スポーツが最終的に目指す何かとはどんなものなのだろう。
記録、勝利の高揚、限界への挑戦?他には・・・。
折りも折りなのだが、オリンピックにほとんど興味がわかないので、どんな
運びになっているのかよく知らない。
しかし、全力を尽くしてがんばってほしいものだと思う。
そんな自分が考えるのはおこがましいかとも思われるが、上のようなことを
考えていた。
立ち飲みの翌日、新宿ゴールデン街、ヒラノ女史が出ておられるバー
「クレマスター」にて。
なんだか東京滞在中はずっと飲んだくれているような記事になっているが、
ま、しょうがない。
このお店「クレマスター」、壁やカウンターにラグビー関係の情報がさりげなく
置いてあり、さすがラグビー者のおられる所、「城」って感じである。
先の記事に書いたとおり、ヒラノ女史の放つ楕円の磁力の影響か、その道の
関係者、往年の名選手たちもチラホラやって来られるとか。
自分は、神戸製鋼・林敏之のサイン入りヘッドキャップを見つけた。
近しいところでは、オナカさんもご来店済みとのこと。
そこでヒラノ女史より、一冊の本を紹介してもらった。
以前もこのブログで書いたが、先の震災で被害を受けた地元の復興のため、
まさに旗揚げされたNPO法人「スクラム釜石」(scrumkamaishi.jp)に関連した
ドキュメント。
ラグビークラブチーム「釜石シーウェイブス」を取り巻く人々と地域の様子を
震災直後から記録したものである。
今のキョウゲイ現役メンバーは、「北の鉄人」あるいは「新日鐵釜石」という
名前をはたして知っているだろうか。
細かい説明は省くとして、新日鐵釜石という企業チームが、近年になって
釜石シーウェイブスというクラブチームに形を変え、現在も活動している。
そして、大震災。
チームの存続自体が危ぶまれた中、その存在は、むしろ地域の人々の
思いによって支えられる。
「ラグビーを続けてくれ。」
プレーヤーはもちろん、新日鐵釜石時代からのチームを知る地元の人々が
存続をのぞんだのが大きいのではないか。
なぜか。
地域に密着してきた歴史の賜物、というのは簡単だ。
ここで、最初に書いた疑問に行き当たる。スポーツの目指すものとは?
自分はこの本を見て、その一つの形を見る思いがした。
命の脅かされるような何かがあったとき、それほどでなくともつらいとき、
人は何かすがるものを求める。
それは第三者であったり、神であったり、あるいは逃避という手段もある。
しかしこの場合、少なくとも周囲の人々はその何かに「ラグビー」を
選んだのだ。
言ってみるならたかだが娯楽や趣味の範疇であるはずのスポーツが、
誰かを元気付け、救うための装置になりえたということになる。
極限状態であればあるほど、生きるために切り捨てねばならなくなるもの
は決して少なくないはずなのに、それでも人々はラグビーを捨てず、
むしろ押し上げた。
これが感動的でなくてなんとする。
同じものに足を突っ込んでいるもんで自分はなおさらきた。きたよ。
正確な思いは、実際そこにいる人たちでしかわからない。しかし、
これだけは思うのだ。「ラグビー最高。」
ラグビーによって逆境を跳ね返そうとする彼らに比べれば、オレの
アキレス腱なんか屁みたいなもんだ!がんばってまた走れるように
なるんだ!と、こっちが元気になってしまったのである。
真に被災地の人々が求めるものは何なのか。
そんなことも考えてしまった。
翌日の朝、喫茶店でコーヒーを飲みながらこの本を読んでいると、
泣けて泣けて仕方がなかった。
周囲の人はさぞ不気味であったろうことよ。
そして、時間は前後するが、ゴールデン街の「クレマスター」にて、
トイレに入ったら全面鏡張りなもので、用を足す自分が自分で
360度丸見え状態。驚いたが、まるで、自分から眼をそらすな!!
と叱咤激励されているようで、眼前に写るトイレ中の自分を
くわっと睨み返した新宿の夜だったのである。
自分に何かできることを、小さくてもいいからやっていこう。

『負げねっすよ、釜石』の紹介ありがとうございます。
返信削除尾中さんも「買おうと思って、買い損ねていた」と、クレマスターで購入いただきました。
補足すると著者は松瀬学=長崎県出身、早稲田大学ラグビー部→共同通信社運動部記者→ノンフィクション・ライターという経歴。
この本はラグビーだけではなく「鉄と魚とラグビーの街 釜石」の震災直後の、街に関わるいろんな角度の人々(釜石シーウェイブス、地元の漁師etc.)に取材したドキュメントです。
光文社刊、1400円+税、何の利害関係もありませんが、ぜひお読みいただきたく(公共図書館にリクエストすれば、確実に入るでしょうね)。