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2009年9月15日火曜日

五十周年記念企画会議



13日、日曜日、五十周年記念企画会議が京芸は安井さんの研究室にて行われた。
これで四回目ぐらいだったか。今回のメンバーは、左より
吉田さん・加藤さん・アゲさん・青山さん・安井さん・村上さん、そしてハマモト+子
の総勢7.5人であった。

今回はかなり数字的にも現実味がつき、いよいよ近づいてきたのだなという実感を持った。
人数も、概算では80人を超えるというもので、にぎやかそうで楽しみである。
一つの集団が面子を変えつつも半世紀存続し続けるということは、それだけでそこには歴史が
生まれる。その記念としての集まり、成功させたい。
といっても、自分はというと横から茶々を入れる程度なので、大きいことを言うのもおこがましいのだが。


さて、五十周年記念誌の作成において、今回興味深いことがあったのだが、昔のラグビー
ユニフォームには、ベルトがあった。昔の白黒写真を見ると、皆さんパンツにぎゅっと締めておられる。
ところがこれ、実はベルトではなく(ベルトをしていた人もあったとのことだが)、ネクタイなのだそうだ。
モノクロでは黒に見えてしまうのだが、当時は皆てんてんばらばらに好きなネクタイを締めてくるものだから、
選手達の腰周りは華やかだったらしい。確かにカラフルな風景であったろう。なかなかいいなと思った。
何でも、染色科の女の子がわざわざプレーヤー用のものを作り、プレゼントしてくれたりということもあったのだそう。
ええ話やないか。
いつからネクタイを締める習慣があり、いつからそれが消えたのかは分からないが、個人的にはそういったエピソードは好きである、プレゼントの件も。
恐らくは、各チームのブレザーがあるように、そろいのネクタイもあり、メンバーはジャージとともにそれ
を締めて試合に臨むという風習があったのではないかと思う。
ただいかんせん金のないチームは、各自の自己調達だったはずだ。なんともほほえましい風景ではないか。


そうだ、五十周年記念試合には、自分はそのスタイルでいってみよう。
古ネクタイを腰に締め、クラシック・キョーゲイを気取ってみるのもよいんではなかろか。
あ、なんだか楽しくなってきたぞ。





2009年9月3日木曜日

こら苦手晩夏

別の日記でも同じ記事を書いたが、皆さん同じ思いであると思うのでまったくのコピーで載せました。


駅の出口で画像のようなものをもらったのですが、どうしましょう。2980円で遊び放題とか。
歩いているとついこんな風にもらうのを断れない自分です。ティッシュとかね。

こういうお店はあれですね、着飾った姉さん方が隣に座ってお話の相手をしてくれるというものなのでしょう。
しかし自分には、こういうのはトラウマに近いしんどさが伴うのですね、要するに行きたくないです。別にきれいな人もお酒もきらいじゃないのですが。
学生の頃、下宿しとった頃、飲むといえば大学のアトリエとかラグビー部員の下宿部屋で、発泡酒といいちこを痛飲するぐらいのもんだったので、もちろん合コンなんてものは今までしたことが無く、金のかかる店にはほとんど行っておりませんでした。

しかし二十歳もならん頃、実家に帰った折、わが柔道の師に連れられて鳥取県の場末のスナックに入ったことがあります。
尊敬する師は若いお姉さんの手を握って口説きだし、あっけにとられている自分のとなりで自分と同世代の姉さんがいそいそと水割りを作ってくれているという絵・・・。
強くもないくせにピッチの速い自分は、何杯もママさんに水割りを作らせることになっており、ついに耐え切れなくなった自分は、同い年くらいのネエさんに言ってしまいました。

「すいません、僕、手酌でやるんで気にせんといてください。」

汗顔の至り、恥ずかしさも極まれり。
いや、こういう店はこれが全国共通の決まりなんだとは、知らんかったんだ!
ネエさんは、「親切」で自分に水割りをくれていると思っていたのでした。
わきげ、いや若気の至り。
自分を冷ややかに笑うネエさんの顔が今でも思い出され、走って逃げたくなります。
以来、そういったお姉さんお酒店は自分にとっての鬼門なのです。

あと、同じような店で働く同級生と出くわして、ものごっつい気まずさに襲われたり、アイドル崩れの台湾人のおばさまのおも~い話を聞かされたり、この手の飲み屋でいいことのあったためしがないので、自分はいやになってしまいました。
だから自分はこういった店には行きません、つらいのです。
男ばっかりでもいいので、へらへらと飲んでいるのが、自分には合っているかと。

華やかなお姉さん店の前を通ったりするたびに、耳の奥であの台湾人ママの声がフラッシュバックしていけません。
「ワタシ、ニポンにアイドルで来たケド、なーんにもいいことなかったヨ。ぜんぜんだめで、今はこんな田舎のスナックにいて、来年タイワン帰るヨ、ははは~。」

人生!!!

こういう店で働くことが悪いと言っているのではなく、単に自分には合わないというだけのことで。

2009年7月21日火曜日

苦悩・梅雨・カビ生えた日々

一身上の都合により、ブログの更新を怠ってしまった。
この一月、かなりへこんでいた。

自分は教師を生業にしているが、担任もしている。自分が、である。
自分の人間性をご存知の方ならお分かりかと思うが、基本的に自分は「おもむき」がない。
今の言葉で言うならば、「KY」とでも言えばよいのだろうか。
どちらかといえば「おもむきがない」という言葉の方がすきなのだが。そんなことは
どっちゃーでもよい。
自覚はしている。人付き合いが苦手である。

そんな人間が教師をしている。ラグビーもやっている。

自分がこんな仕事やってていいもんかと良く考える。
そりゃあ嫌われもするし好かれもしよう、教師はそんなものだ。別に好かれるために
やってるわけじゃないのだ。しかし。
生徒の家に行って二時間正座をさせられ謝り続けるなんて貴重な体験をした日にゃあ、
どうだ。へこみますよねみなさん。
おれこの仕事やってていいのかなんて、考えない方がどうかしているだろう。
考えた。自分が教師に向いているかではなく、自分と付き合うことで、いらん被害をこうむる
生徒が出るのじゃないかという部分で。実際出たし。自分自身を鏡に映し、それも、
向き合いたくはない自信の暗部を、穴の開くほど見つめ続けることを強いられるなんてな
つらい一ヶ月であったことよ。

