自分は情緒的な人間だなあとつくづく思う。
理論でなく、感情で動いてしまう人間だと。
割り切るべきところをそうすることができず、齟齬を発生させてしまうのだ。 それも頻繁に。
何で自分はこうなんだよ!と切歯扼腕しつつ、それでもどっかでは「これでいいのだ」と思う節も
あるので、多分死ぬまでこの性格は治らないと考えてもいる。
さて、前回に引き続いての話なのだが、結論からいうと、センチメンタリズム上等を謳いたい。
オン・ザ・ウェイ・オブ・センチメンタルジャーニー・オブ・ハマーン である。
情緒は時に、いやしばしば矛盾をものともしない。
「なぜに?」と周りがいぶかしむ行動思考をうながしてしまうことはざらにある。
理論や科学から見れば明らかに不合理であることもやってのけてしまう。しかし逆に考える。
もし世界が本当に理路整然とした、熱力学第二法則・熱いものはいつか冷えていき、流れは
高きから低きへ向かう、てな世界だったなら、多分、おもんな~いものなんだろうなと。同時に
実際見回してみるに、人間の実生活は矛盾の泉、思考停止の連続、不合理の砂漠である。
「なんでやねん!」とか「んあ~」とか思わぬ日などあるだろか、 いや、ない。
要するに日々不条理だらけの毎日を過ごす我々にとって見れば、合理的、科学的であるという状態
というのはむしろ少なかろうと思うわけだ。
そして自分はそういう自らの抱える不合理さや矛盾にくるしむ人が好きだ。
無視する、ではなく向き合ってしまわざるを得ない人々。語弊を恐れぬ言い方をすると「ダメ人間」の
ことである。
自分がそうであるだけに、そういう人に親近感が覚えられ仕方ない。
でも、ダメさがわかる人って、誰かのダメさをも受け入れられると思うのだ。他人の弱さが分かって
あげられるのではと思う。だからいかんともしがたいダメさを抱える自分を肯定しちまってもいる。
こんな考え方だからいつまでたっても改善が見られぬ自分でもあるのだろうけんどもね。
ああまた話が支離滅裂になってきた。
えーっと、つまり今はいない誰かと同じ空間に存在した何かに、その誰かそのものを投影し、
感慨深く眺めいってしまったりすることはとてもいいことなんだ!てことで。
一つ加えるなら、そういう人がダメ人間だと言っているわけではない決して。
これはもうみなさま「なに言ってんの?」と思われている次第でしょう。自分でも着地点が見えなく
なってきたのが分かる。しかし。
クールに割り切れないものの中でおぼれたおし、泣いたり笑ったりあくことなく、へロヘロんなって
生きとる。感情移入しまくって軸のありかも定まらぬ、そういう自分であることよなあと思ったのだ。
そんな中、件の石膏像が自分の近くにやってきた。何をかいわんや、愛でるのみである。
そして、今年は大変申し訳ないながら、自分は谷口青児杯に参加ができない。
ひじょーに残念である!だから感情が変な方に言ってしまうのもお許し願いたい。すいません!
結局言い訳になってしまったが、うう、無念。
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