2007年10月27日土曜日

王者たる所以

以前この日記というか独白の中で、特殊化した組織はもろいということを言ったことがある。

世界杯決勝、一つの分かりやすい証明になっていたように思う。

南アフリカとイングランド、南アの言ってみれば圧勝に終わったわけであるが、イングランドの明白かつ唯一の敗因がある。

ジョニ−・ウィルキンソンが封じられたことに他ならない。

ウィルコがこの試合、なんとなーく目立たなかった。
それだけで負けた。チームプレイの不可思議といってよい。

それに対する南アの静かな闘志が際立った形となったが、そのFWの動きが完全に英FWを凌駕していた感もある。なかでも南アFLスカルク・バーガーのがむしゃらな動きが良く目立っていた。ある解説者の表現で、「腕力ではなく、かいなぢからと呼びたい。」という言葉があったが、全くその通りで、南アFWのかいなの強さをまざまざと見せ付けた世界杯決勝戦であった。

それにしても世界杯、南半球チームの活躍が目立った。
南ア、アルゼンチン、トンガ、フィージー(聞いているとこんな発音のようだ)、こちらを驚かせてくれる力を見せてくれたと思う。もちろん我が日本代表も、成長を証明していた。いつになく波乱の多い大会だった洋に思う。

4年後はニュージーランドでの開催となるわけだが、そのときこそ現地に行って観戦するのだと心に決めている。ラグビーミーハ−おやじである。

2007年10月20日土曜日

タックラー

「カイロプラクター(整体師)」との異名を持つ選手がいる。
サモア代表、ブライアン・リマである。

南太平洋地域出身の選手は押しなべてハードタックラーが多い。
タックルと言うよりは、相撲で言うところぶちかましと言う方が似合っている。
自分の全体重を真正面からそれこそぶつける方式の物なのだが、ぶつけにくる選手の体重自体が普通に100キロ前後なものだから、やられる方はたまったものではない。車に轢かれたかと思うのではないだろうか。
またご存知のようにアタリも同じやりかたなものだから、そういった選手にタックルに行くのは正直いやだろう。

物体の運動エネルギーは、体重に比例し、速度の2乗に比例する。2乗である。
つまり足が速ければそれだけで運動エネルギーがはね上がるのだ。
恐ろしいことに、上に言った南太平洋出身の選手たち、100キロを越える体ながら足も異様に速いのである、まさに運動物理学の法則の塊が突進してくることになるのだ。


前も書いたかもしれないが、こんな場面を見たことがある。


確か大学2回生の頃、場所はロイヤルパレス、村田ヒッチさんの部屋、同回生のノハラもいた。3人でいいちこを回し飲みしながら観ていたNZ対イングランドの試合だった。
独走態勢になったジョナ・ロムー(トンガ出身、193cm、110k)にイングランドのFBが真正面から低いタックルに入った。ぽん、と弾き飛ばされ、仰向けになったまま動かない。その選手、肩を骨折していたのである。
恐るべしジョナ・ロムー、いやさ南洋の育んだガタイ、恐るべきスペックといっていい。


話がそれた、ブライアン・リマに戻そう。
上記の話で大体イメージしていただけたかと思うが、怖いタックル、いたーいプレーをしてくれる遺伝子を持つ人なのである。
サモアでは、ハードタックルが良しとされる。戦士たるもの、サメがうようよ泳ぐ海にでも平然と戦いにでるべし、それがサモア人の誇りであるらしい。リアル男塾!

そういう風景の中で磨かれた彼の技は、多くの選手を退場に追い込んできた。ボールをもちそうな選手に狙いを定め、ボールをもった瞬間に一直線にぶつかっていくのだ。

だからこの人、走り出すと誰を狙っているのかすぐわかる。狙われた相手は不幸なもので、ヒットの瞬間は、スロー映像だと言うのに像がぶれ、リマ本人は青い塊にしか見えない。ハイタックルぎりぎりを、骨も砕けよと全速力で走ってくる。脳震盪を起こすのはむしろ当たり前なのだろう。「カイロプラクター」と言うのは、恐怖と尊敬をこめた茶化しなのだろう。

しかしこれは自分が脳震盪を起こすのも当たり前で、この人はまた良く自爆しているのだ。
今回の世界杯でも初戦でいきなり自爆し、それを見た瞬間はこの人死んだ。と本気で思った。

その次に出た試合でも全く懲りる様子なく同じやり方を繰り返していた、不器用なのか何なのかと思う。
担架で運ばれるようなダメージを1試合目に負いながら、3試合目にはけろっとした顔で出場しているその理解不能の体力もどうかと思うが。ちなみにリマ選手、35歳である。