人と付き合うのが苦手で空気が読めないならば、開き直って割り切ってしまえば良い話
なのかもしれないが、中途半端な良心を発揮してしまうもので、それがしんどい。
いまだ割り切れん。

そんな時に日記を書くとどこまでもダークになるので、また、そういった状態の時には、
コンピュータに向かう気さえも起こらず、放置をかましてしまった。

OB戦があったそうですね。行けまへんでした。
引きこもっていたわけではなく、弟が福島県で結婚式を挙げやがったので、
3連休は移動と飲酒に終始した。
福島の人たちはよく飲む。楽しい酒である。東北言葉も新鮮で、よいものであった。

3つ下の弟とは一時期、京芸の近くの北星寮と言う下宿で同居していた。
知っている人ならわかるが、最近建て替えたという噂の北星寮の前身は、マンガに出てきそうな
大家さん手作りの違法建築であり、味わい深い所だった(家賃も一万円台)。そんな中で兄弟が
同居なんてことをすると衝突しないわけが無い。兄としての自分の器の小ささもあったが、
大喧嘩した。
そしてなぜかもともとの住人なはずの、兄貴たる自分の方が下宿を飛び出し、半年ほど
学校のアトリエで寝起きした。食事と着替え、風呂だけ下宿に帰った。
まだ警備も厳しくなかったので使用申請も出さず、アトリエに畳を引き、毛布をかけて寝ていた。
しかし学校で寝ているくせに、授業には遅刻した。
後に和解はしたものの、何をしてんねんおれたちはと、暗いアトリエの天井を眺めていた
もんである。

あー、今でもそうだが、あほだったことよなあ、許せ弟よ、なんつって考えながら、
新郎の弟とその新婦を見ていた。
そうしていると、ふわ~んと酔いの回る頭で、まあいいかとなんだか楽になった。

2009年5月31日日曜日

ウィスキーがおいしくてね



久々に気に入っているバーに行ってみた。
自分の住む茨木市、JR茨木の近くであり、自分の家にも近い
中が狭くて、カウンターが六席。ちゃぶ台のようなボックス席が一つ。
十人も客が入らない。
恐らく昔のスナックをそのまま使っている様子で、時代を感じさせるたたずまいがよい。
 以前の芸祭で出ていた飲み屋に近い雰囲気と言えばわかりよいだろうか。
 一度、引越しを手伝ってくれたお礼に、ウエスギ君とウチヤマ君を連れて行って
しこたま飲んだことがあるぐらいで、後は一人で行く。
ここのマスターが同世代で、またゆるい人で居心地がよい。そして、お兄さんが京芸の
サッカー部のOBさんである。われわれでいうと、モゲさんと同じ回生の人だそうだ。

以前は自分は完全な麦酒党 で、きつい酒はだめだったのだが、歳をとったせいか、
ウィスキーが飲めるようになって、また、好きになった。
そして好みの種類も置いているので、なおさら足が向くようになってしまった。
あ、おいしいと感じるようになっている。
そんなんで強い酒に対する過信が生じ、アンドウ君たちのアトリエ開きのパーティーに行って
焼酎を飲んだら、つぶれてしまった。気がついたら寝とった。さっきまで外国人に説教をしていた
ような気がしていたのだが。
そしてお決まり、地獄を見た。どうやら自分は一人でちびちび飲んでいたほうがよいようである。

なにはあれ、バー「ブロンコ」 、茨木市で終電を無くしたら足を向けられるとよろしいかと。

2009年5月24日日曜日

6月7日、OB戦



思えらくの言わずもがな、四芸は大事なイベントである。
自分に限定していえば、ラグビーによって得た効能が、大げさでなく、人格矯正および更生・人生の路線変更・思考方法の多重化(せいぜい同時に二通り程度だが)および柔軟化などなど、あたかも体にいい温泉みたいにたくさんあったので、かなりの意義があった。
なだけに、クラブ四年間のひとまずの集大成である四芸というのは、「でかかった」。

だから、今回の、前代未聞の四芸中止という事態が現役にもたらしたショックというのは、推して知るべし、だろう。だってお分かりのように、我々が学生であった頃そうであったように、四芸のためにすべての準備をしてきたのだ。
チーフマネージャー・サヤさんの言では、みな落ち着いているとのことであるが。

そういったわけで、来たる6月7日(日)、セイジさんの追悼記念試合を、
現役首脳陣の引退OB戦とするとのことである。ご参加お願いいたします。

個人的には、四芸のためにため込んでいた気持ちを、現役には出してもらいたい。
気合の入った動きを心から期待する。
それはOBとしてどうこう思うということではなく、一プレーヤーとして、たとえそれがどんなチームであろうと、気合の入った相手と戦うことはとても楽しいからだ。そして、
必ずそれはよい試合になるからだ。

そんな相手を前にしたとき、自分は血が沸く。40分ハーフもあっという間に過ぎてしまう。
そういった試合はなかなかできないものだが、いつもそれを望んでいる自分がいる。

いい試合ができたからといって四芸の無念が晴れるということでもなかろうが、
目の色を変えて、殺気さえ込めてこちらに迫ってきてくれる現役チームの姿を期待している。
セイジさんのご冥福祈念のため、四回生の引退を飾るため、自分は全力で試合に臨むつもりだ。

いい試合をしましょう。

2009年5月19日火曜日

てめえこのヴァイラス野郎!

病原菌というのは、自分の不十分な知識では、それ自体では増えることができない。
何か適当な器にに取り付いてそれを利用しないと増殖ができないのである。
つまり単細胞生物とさえ呼ぶことのかなわぬ哀れな存在なのだ。
それだけで見れば遺伝子という情報の塊なだけのもの。言ってみれば、ただのフロッピーディスク
なんである。
読取装置のない限りそれはただのモノなんであるが、形に合うプラグの付いたコンピュータに
接触したとたん、
無限にそのコピーを作り出し、増殖するのである。またそのコピーは、そこだけ生物らしく、
「適応」をする。
例えば「A」という病原菌の特効薬があると、最初はその薬の力でほとんどAは全滅する。
しかし、かろうじて生き残ったものは、数世代で薬に対する耐性を得て、効かなくなる。
ついにはその薬を食わないと死んでしまうなんていうなんていう特性を持つ「A´」なんてのが、
えげつないことに出てくるのだ。A´ を殺すには、まったく別の特効薬が必要となる。

毒蛇使いの一族は、多少コブラに咬まれてもへっちゃらなのだという。
「象をも倒す」コブラ毒に、長き世代を重ねることで耐性を作ったのだ、人間が。

それがインフルエンザと人間のいたちごっこの構図であるのだが。
ついに四芸にはでその魔手を伸ばしたか。
四芸が中止になった。
この腹立たしさはなんだ。
自然にはたかが人間、勝てん。しかし、悔しいではないか。
「何が中止か!病気の一つや二つ発症したところで、学生ならガマンしてラグビーせんか!!
フィールドで死んでこそまことのラガーマンだと自分は思いますが!!」

うそです!!

