2011年12月10日土曜日

四角いマットのジャングルに2

また、プロレスの話に戻り。
無論のこと、ラグビーとともに、自分はプロレス者である。
四角いマットに愛さえ抱いている。
といって、会場に足を運ぶわけではない。
しかし、愛している。
一言で言うと、自分にとっては、漫画やアニメに近い感覚がある。
すなわち「イマジネーションの刺激と拡張の快感励起装置」としての娯楽である。
なんや知らん小難しいことをのたまってけつかる、と思うなかれ。
この「装置」の存在は、おそらく人間の大脳新皮質、および前頭葉あたりに
びしびしとからんでくるもののように思われるわけだが。

たとえば米国におけるプロレスはその人気が半端でなく、全米での興行はWWE
という団体の独壇場であり、チケット販売開始ものの数十秒で売り切れになる
という人気である。あの広い米国でだ。スタジアムはいつも満杯。
形は各州各都市ををドサ回りしているのだが、プロデュースの徹底ぶりが
すばらしい。まさにアメリカ的。ドルかけたはるなあと思う。
正しいなと思うのは、自分たちのあり方の意味を良くわかっておられて、
イラク問題のさなかに現地で慰問興行を行い、兵士たちを楽しませるなんてことも
していて、エンターテイナーたることを貫いているのである。
さて、冒頭に漫画やアニメに近い感覚、と書いたが、こういう理由による。
まずは選手すべてのキャラが立ちまくっていてくらくらする。
そしてみんなが「I am a king!!」と叫びのたまってはばからない。
・大巨人 ビッグショー (213cm)
・ラッパーチャンプ ジョン・シナ
・地獄の墓堀人 アンダーテイカー(最近見ない)
・謎のマスクマン レイ・ミステリオ
・仲間に裏切られ、復讐のサイコ野郎と化した男 コーディ・ローズ
等等。
どうですか、このメンバーだけでも、試合を見たくなったのではありませんか。
新人アルベルト・デル・リオのプロフィールなんかこうだ。
「メキシコのエリート階級からWWEヘとやって来たアルベルト・デル・リオ。
裕福な階級の生まれで、スペインの王族であるフェルナンド王とイザベラ王女の血を
引くとも言われている。教育レベル、ユーモアセンス、そのどれからも王族の気品、
威厳を感じ取ることが出来るだろう。彼こそ無限の才能を秘めたスーパースターなのだ。」
すごいと思う。
いや、ほんまにそうなのかもわからん。しかし、これはもう漫画の世界だ。
もっというなら、荒唐無稽、という虚構が少なくとも表面上は真実としてまかり通るこの
状況。ほんまの意味で3Dコンピューターグラッフィックに血肉がついた、ということ
といって過言でない。
それを嘘という言葉で処理するのは安易。思考の停止に逃げ込むことに如かず。
あるがままに受け入れ、それを楽しむということこそ、エンターテインメントを観る者の
態度であるし、そうでないと面白くない。「ガチンコか否か」という判断基準で論じる
ものでは土台ないのだ。
畢竟、どんなスポーツであろうが観客がいるという状態はそれは「娯楽」以外の何者
でもないのであって、必然的に楽しくないといけない。言い換えれば「楽しけりゃいい」
のである。スポーツにおいて、本気の度合いを価値のパラメータとするなら、いつか
死人が出る。それを突き詰めていくと、古代ローマの剣闘士の殺し合いを見て楽しむ
状態、猟奇とかフェティシズムになっていくと思うのだが。
それってどうよ。
自分は、本気で戦って血を流し消耗する選手を見て、「よしよし」と納得する気には
なれない。まかりまちがって命を落とした選手に向かって、「よくやった、それでこそ
スポーツマンの鑑。」と拍手を送るのか?その感覚はおかしい。
本気、ガチでやるかどうかは試合場に立つものの心一つなのであって、観る者は楽しめ
ばそれでよい。八百長によって白けさせることがプロとして失格なのであって、問題は
単純にそこだけであるはず。
観客に少しばかり楽しむ心とイマジネーションがあれば、虚構さえ最高の娯楽になる
はずなのだ。
相撲の八百長問題だってそうである。八百長という言葉に抽出し尽くして遊びをなく
せば、それは長期的に見て力士に死を強要するに等しい。相撲がどれだけ過酷なもの
か、理解したうえでバッシングするのか。それを極端というなら、「八百長はいけな
いが、さじ加減は考えてね♪」とでもアドヴァイスするのか。
それではお相撲さんがかわいそうである。
本当は相撲協会の人はこう言いたい筈だ。「今までずっとそうやって来たんだよ!!」
と。
そうやって日本の社会と持ちつ持たれつで来たのに、なぜ今さらそんなことになる
のか。

プロレスの抱える現代の状況も、それがそのまま当てはまる。
エンターテインメントにおける日本と欧米の認識の違いもあるが、これにははっきり
とした理由がある。
そのキーワードとは、現代日本人のイメージ力の鈍化にある。
つづく。
ごめんなさい超一人よがり記事。しかし楽しくなってきたのでまだまだ書くのである。