2012年4月26日木曜日

五芸になったのね

プロラグビーがかつて「スーパー11」だった頃から、徐々にチームが増え、
いまや「スーパー15」。
そしてかつての四芸が今年から「五芸」になる。
時代は変わるのだなあ。
とはいえ、ラグビー以外の四芸のことなんぞひとったり知らんのだが。

この季節に思い出すのが、やはりヤスイさんのキャンピングカーで
四芸試合会場に行くまでの、たまらんハッピーな旅なのである。
ヴィム・ヴェンダースも頬を緩めるロードムービーさながらの。

ところで、5月6日の日曜、15時キックオフ、京芸グラウンドにて恒例の
震撼いやさ新歓OB戦がある。
新しい年度のスタートに、OBの皆さんの多くのご参加をお願いいたします。

自分も試合には出られないポンコツながら、応援に行かせていただこうと
思っております。


2012年4月22日日曜日

あ、縫い目だ。

スーパー15を見ていると、本当に選手の回転が早いのに気付く。
全チームどんどん新加入が増え、顔ぶれが変わっていくのだが、
まあそうだわな。
あの激しさで長くやっていくには人知れず大変な部分があるはず
だと思う。やっぱり何度見ても違うスポーツに見えのだ、レベルが
違い過ぎて。

今まで、額と眉を試合中、4度ほど切った。
小さな傷で3針ほどのもんだったので、縫合の後病院にはそれきり
足を向けず、抜糸はすべて自分でやった。
下宿の鏡に向って、料理バサミとプラモ用ピンセットを駆使し、
後はマキロンで消毒。ああすっきり。
糸を抜くだけなのにお金を払うのが馬鹿馬鹿しかったからだが、
とどのつまり、あほである。
ただ、今回については自分でなんてことは無理だと思ったので、
しっかり病院に行った。

ギプスを割り、久しぶりに見る自分の左足には、かかとに沿って
「縫いました!」と主張も見事、盛大な縫い目ができていた。
そして、これも見事に関節が固まっている。
生物の体とは不思議だ。
使わなければ、2週間もあればその機能を停止してしまうのだ。
ぜんぜんかかとが動かん。
そのかわり、今までなったことのない体の部位がずっと筋肉痛である。
松葉杖で生活しているが、要は常に両腕で体重を支えている
状態なので、負荷は全部肩から二の腕にかかる。
なおかつ移動距離は以前と変わらず、しかもこの春から、自分は
小学校で働いているので、よく動いているのだ。
松葉杖、近距離ならけんけん。

これはずっと筋トレしているようなもんではないか。なかなかハードで、
夜はよく眠れる。
これからじょじょに動きをもどしていくべき我がアキレス腱だが、しかし
よくわかった。
いくら鍛えてもリハビリしても、元のとおり機能させるには、もっとも
厄介な壁が自分の中で出来上がっているのを意識できた。

恐怖心である。

2012年4月8日日曜日

修復中のつりまくり

アキレス腱を切って14日が過ぎた。
手術してより10日。

完全断裂であったので、その機能は失われ、手術してしばらくは、
器官としても機能としても、完全に沈黙してしまっていた。
ただ、ギプスの下に感じる立体的な術創の痛みのみが実感であった
わけで。
この辺の、こっからここまで縫われとんな。という、かなりはっきりした
痛みの感覚。ただしそれ以外はうんともすんともなく、普通は足指や
かかとを曲げ伸ばしすれば、アキレスをからふくらはぎまで連動し、
びよんびよんと動くはずなのだが、なーんの反応もない。
ふくらはぎの部分がごっそり無くなってしまったかのような印象だった。

なにせ断裂自体が痛くなかったので、それ以外の部分のほうが苦痛
だった。入院しての点滴、術後の痛み、そして何より、尿道カテーテルが
気分的にも一番つらかった。
辛抱たまらんので、手術した深夜に抜いていただいた。そしてその後の
トイレのまあ痛かったこと。うめきながら用を足した。

なもので、それ以外の感覚の強さで、主役のアキレスの存在が希薄に
なってしまっていた。
のだが。


2012年4月7日土曜日

ヒザだよヒザ

甲野善紀。

武道家というよりも、哲学者といったほうがいいかもわからん。
一時期「ナンバ歩き」、「ナンバ走り」という言葉があったが、その
紹介者であり実践者である。
同じ側の手足を前に出す歩き方ね。
この方、一動作で三太刀の居合いをする。あるいは杖を用い、一動作で
三段突きをかまさはる。


簡単に書くと、要するにヒザの「ため」で、柔道で言うところの自然体
から、すとんとヒザを落とし、その運動を攻撃動作に置き換える
という考え方である。
え~と思う方は、ユーチューブでご確認ありたい。