いかんともしがたいな、これは。大きな自然の流れの中では、われわれは大河の中に浮かぶ
楕円球、どうしようもないとしか言いようがない。
浮くも沈むも流れのままに、なのだ。
しかし逆境の中にあるとても、現役ボーイズアンドガールズよ、その気持ちをくすぶらせるな。
それら気持ちをぶつける場所は必ずあるぞ。
花に嵐の言葉もあるぞ、さよならだけが人生だ。とするなら、さよならする前に
今夜ここでの一盛り、もあったものだ。
それについては二、三時間でも語ることもできようが、中略し、マイナスはプラスへの
強力なばねに なる。
ここからが真価の見せ所だと自分は思うが、どうかね現役諸君。

ガッデムこのヴァイラスメーン!がんばれ現役!病原菌に負けるな。

なにやら妙に腹立たしいOBは思うのだよ。

なんでこないに残念かっちゅうとやな

四芸に参加できずに残念だというのはこの前書いたが、その理由を記しておこう。
つい女々しく参加不可能をなげいてしまっとるがな。

東京で顔を合わせたい人たちがいるのも確か。
なつかしい面々と一年に一度会える同窓会的な場でもあることよ。
それに加えて自分は去年の思い出が鮮やかだから、なお残念な気持ちが強い。

去年の金沢四芸は、ヤスイさんのキャンピングカーに乗せてもらって行った。それがごっつい楽しかったのだ。
今までの四芸で、ロードムービー的に道程を楽しむことができたのなんか初めてだったので、非常に新鮮だった。

いやー、キャンピングカーって素敵だ。
余裕を持って出発し、あせることなく目的地に向かうまでの、その旅を味わうことができるこの上ないツールなんだなあとしみじみ感じた。
つらつらと会話を楽しみつつ、テレビがあってラグビーの試合まで流してくれてたりして、自分は心の底から心がなごんだものである。
パーキングエリアで一夜を明かし、朝、日本海を見晴るかす断崖でヤスイさん、イガワくん、自分の男三人で食べた握り飯とサンドウィッチのうまかったことよ。
その思い出にプラスして四芸なのだから、記憶に焼きつかないはずがあろうか、いやない。

ハンパなく忘れがたい。

自分は今車は持っていないし、必要を感じない。しかし、もし手に入れる機会があるとするなら、絶対にキャンピングカーである。
あんな楽しい乗り物はちょっと他にないと思うのである。

そんな風にして去年の記憶がめちゃめちゃ良いので、くわあ、今年行けないのが百倍残念なのである。来年は絶対参加して、旅も試合も楽しむのだ。

四芸参加のOBのみなさん、けがの無いようお楽しみください。

2009年5月17日日曜日

四芸に行かれへん


四芸に行けない。情けない。
こういうときもあるのだと思うしかないのだが、こういうときに仕事がいやになってしまう。
子どもな自分である。

五十年誌についての集まりが学校であり、主に広告料をもらわんければならないことなどを
話した。
たくさんもらえればそれだけ助かるし、自分もすまいの茨木市の中で探してみようと思っている。
もし広告について心当たりのある方おありならば、OB事務局までご一報いただければ幸いです。

写真は今年の四芸Tシャツ。自分はピンクを買った。
フォトショップでもう少し見やすくしてみようとやってみたのだが、慣れない事はするもんじゃない、
変になってしまった。

2009年4月29日水曜日

マッドドッグ・リターンズ

えらい間が開いてしまった。いかん。
イヤーどーも仕事が忙しくて、なんて言い訳はしない。怠慢をかましてしまった。

ハマーン、というニックネームをいただいている自分だが、最近。
「パパーンになりましたね。」
なんてなふうにいわれる。
実際所帯持ちではあるし、的を得たことよとも思う。だがしかし、どうもこの呼び名の中には、「守りに入ってる」というニュアンスもあるらしい。ラグビーのプレースタイルで特にそうらしく。

こなくそ、と思う。

確かにまあ若いとはいえないから以前のようながむしゃらさは出せていないかもしれない。がつがつ当たっていくのを意識的に避けているのも事実だ。
あ、認めてしまっている。
さらにあがいて言うなら、自分のような体格では、当たるよりも、スペースに走りこんでからませつつボールを出すなんてスタイルのほうがやりやすいと思うからだ。
自分より大きな人が相手の場合は特に。
しかし、変な守りがにじみ出ているのも事実なのであろう。モチベーションにしてもかつてとは明らかにありようが違うのはわかっている。

しかし、パパーンなんつって呼ばれちまった日にゃあ、やったろうやないかいと思うわけだ。あー単純。
まあ、奮起するきっかけも欲しかったし、丁度よい。
相手を打ち倒し、その心臓をえぐり出して太陽の神ティナトゥに捧げてやるくらいな血まみれの気持ちで。また魔界のプリンス、アシュラマンのマスク、アシュラ面・怒り、あるいは冷血のように。
パパーンでもなく、ハマーンでもなく、「破マーン」として!フィールドを地獄と化してやるなんて思って新歓試合に望んでみたが。

「ハマーン、寝てプレーせんといてください!」と現役プレーヤーに怒られてしまった。
すんません、出直してきます。

2009年3月31日火曜日

現役の練習

先日、仕事を休んで現役の練習に行った。
そしたらいきなり足首をグネり、往生した。
久々に自分の関節がぐりりっと音を立てるのを感じた。
結構痛かったのだが、いきなり来ていきなり怪我して帰るなんてかっこわるい!とやせがまんし、最後まで走った。
家に帰ると案の定腫れており、暗澹とした気分になったものであるが、翌一日足を引きずって歩いただけで、そのまた翌日からは大丈夫になっていった。
幸いにして、現在はだいぶいい。
う〜ん、やっぱり体を当てる練習は普段からやっていないと体が忘れてしまうものなのだろう、ちと悔しかったのである。
皆さんも怪我にはぜひぜひご注意を。

