小学校3年生から高校卒業まで、柔道をしていた。今でも試合とかは
見てしまう。
そして最近、柔道関係の事件があった。元金メダリストが酔った弟子に
暴行したり、暴力、暴言が原因で、女子柔道選手団がその監督を
告発したり。また、教育現場での暴力で不幸な事件も起こった。
自分も教育関係の仕事をしているだけに、悲しい。
正直なところ、自分も練習中、竹刀で叩かれたり、怒鳴られたりした。
しかし、そんなことはどうでもよかった。強くなりたかったし、自分を
叩いた先生を嫌いになることもなかった。
信頼関係とかそんなことに気を配ってもいなかった。自分は、とにかく
柔道が楽しかったのだ。少なくとも人間性を否定されなかったので、
先生や種目を嫌いになる要素がなかっただけといえばそうかもしれない。
言い方を変えれば、一線が守られさえすれば疑問もうまれなかったのだ。
そんなことより、心無い言葉の方がよっぽどこたえた。
何が嫌いなのか自分を認めようとしない先生がいて、なんも関係ない
ことをいちいち言う。その人のことは悪い意味で忘れられないし、今でも
大嫌いである。
厳しい練習よりも、その人に物を言われるほうが疲れた。
そういうことだったのかなとつらつら思う。
しかしだからといって、暴力やむなしという意見ではない。
やはり良くないものはよくない。
ただ、桑田元投手がコメントしたように、暴力が子どもの心を歪ませる
原因になるかというと、自分の乏しい経験からして、よくわからない。
自分は、言ってみればかつて「暴力を振るわれた」。しかし、そのせいで
自分が歪んだとは思っていない。
むしろ、「自分を追い込む厳しい教育」だったと認識しており、そういう
状況があったことを感謝さえしていたりする。
「あのときしばかれたが、そらもうしゃーなかった。」
と思っている。
恥ずかしながら少なくとも自分は、言葉や理論のみで柔道が強くなれる
タイプではなかったし、言葉と理論のみでしかられて反省するような
もの分かりのいい子どもでもなかった。
暴力を受ける側と与える側の、両者の関係がどのように成立して
いるのかということが何よりの問題であって、焦点を暴力そのものだけ
に当ててしまっては、解決すべき本質からずれてしまうような気がする。
暴力が絶対悪なら、かつての伏見工業ラグビー部においての、山口
先生のやり方は、全て間違っていた、ということにならないだろうか。
ドラマであっても、スクールウォーズで監督が部員をなぐっていた
シーンがあったが、あれは「悪しき教育の典型」ということにならないか?
本当に、そういう位置づけにしてしまっていいのだろうか。
教育現場での暴力が絶対悪なら、家庭でのそれも「虐待」になる。
だったら、「巨人の星」の星一徹と飛雄馬のありかたなんか、完全に
児童虐待なのであって、放送禁止、全面モザイクものにならないか。
これ極端?
ぜったい「悪い風潮を助長する」という理由で、スポ根ものは放送
規制をかけねばならなくなるということだ。今の流れで言うと。
ま、「時代が違うんだ」と言われてしまえば、反論できる材料を自分は
持ち合わせないのだが。
繰り返していうが、自分は暴力を認めていない。しかし、「よく
わからない」。
暴力によって追い詰められ、悲しい結果を選択せざるを得なかった
当事者の皆様方に、自分ごときが物を言うことなど到底できない。
ただ、いろいろなことで学校教育ががんじがらめになり、現場の
教員達はますます大変になっていくな、という思いはある。それが
自らのミスによって招かれた事であったにせよ。
「生徒に触れただけで暴力である」と決定した自治体が事実ある
と聞く。
おそらく、教育の幅はさらに狭まるであろうし、個性的な先生も減る
だろう。そして、追い詰められ、体を壊す先生もさらに増えるのだろう。
生徒たちのために、それがいい状況なのかというと、自分はやはり
よくわからないのだ。
今回の記事で、かなり不快を感じられる方もおられるかもしれない。
その場合、大変申し訳ありません。不用意なままこのような文を、
プロでもない自分が書くのはまちがいなのかもしれませんが、
こうした者もいるということで、そう御認識いただければ幸いです。
こんにちは、同じくOBのオクムラです。
返信削除僕も中学時代、部活の顧問から殴る蹴るまでいかなくても『厳しい指導』を受けた経験がありました。
僕はすぐ逃げました。半年ともたず退部し、別の部活へ移りました。
体罰を経験した人には二通りいると思います。
『絶対許せない』と言う人と『あの経験のおかげで今の俺がいる』と言う人です。
ウチの父親は還暦を過ぎた今でも中学時代の暴力教師を恨んでいますし、ハマーンさんはきっと後者に近いと思います。
両者の違いが何かといえば、結局個人差と偶然であって、体罰を受けて成長したなんていう経験談だけでは体罰の賛否についての答えなんて出ないと思います。
それよりもハマーンさんがおっしゃるみたいに『一線は守る』という関係の構築こそが大事なのかなと、今教師の見習いのような立場にいて感じます。
すごい乱暴な言い方だけど、『こいつなら少々殴ってもいい』『こいつに殴られても仕方ない』のような関係性さえあれば暴力問題に発展しないと思います。逆に教師と生徒としてちゃんとした信頼関係がないのに殴れば当然問題になる。
自分で何が言いたいのかわからなくなってきましたが、結局のところ『自分はこの子にどれぐらい踏み込んでいいのか』という判断を常に教師が思考し続ける必要があって、『言うこと聞かなきゃ殴ればいい』という思考停止こそ一番の問題だと思ってます。
だからこそ、体罰は悪だ、生徒指導のマニャルだと一方的に決まりを作るのではなく、子どもへの接し方について学校保護者地域で常に考え続けるような空気に変わっていってほしいと、現場の風当たりとか気にしつつ思いました。
長文失礼しました。
オクムラ君>
返信削除大変興味深く読みました。多かれ少なかれ、教育現場に近いところにいると、今回の問題の微妙さと難しさがひしひしわかりますね。
まさにそのとおりだと自分も思うのですが、書かれたように、
「自分はこの子にどれぐらい踏み込んでいいのか」という判断を常に教師が思考し続ける
このことに尽きるのだと思います。
その判断に対してどれだけ教員が真摯におられるかなのでしょうね。その姿勢はおそらく、何より生徒に伝わるのでしょうし、ありようはどうあれ、子ども等は信頼してくれるのだと思います。
そしてもう一つは、保護者の認識。それが大きなネックだし、場合によっては壁にも助けにもなる。自分もそれでいっぺんえらい目こいたことがあります。
教師と生徒の個人差と偶然。それがオクムラ君とハマモトの実感の違いになったのですね。自分はオクムラ君の選択は正しかったと思います。
自分は幸運にも、偶然にも、厳しいが尊敬できる先生に出会えた。そして、叩かれても納得できる状況と、物理的な力でない「言葉」という暴力でダメージを与えられる状況を、それぞれ二人の先生から与えられました。
そして、心無い一言がよほど暴力よりもきついことも実感したので、上のような思いがあるのです。
行為をなす側の心のありようが、その行為を受ける相手の心にも影響を与える、ということが問題の本質なら、その行為が物理的であろうとなかろうと、やはり問題は両者の人間性と認識なのではないかと考えております。
また意見聞かせてください、ありがとうございました。