これは勝手な想像だが、恐らく自分の見せ場と言うものを知るが上での、この人なりの見栄あるいはプライドなのだろう。自分にできることの意味をよく理解しているのであれば、これほどプロに徹している選手もいないと言うことか。だってこの選手、どこのどのような試合でもスタイルを変えないのだ、まさにマヌー・サモア(サモアの勇者)と言えるではないか。

こういう選手、僕は好きなのである。見習いたい。
この選手に比ぶべくもないが、自分もできるだけ長く激しいプレーをしたいものだ。

残念ながら今回の世界杯で代表は引退するのだそうだが、またその勇姿を見てみたい。
死なない程度にがんばってほしい。


以上なぜ僕がブライアン・リマを好きなのか、というところを語らせてもらいました。

2007年10月17日水曜日

Los PUMAS returns

かつて試合前にこれほど泣く国を自分は知らない。
わなわなと唇を震わせ、
怒られた子どものようにしゃくり上げている。

気持ちの昂ぶりとはこれほどに人をして泣かしめるものなのかと驚いてしまった。同時に、試合前からこんなんで大丈夫か?と心配になるほどであった。

世界杯準決勝、南ア対アルゼンチンにて、アルゼンチン代表選手たちの印象である。

英語ではアルジェンティ−ナ、母国語ではアルヘンティ−ナ、結果は負けたのであるが、その戦い振りというか生き様は、こちらの心を打つものがあった。






国歌斉唱のときから彼らはキていた。
目は充血し、首筋、青筋立てまくり、
いつでもトップスピードでタックルいけますというような気合を見せていた。

国歌の前奏(アルゼンチン国歌はこれが長い)が流れ出した瞬間から、もうだめである。
ロックの選手かと思うが、ヘッドキャップをがっちり締め、マウスピースもつけたまま歌っていた。ゆえに歌詞が言葉になっておらず、もちろん眼からは滂沱の涙である。

それ歌いにくいだろ!と突っ込んでしまったのだが、そんなことはどうでも良かったのだろう、あるいは外すことさえ忘れていたのか。そのさまはこちらが気恥ずかしくて笑ってしまうほどであった。


液漏れ、という言葉が頭をよぎる。


弱い国では無かったが、決め手の強さが無かったために強豪のかませ犬的な立場だったのが、世界の四強に食い込んだのだ、そらうれしかろう。今大会最強とも言われたFW、魔術師的なステップとキックを操るSO・ファン=マルティン・エルナンデス、小さな闘将アグスチン・ピチョット、駒は充実し世界一が見えてきたところだったのだ。

試合の内容はというと、さて、期待したものとは少し違った。
気持ちが前に出すぎてうまく機能しないチームの隙を、南アに突かれた形となった。
後半には、うまく行かぬ苛立ちからかアルゼンチンのセンターが南ア選手にパンチをかまし、シンビンをくらうという事態まで起こったのだ。残念ながら、アルゼンチンは自滅した形となった。

しかしこのチームは、強さにおいて今大会の期間中、世界一に達していた瞬間はあったと思う。
神がかり的な部分もあったとはいえ。
なだけに、あらぶるアルゼンチンを押さえ込んだ南アの強さは際立っていた。
あしらう、に近い試合運びではなかったか。さすがと言うほか無い。


なんにせよ、ついに決勝を残すのみである。
イングランドか南アフリカか、激闘は必至、心して観たいものだ。

2007年10月15日月曜日

世界杯準決勝

イングランド対フランス。

この、世界史的にも様々なところで対立したり懐柔しあったりを繰り返す両国、
その試合を見る国民たちにも、並々ならぬものがあったろう。

両国のファンは、選手たちを応援するのに歌う。
イングランドファンは戦士を激励する伝統的な歌を(歌名がわからない)、
フランスファンはおなじみ「ラ・マルセイエーズ」を。

お互いに大本命であったオーストラリアとニュージーランドを下しての準決勝であったわけだが、この場合、ポスト決勝戦をやってしまったチームは燃え尽き症候群に陥りやすい、そういった点で、フランスは自滅を犯してしまっていた気がする。

両国とも準々決勝とほぼ同じ戦略で戦っていたが、イングランドの粘りにフランスが息切れしてしまった感があろう。しかし、イングランドと言うチーム、ジョニ−・ウィルキンソンという著しく突出した選手がいるために、良くも悪くもSO集権制とも言うべき形に特化してしまっているように思う。恐らくそうならざるを得なかったのだろうが、かなり特殊と言ってよいのではないか。