今日はこれだけ、ほんまに徒然の惰性で書いてしまった。

2009年3月13日金曜日

走らんかな

ネタが豊富になってきたので間をおかず書いておこう。

つい昨日の夜になるが、クラブチーム、ディスカバリーの練習に行ってきた。おなじみ吉祥院運動公園、マツダ君とテツオ君もいた。
タッチフットをたっぷり一時間ほど、いやあやっぱり一人で走るのとは違うもんだ、何せ楽しい。

走るのが楽しい、という感覚は自分は「犬」に近いような気がする。夢中になるとはこういうことなのだなと思う間もない。走ってボールをもらうことだけに神経が向いてしまうので、気がつきゃ一時間なんてあっという間だ。
だから自分はそういうときの犬の気持ちがわかるのだ。いや、犬に確認を取ったわけではないんだけれども。
目の前のボールしか見えなくなって、首に巻かれたリードも忘れ全力疾走をかまし、リードの長さなどなんぼのもの、ばいーんと首吊り状態になってすっころぶ。
あれ、自分は笑えない。気持ちが高ぶりすぎてあほな行動をとってしまうのなんて、しょっちゅうなんで。

だから毎度タッチフットをすると、たはー、おれって犬やなあ。と思わずにいられない。

長くラグビー無宿状態の自分としては、そろそろ身を落ち着けてプレーをする場所が欲っせられる。
一匹狼(というより野良犬)でラグビーが出来るわけもなし、また楽しいわけもなし、本来イヌ科の獣は群れで生活するものなのだから、犬男たる自分にはそれが似つかわしいのだ。かっこつけているわけではない。自分には犬のようにあほな部分が、犬に悪いがたくさんあるのだっつうことを言いたいのである。
そういう自分がラグビーというスポーツを選んだのも、今思うと必然であったかも知らん。

ところでラグビーは一面、集団で狩をする狼の行動を垣間見ることができる。
一つの目的のために協力して動くということにも関して。
キックオフの前に雄たけびを上げてテンションをあげるところとか、なおさらに。

練習後ちくちくするのでひざを見ると、いつの間にか怪我をして血が出ていた。
怪我に気づかぬほど集中していたとは、おそらく脳内麻薬物質、エンドルフィンあたりもどっぷり出ていたのだろう、なんたら単純なことか自分よ。
犬が。

と、自虐をぶってみたところで楽しんだ後の疲れは心地よい。帰り、吉祥院から洛西口駅までほてほて歩くのにも、なかなか気分が良かったのである。

2009年3月12日木曜日

五十周年に向けてのわれわれ

先だっての日曜日、大学はヤスイさんの研究室にて、OBの集まりがあった。
主に五十周年記念冊子について、具体的に話し合った。
若手が多かったが、上の方々はタイゾウさん、アオヤマさん、カトウさんがお越しくだすっていた。
自分はほとんどいただけであったのだが、いくつか宿題をもらった。
他の参加者も仕事を振り分けられ、四月終わりを一つのめどに動き出そうという形になっている。よいものが出来るといいなあと思う。

この時期になると皆ぼちぼち次の動きをしはじめる話を聞くが、特に若手の方でそれが顕著であるように感じた。まあ当たり前なんだが。
西は佐賀へ、東は東京へ、海を越えてはスペインにフィリピン。籍を入れた、いまどこそこにいる、いや行方が知れぬ、などなど。
洗い直しが必要になっているからであるが、まあいろんなところに住み、いろいろな状態になっていはるものである。ほんでも、OBはOB、記憶のどこかしらに京芸ラグビーの文字を刻みつつ、日々を生きていはんねやなあと思うと、創部五十年という歴史がリアルに思われ、その遠大さに少しぼーっとなった。

そんな歴史の中にちょびっと身を寄せさせてもらっている自分としては、できるだけ迷惑をかけないようにこの五十周年記念の仕事にがんばろうと思うのである。

ところで、自分はまた性懲りもなく、せっかく行くしなとスパイクとジャージを持って行き、集まりの終わった後、グラウンドでボールを蹴った。
てってこてってこグラウンドを走っていると、ああ、やっぱり楽しいなあと思ったものである。
一人キックダッシュを何本か、息が上がった。

2009年3月5日木曜日

阿修羅・原

またはなしがダブるかも知れないが。

自分はプロレスが好きである。特に1970年代終わり、80年代初めの頃のプロレスが。

古館伊知郎の名実況と、山本小鉄の味のある解説、手に汗握ってテレビにかじりついたものだった。
新日本プロレスでは猪木がまだイノ鬼だった頃で、ジュニアヘビー級では佐山サトルの初代タイガーマスクが四次元殺法を繰り出し、イギリスからは「蛇の穴の刺客」スティーヴ・ライトなるわけのわからんレスラーがやってきたりしていた。

ああ、全日本の故ジャイアント馬場ももう少し動きに切れがあったなあ。
百の顔を持つ男、ミル・マスカラス、その弟ドスカラス。エル・サント。
人間山脈アンドレ・ザ・ジャイアント。
狂獣ブルーザー・ブロディ。
狂虎タイガー・ジェット・シン。
筋肉の表面張力、ダイナマイト・キッド。
鉄の爪、フリッツ・フォン・エリック。
テキサスブロンコ、テリー・ファンクにドリー・ファンクJr。
アブドラ・ザ・ブッチャー。
不沈鑑、スタン・ハンセンに超人、ハルク・ホーガン。
バッドニュース・アレンってのもいたなあ。

外人選手のインパクトが強いので思い出すままあげてみたが、
いやー、みんな濃かった濃かった。
ちびっ子は熱狂したもんである。


日本人選手のほうも木戸修、藤原嘉昭などの渋い選手が光っていて、現在おもしろお父っつぁんになっているアニマル浜口も現役だった。
その中にあって、天竜源一郎とよくタッグを組んでいた選手で、阿修羅・原というレスラーがいた。
スタイルは愚直の一言で、繰り出す技も体当たりとかラリアットとか、直線的なものばかりで、その不器用さが逆に目立っていたように思う。

