早明戦を見ていた。
ゴールキック、2点の差で明治が競り勝った(関東大学リーグでは早稲田が危なげなく勝っていたのだが)。
早稲田の選手たちは呆然としていた。明治の選手は号泣していた。
ワセダキャプテンのさばさばとした表情が印象的であったことよ。
明治は伝統の早明戦、9年ぶりの勝利だという。
自分が現役であった頃は、メイジは「重戦車」と呼ばれていた。圧倒的に強く、伸び悩むワセダをものともしていなかった。
半ば伝説化している北島忠治監督の最晩年にも当たっていた。その死にあたって紫紺のジャージの襟が黒く染め上げられ、異常な強さを発揮して早明戦を制した時期は、自分が3回生辺りの頃ではなかったか。非常に印象に残っているのである。
そのしばらく後に金銭の絡む組織上の問題が発生し(それは明治OBの中でのことだったと記憶している)、そうするとチーム力がしぼむように弱くなったのは不思議だった。そう、実際弱くなってしまったのである。
自分がそんなことを言うのはおこがましいが、弱くなった理由は良くわかるのだ。
なぜOBの問題で直接関係無い現役が弱くなってしまったのか。
それは「信仰」にも似ている。自分が怪我も恐れず体を張るに足る対象、プライド、名前、楽しさ、何でも良い。
そしてその何かが自分たちの中にある限り、人は恐ろしい力を発揮する。怪我をもいとわず当たっていける勇気は、己の体に宿る「信じるに足るもの」から生じるに他ならない。それがあるからこそ、たとえ点差で負けているのがわかっていても、ノーサイドになるまで諦めることなく走ることが出来るのだ。
ところがその「何か」が自分たちの中でほころんでしまったとき、人は魔法にかかったがごとくタックルにいけなくなるのである。足が止まる。
プレーヤー自身に怠慢をしているつもりは無くとも。
もう一つの例としては、帝京大がそうである。部員の不祥事で1年間の試合出場停止の後、長く低迷していたが、今回の関東大学リーグで優勝した。同じことだと思っている。
つまり今回の勝利のための9年間は、明治にとっては、崩れ去った自らの自己同一性を、パズルのように組みなおしていくための年月だったのではなかろうか。帝京にとってもそうだったはずだ。そのパズルの切片一つ一つは、もろく、積み上げるのに必要な努力は半端ではなかったであろう。
衰えるのはあっと言う間だが、再び力を清め高めるのは非常に難しいからだ。
然るに今回ついに明治は勝った。しかもその勝ち方は、「根性」の一字だった。懐かしくさえあるスタイルだったようにも思う。
およそ合理的なものではないが、力の拮抗した戦いは、最後に「気持ち」とか「根性」と呼ばれる抽象的なもので決まっていくように思う。明治大学というチームにはそれがあったのだということに尽きるのではないか。
以上のことを思いつつ試合を見るに、やはり感動した。もちろん早稲田の粘りも含めて。
だから今年の早明戦、ワセダが弱くなったのではない。明治が強くなったのだと言いたい。
そういう意味ではワセダもそうだったし、関東学院はその途中だ(がんばってほしい)。問題が起こった後、良いチームは必ず戻ってくる。今年はその証明を垣間見た思いがしているのだ。
ところで前述の強かった頃の明治の選手で、LOだったが、卒業後新日本プロレスに入り、去年なんかアメリカの超人気プロレス団体、WWEに出場していた人がいる。名前はケンゾー・スズキ。ヒール(悪役)で、芸者のコスプレをした嫁さんといい味を出していた。
強いチームには必ずと言っていいほど個性のとんでもなく「濃い」メンバーがいる。大学選手権を制したメンバーの一人であるが、そのときスズキ選手は紫紺のジャージをタンクトップに切り、両の腕にはテーピングをぐるぐる巻きで、無精ひげに不敵な笑いというスタイルで国立競技場に異彩を放ちつつ立っていた。「絶対北斗の拳を意識してるぞこいつ!」と自分はテレビを前に突っ込んだのも憶えている。
それが後になってプロレスに出てきたときはまあおったまげたもんだ。
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