トライをとらなくても、敵陣に入りさえすればドロップゴールがぽんぽん入るのだ。
FWにとってこれほど楽な話はないし、仕事も大幅に減る。
BKにしても、正確無比なキックを追いかければ目の前にボールが落ちてくるのだ。
ウィルコ(ウィルキンソンの愛称)がいるだけで、チームの動きが整理されてしまうのである。
フランス選手は言いたかったろう。

「なんでやねん!ラグビーはもっとこう・・・、あーっ!(頭をかきむしる)」と。


ウィルコの存在は、事ここに至っては反則に近いと言えるかもしれない、
かつてのジョナ・ロムーのように。

ただ、この形の弱点は、要がいなくなるとチーム自体が崩れると言うことである。
事実、ウィルコが頚椎骨折で長期休場していた間、イングランド代表は拍子抜けするほど弱くなっていた。なんつーわかりやすい奴らやと、むしろ微笑ましく感じたのを覚えている。
そしてその事実はかなり危なっかしいもので、綱渡り的強さと言わねばなるまい。
「特殊化の果てにあるのは緩やかな死よ。」と言ったのは「甲殻機動隊」の草薙素子の台詞であったが、イングランド、恐らく決勝戦もウィルコ頼みになるだろう。
その相手がどんな戦略で挑んで来るのか見物ではある。


相手が南アフリカでもアルゼンチンでも、激闘になるのは必至だ。

2007年10月9日火曜日

波乱

前回波乱の多い世界杯と書いたかと思う。
またいくつか起きたようだ。

「王国」ニュージーランド、「大国」オーストラリアがともに準々決勝で沈んだ。
やはり団体競技とは不思議なものだ、負ける算段のないと言っても良い相手に負けるのである。
NZは戦術ではフランスを圧倒しながら、戦略で押さえ込まれた。
豪は戦略で勝ちながら、イングランドに戦術で転ばされた。

仏の徹底したゲームプランと絶妙なタイミングの交代選手投入、これぞ「いくさ」の感があった。英のSO、ウィルキンソンを中心とした、というより、チームとして彼を生かすために他の選手が体を張り続けた戦い方は、まさに「One for all」を地で行っていた。

上記の一事をもってしても、いかにラグビーが十五人の共通意識がキーとなるスポーツかと言うことがわかる。
個々の強さよりも(もちろんそれも重要な要素ではあるが)、集団のまとまりがものいった今回の勝敗だったと思う。
そしてこれは、京芸OBも心しなくてはならないことであろう。現役をしてさすがOBと思わしめるには、クレバーな戦略を実践するに足るわれわれの中での共通なイメージが不可欠なのだ。
これは、冗談で言っているのではなく、本気である。どうせやるなら、何で負けているのか分からないくらいの敗北感を現役に与えてやるほどのOB戦にしたいではないか。そのためにはやはり、尾中さんのいつも言われるごとく時間は早めに集まり、少し話をするぐらいの方がイイに決まっている。今度の泰造杯では、自分の入るチームでそういった戦い方をしてみたいわいとひそかに思うのである。世界杯の後でちとミーハ−だが。

とここまで書いてどうしてテレビの壊れた自分が試合結果を知っているのかと言うと、何のことはない早々に新しいのを買ったのである。
テレビデオ14型、アナログ。血迷ったのでない。地上デジタル放送を見ないことに決め、VHSとスカパースポーツチャンネルでラグビーのみを楽しむことにしたのだ。

電気屋さんでは店員に怪訝な顔をされた。

「地デジはどないしはります?」

「見ません。」

話は一瞬にして終わった。
この選択は間違ってはいないと、ラグビー原理主義者の道をひた走る自分としては信じている。

画像は新しくうちにやってきた相棒の姿である。

2007年10月6日土曜日

私事ながら

テレビがとうとう寿命を迎えた。

画像がぶれてどうしようもなくなってしまった。

思えば大学二回生の頭から約十年お世話になった14型、
こきつかったものであるから、さもあろうことであるが、
しかし困ったことには世界杯がこれから佳境に入っていくところなのに、
まあえらいタイミングで壊れてくれたものである。

いやその前に、今まで大儀でしたテレビ。合掌。

今回の大会は波乱ずくめなのでかなり期待の高まりがあるのだが。

今日の夜から準々決勝が始まると言うのに、ちとあせりを感じている。


電気屋に行こう。