2010年10月14日木曜日

独白の告白なのだ

先日、といってもかなり前になってしまったが、OB事務局で集まり、飯を食いつつ
意見交換会のようなことをした。
桂近くのファミリーレストランにて。自分はカツカレーと生中二杯をやっつけた。

今まで何度も書いてきたし、OBの集まりでは毎回新鮮さを持って、必ず感じること。
「我々はなんたらこのラグビー部をラブなのか。」
というものである。そう感じるのは自分だけかなこりゃ。

とにかく愛憎こもごも、いろんな思いもありつつ好きなのだなあと。

そんなことを感じながら、どれほどしゃべったであろうか。
若手と呼ぶにはそろそろ、ちっとばかりトウの立ってきた我々の世代だが、それぞれ
の思いを披露しあった。
OB会の今後のこと、心配事、お互いの近況など・・・。

思うにわれわれは、京芸ラグビーという共通のベクトルを持ってこれに参加している。
互いににそれぞれの価値基準、優先順位を抱きつつ。
そして、考える所は多く、違いも大きいはずだ。特にKRFCに対する思い入れの深きに
つれていやましであろう。
その中で生じる意見の食い違いなどはむしろ、自分は建設的であると思う。
みなが額を寄せ合い、あーじゃこーじゃ言っているその状態そのものが大事なのだ。
結論や解答はむしろ二の次でもよく、「話し合う」こと自体がとにかく思いを確かめ合う
結果を生むと信じる。
明快化され、統一された認識を持つのでなく、とにかく第三者同士受け入れ合うため
ということが本来、話し合いというものの目的であり、本質なのではないか。
あまつさえ京芸ラグビーという命題をお互いに持つ自分達の場合、、分かり合えない
はずがあろうことか。

個人的世代的な認識のズレも、それぞれの解釈も、話し合うということでいくらかでも
歩み寄ることができたなら、それだけで十分なはずだと考える。
感情的になるのはかまわない。しかし物理的な量や個人の自尊心、虚栄心なんかを
持ち出してきた瞬間、その場はもうおじゃんになってしまう。
話し合いは、一挙に戦争へと転がっていってしまうのだ。国家間のドンパチとは、その
大規模なものであろう。

そういった意味で、この夜の会合は非常に意義あるものだった。

同時にこのような集いが増えるなら、学年を超えてOBのつながりが強くなっていく
んだろうななんて考えていた。
自分達の下の世代も、こんな風に思ったりするのだろうかとふと頭によぎるものがあった。
それは、自分が中堅どころに差し掛かったきた証拠なのかもしれない。なんか若手と話が
したくなってきたのだった。

自分なりのやり方で付き合っていけばよいのだし、自分なりの意見を持っておくのもよいのだ。
そうすると、以前「自分はいつまで現役のコンパに顔を出してよいものか」なんつって悩んだり
していたが。
「いつまでも、いやさ、死ぬまで出ていていい」
のである。
これ、KRFCとの、自分なりの付き合い方ね。
ああ、免罪符を手にしてしまった。厚顔無恥、といってもよいのかもな。

ま、ややこしくない程度に、はい。





 

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