この人、後で知ったことなのだが、伏見工業の山口総監督と同じ代の日本代表右プロップ、いわゆるタイトヘッドなのだったのである。近鉄でもプレーしていたらしい。
そしてこの人の代表時代の試合のビデオを偶然手に入れて観たことがある。相手はウェールズかスコットランド、山口監督は7番でプレイスキッカーだった。
原選手、面白いことにプロレスの動きとまったく一緒の体さばきで、ほんまに体当たりのタックルをする。かなり僅差の試合であったように記憶しているが、どうだっただろう。
本人はプロレスラーに転向してから、ラガーマンであったことを自ら語らなかったのではないか。そういうネタを言っていたのを知らないし、何より寡黙なレスラーだった。
しかし、時たまどこかでラグビーの練習はしていたということを知るにつけ、なんだか興味が出てくる。これはどのような‘OB‘なのだろうと。

だって元総理、元ワセダの森善郎みたいなOBもいるわけだから。
陰に日向にたくさんのOBが、当たり前だが、いる。

今度の3月8日の日曜、50周年記念の企画のOBの集まりが大学であり、そんな中でこの記事のことをふと思った。阿修羅・原のように、陰に隠れたOBさんたちの姿が見えてくるような記念誌を作ることが出来たらなとつらつら思う。

2009年2月17日火曜日

懺悔の学内展

正直なところ、最近自分は自分のことを「I am a 作家。」と思い込んでいた。
なんか変な自意識みたいなもんを持ってしまっていた。
否。自分はいまだ何者でもない。
ただの作品づくりが好きなおっさんにすぎないのだった、忘れとった。

制作展の学内展示を見に行ってそう痛感したのだった。
良い展示をしている人たちが多かった様に思う。
四回生や院生が中心だったせいもあったからか、気合の入った、しっかり見せてくれようとしているものがならんでいた。この場合、若さとか元気とか勢いとかいう言葉で差し引くものではないだろう。自分は内心「かなわねー!!」と叫び倒していたのである。
何か学生のほうが作家らしいものを作っているように思ったのは、自分の卑屈な感想からなのだろうか。

ともかく、自分を天狗鼻の未熟者めがとどつきまわしたくなったのだった。

学内展がまだ始まったばかりの頃、自分は暇で、よく大学のグラウンドでボールを蹴って一人練習をしていた。
それもグラウンドに展示されている誰かの作品の横で。もちろんその当時、罪の意識なんぞありはしない、ゼロだ。
今思い出すになんつー不届き千万なことをやっていたのかと恥ずかしい。いっぺんボールをぶつけてしまったことさえあった。
その作品の雰囲気を壊すことはなはだしい、一種のテロリズムであったわけだ。

認識不足というより、愚の一言であったわけだが、改善されたわけではなかった。
だって今回、どうせ学校に行くならと、ジャージとスパイクをかばんに入れ、あわよくば練習させてもらおうと思いながら学内展に足を運んだからである。
グラウンドに展示されていたのは、だれあろうウチヤマ君の作品であった。

「ウッチーごめん、グラウンドのはしっこで練習していい?」

と頼むつもりだった。
ああ、自分は最悪のOBである。

しかし、これは本音であるが、上の申し出をする気持ちは雲散霧消、思いとどまった。
この作品の雰囲気を壊してはいけないと、ふと思ったからである。「ふと」というところがどうもあかんのであるが。
そして自分が抱いていた思いの低俗さにわれながらさぶいぼの立つ思いであった。
そこでストップがかかっただけ、まだ自分にもまともな所があるのだなとも。
それだけ存在感のある作品だったのだろうそして冒頭の自分の思いにつながる。
いまここで練習なんかやったらいけない。と!
当たり前のことに三十路になってやっと気付くなんざあ、くっそー自分に腹が立つ。

そんな気持ちにかられつつ、しゃらずると学内をそぞろ歩くに、くわあ、また他にもいくつかこちらの襟をびしびしと正してくれるものもあるがな。帰り道、自分はむしろ懺悔の気持ちに襲われていたのであった。
ごめんなさい。
自分はまたがんばります。

ほんで今回言いたかったことは何かというと、学内展はなかなかによかったということでした。
あ、また「なかなかに」とか自分は書いとる。
こういう素直じゃない人間を自分の田舎では「しょうから」と呼ぶ。

2009年2月13日金曜日

時間といふもの・および挑戦として

先日記事に書いたクリスチャン・ロアマヌ選手のことについて、二次検査でも陽性となり、罪が確定してしまった。
チームは日本選手権出場を辞退、三月までの対外活動の自粛を宣言、ロアマヌ選手は退部という形になった。おそらく二度とトップリーグには戻って来れないであろうし、まともにラグビーが出来る場所にさえ帰ることは出来なかろう。
検査によってどの程度わかるのかは知らないが、直接的な吸引といわゆる伏流煙では、検査結果が変わってくるのかどうか。また、どの程度さかのぼって大麻吸引を証明できるのか、仮に体から排出されない反応物質があるのだとすれば、自分も陽性になってしまうなと思いつつ、なんにせよやりきれない思いにとらわれている。


先日京芸の制作展を見に行った。いつも思うに、足の踏み場もないほどの、ただただ一生懸命な作品(そうでないものもあるが)に囲まれると、元気をもらうことが出来るが疲れる。決して作品を見るのがいやではないのだが、自分の良くない癖なのだろうが、疲れるのだ。
しかしそして、自分も作品を作りたくなる。

大学を出て十年以上が過ぎた。そして何とはなしに、自分の周りの同回生で今でも制作活動をしている人を一人ひとり思い出しつつ挙げてみたのだが、125人の中で、半分も数えられなかった。
もちろんその活動を知らない人もいようし、就職してがんばっている人もいる。美術から足も洗うも続けるも、良い悪いなどでは全然ない。しかし、自分の今の立場から見て、本当に減ったものなのだなあとちょっと驚愕したのである。本当に半数にも満たないのではないか。

自分の場合卒業してから半年ほど経って、やっと「どんな状況でも作品を作り続けよう」という覚悟が出来た。今でも自分を売り込む方法とか今後の展開とか、よくわからない。
が、売れる売れないは関係なく、そりゃ売れて欲しいが、とにかく自分の好きなやり方で作ったモノを発表したいという思いは変わらない。とか言いながら明日「やーめた。」とか言っているかもしれないのだが、そうやって何とか今まで来た。
そうして制作展を(時間がなく駆け足だったのが申し訳ない所だが)見ていて、「この中でずっとやり続けていける人はどれほどいるのだろう。」という思いに支配されてしまった。あほな妄想相変わらずである。