ね、見ましたか。興味深いでしょ。
細かい解説は抜きで、自分は一度この人の本を読んだことがあるのだが、
鍛錬よりも、考え方で体を動かす人、という印象である。
最も効果的な動きはこれしかない、というところまで考察を重ね、実践する。
そうしたところ、かつて達人と呼ばれた先人達の残した所作の意味が、
理解できたのだという。

とにかくヒザ、ひざの柔らかさ。そして大きな筋肉によるものでない、体の
深いところにある筋肉の動き。これだ。

残念ながら、一度やってしまったのち、部分が部分であり、按配が按配
なので、怪我をする前の状態に100パーセント回復させるのは無理で
あろう。もちろん戻す努力はするが。
それよりも、少し見方を変えて、上のことを利用して以前とは違う体の
使い方で、弱った部分を補うことについて考えている。やりようによって
は、以前を越えるポテンシャルを発揮できるようになるかもわからない。
ただし、はた目の動き方は常ならざるものになるであろうが。
復帰した暁には、奇妙なフォームでぬるぬる走る自分がいるかも
わからん。長い目で見たってください。

そういえば、剣道出身者イガワ君がラグビー部入りたての頃、「すり足」
で全力疾走しているのを見て、「うぬ、あなどりがたし。」と思ったのを
思い出した。砂煙を巻き起こしながら走っとったもんなあ。

2012年4月1日日曜日

無傷のすすめ

犯罪とプロレス、というテーマが完全に後回しになってしまった。
しかしこの話の結論は、また後日ということにして、今しばらく
ハマモトのアキレス腱ネタでいきたい。

せっかくわが身で体験できたわけだし、怪我しました、そーでっか
ではなく、この記事を見る方々の役に少しでも立つようにしておこうと
思う。

どうやらこのアキレス腱、年齢に関わらず切れるときには切れる
ものらしい。そして、切れやすいものらしい。
こうなったらいやだな、と思っていたから、念入りにアキレス腱を
伸ばしてウォームアップをしたつもりで、見事にぶっちぎれやがった
もんで、しょーがないと思いつつそこだけ釈然としないものがあった
のだが、そうか、それならもうこれは事故にあったのと同じだと合点が
いった。
ようするに年齢とともに衰えるものがあって、強度が減じていた
というほかないのだろう。

自分の場合、右にステップを切り、左足を踏み込みかかとが伸び
きった瞬間、前に飛び出そうと力をかけた。
つまり限界まで引っ張られたアキレスにさらに荷重がかかった状態
となり、その時ぶちっといってしまったということらしい。

腱というのはゴムと一緒で、伸びる方向に急激な負荷がかかると
逆に収縮しようとする力が働く。
なおかつ芝グラウンドはスパイクの噛みがよく、力が逃げないので、
かかった力が一点に集中しやすいということもあり、いくつかの
要素が重なって腱の限界を超えてしまう結果をまねいたのだ。

ではその根本的な原因はというと、医師と話してみて思ったのは、
体の使い方にあるように思う。
いくつかのポイントにわけることができる。
そしてそれらに気をつけることで、怪我の予防、改善に役立つ
とのこと。
1・ 体軸のぶれ
2・ ひざの「ため」
3・ インナーマッスル

やみくもに鍛えるのではなく、以上3点を念頭においておくとよい。
特に我々OBにとっては大切なことであるように思うがいかが
だろう。
1と3においては、「体幹の強化」というところに集約するだろう。
いろいろな雑誌などで聞く言葉「体幹」だが、やっぱり大事なん
だなあ。
体軸のぶれが生じると、余計なところに余計な力がかかるように
なり、そのバランスをとるためにさらに余計な力が必要になる
というバッドループに陥る。
回転軸にぶれの生じたプロペラが、いつか自分の回転力で
折れてしまうのと同じ理屈だろう。、
日常生活に支障は出ないが、殊に激しいスポーツなるとそれが
顕著で、自分の場合、元々アキレス腱に負荷のかかりやすい
体の癖があり、それに体が耐え切れなくなったのだ。
そうならないために、インナーマッスルの強化を強く勧められた。
体の表面に近い大きな筋肉を大きくすること自体にあまり意味
はなく、体の軸に近い筋肉を強め、動きの無駄をなくすことで、
負荷も減るとのこと。
というよりも、かかった負荷を分散して支えることで、壊れにくく
するのだ。
軸をきっちり包み込むことで、回転速度が上がってもプロペラの
安定が崩れないイメージだ。

同時に2。
ひざの「ため」によって、足全体の動きを滑らかにし、衝撃の
吸収を助ける。
そうすると、急激なステップやスピードの変化は作りにくくなるが、
動きはかなり柔軟になる。
ここが自分の課題であり、復帰するまでにひざの動きを会得
したいものだと思うのだが、難しそうだ。
イメージとしては、やはりサントリーサンゴリアスWTB、小野沢
選手ということになるのかな。

そしてまた、上のイメージを作っていくうえで、一人の武芸者の
名を思い出した。
甲野善紀
である。

つづく。