2014年12月8日月曜日

何を抱いて天にのぼるか

戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」。
最後の場面で死にゆくシラノが最後の力をふりしぼってつぶやく
そのセリフ。

いよいよ「死」がやって来た。もう足に大理石の靴をはかされた!
 両手にも鉛の手袋をつけられた! だが、折角そちらがむかえに来たなら、
こちらからもむかえてやる。さあこい!わがつるぎにて応えよう。」
(中略)
「貴様らは、おれの手から桂の冠も、薔薇の花をも奪ってゆくのか。 
ええ皆持つて行くがいい!だが!貴様らがいくらあがこうが、決して
取れぬ宝をおれは一つだけ持っている。 それをば今夜、清らかな
青空の道を抜け、天の宮の審きの庭に入るとき、お前たちには気の毒だが、
しみ一つ、よごれ一つつけず、 まっさらのまま持って行くのだ。その宝とは、
その宝とは、その宝とは外でもない…… 。
それは、おれの、心意気!」

-〈幕〉-

少し前、自らの人生を「楕円」というたった二文字に集約させて去った
人のあることを知った。

戒名というものはその人の生きてきたありようを表すものである。
位牌によく表記される「~居士、~大姉」とあるもの。
それをたった二文字、それも「楕円」とは。

自分は東京藝大RFCOB、大國さんのことを存じ上げない。
「大國杯」という試合のあることを知るだけだ。
この方がどんなプレーヤーで、どんな作品を作ってこられたのか。
失礼ながら、まったく存じ上げなかった。
しかし、亡くなられてから御位牌にあったこの二文字。
背筋が伸び、頭が下がった。か、かっこよすぎる・・・。
これをこそ心意気とよぶのだろう。
かっこいい!そう思わんかね!

いまここで話題にするのはすでにして蛇足というものであるし、
無粋である。しかしそれを知りつつなお話題にしたい。
恐ろしい雄弁さで、自分の知らない大國さんのお人柄が流れ
こんでくる。
前述した戯曲の主人公が、長回しで遺したセリフの思いすべてが
この極端に短い戒名に凝縮されているような気がするのである。
このような芸当、今の自分には逆立ちして内臓をすべて吐き出しても
できない。
この潔さ、「シラノ」の作者エドモン・ロスタンさえはだしで逃げ出す。
この一時で、今まであったことも話したこともないこの方を
尊敬している。
しかしそれだけではないだろう。




「いっぺん足突っ込んだらラグビーじゃ、おれら兄弟みたいなもんやん。」
「おれはやっぱり、プロップが好っきゃ!」
「プライドや!!わかるかお前ら。プライドや!!!」

先輩達が発したこれら多くの言葉、すべてがシラノの言葉につながっていく。
同時に我々においては、やはりこの信念に帰結していくように思う。

「底辺で胸を張れ。」

これも同じように、自分があったことも話したこともない三宅先生の
お心意気あふれる言葉ではなかったか。でもなぜかそれは、
三宅先生の写真のお顔と共に、生き生きと自分の頭に焼き付いている。
理由はよくわからない。しかしそれをとても幸運だと思っている。
そしてまた同じように「楕円」という文字が、大國さんのお顔と共に
記憶に入ってきた。
またそれらは多くのOBたち、OGたちがすでに持っていて、そっと大事に
し続けているものでもあるだろう。
大國さんはユーモアと信念とで、この二文字でわれわれの思いを
見事に表現してくだすっている。
改めて感謝と共に御冥福をお祈りいたします。合掌。


戦士には休息を。いつかまた、ともにフィールドにて。
そしていまだ楕円を追って走る多くのシラノたちに幸福を。


さて、蛇足に蛇足を続けるが、江戸時代の戯作者、十返舎一九
辞世の句。

「この世をば どりゃお暇(いとま)に線香の 煙とともに
灰(はい)左様なら」

これも最後までわが意を徹した心意気の句であるよなと思う。
この人は、遺言で自分の棺おけに花火を仕込ませ、荼毘に付させた
のだという。さぞやにぎやかなお弔いであったろう。
やせがまんでもいいと思う。最後の最後まで自分のキャラクターを
徹底した死に方をしたいものだ。
さしづめ自分なら、わが位牌にこう刻もうか。

「御不再度」

ヤンキーの落書きやぁゆうねん。








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