2012年2月17日金曜日

プロレスと闇と

闇の深い犯罪とプロレスの関係とは。
その動機等を聞いて、短絡な、とは言いがたい。決して短絡ではないと思う。それは
それなりの理由があり、犯人になった少年なりの必然性があったはずであり、我々の
常識から考えて理解できないというだけだと思う。
だからっつって自分にも皆目わかりはしないのだが。

ストッパーがなく、脈絡がなく、動機さえ定かでない少年犯罪は、非常に2次元的だ。
立体感を感じない。もっと言うと、人間の体温をも感じない。
ふと思ったのだが、それってゲームや漫画のキャラクターがやってることのようだ。
と感じた。
ゲーム・アニメのストーリーに脈絡はない。そして質量のない虚構として存在する。
もし少年たちが、虚構の世界を舞台にたちまわっていたとしたら。
そのことはいろいろな場所で言われているとは思うが。

そして虚構と現実の境界線はしばしばあいまいで、ときに、両者がわれわれの足元で
入れ替わってしまうことも結構あるのではないか。

そのわかりやすい境界が、プロレスなのであると思う。
プロレスは、八百長ではない。エンターテインメントである(ジャイアント馬場談)。
こうあるとおり、前にも書いたことがあるが、それが本気かどうかが問題なのではない。
このスポーツは、エンターテインメントであるがために非常に漫画的でもある。善・悪の
役割がはっきりしたキャラクターが、顔にペイントしたり、マスクをかぶっていたり、いろ
んなレスラーがいて、それらが戦う。肉弾戦をテーマにしたパフォーマンスといってもよく、
その世界は限りなく現実に近い虚構であり、同時に限りなく虚構に近い現実でもあるわけだ。
そんなキャラクター実際いねーよ、と言いつつも、否定されることなくそいつらが目の前で
「お客のために」戦っている。時に流血さえしながら。
見る側はそれが本当の殺し合いでないことを理解しつつも、演出された戦いを楽しむ。
そのために我々には、「イメージの力」が問われ、また鍛えられる。
「うおっ!あの毒霧で眼がつぶれたんじゃないか!」
「あのヒールホールド、いたそー。」
「蛇の穴よりの刺客?なんだそれは!」
「ああっ!!フィギュア・フォー・レッグロック(四の字固め)!これで決まったあ!」
苦痛にゆがむレスラーの顔、「折れー!」という観客の声援、それをあおる実況、
ゴング、倒れて動かない者とレフェリーに腕を高く挙げられる者。二つの両極端に
分けられたリング。ああっ、勝者に恨みを抱くヒールが乱入してきた。パイプ椅子で
しばかれた勝者、くわあ、額から大流血だあ!!

こういうエンターテインメントであることは百も承知。しかし。

がきんちょだった自分においては、脳内麻薬が出るほどイマジネーションが刺激された。
いたそーな技のイメージは、痛みに対する恐怖を育ててくれた。プロレスという虚構が、
苦痛に対する実感を喚起してくれたのである。
かつ、実際小学校の砂場で友人とかけあった四の字固めは声を上げるほど痛かったし、
テレビではアントニオ猪木がタイガー・ジェット・シンの腕を本当に骨折させていた。
アンドレ・ザ・ジャイアントのひざを脱臼させていたのはキラー・カーンだったな。
現在でも高い頻度で死人が出る。そしてこれらは現実だ。舞台はリングという虚構
であるはずなのに。
虚構と現実入り混じるバトルスペクタクル意外になんと呼ぶべき。
プロレスはかっこよく、おもしろく、なにより「いたそー。」だった。
イマジネーションは鍛えられ、いつしか、これは危険だ。というストッパーが作られ
ていた。
漫画に近い世界に生きるプロレスラーによって、僕は自分と他人に対する苦痛の加減を
学んだ。だって、あんなんされたら痛いやん。軽々しくはかけられません。てな風に。

0 件のコメント:

コメントを投稿