東京のラグビー者、ヒラノ女史からお教えいただき、読んだ。
週刊現代9月22・29日合併号、藤島大氏「ラグビー 男たちの肖像」より。
先日から続くここでの話題とつながるものがあると思う。ただ、
別に「ラグビー道」を言いたいわけでなく、単純にすばらしいことだと。
高いところに立つプレーヤーは、こういうものであるのだな、と。
大事だと思ったので、書き写す。願わくば、現役の特に下回生に目を
通してほしい。
これは、身長2mを超す大男が、長い背を曲げて、小瓶サイズに映る給水ボトルを
そっと芝に置く物語である。
クリス・ジャック。かつて、2001年から7シーズン、オールブラックスの
ロックとして67キャップを得ている。あらためて202cm、112kgのサイズを誇る。
いや誇るというより当たり前のように、そんな巨体で俊敏かつ冷静に動き、
走り、跳ぶ。'03年、'07年のワールドカップに出場、全英国およびアイルランド代表
ライオンズとも戦った。34歳。いまトップリーグ返り咲きの九州電力の中核として
選手生活晩年に力を尽くす。
(中略)
ラグビー王国での名声をすでに得てしまった者が、強豪でない異国のそれも下部
リーグに参じる。いくらでも手は抜ける。割の良いビジネスと割り切ることもできた。
しかしニュージーランド南島クライストチャーチに生まれたクリストファー・レイモンド・
ジャックはそうしなかった。それどころか愛称「ジャコ」は模範であろうと心がけた。
例えば、こんな風に。
オールブラックスの元重鎮は、福岡市内香椎のグラウンド内外の「風紀係」を
買って出た。同僚のオーストラリア人、トム・マクベリーらとともに「よきラグビー
選手としての態度」を率先指導する。
(中略)
「寮をきれいにしよう、そうしなくては勝てない。そんなことも彼らはみんなに語り
かけるんですよ」
確かに、長くスポーツを追っていると、そのことは理解できる。勝負をきわめると、
最後の最後には「恥じるところのない自分」であるかが凱歌と悔恨を隔てる。
それは保守的な政治家が安易に口にする「若者に道徳心を」とは意味が異なる。
もっと内面より吹き出る天然の感情に近い。義務ではなく権利。そういえばサッカー
日本代表を率いた岡田武史さんも、横浜F・マリノス監督就任直後に、クラブハウス
の玄関ロビーのレイアウトを変えて片付けさせた。なぜですか?と質問したら、
こう答えたのを覚えている。「理屈ではない。ただ世界中の一流クラブの玄関は
どこもきれいだった」
九州電力では、ニュージーランドのチーフス出身、ドウェイン・スウィーニーが、
練習で日本の選手たちが給水ボトルで喉を湿らせたあと、そのまま芝に投げ捨て
る行為をとがめた。関係者に聞くと以下のように説いたそうだ。
「試合中、いまのような態度をとるのは、私たちが追い詰められたときじゃない
のか」
そのことについてクリス・ジャックにも確かめた。サニックスとのトップリーグ初戦
直後のロッカー室前で応じてくれる。ボトルを投げ捨てないことと試合の結果は
結びつきますか?
「明らかです。水を準備してくれるスタッフに対するリスペクトを欠いてはならない。
小さなことをしっかりできる選手、そうでない選手、小さなことをしっかりできる
チーム、そうでないチームは結果を分ける。フィールドの外のふるまいはゲームに
表れるのです」
一刻を争う試合中は、ボトルを投げることをチームとして容認しているが、練習中
にはしっかり守っている。
(中略)
締め切りの事情で第2節の王者サントリー戦の結果は不明だ。簡単ではある
まい。ただ来季からのチーム増で自動降格がないのは朗報かもしれない。つまり
昇格クラブでも焦らずに力を磨ける。だから給水ボトルの精神とその効果も走り
ながら醸成されるはずだ。いつかどこかでものをいうだろう。
どうだろう。
自分自身、大いに、反省することしきり。
恥ずかしながら正直なところ、現役時代、自分はこんなこと考えられなかった。
この文でいわれるのは「行為することによってタマシイは形作られる」ということ
だと思う。行為というものは普通、、こうしよう、という意図があって発生する
ものだが、ここでは行為そのものが意志を生み鍛え、目標に向かわせることが
あるのだ、との事実を示してくれている。
特にスポーツにおいてこの考え方、本能といってよいかもしれないが、非常に
重要だ。ただそれは「勝ってナンボ」をうたっているのではない。もっともっと、
見えにくいが大事な部分につながっていくことなのだなという気がする。
そして、ひと昔の日本人だったら、こういったことは日常的にできていたん
ではなかったっけ、とも思いつつ。
0 件のコメント:
コメントを投稿