そしてラグビーも。
制作とラグビーだきゃ死ぬまでやりたい。
物理的にいつか動けなくなって走ることもままならないようになるのだろうが、それまでは走りたい。しょーみな話し、いつまでできるか、挑戦中である(前も書いたか?)。および中国拳法と筋トレも。
ただ現在クラブチームにも行っておらず、ラグビープーな自分なので、たらたら理屈をこねていられるものでは本来ないのだが、自分を追い込む意味もあり、こんな事を書いているとも言える。どなたか、いいクラブチームご存知ではないですか。
そんなことを一生ぶつくさ言っているじーさんになりたくもある。
たぶんそういった目標やらを無くすと自分の場合、一気にボケてしまうだろうとも思うので。

非常に狭い独白の記事になってしまった。ご容赦願いたい。

2009年2月2日月曜日

イメージが具現化する

前回の記事で「体で実感しないとイメージが形成されない。」ということを書いた。
今回はそれと180度違う意見を書いて「じゃあどないせっちゅうのん。」という突っ込みを受けてみようと思う。

わがカンフーマスター、チャーリー師父がよく言っていた。
念のために、これはたとえ話ではなく、実話である。チャーリーさんも実在の人物だ、日本人だけどね。
自分が北星寮に住んでいた頃、チャーリー師父は弟子の自分に太極拳を教えながらこう諭してくだすった。

曰く。
「脳天から糸で吊り下げられたように、首を伸ばし、肩を落として立つねんで。」
「空気の球をイメージして、その表面をなでおろしながら前へ押し出す。」
「臍下丹田にエネルギーがたまっていると思って。」
「両手につながったゴムを伸ばすように打ち出す。」

あるいは、踊りを舞っているようにも見える八卦掌の型を教えてくれていたとき。
それぞれの動きの意味を一つ一つ説明され、その動作の効果から相手を打ち倒すイメージを持ちながらでなければ、演舞の意味が無い。型のための型になってはいけないと繰り返し言われていた。
要約するとこうなる。
「イメージを確固たるものにすることで、実戦に役立てる。」
もう一つ。
「正確な動きをすることで、動作の効果を高める。」
とこういうことであったと記憶している。前回の自分の書いたこととはまったく逆であることがわかっていただけると思う。

動作への解釈を確固たる物とし、同時に一連の型の流れの中での無駄な動きをなくしていく、ということを繰り返していくとどうなるか。
動きが鋭く強くなっていくのである。
A点からB点への移動方法について、最短距離を、ということではない。最も効果的なコース(体重移動や歩法)をとるのだ。
この辺りの考え方はほかのスポーツでも共通するだろうし、体験されている方も多かろうと思う。それが理解できると、実践の動きも如実に変っていくのにはやっている本人が驚くほどである。

また、自分のラグビーの物理的な動きを決定的に変えたのは、平尾誠二著「イメージのマネージ」という「本」であった。
それまでただがむしゃらにやってればいいという発想で走っていた自分にとって、その本を読む前と後では、赤ちゃんの自分にいきなり陰毛が生えた位の驚きと成長があった。
すーっと試合の全体像が見えてくるのである。ポジション的にもその頃、No.8にコンバートしたからこそということもあったからかもしれない。
その本に書いてあったことの細部は忘れた。しかしとにかく、自分の思考の回路の配線を変えてくれたことははっきりいえる。
要約して憶えているのは「ボールを血液と考えるとFWやBKはそれを流す血管である。血流とそのテンポが滞らないように血管全体として整備しなければならない。流れ方はそれぞれであるが。」
とか
「BKラインは今まさにはじかれた板ばねである。WTBにボールが渡っていく中、プレーヤーは外に立つ者ほどその速度が速くなくてはならない。」
とか。
ラグビーが天候や戦術、指示の出し方や走る角度などもろもろをひっくるめてやるものだとか、果てはその内容はビジネスに対する考え方にまで拡がっていたのである。え、ビジネス?これラグビーの本じゃないの?と思ったものだ。
その当時の自分のラグビー脳が真っ白に近かったこともあり、目から鱗とはこのこと、百枚は落ちただろう。心の底からおったまげた。
もうちょっと早く知っていればそれまでの人生もう少し楽しめたかもと思うほどに。

イメージさえ持てば、中国拳法さえラグビーの役に立つのである、基礎的な体力をつけておく必要があるとはいえ。
まあようするに、バランスよくやってないといけないということなのだ。ここまでこんだけ書いといて結局それかいという事なのだが。
心と体のバランス。中国に言うところの陰陽五行図のように、陰と陽のバランスが整ってこそ世界の秩序は保たれるのである(なんじゃそら)。話の輪郭がえらい膨らんできたが、しかし、筋トレにおいても、今どこを鍛えているんだというイメージを持って臨むことで効果に差が出るというではないか。意識という形の無いもののあるなしで、筋肉という実体の発達が違ってくるのだ。考えてみれば不思議でしょそれって。

自分なりのはっきりしたイメージとナイスタックルの実感。その相関が試合の流れも左右しうる。ということにしてこの話を終わってもいいかな〜と思うのだがどうだろう。

2009年1月25日日曜日

亀岡は寒かったの巻

くやしい。一週間経ったがまだ悔しい。
亀岡での、対アウルOBとの試合である。

チームとしての実力の開きは正直なところ少なからず感じたが、なぜか「もっとできたはず。」という思いが消えない。
まあ、しょうがない。とか、負けたが気分はさわやか、という気持ちがいまだに湧いてこないのだ。これは相手がどうこうという事ではなく、恐らくは自分たちのほうに由来があるのだと思うのだが。
以下、全く以って自分の私見である。

経験値というものは大きいものだ。なかんずく、自分が属してきた集団のレベルによって、それは左右されていくものだと思う。
だから今回の場合、相手が小学校からの経験者で、伏見工業出身、という状況がくっついてきた場合、京芸の現役と比べた時に先の経験値や体力という部分ではどうしても差が生じるのは致し方ないことと思う。
それに、うちはミスが多く、そのために得点を重ねられた所も多かった。
しかしミスは必ず起きるものであるし、実際京芸は去年よりもいい試合をしていたように思う。みながんばっていた。
しかし、自分にいかんともしがたい気持ちが残るのはなぜなのか。

