2009年2月2日月曜日

イメージが具現化する

前回の記事で「体で実感しないとイメージが形成されない。」ということを書いた。
今回はそれと180度違う意見を書いて「じゃあどないせっちゅうのん。」という突っ込みを受けてみようと思う。

わがカンフーマスター、チャーリー師父がよく言っていた。
念のために、これはたとえ話ではなく、実話である。チャーリーさんも実在の人物だ、日本人だけどね。
自分が北星寮に住んでいた頃、チャーリー師父は弟子の自分に太極拳を教えながらこう諭してくだすった。

曰く。
「脳天から糸で吊り下げられたように、首を伸ばし、肩を落として立つねんで。」
「空気の球をイメージして、その表面をなでおろしながら前へ押し出す。」
「臍下丹田にエネルギーがたまっていると思って。」
「両手につながったゴムを伸ばすように打ち出す。」

あるいは、踊りを舞っているようにも見える八卦掌の型を教えてくれていたとき。
それぞれの動きの意味を一つ一つ説明され、その動作の効果から相手を打ち倒すイメージを持ちながらでなければ、演舞の意味が無い。型のための型になってはいけないと繰り返し言われていた。
要約するとこうなる。
「イメージを確固たるものにすることで、実戦に役立てる。」
もう一つ。
「正確な動きをすることで、動作の効果を高める。」
とこういうことであったと記憶している。前回の自分の書いたこととはまったく逆であることがわかっていただけると思う。

動作への解釈を確固たる物とし、同時に一連の型の流れの中での無駄な動きをなくしていく、ということを繰り返していくとどうなるか。
動きが鋭く強くなっていくのである。
A点からB点への移動方法について、最短距離を、ということではない。最も効果的なコース(体重移動や歩法)をとるのだ。
この辺りの考え方はほかのスポーツでも共通するだろうし、体験されている方も多かろうと思う。それが理解できると、実践の動きも如実に変っていくのにはやっている本人が驚くほどである。

また、自分のラグビーの物理的な動きを決定的に変えたのは、平尾誠二著「イメージのマネージ」という「本」であった。
それまでただがむしゃらにやってればいいという発想で走っていた自分にとって、その本を読む前と後では、赤ちゃんの自分にいきなり陰毛が生えた位の驚きと成長があった。
すーっと試合の全体像が見えてくるのである。ポジション的にもその頃、No.8にコンバートしたからこそということもあったからかもしれない。
その本に書いてあったことの細部は忘れた。しかしとにかく、自分の思考の回路の配線を変えてくれたことははっきりいえる。
要約して憶えているのは「ボールを血液と考えるとFWやBKはそれを流す血管である。血流とそのテンポが滞らないように血管全体として整備しなければならない。流れ方はそれぞれであるが。」
とか
「BKラインは今まさにはじかれた板ばねである。WTBにボールが渡っていく中、プレーヤーは外に立つ者ほどその速度が速くなくてはならない。」
とか。
ラグビーが天候や戦術、指示の出し方や走る角度などもろもろをひっくるめてやるものだとか、果てはその内容はビジネスに対する考え方にまで拡がっていたのである。え、ビジネス?これラグビーの本じゃないの?と思ったものだ。
その当時の自分のラグビー脳が真っ白に近かったこともあり、目から鱗とはこのこと、百枚は落ちただろう。心の底からおったまげた。
もうちょっと早く知っていればそれまでの人生もう少し楽しめたかもと思うほどに。

イメージさえ持てば、中国拳法さえラグビーの役に立つのである、基礎的な体力をつけておく必要があるとはいえ。
まあようするに、バランスよくやってないといけないということなのだ。ここまでこんだけ書いといて結局それかいという事なのだが。
心と体のバランス。中国に言うところの陰陽五行図のように、陰と陽のバランスが整ってこそ世界の秩序は保たれるのである(なんじゃそら)。話の輪郭がえらい膨らんできたが、しかし、筋トレにおいても、今どこを鍛えているんだというイメージを持って臨むことで効果に差が出るというではないか。意識という形の無いもののあるなしで、筋肉という実体の発達が違ってくるのだ。考えてみれば不思議でしょそれって。

自分なりのはっきりしたイメージとナイスタックルの実感。その相関が試合の流れも左右しうる。ということにしてこの話を終わってもいいかな〜と思うのだがどうだろう。

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