2009年3月5日木曜日

阿修羅・原

またはなしがダブるかも知れないが。

自分はプロレスが好きである。特に1970年代終わり、80年代初めの頃のプロレスが。

古館伊知郎の名実況と、山本小鉄の味のある解説、手に汗握ってテレビにかじりついたものだった。
新日本プロレスでは猪木がまだイノ鬼だった頃で、ジュニアヘビー級では佐山サトルの初代タイガーマスクが四次元殺法を繰り出し、イギリスからは「蛇の穴の刺客」スティーヴ・ライトなるわけのわからんレスラーがやってきたりしていた。

ああ、全日本の故ジャイアント馬場ももう少し動きに切れがあったなあ。
百の顔を持つ男、ミル・マスカラス、その弟ドスカラス。エル・サント。
人間山脈アンドレ・ザ・ジャイアント。
狂獣ブルーザー・ブロディ。
狂虎タイガー・ジェット・シン。
筋肉の表面張力、ダイナマイト・キッド。
鉄の爪、フリッツ・フォン・エリック。
テキサスブロンコ、テリー・ファンクにドリー・ファンクJr。
アブドラ・ザ・ブッチャー。
不沈鑑、スタン・ハンセンに超人、ハルク・ホーガン。
バッドニュース・アレンってのもいたなあ。

外人選手のインパクトが強いので思い出すままあげてみたが、
いやー、みんな濃かった濃かった。
ちびっ子は熱狂したもんである。


日本人選手のほうも木戸修、藤原嘉昭などの渋い選手が光っていて、現在おもしろお父っつぁんになっているアニマル浜口も現役だった。
その中にあって、天竜源一郎とよくタッグを組んでいた選手で、阿修羅・原というレスラーがいた。
スタイルは愚直の一言で、繰り出す技も体当たりとかラリアットとか、直線的なものばかりで、その不器用さが逆に目立っていたように思う。

この人、後で知ったことなのだが、伏見工業の山口総監督と同じ代の日本代表右プロップ、いわゆるタイトヘッドなのだったのである。近鉄でもプレーしていたらしい。
そしてこの人の代表時代の試合のビデオを偶然手に入れて観たことがある。相手はウェールズかスコットランド、山口監督は7番でプレイスキッカーだった。
原選手、面白いことにプロレスの動きとまったく一緒の体さばきで、ほんまに体当たりのタックルをする。かなり僅差の試合であったように記憶しているが、どうだっただろう。
本人はプロレスラーに転向してから、ラガーマンであったことを自ら語らなかったのではないか。そういうネタを言っていたのを知らないし、何より寡黙なレスラーだった。
しかし、時たまどこかでラグビーの練習はしていたということを知るにつけ、なんだか興味が出てくる。これはどのような‘OB‘なのだろうと。

だって元総理、元ワセダの森善郎みたいなOBもいるわけだから。
陰に日向にたくさんのOBが、当たり前だが、いる。

今度の3月8日の日曜、50周年記念の企画のOBの集まりが大学であり、そんな中でこの記事のことをふと思った。阿修羅・原のように、陰に隠れたOBさんたちの姿が見えてくるような記念誌を作ることが出来たらなとつらつら思う。

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