現役の助っ人で試合に入ると、いつも感じることだし、口にも出してしまうのだが(そのため現役にうるさい思いをさせてしまっているであろうことを申し訳なく思うのだが〉、特に相手に押されているときに何が必要かと言って、元気でもなく声かけでもなく、一発のいいタックルだと思う。

だから自分はつい「低いタックルだ」ということを怒鳴ってしまうのだが、しかし、それをどんなに言ってみたところで、言われた現役にとってみれば現実味のない怒号なのであろうと思う。
話が飛ぶが、「肉体は精神の牢獄」と言ったのはニーチェだったかなかったか。つまり頭で思うように動かない不自由な物が他でもない自分の体なのだということだ。おっそろしく強引な解釈だが。
これをスポーツに当てはめてみれば、いくら練習を積み重ねても、試合のイメージを作っていたとしても、現実の試合で練習どおりの動きはなかなかできるものではない。練習自体の意味は深いが、実戦の感覚は実戦でしか養われないからだ。
頭での理論や考え方ではなく、体で覚えない限り体は動かないのだと思う。

さらにたとえるなら、極端な例ながら、真剣での切り合いがそうだと聞く。
60〜70センチの刀で切り合う場合、相手との距離は驚くほど近い。しかも日本刀の力がもっとも有効なのは、切っ先から鍔元に向かいさらに10cm以上中に入った「ものうち」という部分なのだ。
それで戦おうと思えば、相手の息が自分の顔にかかるほど近くでなければ斬るものも斬れたものではないという。それでも相手の刃を避けて必殺の間合いに飛び込まねばならぬ感覚が、竹刀の稽古で獲得できるものだろうか。

タックルも同じものだろうと思う。大げさかもしれないが。
だからいくら練習しても、またいくら言葉を尽くしても、試合中ばちーんと相手のわき腹に突き刺さる感覚や間合いというのは「やらないとわからない」のだと信じる。

試合中、相手をカチ上げて仰向けに地面にひっくり返すタックルの効果と感覚をわかっている現役がいるかな〜と思う。そして早く知ってほしいし、またそれを体感できる場所は試合中でしかない。
だからつい、試合中現役にきつく言ってしまう自分を感じる。「もっとできるやろ!」思ってしまう。自分自身の経験で言うなら、今より一歩分深く踏み出せさえすれば相手の当たりをぬってナイスタックルが入るのだが。しかし同様に、その一歩に結構な勇気が必要なのもわかる分、現役たちの苦労もわかる気がしている。

よってもって、冒頭に上げた自分の気持ちが出てくる、つまりくやしい。体や経験に関係なく、一歩分の勇気、この場合根性と言ってもいいが、それが出せたら現役はもっといい試合ができるはずなのだ。
また難しいことを言いまくっているが、決して現役を批判しているのではない。ただ、知ってほしいのだ。
特に今回自分たちよりも強いと思われる相手に対して、上のことを試すにはいい機会であったし、それができたら勝てたかもしれないと本気で思っているので、また来年を楽しみにしておこう。
次やるときは勝つにも負けるにも、よし、と思える試合がしたい。


以上、自分のわがまま、私見を終わる。聞き流していただきたい。

2009年1月8日木曜日

お年始こもごも

年始に二つの新年会に呼ばれ、顔を出した。
一つはアンドウ君に声をかけてもらい、カトウさんのお店、よっしゃにて。
八人ほどいた中、同世代はフジサキ君だけで、後は七つ八つ下のメンバーたちだった。そういう席に呼んでいただけるのは幸運なことだと思うので、おいしくお酒をいただいた。テツオ君は大丈夫だったのだろうか、かなりキていたが・・・。

もう一つは自分の住んだ下宿、北星寮で生活していた先輩からのお誘い。
なんとその場に、今は千葉に住まわれる元CTBトキエダさんがおられた。やく十年ぶりの邂逅である。いや驚いたのだが、がっしと力をこめて握手。懐かしくてうれしくてちょっと泣きそうになった。後でユイさんも来られ、総勢六人ほどで飲んでいたのだが、自分以外は皆四つ上の先輩ばかり。最初の集まりとは反対に、今度は自分が一番下の世代という状況だった。
そこではお酒の入った勢いで、ラグビーに関係なくご縁が遠くなっていた人々に、今年もよろしく電話をかけまくるという迷惑な行動に出てしまい、後で少し反省した。しかしそれだけ楽しかったのである。夜も遅くに自分から電話のあった方、失礼いたしました。
このように短期間のうちに自分の周囲の状況が両極端の場にいたので、ちょとくらくらしたのだった。

閑話休題。
今月の十八日に亀岡にてラグビースクール「アウル」OBとの試合があるという。

去年と同じように現役主体で試合に臨むとのことであるようだが、前の試合を思い出すに、えらいやられたのを記憶している。
そら向こうはバリバリにやっていた人がほとんどであるから、実力の開きはあるものの、もう少し喰いつけるような気がしていた。なんか、お互いかみ合わなかったなあという気もしている。
というわけで自分の個人的な思いでまたかといった感じなのであるが。
考え方として「現役とOBの混成チーム」で捉えるというのはどうであろう。冬休み中で制作展前、現役は合わせもできていないし、もとより人数において不足がある。現役チーム主体という頭で組むには大変かと思うのだ。現在プレーヤー九人だと聞いている。
そこにOBを入れていくなら、いっそのこと最初から、リザーヴも含め勝てる布陣を敷いて臨むというのはどうであろうかと思ったりする。現役チームの固定ポジションにこだわらんでもいいのんちゃうかな〜、と。
そうすれば、現在若手OBでいきのいい面子が多い中、実力を発揮できることもできるのではなかろうか。現役に足りない部分を補うという意味でも。
その事がひいては、現役にとっても良い刺激になるんではないかとも思うのであるが、いかがなものか。お祭り的な要素の強い試合であるとも言えるし。だからといって出るなら手を抜くつもりはさらさら無いのだが。

ようするに、去年の反省として、自分としてはもっとやれたと思っていて、未消化な部分があったのである(それを一年間持ち続けた粘着気質な性格が自分でも怖いのだが)。
われわれの力だったらもっと面白い展開が作られたはず、という実感がどうしても消えないので。
というわけでどうせやるなら面白い試合をしたい。一月十八日の日曜に体の空いているOBの皆さん、特に若手。観戦、参戦、途中出場を問わず参加をお願いいたしたく、よろしくお願いします。


