがない。
このお店「クレマスター」、壁やカウンターにラグビー関係の情報がさりげなく
置いてあり、さすがラグビー者のおられる所、「城」って感じである。
先の記事に書いたとおり、ヒラノ女史の放つ楕円の磁力の影響か、その道の
関係者、往年の名選手たちもチラホラやって来られるとか。
自分は、神戸製鋼・林敏之のサイン入りヘッドキャップを見つけた。
近しいところでは、オナカさんもご来店済みとのこと。

そこでヒラノ女史より、一冊の本を紹介してもらった。


以前もこのブログで書いたが、先の震災で被害を受けた地元の復興のため、
まさに旗揚げされたNPO法人「スクラム釜石」(scrumkamaishi.jp)に関連した
ドキュメント。
ラグビークラブチーム「釜石シーウェイブス」を取り巻く人々と地域の様子を
震災直後から記録したものである。

今のキョウゲイ現役メンバーは、「北の鉄人」あるいは「新日鐵釜石」という
名前をはたして知っているだろうか。
細かい説明は省くとして、新日鐵釜石という企業チームが、近年になって
釜石シーウェイブスというクラブチームに形を変え、現在も活動している。
そして、大震災。
チームの存続自体が危ぶまれた中、その存在は、むしろ地域の人々の
思いによって支えられる。
「ラグビーを続けてくれ。」

プレーヤーはもちろん、新日鐵釜石時代からのチームを知る地元の人々が
存続をのぞんだのが大きいのではないか。
なぜか。
地域に密着してきた歴史の賜物、というのは簡単だ。


2012年8月7日火曜日

楕円の夜、ゴールデンな夕べそして涙。その1


無事に東京での個展が終わった。
会いたかった人に会い、話もできた。

東京にいる間、夜はラグビー者・ヒラノ女史と飲んでいた。
木曜の夜、新橋の立ち飲みで語り合っていると、隣にいた人が自分らの
話にうなずいておられ、ヒラノ女史、もしやと話しかけると、やはり
経験者だった。うかがえば倉敷は川崎医大出身、モリカワ氏。
お名刺を見れば、副院長とあるではないか。な、なんて面白いめぐり合わせ。
現在「東京ドクターズ」というチームに所属しプレーされているとのこと。
それって、関西ドクターズと対を成すチームじゃありませんか。
思えば今三月、自分がアキレス腱をぶっちぎったときの相手が誰あろう
関西ドクターズだったわけで、なにやらうっすら因縁を感じるぞ。
大学医学部医学部リーグでのこと、フィールドドクターから見たラグビーの現在。
などなど、大変興味深いお話を聞けた。
お医者さんたちも魂あふれるラガーがあふれているのだなあと幸せな気分になった。
まあ結局は「とにかくボール追っかけてタックルしよーぜ!!」というアタキンな
話になったわけで、気がつけば11時過ぎとった。4時間近く立ちっ放しで飲んで
いたのだった。
このようにヒラノ女史と飲むと必ず楽しい巡り会わせがあり、自分としては
大変うれしい。当初予定していた飲み屋が閉まっていたのでがっかり、急遽
件の店になったわけだが、そうなっていなかったらこの出会いはなかったわけで、
楕円形の磁力といおうか。
ヒラノ女史、モリカワ先生、ありがとうございました。
写真左がヒラノ女史、右がモリカワ先生である。