追伸
以上の文を現役キャプテンに見てもらったところ、現役なりの考えを聞くことができ、自分の「混成チーム論」は撤回することにした。なんとなくやる試合であれば持論をごり押ししようと思っていたが、そうでないことがわかったので、やめた。
自分は助っ人として頑張らせていただく所存である。

2008年11月28日金曜日

船越杯・ダメな自分

十年前(というとすごく昔のようだ。昔なんだなあ)のこと。
東京芸大ラグビー部の70周年記念試合・舟越杯があった。

実は自分にはこれについてすごくへこむ思い出がある。
東京での試合に参加する予定の自分であったが、またしても遅刻したんである。理由ははっきり覚えている。新幹線にあまり乗ったことがない自分は「ひかり」と「こだま」を乗り間違えたのだ。
「ひかり」という割によう止まるなあと思っていたら、なに?各駅停車?新幹線に各駅停車とはこれいかに!
そんなもんがあるとは知らなんだのである。

しかし乗ってしまってから気づいたのでは後の祭り、名古屋を出てから気づいたものだから、もう椅子の中でいらいらするわ自分を責めるわ、自ら飛び込んだものとはいえ、針のむしろだった。今でも思い出すに自己嫌悪がよみがえる・・・。
静岡を過ぎ、熱海なんかに止まった日にゃあ、このまま降りて温泉客になってやろうかとさえ思った。
だから試合場についたときには後半も終盤だった。セイジさんには「おまえなあ・・・。」と絶句された。くわー今でもすいません!
実際試合に出たのも10分ほどだった。何のためにはるばる京都から東京まで来たのか。情けない話である、というよりも、この前の現役の試合に遅刻した話もあり、そのころから成長していない自分をまざまざと意識しいよいよへこむのだ。

そしてへこむ話はまだつづく。恥をしのんで書いておこう。

試合の後は東京芸大の、そのころ新しく出来た食堂でのパーティーがあり、参加した。
草野さんのヨカチンから始まり、しばらくして京芸からの参加者が、大きな杯を壇上でかわるがわる一気飲みをしたのだが、遅刻した自分は最後に回され、大量に残った日本酒を飲み干さねばならなかった。
飲んだ後これは本当にやばいとおもったので、すぐにトイレに駆け込み洋式便器に向かって口に指を突っ込んだ。あんなに酒を吐いたのは初めてだった。情けないが仕方ない、身から出た錆なんである。
22だったが、ええ年こいて一気飲みもないもんだ。

そしてさらにその後、まさにその会場の外で自分は、そのころお付き合いしていた彼女(東京芸大のマネージャーだった)と別れた。
「やっぱりあんたってそんな人だったんだ!」と言われた。はい、返す言葉もござんせん、ダメ男とは自分のことです。
一気飲みがではない、原因はぜんぜん別なものだったわけだが、自分はあかんたれだった、いや今も自信がない。
ここまで書いて思うが、なんちゅうかっこ悪いアナーキーさであろう、われながらアホだ。

というわけで、自分は、舟越杯の一日のうちに「新幹線の乗り間違い」・「試合に遅刻」・「一気飲みセルフゲロ」・「離縁」という4つのだめだめイベントを自ら招いてしまったのだ。悪霊でも召喚してしまったかのような気分だった。
だから、舟越杯、と聞くとその日の思い出が一気にフラッシュバックするので、個人的に赤面なのです。

最後に、パーティー会場の外の椅子に座り、後味の悪い酔いと焼け付くような自己嫌悪に襲われうなだれていると、ふらっと彫刻家・舟越桂氏が現れた。舟越杯の元となったと聞く故・舟越保武氏のご子息である。氏は自分をクールに一瞥し、会場にすっと入っていかれた。自分はすばらしい作家に挨拶をする気力もなかった。
そしてぼんやりとした意識の中つぶやいたもんである。
「ああ、船越杯、こういうオチかあ。」

今年は80周年ということだが、京芸の追い出し試合と日にちがかぶっているのでわれわれの参加はなしと言うことになった。

残念なのは残念だが、記念すべき舟越杯、自分にとっては感情ひきもごもご、いやひきこもごもなイベントなんである。

2008年11月24日月曜日

一種の業やなこれは

連休なのでたくさん書けてよい。

まず、この記事に作為がないことを最初に言っておく。

朝に時間がないのと、食欲が無いのとで自分は遅い朝飯を職場で取る。
大飯ぐらいのイメージがあるが、午前中はあまり食べない。忙しさにかまけて帰宅するまでめしを食わないこともざらである。
結局夕食にどがっと多く食うので、エネルギー摂取量は足りていると思っているのだけれど。
そんなわけでお金をケチるためと自分の好物であるため、ホットケーキを作りだめして職場の冷蔵庫で凍らせておくことにしている。

そして今日そのホットケーキを作っていると。

「それ、すごいラグビー好きみたいやで。」

家人に指摘され初めて気づいた。

自分は、無意識のうちにホットケーキをすべて楕円形に焼いていたのである。わがことながらおったまげた。しかも一週間分、7枚すべてきっちり楕円なのだ。気色わる。
フロイトやユングに判断して欲しいところだが、メタファーも何も見たまんまではないか。
「そらあんたがラグビーやってるからちゃうのん。」
と一刀両断されちゃうのだろう。


朝はたくさん食べられないので小さめに作るのだが「小さい丸」ではなく、「楕円」にするところがまた不可解である。ひっくり返しやすいからとか、考えてみれば理由も思いつくのだが、まったく無意識だった。花園ラグビー場近くの「ラガーまん」とか、菅平の「ラガーめん」などの力技のこじつけ色の強い類のものではない。

だって指摘されて気づき、作った本人が愕然と目を見張ってしまったのだから。
これは笑えない。むしろ背筋が寒くなってしまった。
しゃれにならない、自分の深層心理は一体どうなっておるんだ?てなあんばい。



日ごろから自分自身がよくわからないだけに、今日のこの出来事はかなり自分にとってインパクトのある出来事だった。

しかし諸君。これでもお分かりだろう、ラグビー道は蛇のみち、一度はまり込んだなら、骨の髄までラグビーに侵されちまうんだぜ〜。
顕微鏡で見て、わが細胞まで楕円だったらどうしよう。
変な夢を見そうなのでこれ以上の妄想はやめておく。

しかし今朝の実話です。